番外編 フィアちゃんラブコメ保険2
受付でのやり取りを無事に済ませたレンたちは、ダンジョンに入っていた。
街の人々の思いが集まり、実体化した異空間。悪感情は魔物となって人間に遅いかかり、善い感情は恩恵となって貴重な資源となる。この世界の人々は、古くからダンジョンを探索し、魔物と戦いながら様々な糧を得てきた。
レンたちも、ダンジョンを探索して糧を得ている冒険者たちの一人だ。
もともとはレン、ミュリナ、リンリーと時々タータのパーティーだ。そこに本日から加わることになったのが、フィアである。
「新人! まずは実力を見せてもらうわよ」
サポートとして付いてきたイチキも含めた五人一組のパーティーで、威勢のいい声が響く。
いまレンたちがいるのは、入り口からすぐのところ。魔物も少なく、ダンジョンの中では安全な場所である。
そこでフィアの前で腰に手を当てて語り始めた人物は、もちろんレンではない。
「いい。ダンジョンに入るパーティーのメンバーっていうのは、それぞれ役割があるの。ここは命がけの空間。少しの油断で仲間が危険にさらされることになるわ。あんたが昔なんであれ、自分の役割も持てないような奴は足手まとい……つまり、パーティーメンバー失格よ!」
レンを差し置いてリーダーみたいなご高説をかましているのは、ミュリナである。
彼女はここ最近幸せで緩みっぱなしだった目元を久しぶりに鋭く吊り上がらせて、フィアを見据えている。
「本格的にダンジョンの奥に進む前に、あんたになにができるのか。まずは、自分で示してみなさい」
パーティーリーダーのレンは、二人のやり取りをはらはらしながら見守る。
ミュリナを止めるべきか、けれども言っていること自体は正しい上に彼女の冒険者歴はレンよりも長い。その上、フィアはかつてあった先天の秘蹟『玉音』を失っている。少なくとも近距離魔術に関してはレンと同等以上に扱えるが、それ以上の実力は未知数だ。
絶妙に口を挟みずらいシチュエーションを前に迷っているレンの背後で、ぼそっとリンリーが呟く。
「なんでミュリナ、そんな偉そうにできるの?」
第六感で人の『格』が見える彼女からすると、ミュリナのフィアに対する態度は不敬を通り越して意味不明である。
いまは『元』がつくにしても、現世と常世のハーバリア皇国に君臨する皇帝であったフィアはリンリーの視点ではまさしく雲上人だ。ちょっと才能のある一般人であるミュリナとは純然たる差がある。
だが当のフィアはまるで気にした様子もない。
「……わかった」
高圧的に聞こえるミュリナの言葉に、フィアは素直に頷く。
この世でもっとも高貴に生まれた彼女だが、ストリートチルドレンの時代もあれば、裏社会でマフィアどもを取り仕切っていた経験もある。振れ幅も横幅も広い人生を送ったフィアにとって、同世代から遠慮のない態度をぶつけられるというのは、ちょっと嬉しくもあった。
だからこそやる気に満ちた瞳を、真っ直ぐミュリナに向ける。
「わたしの役割は、前衛。イチキからは、敵を押し留めるタンクが向いているって言われた」
「う……イチキがそう言うなら、そうなんでしょう」
両手斧を持った冒険者スタイルからして、フィアが前衛の装備で固めているのは間違いない。ミュリナが言葉に詰まりつつも、しぶしぶ頷く。
さしものミュリナも、イチキの言には絶対に信頼を置いている。友達だという信頼以上に、イチキの能力があまりにも絶対的なのだ。
イチキは本職は学術系の魔術師だが、戦闘でもなんでも一人でこなせる万能である。あらゆる意味で天才であり、ミュリナの専門分野でも明確に自分以上の人間なのだ。
レンたちのパーティーに入るにはあまりに突出しすぎているがゆえにサポート役に回っているイチキはといえば、フィアとミュリナの会話を見て、そっと感動の涙を袖に吸わせていた。
「フィア姉さまと、あんなにも屈託なく交流できるなんて……さすがミュリナでございます」
屈託はあるんじゃないかなぁとレンは思ったが、自分が原因だという自覚はあったので口には出さなかった。彼の態度を賢明というべきか問題を先送りしているだけというべきかは、諸説あるだろう。
「前衛の動きはイチキと一緒に訓練もしたけど……特に魔力に対する耐性は自信、ある」
「魔力に? じゃあ、ちょっと試してみるわよ」
フィアの言葉に、ミュリナが指先に炎を生み出す。
指先に灯る蠟燭ほどの火は、たとえ無防備に当たっても、ちょっと熱いかなとなるくらいの火力しかない。
ミュリナは指を振って、小さな火をフィアに投げつける。
「ん」
ちょっと気合を入れたフィアの発声と同時に、彼女に直撃しようとしていた炎が消え失せた。
思わぬ自分の魔術の結果に、ミュリナは目を丸くした。横から見ていたレンからも、ドヤッと胸を張っているフィアが魔術や秘蹟を行使したようには見えなかった。
「イチキちゃん。フィアのあれって、どういう理屈で……?」
「フィア姉さまが生まれてよりお身体に宿していた神秘領域は、とても広大でございますので……あちらの御国がなくなったいま、フィア姉さまは広大な空白の領域を残してございます」
つまり、どういうことなのだろうか。ぴんとこずに首をひねっているレンに、イチキが穏やかな微笑みとともに解説を付け足す。
「いまのフィア姉さまのお身体は、魔術的に『なにもない』範囲が広大なのです。そのフィア姉さまのお身体に魔術にまつわるものが触れると、空白となったフィア姉さまの神秘領域に収納されて霧散するのです」
「さすが、御方さまです。ミュリナなんかとは格が違います!」
いつもの小生意気さを引っ込めているリンリーも、イチキの説明に大きく頷いて尊敬の念を送っている。
レンには理屈が小難しくて仕組みはよくわからない。それでも、フィアの肉体に魔術が通用しないという事実は理解できた。
「フィアの魔術への耐性って、どのくらいあるのかわかる?」
「そうですね……」
近距離魔術が使えて魔術への耐性が高いのならば、確かに前衛向きだ。
とはいえ上限を知らないといざという時に危険だ。リーダーとして確認しておかないとというレンの質問に、イチキはかわいらしく頬に人差し指を当てて思案する。
「わたくし如きでは、魔術での突破は不可能と断じるくらい、でございましょうか」
「そ、そうなんだ……」
イチキで無理というのなら、つまり個人レベルの魔術でフィアを傷つけるのは不可能だということだ。ちゃっかりいまのイチキの言葉を聞いたミュリナも、頬を引きつらせていた。
「……わたしは、みんなの盾。がんばる」
ぐっと両手を握ってやる気を表明したフィアは、魔術由来のものを自分の肉体で削り取る、最強の盾だった。
かつてレンも足を踏み入れたことがあるダンジョンの深層は、すっかり姿を変えていた。
空間の清澄さ、望郷の念を感じさせる空気はそのままながら、景色が違う。がらくたのように雑多なものが散らばっては山になっていた場所に、荘厳な異国の神殿がそびえ建っていた。
メジェドさまが作り上げた神殿の一室で、異国の少女であるパトレア・クーは悠々と寝そべり果物をつまんで口に運ぶ。
「どのようなダンジョンであれ、深層を構成するのはその都市の帰属意識と死生観よ。生の前と死の後は、生きとし生けるものにとってもっとも身近な生理現象ながら、いまだ人が解き明かせぬブラックボックス。人の肉体に息づく神秘に答えをもたらした物語こそ、妾たち『ファラオ』が君臨した古代王朝の神話よ!」
人の集合意識にある最奥の一つ。死生観にまつわる領域をここまで変質させられれば、現実の人々の思考にまで影響が出る。
いまは死生観を表す神殿が一つ建っただけ。しかしここを中心にさらなる建造を進めれば、静かながらも大規模な洗脳は手遅れなほど広がって定着する。
ダンジョンという大衆の意識が固定化した空間に、限定的な王朝の復活させる。それによりハーバリア皇国の『皇帝』と『ファラオ』の認識をすり替え、この国の民の心を支配して君臨するのだ。
「くくく、これこそが新なる征服にして布教の形。武力の制圧など野蛮で時代遅れ。まして思想を言葉で伝えて同胞を増やすなど、まどろっこしくてやってられぬ。ダンジョンの変質でもって、心の奥へと直接的に妾たちの国を打ち立て望郷を宿らせる。これこそ、万民を『ファラオ』に傅かせる冴えたやり方――……で、あろう! ズゥー!」
「はい、お嬢さまのおっしゃる通りです」
怪しく笑うパトレアに、ズゥーは恭しく果実の乗った盆を捧げ持つ。
完全なるイエスマンであるズゥーの答えに、うむと満足したパトレアは瑞々しい果実を一口。ほおばった顔を、ぱあっと輝かせる。
「けど、ズゥー。この果物おいしいなぁ! これ、高いやつか? なあ、高いやつだろ! 妾、そういうのわかるんだぞ!」
「おっしゃる通りです、お嬢さま。この果実はそこら辺の屋台で買ってきた、庶民の味方の高いやつです」
「そうであろう、そうであろう!」
ズゥーの台詞にあるささやかな矛盾など気にもせず、相好を崩したパトレアは、ぺろりと指先に着いた果汁をなめる。
「ところで……少し前からメジェドさまのお姿が見えぬが、どうされておるのだ?」
「さあ?」
あれだけいた白頭巾の集団は、この空間を塗り替えて壮大な神殿を打ち建てるなり、姿を消してしまった。いま神殿に残っているのは、パトレアとズゥーだけだ。
「メジェドさまは偉大な存在です。わたしごときに、その御心など計り知れません」
「ふむ、それはそうだが……」
子供が頭巾をかぶっているような安直なデザインながら、あれは砂漠が広がる南方の伝説より顕現させた神性存在だ。ダンジョン内でしか存在を保てないが、その力は絶大である。やすやすと消失することなどありえない。
だが、人の手に余る力の持ち主がゆえに、召喚した彼女たちでも制御が効かないのがメジェドさまだ。
「やはり、おかしいのう。建国の役目を与えたメジェドさまが、このダンジョンの女王となる妾から離れるはずがないのに……」
彼女たちが秘術でもって顕現させた神性『メジェドさま』の役割は、幽世に続く道の途上にある国家の建築だ。
遥か古代、歴代のファラオが治めた南方王朝において『死者の国』は、大きな意味を持っている。かの国では、かつてのハーバリア皇国がそうだったように、死後の在り方が重要視されていた。
だからこそ、死生観の根底が似たこの国のダンジョンの奥深くで神殿を打ち建て、最後に現人神たる『ファラオ』にふさわしい人物を据えることに意味がある。
もちろんメジェドさまが選ぶ王の座に相応しき人物は『ファラオ』の血を継ぐ自分だと、パトレアは信じて疑っていない。
「とはいえ、そろそろダンジョンの表層にも、妾たちの『祖国』の影響が出始める頃合い。メジェドさまも遊びたいお年頃なのかもしれぬな、うん」
「まったくもってその通りかと、お嬢さま」
パトリアの予想に深々と頭を下げて共感を示していたズゥーが、すっと顔を上げる。
「それか、もしや……お嬢さまよりふさわしい王の気配を、このダンジョンのどこかで見つけたのかもしれませんね」
「あっはっは。ズゥーはおかしなことを言うな。南の至高『ファラオ』の血を引く妾より王にふさわしい存在など、あるものか!」
しれっと告げられた言葉を豪快に笑い飛ばしたパトレアだが、返答がない。
なぜか無言になった女性の態度に、パトレアは不安をのぞかせる。
「え? い、いないよな、ズゥー? ズゥー!? なんでそっぽを向くんだ!? こっちを見ろズゥー!!」






