番外編 タータのはじめてのぼうけん3
「私は、なにをするべきなのだろうか」
神殿のシスターたちが、せわしなく勤労に励む午後三時。治療部門の一室で、憂鬱な声が漏れた。
悩ましげな息を吐いたのは、見た目だけは完璧な女性だ。輝くような金髪、すらりと伸びた手足に理想的ともいえる女性的な体つき。街を歩けばすれ違う人々が同性異性関係なく振り返る、ルッキズムの頂点にいる容姿の持ち主。
スノウ・アルトである。
職場に響いた彼女の言葉に、一瞬だけ治療部門のシスターたちの動きが停止する。
ーー仕事を、すればいいのでは?
うっかりスノウの独り言を聞いてしまった治療部門のシスターたちの心は、見事に一つになっていた。
だが、悲しいかな。この忙しい職場で暇を持て余している上司の発言を聞いて苛立ちとともに渦巻いた憎悪の心を発したとして、本当にスノウが仕事をし始めたほうが迷惑だ。
なにせスノウには治療行為に対する知見がない。やる気もない。秘蹟が使えるくせに信仰心も薄い。そしてなにより対人能力が酷い。別方向のイーズ・アンと職場内で囁かれているレベルのコミュニケーション能力の人間が部門長になっているのだから、治療部門のシスターたちの苦労は半端なものではなかった。
もしスノウに上司としていいことがあるなら、一つだけ。
自分の仕事に興味がないから、他人の業務に関わってこようとしないことだ。妙な功名心がないのだけは、救いである。
この場にいるシスターたちは、命を預かる治療部門。できることならスノウには自分たちの業務に一切関わって欲しくなかったので、使命感を持って働いているシスターたちは上司の憂いを聞かなかったことにした。
「あれから御方さまからの連絡はないし……はあ」
なにやらぶつぶつ私情と思しきことを呟いているが、スノウの個人的な事情に興味がある人間は、この場には皆無だ。
ここにいる全員のメンバーが、薄々悟っている。
万が一、スノウが治療部門の業務に興味を持ってクチバシを突っ込むようなことがあればーー死人が、出る。
治療部門のシスターたちは職場で憂う上司にできればどっかに消えて欲しいと祈って、粛々と、あるいは恐々として業務進めていく。どこか僻地にでも左遷してくれれば言うことなしなのだが、仕事場での心象とは裏腹に、スノウの評価は一般民衆と教会上層部から非常に高かった。
なぜなら、彼女は見た目がとんでもなくいいからだ。
「やるべき使命がない、か。虚しい日々だ」
しかもタチの悪いことに、スノウは表面上の言動が格好いい。いまですら、仕事をサボって愚痴を言っているだけなのに、なにも知らない人間が見ればこの世を憂う清廉な女性に見えてしまうほどだ。
一度や二度だけ話しているだけの関係性だと、多くの人はスノウのことを強く、美しく、潔癖な聖職者であると勘違いしてしまう。ここ最近、とりあえず職場から消えて欲しい治療部門の総意によってスノウをダンジョン巡回にねじ込むという荒技をしていたら、何度も要救護者を発見して、ますます一般冒険者からの評価が上がっていた。
「ん、あれは……」
スノウの視線の先には、神殿の奥にある部屋から出てきたレンたちの姿があった。
「じゃあ、タータちゃんの参加は明日ってことで」
「はい、わかりました。よろしくお願いします」
面談を終えた後のレンたちは、神殿の出入り口に向かっていた。
もちろんタータはパーティーに参加することで決まった。次のダンジョン探索にはタータも交えると日程を調整して、各自が解散しようとした時だ。
「やあ、隊員とミュリナじゃないか!」
「えっ、教官!?」
「しばらくぶりだな、二人とも。今日はどうした」
「ええっと、今日は――」
朗らかなスノウにレンが応対している傍らで、スノウの登場にミュリナとリンリーが顔をしかめていた。
「げっ。見つかった……」
「うわ、スノウだ……」
スノウを見て露骨に嫌な顔をする二人に、タータだけは不思議そうな顔をしている。
タータが神殿でやる業務 はまだ受付を始めとする雑務だけなので、スノウと関わることがほとんどない。まだ彼女の被害に巻き込まれたことがないのだ。
「あの、みなさんって『聖騎士』スノウ・アルトさまと知り合いなんですか?」
「認めたくないけどね……」
タータの問いに渋々頷いたミュリナが、仏頂面でスノウを睨む。
なぜかあの一戦以来、スノウが馴れ馴れしく声をかけてくるようになったのだ。スノウに気に入られてもいいことがなに一つないので、地味に頭痛の種となっている。
リンリーは、ひそひそとタータに耳打ちする。
「あのね、タータ。スノウには関わらないほうがいいよ? 本当に。周りの人間を不幸にする達人だから」
「なに言ってるの、リンリー。スノウさまは立派な方だよ!」
スノウの輝かしい功績と見た目だけを知るタータは、ぴしゃりとしかりつける。
事実として、経歴と外見だけは立派なのだ。珍しく純粋な親切心で忠告していたリンリーは、むうっと頬を膨らませる。
「ん? 見慣れない子供がいるな。なんだあれは」
「ああ。この子は、新しいパーティーメンバーになる子です」
「新しい……?」
レンの言葉に、スノウは、はてと首を斜めにする。
スノウが知る限り、レンのパーティーメンバーはミュリナとリンリーで、そこにイチキが加わる形だ。いまだにイチキとリンリーの顔の判別がつかないスノウだが、この場にイチキがいないのは理解していた。
「なんだ? あの妹御の代わりとなると、その子供はイーズ・アンばりの秘蹟でも使えるのか?」
脳筋なスノウによる単純な戦力の差し引きで言い放たれた台詞に、タータの顔が、ぴしりと凍りつく。
「だ、大丈夫だよタータちゃん。さすがに、イーズ・アンさまレベルを求めたりはしないから!」
「で、ですよね! あ、あはは。スノウさまも冗談がお上手で……」
「腕を生やしたりとか、頭おかしくなるレベルの加護とか、そんなの人類の所業じゃないからさ!」
「腕……生や……?」
意味不明なことを言うレンに、タータの混乱が加速する。
欠損した人間の腕は治療の秘蹟で生えないし、聖句には人の精神に変調をきたす効果などない。当たり前である。おかしいのは、あくまで独自世界と呼べる領域に入っているイーズ・アンの秘蹟だけだ。
「そうよね。タータちゃんは見習いなんだし、そんな高いレベルで秘蹟を使ってくれなんて言わないわよ。スノウの寝言なんて気にしないで、普通でいいのよ。普通に簡単なレベルで」
「寝言とは心外だな……」
不満げなスノウはガン無視で、ミュリナはタータを安心させるため笑顔になり、彼女の経験での『簡単なレベル』の秘蹟を思い浮かべる。
「えーっと、最低限の自衛ができる秘蹟と自己加護はもちろん、精神防御と、相互補助の連携結界と、なにより応急手当てで傷を防げる治癒は絶対ーー」
「え、それは……」
つらつらとお出しされる秘蹟の数々に、タータは青ざめる。
ミュリナが指折り数えて列挙しているのは、どれもこれも、中級以上の秘蹟だ。ちなみに中級というのは、分野の秘蹟の専門職だと胸を張れるレベルである。
例えばいま立派に神殿勤めのシスターとなっているファーンでも、治療系統の中級レベルの秘蹟を一通り使えるようになるまで、修道女になってから五年ほどかかった。
ミュリナにとっての『秘蹟使い』の基準は、前のパーティーでリーダーをしていたジークという男性である。十年以上は冒険者としてダンジョンの第一線で活躍していたベテランで、業界でも一流も一流の上澄みだ。いまは首都の神殿で管理職になっている、聖職者としてもエリートと言っていいレベルの能力を持っていた。
十三歳にもなっていない少女に求めるのは、あまりにも酷である。
だが、自身も若くしてジークやアルテナに負けず劣らずの一流として頭角を表したミュリナは、自分の基準がおかしいことに自覚がなかった。
「て感じだけど、どう? タータちゃんーーうぇ!?」
タータの目元に、涙が浮いていた。
予想外の反応に、ミュリナが狼狽える。タータはぎゅっと両手で裾を握り締め、なんとか泣くまいと堪える。
「べ、勉強します……! 足手まといの役立たずには、決してなりませんから!」
気丈にもそう言い切って、足早に神殿を出ていく。彼女の住まいである修道院に戻ったのだ。
ぽかんとしていたミュリナが、レンに助けを求める視線を向ける。その顔には『あたし、なんかしちゃった?』という無自覚で残酷な問いが浮かんでいた。
「あーあ」
気まずい空気の中、リンリーがこれみよがしにため息をつく。
「ミュリナったら、新人いじめして楽しいの?」
「い、いじめとかじゃないわよ! だって、その……聖職者だったら、普通にできないの?」
「普通にできるな。普通の聖職者だったら」
普通の聖職者とは、成人後に数年の実務を積んだ人間の能力を示すものである。
つまり、十三歳の少女に要求するレベルを大きく超えていた。よりにもよってスノウから言外にそう指摘されたミュリナが、がっくりと肩を落とす。
「まあ、ミュリナも大概、上澄みだもんな」
「ありがと、レン。……タータちゃんには、変なこと言ってごめんなさいって謝らなきゃいけないわね」
「それはそれでどーなの。『まさかタータちゃんがそんな普通レベルもできない子だって思わなくてごめんね〜?』って謝るの?」
「そんな言い方するわけないでしょう!」
噛み付くミュリナに、リンリーは肩をすくめる。
「タータって、器はあたし並にあるけどさ。秘蹟使いに向いてないもん」
タータは地頭がよい。
才覚としては、ミュリナやリンリーにも負けないほどだと、人の器を見透かすリンリーの第六感は告げている。
だが、正常に現実を分析する才覚が信仰に翳りをもたらしている。タータは、一神教の神が世界を創造しているのではないと、気がついてしまっているのだ。
明晰な人間は、信仰にすがることを必要としない。
「よくわからんが、ミュリナ。一緒に訓練場にでも行くか? この前の再戦と行こうじゃないか!」
「嫌に決まってるでしょ。勝ち逃げするって決めてるの」
「む、そうか……」
しょんぼりとしたスノウが、気を取り直して顔をあげる。
「では、明日のダンジョン探索には私もついていくのはどうだ? あれ以来、やるべきことがなくてな。知っての通り、腕には自信があるぞ!」
スノウの言葉に、レンたち三人が顔を見合わせる。
「ぜーったい、やだ!」
「私からもお断りよ。普通に仕事してなさいよ」
「あはは……その、教官の助けがいるような場所は探索しないので! なので勘弁してください、教官」
三者から三様に断られたスノウは、拗ねたように唇を尖らせていた。
修道院の入り口で、タータはうなだれていた。
タータは基本的に、自分ができる方だと思っていた。修道院育ちという狭い世界とはいえ、そこで一番だというのは彼女の自負になっている。
けれども、世間から求められている能力に自分はまったく足りていないのだと、ミュリナの言動を聞いて勘違いしてしまっていた。
「どうすれば、いいんだろ……」
強がりで去り際に、あんなことまで言ってしまった。勉強をするとは言ったが、ダンジョン探索は明日である。
なにをすればいいのかわからず、立ちすくんでいた時だ。
「どうした」
後ろから声をかけられた。
はっと振り返ると、そこには小柄な修道女がたっていた。
「い、イーズ・アンさま」
十三歳のタータと変わらないほど小柄ながら、苦もなく大量の蔵書を背負っている修道女、イーズ・アン。超人的な信仰でもって、冒険者など寄せ付けない力を持つ女性である。
「その……わたし、明日からダンジョンの探索に行くことになったんです」
「そうか」
イーズ・アンほどの人に自分の卑賎な悩み事など話していいのだろうかと迷いつつも口にした言葉に、彼女は平坦な口調のまま頷く。
「ダンジョンは人々の心の鏡でもある。踏破するのは、信仰を志すものとしてよい経験になるだろう」
「はい。けれども……わたしは、お役に立てるのでしょうか」
タータにとって、信仰とはあるべきものだった。
幼い自分を救ってくれた場所であり、人として当然持つべきものであり、世界の成り立ちそのものだった。
だが、成長していくにつれ、薄々、自分にとって必要ではないと悟りつつあった。
「わたしの、その……弱い、信仰でも」
秘蹟の強さとは、すなわち信仰の強さだ。普通を求められながらも、及んでいない。それはつまり、タータの信仰が人並み以下であることを示していた。
他の誰よりも圧倒的に強固な信仰を持つ相手に明かした、自分の信仰の脆弱さ。叱責を甘んじようと、タータはぎゅっと目をつぶる。
「わたしの秘蹟は、人が求める力量にとても足りていないんです。イーズ・アンさま。ふ、不信のわたしを、罰してください」
「疑うことを恐れるな」
己の信仰の瑕疵を恐れる少女に告げられたのは、静かで、けれども迷いなど一欠片もない言葉だ。
イーズ・アンは彼女が知った信仰の本質を告げる。
「信仰とは、平坦ではない。疑い、恐れ、悩み、苦しみ、喜び、悲しみ――信じるを疑わせる出来事は、世に数多あふれている」
タータはこれから、世の中のことを知るだろう。人と触れ合い、社会の理不尽さを知り、信仰の無力さを嘆き、この世界の広さを知って、神の実在すらも疑うようになる。賢い気質のタータは、信じることに溺れる人間ではない。
それを見抜いていても、イーズ・アンにはタータを罰する意思など微塵も湧かない。
「汝は未熟なれど、信仰を忘れることはない。日々の感謝こそが、汝の信仰であろう」
「あ……」
イーズ・アンの言葉を聞いて、タータの中で視界が開けた。リンリーと一緒に気球に乗った時に見た光景のように、ぱあっと自分の中の世界が広がったのを感じた。
いつからか、自分は心から神を信じられなくなっていた。
それでも自分を救い、育てたのは神を信じる教会なのだ。
成長したタータにとって必要でなくなったとしても、信仰はあるのである。
世界はあるべきとするのが宗教だ。
あるべき世界でどうあるのか、人生を学ぶ余地がある。
だからこそ人に言われるがままではなく、自分の中で、信仰の体系を組み立てるのだ。単純な信仰が揺らいでいるのならば、もっと心にいくつもの支柱を得ればいい。
「あ、ありがとうございます! わたし、改めて聖書を読み直します!」
「感心だ」
自分のあるべき信仰を見つけたタータに、イーズ・アンが、いつも担いでいる蔵書を一抱え手に取る。
どさどさどさっと、タータの前に神学の書物が積み上げられる。
「これは……貸して、いただけるのですか?」
「教えに貸し借りなどない。神の言の葉とは、最初から求める全ての人のものだ」
「……はい!」
「励め。……いや、違うか」
イーズ・アンが、感激に震えるタータの顔を見て言い直す。
「頑張れ」
同じ意味で、しかし違う言葉にぱっとタータの顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げているうちに、イーズ・アンは立ち去った。
「……頑張らなきゃ!」
顔を上げたタータは、やる気に満ちた表情で書物を抱え、自分の部屋へと戻っていた。






