奴隷少女の全肯定・後編
「ここは日々の疲れを吐き出すお悩み相談の場所なの!!!!!!! さあっ!!!!! 遠慮なく大きな声で不満を叫ぶといいのよ!!!!!!」
人の中に存在するあらゆる澱を吹き飛ばす清風のような声が吹き抜ける。
笑顔の奴隷少女ちゃんに勢いよく促され、レンはきょとんとしている勇者に向かって指を指す。
「イケメンはタチが悪いよなぁ!!! 女の子を連れ去って許されてると思ってるんだからさ!!! なあ勇者さんよぉ!!!!! 今のあんた、客観的に見たら嫌がる女の子をさらおうとしている変質者だぞ!!?!!?」
「えぇっ!?」
「わかるの!!!!! この勇者、イケメン無罪規定にのっとり過ぎてて調子に乗ってるの!!!!!! 国家権力まで味方に付けたもんだから何も言われないだけで、自分が犯罪者スレスレな野郎だってことにきっちり気がついて欲しいの!!!!」
「き、君たち、なにを……?」
「なにを!!!??! ただ俺はここで不満を叫んでいるだけだよ!!! なあっ、奴隷少女!!!!」
「そうなの!!!! 無意味にハイスペックな変質者を罵っているだけの!!!!!」
勇者は混乱している。
だが二人は構わない。二人は息を合わせて勇者を罵倒する。
レンが勇者への罵倒を思うがままに叫べば、奴隷少女ちゃんが明るく全肯定をする。
十分。
たとえ勇者が敵だって、自分を全肯定してくれるという保証のついた十分があるのだ。
その時間を使って、レンは次々と勇者を煽る。奴隷少女ちゃんがそれを思いっきり全肯定を響かせる。
「い、いい加減にしてくれ。そこまで言われたら僕も――」
「おおっとぉ!!!! いいのか!?!!?」
五分以上もそれが続き、さすがに我慢を超えたのか。構えをとろうとした勇者に対して、レンは両手を広げて己の力のなさを示す。
「勇者ともあろう者が、一般市民に手を出すのか!!!?!? 言っとくが俺は、冒険者ではあるけど真の一般ピーポゥー!!! 犯罪歴だって一切ない!!!! あんたが守るべき弱者だぞ!!!!!」
「なっ!?」
弱さを前面に押し出すレンに、勇者の手が止まる。
そこへ奴隷少女が追撃。
「まったくもってその通りなの!!!!! 守るべき人々に手を出そうなんて勇者の風上にも置けないの!!! 史上初の犯罪勇者の爆誕!!! これは国土を席巻する話題になるの!!!!!」
「ちょっ――」
「おお、いいなそれ!!!! 新聞社とかに持ち込んだら、いいネタになりそうだ!!!!!」
「――やめてくれないかな!?」
有名人は、世間体が大事なのだ。こう言っておけばうかつな行動がとれなくなる。
裏社会に半身浸かっている奴隷少女ちゃんと違って、レンは生まれも育ちも普通の普通。特に法を破りもしていない良識ある国民だ。弱いことを前面に押し出し、勇者の行動を封じる。
もちろん、勇者が本気になればレンを叩きのめすことなど簡単だ。世間だって味方につけて、レンを責めさせることだってできるだろう。
だが、無辜の民に対してそんなことができないから、彼は勇者なのだ。
「くっくっく!!! どうだぁ!!!! 俺に手をだそうもんなら、俺は全力であんたを訴える!!!! 全力で被害者になる!!!!!」
「とってもいい案だと思うの!!! 勇者様ってだけで有名人だから、身元が割れてて逃げ隠れができないの!!!! もっとなの!!!! もっとやるの!!!!」
「き、君は……そんなことをして恥ずかしくないのか!?」
「別にぃ!!?!? 告げ口が恥ずかしいなんて歳でもないしな!!!!!」
「そうなのよ!!!!! だいたい暴力行為に対してしかるべきところへと告発することの何が恥ずかしいの!!!!! 恥ずかしいと思う方が恥ずかしいの!!!」
「ぐぅっ」
奴隷少女ちゃんの論法に勇者はぐうの音くらいしかだせなかった。
レンは思いっきりいやらしく笑ってやる。
「第一なぁ!!! 俺は恥ずかしいことなんて、慣れてるんだよ!!! クリーンなイメージが大切な勇者様と一緒にすんな!!!! 疲れたりムカつくことがあったら、魔物も生んじまうような気持ちになる!!!!! だからここに来て、嫌な気持ちをさっぱりさせてるんだ!!!!」
「……ぁ」
いままで勢いよくレンの援護をしていた奴隷少女ちゃんが、ぽかんと口を開いた。
全肯定をし損ねるほど呆れた言い分だったのか、もしかしたら何か別の理由があるのか。
「わるかったなっ、勇者様!!!! 俺は弱いんだよ!!!!!」
たくさんの失敗を経験した。自分が弱いことなんてわかっている。頑張らなければ並の人間にすらなれないことを知っている。恥ずかしい人間だ。誇れない人生だ。奴隷少女ちゃんを好きになったあの日に言われた言葉。まだこれからだって、そう思える瞬間にすらたどり着けていない。
だから、まだ頑張るのだ。
「君はその子の過去を知ってるのか!? いま、どんな立場にいるのか!」
「知るか!!!!!!」
勇者の反論に即座に叫び返す。そして気が付く。
奴隷少女ちゃんの援護の全肯定がなかった。
とっさに振り返ると、奴隷少女ちゃんがプラカードで口元を隠していた。
十分、過ぎていた。
レンの財布には千リンすら、もうない。
「……ッ」
一気に心細くなる。レンは下唇を噛む。言えるのか。自分、一人で。違う。言わなくてはならないのだ。
一人で、やるのだ。
「ああ、そうだよ!! 俺はこの子の過去も、なんで今こんな変てこな恰好で広場に立ってるのかも、この子がこれからどうしたいのかもしらねえよ!!」
強がっているが、レンの声から威勢がしぼんでいく。
変な格好に、奇妙な商売内容。うっすらと見えるマフィアとのつながり。利益を求めないで行っている商売。なぜか、レンよりずっと前からここに住んでいる先輩が奴隷少女のことを知らない不自然。
おかしなところはたくさんある。彼女には、勇者の助けが必要なのかもしれない。大きな救いがないといけない場所に、彼女はいるのかもしれない。
「俺はっ!! 俺はッ……!」
迷いが浮かぶ。奴隷少女ちゃんの全肯定がないだけで、勇者はなにも言い返してこないのに心がたじろいでしまう。
奴隷少女ちゃんが、プラカードをどけようとした気配があった。
駄目だ。
「俺は確かに、なんにも知らない部外者だけど!!」
レンは後ろ手で奴隷少女ちゃんのプラカードを抑える。彼女のルールを、破らせたくない。いまは、そうしてほしい時じゃない。自分がなにも言えなくなったから助けてほしいだなんてことを、対価もなしにこの子に口を開いてもらって助けてほしいといま思ったことを、許せなかった。だから、実現してほしくなかった。
「でも、必要なんだよッ!」
だって、レンが奴隷少女ちゃんのことを好きになったあの日、レンの過去も、今も、未来も知らなかった一人の少女が慰めて、救ってくれたのだ。
それに報いたいって思ったのを、思っただけにしたくない。いつか、どうにかして返したいと思った恩を、いま、ここで返さなくってどうするのだって、心が叫ぶのだ。
報いたいって、あの時の恩を返したいって思って、好きな子を助けたいって叫んで、なにが間違いなのだ。
「俺は、ダメなやつだからっ!」
叫んで訴えたのは、どうしようもなく自分本位のものだった。
「人ってさぁっ! 誰だって他人から肯定される人生を歩んでいけるわけじゃ、ないんだっ。自分の行いが正しいって、信じられる人ばかりじゃないんだっ。あんたみたいに、勇気のあって結果を認めてもらえる人ばかりじゃ、ないんだよ……!」
英雄になりたかった。
それが夢だった。チヤホヤされたかったし、特別になりたかった。女にモテたかったし、大金持ちになりたかった。唯一無二の大人に成長するに決まっていると信じていたし、もしかしたら頂点に立てるかもなんて夢想した。
でも、結局。
「あんたはすごいよ! みんなみんな感謝してる! あんたのこと、認めてない人なんていないっ」
レン一人では、勇者を肯定する言葉しか出せない。
だって、レンは彼に憧れて冒険者になったから。
「本当に、あんたの物語はきらきらしてて、俺みたいな田舎ものなんか、たまらなくなる伝説で、夢みたいな英雄で……」
人々に願われた彼に、人々の願いを叶えた彼に比べて、自分はどうなのだろう。
自分で自分を認めることもできず、他人に頼って生きてるばかり。誰かのおこぼれを頂戴するようにして社会の片隅に存在して、それでもうまくできなくて傷ついて。
ぼろぼろになって必死に並の人間になりたがって、うまくいっていると思ったら勘違いで、自分よりうまく生きてる人たちがみんなうらやましくって仕方がない。そうして嫉妬交じりで他人を見ているうちに、他の人たちが自分よりずっと努力を積んでいることに気が付いて、とてつもない恥ずかしさに襲われる。
そんな自分を知られるのが嫌でビクビクしていることなんて、表には出せないのだ。
自分はできるんですよって面をして、何でもないって取り繕っていい顔していないと、いつ見切られるか怖くてたまらないのだ。
奴隷少女ちゃんの、前以外では。
それは、レンだけじゃない。
「だからさぁっ」
常連のシスターさんから、錬金術師の青年から、十リンを握りしめた小さな少女から、町を守る騎士さんから、他にもいるこの町で悩みを抱えた人から、なにより――弱い、自分から。
「奴隷少女ちゃんを、とりあげないでくれよ……」
自分たちは、一人では、うまく生きていけないのだ。
ただ息を吸って、吐いて、顔を上げて、前を向いて生きていく。
誰にだってできると思える当たり前のことすら、信じられないほどへたくそな奴が、この世界にいるのだ。
「俺たちは、弱っちいんだ……」
自分の歩く道に迷わないほど、強い人ばかりではないのだ。
涙腺が緩んで、涙が出た。
みっともない自分が情けなかったのか。それとも勇者に意見を申し立てる大それた所行の恐怖のせいか。
嗚咽が漏れて、台詞が途切れてしまった。
「……」
「……」
奴隷少女ちゃんと勇者は、無言でレンを見守る。
勇者のこの人にとっては、意味が分からないほど弱いのかもしれない。人から望まれたこの人には、信じられないほどに薄いのかもしれない。一国を救ったこの人からすると、驚くほど愚かなのかもしれない。
彼が、助ける価値なんてないほどに。
レンは、どうしようもなくすすり泣きながら、必死になって言葉をだす。
「……弱いけど、ダメだけど、それでも、さぁ」
そんな弱い自分だけど。
「あんたの助けがなくても、この子が困った時には、俺が助けになるから」
いまみたいに、なりふり構わず全力で、なんとかするから。
「俺、勇者にだって立ち向かえるから……」
なにもかもを撃退する強さなんてなくって、相手の優しさの隙をつくことしかできない弱いやつだけど、彼に立ち向かったという事実だけはいま証明できたから。
「だから、お願いだよ……」
これから、もっと強くなるから。
レンはぼろくそな泣き顔のまま膝をつき、両手を地面に下ろす。
「……勇者、ウィトン・バロウ様」
この国の誰もが知っている救国の勇者の名を呼んで、額を地面にこすりつける。
「この子を、ここにいさせてあげて、ください」
弱いいまじゃ、頼むことしかできなかった。
沈黙が、落ちた。
威勢の良い罵倒を飛ばしていた少年は、奴隷少女の後押しが抜けただけで声をしぼませていって、最後には信じられないほどみっともない懇願をさらしていた。
そんなレンに、勇者はそっと目を閉じ、一息。
「そうか……」
穏やかでやさしい響きだった。
勇者は、奴隷少女ちゃんに目を向ける。
「この想いが、君がここで手に入れたものなんだね」
「……」
奴隷少女ちゃんは無言のまま、勇者の言葉にぷいっとそっぽを向く。
勇者は苦笑。レンに視線を戻し、片膝をついて目線を合わせ頭を下げる。
「すまなかった。僕みたいな邪魔者は、もう消えるよ。そうだね。僕は、いつだって余計なことしかしてないのかもしれない」
その声にはあまりにも自責の念がこもっていて、レンが想像していた勇者の姿とはかけ離れていた。
だからつい、レンは問いかけてしまった。
「あなたは……どうして勇者になったんですか?」
「抜いてしまったからだ。あの聖剣を」
救国の勇者、ウィトン・バロウ。
人々の願いが生んだ一本の聖剣を抜いた時に、彼は否応もなく勇者になったのだ。
そしていま、彼の手元に聖剣はない。
「僕は、それだけの男だった」
奴隷少女ちゃんとレンの顔を見比べた彼は、寂しげに笑う。
立ち上がった勇者が奴隷少女ちゃんの頭を撫でようとして、さっとかわされた。
プラカードがくるりと裏返る。
「触らないでほしいの!!! キモいの!!! ぺっ!!! 誘拐未遂にパワハラの次はセクハラとか救いようがないの!!!!!! 論破されたんだからとっとと消え失せるの!!!!! この負け犬勇者!!!!」
「あはは、ごめん。いたいいたい――ちょ、ほんとに痛いっ。帰るから。うん、だからもう帰るって!」
げしげしと脛を蹴る奴隷少女ちゃんにたまりかねたのか。勇者が退散する。
すねキックで勇者を撃退してその姿が消えたのを確認した彼女は、ふんと鼻を鳴らす。
そして、そっとプラカードを置いた。
まだ地面に両膝をついているレンの正面で、ひょいとしゃがむ。
彼女は、割と小柄だ。膝を抱えた姿勢の彼女は、ごく自然にレンを見あげる姿勢になった。
一人の少女が、レンの泣き顔にくすりと笑ってショートカットの銀髪を揺らす。
「……ふふっ。また泣いてる」
プラカードを置いた少女が、ほんの少しからかいの色を込めて、静かなハスキーボイスを紡ぐ。レンの頬に白い繊手を伸ばし、温かい掌でそっと涙をぬぐう。
「……ありがとう。それで、おめでとう。勇者に、勝てたね」
レンが感じる二度目の感触で、その手は柔らかく、温かい。
一人の少女が一人の少年に笑いかけて、ちょっとふざけた口調でおどける。
「……とっても、かっこよかったのよ?」
「……あははっ」
レンも、奴隷少女ちゃんに笑い返す。
見逃してもらっただけで、とても勝てただなんて言えないけど。
「こちらこそ、どういたしまして」
ありがとうって。お世辞でも、かっこよかったって。
この少女に言ってもらえる男であることが、どうしようもなく誇らしかった。