番外編 フィアちゃんラブコメ保険4
現れたのは、レンがはじめて見る魔物だった。
目が描かれた真っ白な頭巾から、褐色の二本足がひょっこり生えている。手や口は見当たらず、大きさもリンリーの腰元くらいしない。子供がお化けごっこで白い布を被っている姿が、最もよく似ているだろう。
わさわさと近づいてくる白頭巾たちには、人の悪感情から生まれた魔物特有の害意がない。恩恵の一種だろうかとレンは肩の力を抜いた。
「なんだろ、こいつ」
「……わからない。でも、かわいい」
「ちょっと二人とも。確かに敵意はないみたいだけど、初見の相手に無警戒はよくないわよ」
「でも、ミュリナ。これ、かわいい」
ミュリナが注意を促すも、ダンジョンでの経験が薄いフィアは白頭巾に手を伸ばす。
その後ろでイチキが顔色を変えて硬直し、リンリーの顔面蒼白で震えていることに、気がつかず。
「ーーフィア姉さま! いけません!!」
「え?」
それがどれだけの脅威か、理解できてしまったからこそイチキの制止は遅れてしまった。
わらわらと群がってきた白頭巾が器用に身を屈めて、フィアをひょいっと頭上に乗せた。何匹かの頭で驚き顔のフィアの体重を支え、そのまま踵を返して、あっという間に遠ざかっていく。
「なっ!? おい、フィアをどうするつもり――」
「ダメ、レンおにーちゃん」
「うわっ!?」
背後から飛びついたリンリーが、白頭巾を追おうとしたレンを押し倒す。
まさしく、間一髪だった。その瞬間、振り返った一体の頭巾に描かれた目が、ぴかりと輝く。
ほぼ同時に、凄まじい轟音が響いた。
背後から吹きつけた熱風に、レンはリンリーもろとも吹き飛ばされる。ゴロゴロと数回、地面を転がったレンは、顔をしかめて立ち上がる。
「――ッ。ぃっつぅ……リンリー、大丈夫か? ていうか、いま、なにが……」
痛みにうめきつつもリンリーの無事を確認したレンは、後ろを振り返って絶句した。
レンたちの背後が、光線の着弾を中心に焦土と化していたのだ。
「は? ……え?」
何が起こったのか、レンの頭が現実の把握を拒んだ。なにせ仙人や聖人、勇者や皇帝を相まみえた経験のあるレンをして、いままで目にしたことがないほどの大規模な攻撃である。
もしかして、それほどの攻撃をあの白頭巾たちがやったのか。
レンは、おそるおそる彼らに視線を戻す。
フィアを連れ去った集団のうち、しんがりに残っている頭巾の目の部分が爛々と輝き、再びチャージの体勢に入っていた。
「ちょ、なにあれ!? ミュリナ、知ってる!?」
「知らないわよあんなのっ。攻撃力おかしすぎでしょ!」
慌てふためくレンとミュリナにめがけて、光線が放たれた。
威力は先ほど見ての通りだ。レンはおろか、ミュリナでも防げるものではない。いまのレンでは、とっさにミュリナをかばうために抱きかかえるのが精いっぱいだった。
二人を諸共に消し飛ばすはずの光線は、滑らかな鏡面に弾かれた。
光を弾く鏡面を展開してレンたちを救ったのは、イチキである。魔導具を収納している袖に手を入れている彼女は、険しい顔つきで二人の前に出る。
「あ、ありがとう、イチキ!」
「いえ、お気を付けください! あれは……神の一柱です」
「神!? って、つまり……神さまってこと? あれが!?」
イチキの言葉なれど、にわかに信じがたいとレンは白頭巾を凝視する。
やはり注視しても、その造形は子供の落書きだ。しかし力はいま目にした通り、圧倒的だ。イチキはレンの驚きの声に、大真面目な顔で頷く。
「間違いございません。あれは南方の古代王朝にあったパピルス紙『死者の書』に記されていた、なにかです」
「さ、さすがイチキ姉さま! なんでもご存じですね!」
「さすがもなにも……もしや、読んでいないのですか、リンリーっ。実家に写しがあったでしょう!」
「ひぃえっ。その、だ、だってまだ、ヒエログラフは未解明文字で……読めない文字とか、み、見ても意味ないかなって……」
「絵くらい、頭に叩き込みなさい! 古代南方王朝の神々の写し絵っ。他国の魔術書を読み解こうという気概もなくて、なにが知恵の血族ですか!!」
「ご、ごめんなさぁいぃい」
最近甘やかされ気味だったので、久々の叱責に、リンリーの狐耳がぺたんとなる。
「とにかく、イチキちゃん。あれの特性とか、なんでフィアを連れ去ったとか、わかる!?」
「不明です。リンリーも言っていましたが、死者の書は未解読書のひとつのはずですが……」
台詞を切ったイチキは、白頭巾を凝視する。
死者の書に描かれた存在が、顕現している。
これはつまり、学術神秘による神下ろしだ。イチキがイーズ・アンと戦う時に、リンリーと協力して『女媧』を下したのと同等の絶技。世間的には謎ながら、自分だけが解明した歴史的事実を核にした神性魔術である。
ダンジョンという特異空間に、神の一柱をそのまま顕現させた人物がいる。
その方法に、イチキは心当たりがあった。
「ヒエログラフを、解読した人物がいるということですか……!」
多くの学者が道なかばで解明を諦めた、古代南方の神官文字『ヒエログラフ』。
その解読を果たして知識を独占すれば、死者の書は古代神話の神秘を顕現させる強大な魔術書となる。
「あの象形文字の解読となると、相当に高位な魔術師が関わっていますね。解読法をご教授をいただきたいほどですが……フィア姉さまに危害を加えようと言うなら別――およ?」
イチキが袖口から魔道具を取り出そうして、手を止める。
早くも、白頭巾の集団が戻ってきたのだ。
しかも、連れ去ったフィアの代わりに誰かを連れている。わさわさと群れる頭巾たちの上に、レンたちと変わらない年頃の少女が乗っているのだ。
レンたちの目の前に、褐色の肌をした少女が、ぽいと投げ捨てられた。
「ど、どういうことだメジェドさま? なぜ妾を神殿から連れ出した? あ、ちょ、メジェドさま? どこに……お、おーい……?」
褐色の肌をした彼女が戸惑った様子で呼び止めるが、白頭巾たちは少女の言葉など気にも留めずに立ち去っていく。
完全に取り残された少女は、呆然としている。
あきらかに、今回の事件の関係者だ。フィアを連れ去られたいま、イチキが見逃すはずもない。
「さきほどの神性の名前を呼んでおりましたね。事情を聞かせていただきましょう」
敬愛する姉が連れたとあって、イチキが殺気立っている。もちろん、レンたちだって穏やかではいられない。
レンたちに睨まれた少女が、涙目になって手に持っている杖をレンたちに向ける。
「う、うわーん! なんだ貴様らっ。妾にひどいことするつもりだろうっ! セト神がオシリス神にしたいみたいにっ! セト神がオシリス神にしたいみたいにぃ!!」
フィアを乗せた白頭巾は、ダンジョンの深層までやってきていた。
運ばれる途中で、白頭巾たちは空間を拓いて道をつくっていた。聖女イーズ・アンもかつて行使したのと同種の術だ。
それはつまり、ダンジョンに干渉できるだけの力を持った存在であることの証明だ。
だが、運ばれたフィアはそこまで危機感を抱いていなかった。
白頭巾たちには、明らかに自分への害意がないからだ。
「おろしてくれた……っていうことは。……ここに、なにか用があるのかな……」
白頭巾たちの姿はすでにない。フィアは戸惑いつつも周囲をしげしげと観察する。
空間そのものが特殊な空気が漂っている。見るからに異国の神殿だが、異質なのはここ一帯を構成する魔力の性質そのものだ。明らかに現世よりも幽世に近い。
一番よく似た雰囲気は、彼女が皇帝であった頃に所有していた神秘領域『皇国よ、永遠なれ』だ。
「やはり、あの子には荷が重かったようですね」
フィアを迎えたのは、滑らかな褐色の肌をした女性だ。
ひどく、乾いた雰囲気のある女性だ。世慣れているのか、あるいはなにかに絶望したのか。その瞳に熱はなく、ただただ疲れ切っていることがわかる。
「ようこそ、西の『皇帝』。メジェド様のお招きにより我らがファラオの御許へ、ようこそお越しくださいました。卑賎の身による出迎え、ご寛恕いただきますようお願い申し上げます。わたくしめのことは、ズゥーとお呼びくださいませ」
恭しく礼をした彼女を一瞥し、フィアは異常を見抜く。
「あなた……なにに、憑りつかれているの?」
「……素晴らしいご慧眼です」
叩頭したまま、ズゥーが苦笑する。
フィアは、静かに彼女を見つめる。
かつてフィアがそうだったからこそ、第六感に近い感覚でズゥーの異常がわかる。
いまフィアの前にいる彼女は、人には余る神秘をその身に宿している。フィアとは違うのは、その女性が強大な神秘を受け止めるだけの器を持ち合わせていないことだ。
「卑きこの身は、かつての神秘を解き明かそうとし、墓所にて死して眠り、復活を待つ王の依代を暴きました。その報いに受け、身に余る秘蹟を浴びることになったのです」
フィアの見立て通り、ズゥーの来歴自体に神秘に至るようなものはない。
彼女に巣食うのは、世界でもっとも有名な呪いの一つだ。
国土に砂漠広がる南方王朝。
彼らの中でも身分の高い貴人は、遺体を特別な製法で保存して、来るべき日の復活に備える。特に文明の頂点にいた者たちは、死した魂を昇華して神の一員として列席する。
彼らは、死後も現世に対して強い力を振るえる。
その彼らの墓を暴いた盗掘者に降りかかる天罰の名は、知らぬ者のほうが少ない。
「やっぱり……『ファラオの呪い』」
フィアの回答に、ズゥーは無言で頷く。
西の『皇帝』よりも古代。史上初の神権授与の血統にして、彼らが統治していた古代王朝の支配者の名を『ファラオ』という。
「ダンジョンの改変でいささかのご迷惑をおかけしたかと思いますが、わたくしめは南方王朝の復権に興味はありません。もとより、あの子はつなぎとして置いていただけのまがい物。先天の秘蹟を放棄したあなたか、後天の秘蹟を放棄した聖女か……どちらがメジェドさまの目にかなうかは賭けでしたが、よかった」
「つまり、あなたは……『ファラオの呪い』を解きたいの?」
「ご明察の通りです」
ズゥーの体には個人ではあり得ないほどの重みと、歴史に等しい重圧によって、心と体の両面が蝕まれている。
彼女が死ぬか、彼女を呪うファラオの本懐が達成されない限り解呪は不可能だ。
「王権を放棄した後に残った、あなたさまの空白の神秘領域をお借りしたい。我らが偉大なる至高、南の『ファラオ』の一柱は、同格たる『皇帝』であった御身を借りて、生前の願いを成就したいと仰せです」
「生前の、願い……?」
「はい」
フィアという格別の器をもって、かつての支配者の悲願を達せするための核心を、ズゥーは告げる。
「恋がしたいと」
「……は?」
大掛かりな仕掛けに対して、あまりにもあまりな理由を聞いて呆気にとられる。
だがぽかんと口を開くフィアに、ズゥーはまじめ腐った顔で続ける。
「政争とドロドロの愛憎で誅殺された人生だったので、ピュアな恋をしたいと。穢れない若者の青春ぴゅあっぴゅあな恋愛が成就した瞬間の気持ちを共有したいと。そのために、一時、あなたのお身体に入りたいと申しております」
「ごめん。意味が、不明」
「なるほど……西の『皇帝』ほどの超越者には、ご理解いただけないかもしれません。我らが南の血統は、他の神権授与者と違って、その……いささか俗物じみておりますので」
西の『皇帝』の神秘領域は一子相伝であり、東の『天帝』は子供にすら継がせぬ唯一無二として君臨した。
だが始まりの先天の秘蹟たる『ファラオ』は、授与した神権を血統を継いだ親族に分散させていた。
結果として代を経るごとに神権は薄れ、それを取り戻すために近親婚を繰り返し、やがて神秘を失った彼らの王朝は他国に征服されて消失した。
特に後期のファラオに関しては、かなり俗な願いを抱えて死者の国に旅立った者がおおいのだ。
「無理にご理解を、とは言いません。僭越ながら、このズゥー。あなたさまの恋を応援させていただきます。メジェドさまのお目にかなったということは……いるのでしょう? 思慕を寄せている相手が」
「え、と……いや、その――」
「あまり、深くお考えなさらないでください。『ファラオの呪い』は、あなたさまの御身を害することなどいたしません。わたくしめの体からあなたさまのお身体に移り、いまあなたさまが抱える恋が達成した瞬間の感覚を共有さえすれば、恋愛成就の悲願がかなって昇天してくれます」
「だ、だから、ちょっと……待っ――」
「大丈夫です、西の『皇帝』。その恋にどんな困難があろうと、わたくしめとメジェドさまのお力を持って、なんとしてでも叶えてみせましょう。いえ、なんとしても叶えてもらいます……!」
「だ、だからっ、私は!」
ずいずいとにじり寄ってまくしたてるズゥーの言葉に、フィアは頬に朱に染めつつ、渾身の叫びをあげる。
「レンのことなんて、好きでもなんでもないからっ!」






