番外編 フィアちゃんラブコメ保険3
ダンジョンの出入り口となる礼拝堂で、一人の修道女が祈りを捧げていた。
か弱く見えるほど小柄でありながら、下手をしたら自分の体重よりも重い大量の聖典を背負っている女性――『聖女』イーズ・アンだ。
少し前の騒動で、彼女は著しく弱くなった。
身に宿す加護も、振るう秘蹟も、かつてのような常識外の御業の行使はできず、あくまでも人の範疇に収まる聖職者となった。なにより『神の泥』の奇跡を失ったいまの彼女は、厳密な意味では聖人ですらなくなっている。
食事を摂らなければ数日で倒れるし、夜には寝なければ生きていけない。外気の影響で体調も崩せば人との交流で精神を揺さぶられるのだから、祈りと信仰によって人の形を保っていたあの時までとは、比べるまでもなく不完全な肉体だ。
見る人が見れば、見る影もないほど衰えたと評価するだろう。
だが、イーズ・アンに後悔はない。
異教の神さえ殺せる神秘を失くした代わりに、驚くほどの人間性を得た。
人であるからして、神のもたらす恵みに喜びと感謝をささげることができる。
だからこそ、イーズ・アンは祈りを絶やさない。
形を変えども彼女は敬虔な信者であり、いまだこの街で比肩する者がいない秘蹟使いである。
「……」
そのイーズ・アンが、祈りの最中にぱちりと瞳を開ける。
いつものように静かに祈りを捧げているように見えるイーズ・アンのもとに、同じくこの教会に所属している女性が近づいてきたのだ。
「どうしました、先輩?」
ファーンである。
頑迷な原理主義者で知られるイーズ・アンの祈りを妨げるとはと通りがかった一般冒険者がドン引きして距離をとっていたが、七年近く同じ勤め先で過ごしているファーンは、職場の先輩の様子がいつもと違うことに気がついていた。
「少し気が散っているみたいですけど、なにかあったんですか?」
「腹が、立っている」
端的な答えに、ファーンは首を傾げる。
お腹が減っている、ではないらしい。
ここ最近、仕事の後のお食事の誘い言葉がかわいらしいそれなのだが、今回は少し違う。変な客がいただろうかと記憶を探るが、心当たりはない。
「この世界に神のもたらしたる愛は、偉大なものだ」
「はい、そうですね」
「だから、ファーン。いまの私には、判断がつかない」
彼女はいま、ダンジョンの異変を感じ取っていた。
ダンジョンの出入り口に蓋をして、魔物が外に出ないように制御するのは都市神殿の役割だ。その役割にイーズ・アンも関わっているからこそ、察することができた。
異教の、かなり高位の魔術師が恣意的にダンジョンを変質させている。
「ダンジョンを用いて、少数の人が多くの人の心を踏みにじる行為を、いかにすべきか。神に愛されている人が、同じく神に愛されている人の行いの是非を語るべきか、まして裁きなど下す行いを取るべきなのか」
心の奥底に異国があれば、誰だって心変わりをする土壌ができる。
なんの断りもなく人の深層心理を編纂しようなど、信仰を踏み躙る行為に他ならない。
少し前の彼女ならば、異教の跳梁など許さなかった。だがいまのイーズ・アンにかつてほど頑迷な信仰と力はない。
「なぜ神に愛されている我らが、同じく神の愛を受け取った隣人へ争いの種をばら撒くのか。私には、わからない」
万全の頃ならば、瞬く間にダンジョンの深層へと繋げることができた道を、いまは拓くことができない。あるいはダンジョンに跳梁する異国の神性存在を打ち滅ぼすこともできない。なにより、他人が信じる異教を魔と断じて浄化する意思が貫けない。
だって、この世界は一滴の神の愛から始まったのだ。
同じ愛を持つ人が、どうして魔であると思えるだろうか。
いまやここにいるイーズ・アンは、一人で本懐を遂げることができない、ただの人間でしかない。
聖職者として迷いを吐露するイーズ・アンの言葉に、ファーンは顎に指を当てる。
「よくわかりませんけど……ダンジョンのことなら、レンくんにも相談してみますか? 今度来た時にでも」
「一理ある」
ファーンの名案に、大きく頷いた。
鋏を振り上げた巨大なサソリが、砂音を立てて突進してきた。
見上げるほどの巨躯が、六本足をうごめかせてレンたちに迫る。人をひき殺すにあまりある重量で自分たちを押しつぶそうとする魔物を前に、レンはまなじりを吊り上げる。
「なっ、めんな――!」
レンの目の前に『信仰の壁』が展開された。
光輝く固い隔世の壁にサソリが衝突し、激突音を立てた。自分の突進が防がれたサソリは、苛立たし気に鋏を振り上げ横合いからレンを狙う。
だがそれよりも早く、リンリーが動いた。
サソリが止まった隙に、狐憑依の術を纏っている彼女はお尻から生やした狐の尻尾を、ぶわりと膨張させる。
「隙ありぃ!」
嗜虐的に声を弾ませたリンリーが尻尾を横なぎに一閃。直撃した巨大なサソリが、砂音をまき散らしてひっくり返った。節足動物特有の少しグロテスクな腹を見せてじたばたと足を暴れさせる魔物へ決定打を放つべく、レンの横にいたフィアが両手斧を振り上げる。
だが相手もただではやられまいと、毒を持った尻尾をフィアへと突き出した。
「フィアっ、そのままよ!」
「――ん」
呼びかけと同時にミュリナが放った雷が、サソリの毒針を消しとばす。
絶妙な援護によって完全にフリーになったフィアが、両手斧を振り下ろした。
「……りゃ!」
近距離魔術によって強化した一撃で、巨躯が縦に両断される。
見事、魔物を打倒したフィアが、くるりと振り返って勝利の二本指を立てた。
「……ぶい。どう、レン?」
「めっちゃすごい! 初めてとは思えない動きだったよっ!」
「ふふっ。そんなこと……あるでしょ。イチキといっぱい訓練した成果」
レンが太鼓判に返ってきた自慢げな笑顔は、奴隷少女ちゃんとして公園に立っている時には見れなかった表情だ。見慣れた営業スマイルとの差に思わず虚を突かれたが、すぐにレンも笑顔になる。
これが、フィアにとっての当たり前の表情なのだ。
「……ミュリナも、ナイスな援護。とても助かった」
「そりゃどーも」
最初は警戒心の塊だったミュリナも、フィアのマイペースさに打ち解けつつあった。
何度目かの戦闘を終え、一息ついていたミュリナはフィアとハイタッチをしてから腕を組む。
「最初の時はびっくりしたけど、フィアはイチキほどバランスブレイカーってわけじゃないわね」
イチキがパーティーに入った時にはその実力差に愕然としたものだが、フィアの能力は最初のインパクトほど突き抜けたものではなかった。
魔術が効かないという圧倒的な特性はあれど、近接魔術の動きそのものはレンより動ける程度だ。レンが遠距離魔術や秘蹟の『信仰の壁』などを扱えることを考えれば、前衛として同程度の実力で役割分担をできると考えていいだろう。
己の肉体で害意のある魔術をほぼ完全に無効化できるフィアと、『信仰の壁』で物理的な攻撃を阻めるレン。リンリーとミュリナが溜めの時間をとって威力のある攻撃を放てる魔術師なのもあって、バランスがとれた編成になっていた。
斧を肩に担いだフィアは、勝利の貢献者として自慢の妹に笑顔を向ける。
「……イチキ。いまの戦い、どうだった」
「レンさまやミュリナの言う通り、素晴らしい動きでございます。わたくしが手出しする余地など、微塵もありませんでした。……リンリーも、よくやりましね」
「御方様もイチキ姉さまも、どっちも素晴らしいです」
一連の戦闘で手だしせずに観戦していたイチキは、フィアが待望の『普通の生活』をしているのが嬉しいのか。もとより穏やかな笑顔がいつもより二割増しになっているうえ、リンリーの頭を撫でて褒めている上機嫌ぶりである。
もとより慎みの代名詞のような乙女であるイチキはもとより、戦闘が終わるなりぴたっと彼女の横に並んで褒められ待ちをするリンリーは、ダンジョンに入ってからずっと謙虚である。いつもリンリーにからかわれるミュリナがやや気味悪そうにしているが、姉の前での彼女はいつもこんな感じだ。
しかし、とレンは周囲を改めて戦闘跡を見渡す。
「今日って、なんか変な魔物が多くないか? さっきのサソリもそうだし、ここら辺のダンジョンの地形も前に来た時から変わってるしさ」
「そう? いや……そう、よね」
ミュリナは小首を傾げているが、レンはこのダンジョンでサソリの魔物など初めて見た。そもそもサソリという生物のことを知らなかったので、わざわざイチキに解説してもらったほどだ。
しかもダンジョン内の地形が大きく変わっている。いまいる場所は草原地帯だったはずなのだが、半分近くが砂地――というか砂漠化しているのだから、変だと言って間違いない。
だというのに、レンよりもダンジョン探索の経験豊富なミュリナからの反応が芳しくない。
「でも、変ってほどじゃない気がするんだけど……あれ? どうだったかしら、イチキ」
「いえ、言われてみれば……どうして、あのような形の魔物が出たのでしょうか」
イチキも額にシワを寄せて、難しい顔をしていた。いつもは明瞭な答えを返すはずのイチキの煮え切らない様子に、フィアが小首を傾げる。
「私は、ダンジョン初めてだから、わかんないけど……そんなに変?」
「ダンジョンですから、地形の変動も、新しい魔物の出現もあり得る現象ではございますが……」
「姉さま! 清華じゃサソリとか、漢方の原料になったりしますよね! ……レンおにーちゃん。考え過ぎじゃない? サソリくらい、普通だよ」
「いや、清華はそうかもだけど、俺はさっきみたいな生き物、この辺りだと見たことないよ?」
「レンの言う通り、私も見たことないけど……でも、この国だったら出てもおかしくないでしょ? ああいう生き物も」
そうだったろうか。
レンは違和感を覚えた程度だったが、ミュリナの言葉にイチキがぴたりと足を止めた。
「姉さま? どうしましたか?」
「……いえ」
不思議そうにリンリーに呼びかけられたイチキの表情は、困惑だった。
なにかがおかしい。だが、なにがおかしいのかわからない。そういった顔だ。
そして説明できない違和感を抱いているのは、レンも同じだった。
レンからしてみれば、自分がダンジョンに感じている異変をミュリナが気が付いていないというのが、一番おかしいのだ。
「……レンさま。今日は、そろそろ探索を切り上げませんか?」
「……うん、そうだね。ちょっと、ヤバい気がする」
「もう? ていうか、ヤバいってなにが?」
やはり、不自然なほどいつもの探索通りのミュリナの反応に、レンとイチキはちらりと顔を合わせる。
「今日は姉さまの参加も初めてでございますし、早めにダンジョンを出るのも、よろしいかと」
「……ん。私、まだできるけど?」
「いやいや、初めてのダンジョンだし、余裕があるうちに切りあげたほうがいいよ」
イチキの提案に、それもそうかとミュリナとフィアが顔を合わせた時だ。
「……ん?」
狐憑依で五感を強化したリンリーより、ダンジョンの経験を一番積んだミュリナより、そして誰よりも実力が図抜けているイチキより――フィアがその存在を見つけるのが必然とばかりに、それは現れた。
「君は……誰?」
フィアをパーティーに加えた初日。
いままさに帰ろうとしていたレンたちの前にひょっこりと姿を現した白頭巾を被った魔物の群れを見て、フィアは不思議な問いを投げかけた。






