番外編 タータのはじめてのぼうけん4
「おりやぁ!」
レンが掛け声とともに振るった剣に、空中を滑っていた甲羅が弾かれた。
硬質な音を響かせた甲羅がわずかに傷つくが、致命傷にはほど遠い。自分の一撃の結果にレンは顔をしかめる。
「硬いなぁ、この亀……!」
ダンジョンに初参加となるタータを連れているレンたちが相手どっているのは、空中を軌道する亀のような魔物だ。手足を引っ込めている甲羅の穴から空気を噴出させ、くるくる回転しながら飛んでいる。
ダンジョンにいる魔物は、都市に住む人々の悪感情によって生まれる。奇妙な生態をしている亀型の魔物を、レンは半眼で睨む。
「空飛ぶ亀とか……どういう感情から、あんな魔物が生まれるんだろうな」
「さあ? 引きこもりたい感情とかじゃない? それにしては攻撃的だけど」
「あー、ミュリナにはわかんないんだ。引きこもりたくなる時って、周りに対して攻撃的になるもんだよ。あたしだってイチキ姉さまが怖い時とか、部屋に閉じこもって誰にも近づいてほしくないもん……」
魔物を前にしながら余裕のある会話をしている三人の後ろで、タータは無言のまま緊張に顔を強張らせている。ここに来るまで数度の戦闘を経ているが、戦いの最中に軽口を叩くほどの余裕はない。絶対に失敗すまいという張り詰めた表情で、戦闘の推移を見守っている。
一度弾かれた亀が、大きく旋回して迫る。狙いはレンだ。頭を引っ込めているくせに学習能力があるらしく、剣で攻撃しづらい頭上から襲い掛かる。
だがレンは、剣しか使えないわけではない。
衝突の寸前で、レンの前に光の壁が展開される。落下の勢いをつけていた魔物はレンが発動させた信仰の壁にぶつかり、停止する。
「ナイスっ、レンおにーちゃん!」
レンが作った一瞬の隙を、リンリーは見逃さない。彼女のお尻から伸びる狐尻尾が膨れ上がって、容赦なく叩きつけられる。
隔世という点で圧倒的な性能を持つ信仰の壁と、呪術由来の狐憑依で強化された尻尾の強烈な一撃。いくら硬い甲羅でも耐えきれず、とうとう砕けて本体が無防備になった。
レンがトドメを刺すために剣を振り上げる。だが相手も無防備にやられはしない。防御の甲羅を失った瞬間、魔物の口から真っ赤な霧を散布した。
その不吉な色に、レンは口元を押さえる。
「これは……まさか毒!?」
「いやー、レンおにーちゃん。これ、ただの煙幕だよ?」
「魔物が毒出す時は、呪術の要素入るから。レンもそのくらい見抜けるようになりなさいよっ。それとタータちゃんっ、視界の確保をお願い!」
「はいっ、お任せください!」
ミュリナの指示に、戦闘の成り行きを見守っていたタータが手を組んで祈りを捧げる。
修道女である彼女の祈りに答えて、体がほのかに発光した。
「闇の中より生まれ輝き光は照らす」
光を帯びたタータが聖句を唱えると同時に、煙幕の中にいた全員の視界が開ける。
タータが発動させたのは、魔によって塞がれた視覚を取り戻す秘蹟だ。魔術による目眩しや幻を打ち破る効果がある。
複数人に作用する秘蹟だけあって、習得の難易度はそれなりに高い。昨日までのタータならば発動できなかった。
だがイーズ・アンからもらった蔵書を読み込み、自分の解釈に当てはめて信仰を見直した結果、彼女は一夜にして才能を開花させたような急成長を遂げていた。
タータの秘蹟によって視界を取り戻したことで、煙幕に紛れて逃げようとしていた魔物の首をミュリナの短剣が切り落とした。
「すごいじゃない、タータちゃん」
戦闘を終えると同時に、短剣を鞘に納めたミュリナがタータの秘蹟を褒め称える。
彼女は知り合いの冒険者であるアルテナから、しっかりと『普通の』冒険者が必要とする秘蹟のレベルを聞いていた。そんなミュリナの予想以上に、タータは頑張っていた。それこそ、普通の大人の聖職者レベルに達している。すさまじい成長ぶりである。
「当然です。ダンジョンに入るなら、この程度。できなくてはいけません」
すまし顔で答えようとしつつも、タータの声に得意げな色が隠しきれていない。
数度の戦闘で、自分もやっていけそうだという手ごたえを感じていた。なにがダンジョン探索に有用なのか。焦点を絞って勉強した成果が出ている。まだ一夜漬けだが、成果は出ている。これから経験と勉強を積んでいけば、しっかりとした土台になるはずだ。少し不安だった戦闘も、タータの立ち位置は後衛のためパニックになることもなく落ち着いて秘蹟の発動をできた。
大人びた言動を取り繕っているタータに、レンとミュリナは顔を合わせてこっそり苦笑する。さっきもそうだが、レンたちはなるべくタータにも出番があるように戦闘の流れを誘導していた。
その後押しを受けて背伸びをしているタータの態度は、根っこから小生意気で自信家のリンリーに比べればかわいいものである。
「レンも前衛やってて崩れなくなってきたじゃない。あのくらいの魔物なら、一人でもいけそうよね」
「お、それは嬉しいな。ミュリナもさすがだよな。リンリーもフォロー、ありがとう」
「えへっへー。それこそ、とーぜん! ほら、レンおにーちゃん。タータの頭を撫でて褒めてあげてもいいんだよ?」
「よくありません。なんですか、その褒め方」
タータは亜麻色の髪を納めている修道帽をしっかり押さえる。異性の頭を撫でるなんて、軽々しくするものではない。几帳面に切りそろえてある前髪の目元で、リンリーの頭を撫でているレンを睨む。
やはり、このパーティーリーダーはちょっと軽薄だ。メンバーを女性で固めているだけはある。生真面目なタータがレンへと警戒の視線を注いでいると、ぴくんとリンリーの狐耳が反応した。
「ミュリナー。ちょっといーい?」
「……ああ、うん。わかったわ。レンとタータちゃんは、そこで待ってて」
リンリーがミュリナを引っ張って、見えない距離まで離れてしまう。
残されたのは、レンとタータだ。
タータは立ち去った二人を、不思議そうに見送っていた。
「リンリーとミュリナさん、どうしたんでしょう?」
「んー……なんか見つけたんだよ。二人に任せておこう」
「いいんですか、それで。あなたがリーダーなんですよね」
適当に聞こえるレンの返答を聞き、じとっとした視線になったタータがレンを見る。また評価を落としてしまったようだと、レンは内心で肩を落とす。
実は今回の探索はタータが初参加ということもあって、彼女に自信をつけさせるのが一つの目的になっている。タータは予想以上に上手くやってくれているが、それでも苦戦しそうな魔物が湧いた場合はミュリナとリンリーが先んじて処理しようと打ち合わせていた。
いま二人が離れたのは、間違いなくそれだ。獣化で五感を鋭くしたリンリーの探知に、手強めな魔物が引っかかったのだろう。
「ミュリナもリンリーも、俺よりずっと優秀だしね。心配はいらないよ」
「はあ、そうですか。そうなると私、一番頼りにならない人と残されたことになるんですけど」
「あはは……うん。それ、否定できないや」
レンが苦笑いを浮かべる。やっぱり頼りにならない人だとタータが嘆息した瞬間だ。
頭上から影が差した。なんだろうと顔をあげて、タータは目を見開く。
「え?」
上空から鶴に似た鳥型の魔物がタータを狙って急降下してきた。
自分に迫りくる脅威を認識しながらも、タータは動けない。いくら秘蹟が使えるとはいっても、ミュリナやリンリーにように戦闘教育を受けているわけではないのだ。声を上げたきり、恐怖で硬直してしまった。
「危ないっ!」
空からの強襲からタータを救ったのは、レンだ。
素早く剣を構えて間に入り、長剣で鉤爪を受け止める。タータよりも大きな怪鳥が苛立ったように羽ばたく。頑丈な鱗に覆われた鉤爪で自分の進路を阻んだ刃を掴んで飛び立とうとするが、レンも容易く武器を奪わせはしない。
柄をしっかり握り、魔術の炎を放つ。白い羽毛を焦がしつつも、反撃に興奮した怪鳥はクチバシでレンの顔面を狙う。後ろのタータに被害が行かないように、レンは敵の突っつきを腕で払う。
あまりにも間近な戦闘にタータは息を呑む。
動きが風を切る音、激しい息遣い。少し離れた場所から秘蹟を届けていた先ほどまでと違い、直に戦闘の激しさが伝わる。
恐怖で心が呑み込まれそうになるのを、ぐっと踏ん張って見据える。
こんなところで、怯えて止まるわけにはいかない。
いまのタータは、この町の小さな修道院で一生を過ごすことが人生だとは思っていない。リンリーと出会い、夢ができた。胸に抱いた夢を叶えるために、ファーンの紹介でダンジョン探索のパーティーに入った。
世界の広さを、見るのだから。
自分も、なにかしなくては。
眼前で繰り広げられる戦いに焦りながらも、パニックになることなくタータは必死に考える。レンを巻き込まない秘蹟。なにかあるはずだ。必死に考えて、頭の中で聖書のページをめくり、パッと閃く。
タータの手のひらに、浄化の光が灯る。
「このぉ!」
叫び声とともに、浄化の光が放たれた。
まだ未熟なタータでは、魔物を消し去るほどの効果はない。だが浄化の光は同じ信徒を傷つけない性質がある。リンリーやミュリナが近くにいた場合は彼女たちの魔術を阻害するおそれがあるが、レンは『信仰の壁』を使えるほどの信仰がある。
いまのような混戦には、うってつけの秘蹟だ。タータの手のひらから生まれた光に、怪鳥が怯んで動きをとめた。
その隙に、レンの長剣が怪鳥の胴体を貫く。
「ふう。なんとかなったか……」
「あ、あの……ありがとう、ございました」
「ああ、いいよ。こういうのが、俺の仕事だから。それに援護、ありがとう。すごく助かった」
レンが笑った。
その笑顔に、一際大きく、心臓が跳ねる。
「それより、怪我はない?」
「あ、ありません。その……レンさんが、守って、くださったので」
「そっか。よかった。後衛を怪我させたら、前衛失格だからね。さっき言われた通り頼りないかもしれないけど、これからも守らせてよ」
レンの言葉にタータは顔を伏せてしまう。
紅潮した顔を隠すためだった。さっきから心臓がどきどきしていた。間近の戦いを見て緊張したせいだと思っていたが、戦闘が終わっても心臓が高鳴り続けている。
「そ、それより、レンさんがお怪我をされてますよねっ」
「ああ、これ? 大丈夫だよ。俺も自己治癒の秘蹟は使えるから――」
「いえっ、治させてくださいっ! 私を守ってくださって……できた傷、ですから」
「あはは。そんな大層なものじゃないけど、そうだね。お願いします」
気さくながら礼儀正しく、レンが傷ついた腕を差し出す。
その傷ついた腕に、治癒の秘蹟を施しながら、タータは自分の胸を押さえる。
まだ、胸がどきどきしている。危険を前に心拍数が上がっていたわけではないのだろうか。だとしたら。まさか。ありえない。全然好みじゃない。いや、そもそも、自分の異性に対する好みとは? ずっと修道院育ちだから、異性と接する機会なんてまったくと言っていいほどなかった。受付で事務的に対応していたのが、タータの精いっぱいの異性との交流で、いま、こんな近くで触れたことなんてない。頼りないと思ったのに、治療のために触れると、びっくりするくらいがっしりしていて、たくましさと頼もしさを感じる。
もしかして、自分はちょっと年上の人がいいのでは? この、頼りになさそうに見えて、いざという時は頼れるような人が、自分のタイプだったのかもしれない。
のぼせあがる熱に、思考が混乱する。脈打つ心臓の音がうるさい。修道院で純粋培養された情緒が、レンが見せたギャップによって乙女に傾いていく。そんなわけないという否定の気持ちと、もしかしてという期待が入り混じる。
レンの顔を見れないまま、自分を守ってくれた彼の腕を治療し終える。
「……治療、終わりました」
「うん。ありがと、タータちゃん」
優しいお礼の声が、ほんの十分前までとまったく別物に聞こえた。
どうしよう、とタータは思う。もし、いまレンの顔を見て、声だけじゃなくて、さっきとは全然違う風に見えてしまったら。いまの気持ちが、確定してしまう気がする。それが不安で、怖くて、でも自分の心を知らなきゃいけないんだと、いままで知らない自分が急かすように熱を発する。
頬を紅潮させたタータは、自分の気持ちを確かめるために顔を上げる。
そして――いつもより三割増しで目を開いてタータを凝視している金髪碧眼の美少女ミュリナと、ばっちり目があった。
「ひっ」
予想外の視線に、タータは思わず小さく悲鳴をあげてしまった。
どこかに行っていたはずのミュリナたちが、いつの間にか戻ってきていたらしい。あるいは、こちらの異常に気がついてとんぼ返りしてきたのかもしれない。びっくりするくらい気配を感じさせずにレンとの間に入ってタータを凝視しているミュリナの後ろには、リンリーも戻ってきているのが見えた。
「タータちゃん」
「は、はい……」
怯えるタータに、十三歳の乙女であるタータの様子を見てなにかを察したミュリナが笑みを浮かべる。
優しく、穏やかで、母性的ですらありながら、圧倒的な威嚇と牽制がこもった笑みだった。
「とても、危なかったわね。無事で、よかったわ」
「……はい」
いったいなにが危なくて、なにが無事ですんでよかったのか。
修道院と教会関係者ばかりの狭い交友関係で過ごしてきたタータにそんな質問を発する勇気があるはずもなく、こくこくと頷くよりほかなかった。
タータの様子に満足したミュリナが、うんうんと頷いてからレンのところに戻っていく。謎の圧力から解放され、ほっと肩の力を抜く。
なに一つ明確な言葉にはしなかった。だが、発しないからこそ伝わる意思というものがあるのだ。
タータは、ちらっとミュリナとレンを見る。
二人は楽しそうに談笑している。レンなんて、自分と話す時は常に気遣っている様子なのに、いまは自然体でリラックスした笑顔を浮かべている。
知っていた。あの二人は付き合っているのだ。
ミュリナは美人で、明るくて、強い。同性のタータの目から見たって、魅力的な女性だ。
レンは、あんな素敵な女性に好かれているのだ。
なら素敵な男性に決まっていた。
「タータ」
やたら弾んだリンリーの呼びかけに、びくぅっと肩を震わせる。
「な、なんですか、リンリー」
なにかを見透かされた気がして動揺を隠せない。たじろぐタータに、リンリーが呆れた顔をしていた。
「ちょっとチョロ過ぎない? いくらなんでも、心配になってくるんだけど。大丈夫? レンおにーちゃんだったら安全だからいいけど、将来、変な男の人に騙されたりしないでよ?」
「ちょろッ!? な、なにを言ってるんですかっ、リンリー! なにか勘違いしてませんか!?」
「いーのいーの、わかってるから」
慌てふためくタータに、からかいの種が増えたと口元を押さえてにししとほくそ笑む。
自分が水やりをして育てていけば、タータもミュリナも、どっちもイジって楽しめるネタだ。リンリーには害が及ばないし、なによりレンが一番困るというのがいい。
「そういうリンリーこそ、どうなんですか! レンさんのこと、よく話してるじゃないですか!」
「どうもなにも、レンおにーちゃんには、あたしの頭を撫でる権利をあげてるもん。タータやミュリナとは、ステージが違うの。わかる?」
「な、なんですか、それは! 意味がわかりません!!」
きゃんきゃんと言い合っていると、予想以上に声が響いてしまったらしく、レンが近づいてきた。傍にはぴったりとミュリナがいる。
「どうしたの、タータちゃん。リンリーがなんか変なことを言っちゃった?」
「な、なんでもないです! あまり近づかないでください!」
「え」
修道帽を両手で押さえて顔を隠したタータの拒絶に、ショックを受けた顔をする。
だがタータにレンの反応を気にする余裕はない。あんまり近づかれると、ドキドキが再発してしまう。
「いいですか、レンさん。私は修道女なんです」
「う、うん、それは知ってる」
「ですから!」
タータは赤くなった顔で、きっとレンを睨む。紅潮し始めた頬の熱を、これはデリカシーのないレンに対する怒りなんだと自分の感情を誤魔化し一緒くたにして口を開く。
「私は修道女としてふさわしくない邪な感情を抱いたりなんて、ぜーったいにしないんです!」
ささやか心の変化を自覚してたまるもんかと生真面目な決意表明を叫んで、タータの初めての冒険は無事に終わった。