番外編 タータのはじめてのぼうけん1
その日、教会の新人シスターの少女、タータは悩んでいた。
タータは今年で十三歳になる修道女だ。修道院から教会に働きに出ているとはいえ、まだまだ幼いといってもいい年齢の少女である。
本来なら親元の庇護にいるべき年齢の彼女だが、タータは自分の境遇をことさら不幸だと思ったことはない。修道院での生活に不満はないし、人間関係も良好だ。修道女の労役として行なっているダンジョンの受付業務も順調で、大きな失敗はない。
日々の営みに不足がないからこそ、タータの悩みは現在に対するものではない。
自分の将来、進路への悩みである。
タータはいままでなんの疑問もなく、この街の修道院で一生を過ごすのだと思っていた。修道院にいる周囲の大人は、みんなそうしていたからだ。
だが、新しい友達――リンリーと交流していくうちに、意識が変わったのだ。
彼女と街で遊んだあの日の楽しさが、なにより気球から見た世界の広さの一端が、どうしようもないうずきとなってタータの胸に宿った。
外の世界を、見てみたい。
それがいまのタータの夢だった。
自分が育った修道院で一生を終えると漠然と思っていた将来への展望が、地平線の広さを見た時に変化した。
自分の足で地面を歩いて、異国の空気の匂いを感じて、現地の食事を舌で味わいたい。知らないものをもっと知りたいと、生まれてはじめて思ったのだ。
かといって、聖職者であることを放棄したいわけでもない。タータにとって、信仰は生活の支えであり、日常の常識であり、人生のしるべだ。修道女であることを辞めるなど、そもそも選択肢として浮かびすらしない。
必要なのは、信仰と見聞の両立だ。
「あの、ファーンさん。少し、いいですか?」
「うん?」
その日のダンジョン業務の仕事終わり。
タータが相談相手に選んだのは、最近よく話すようになって頼りなるとわかっている大人の女性、ファーンだった。
特に忙しい治療部門の業務が終わった後に声をかけたというのに、ファーンは嫌な顔ひとつ見せずに笑顔をタータに向ける。
「どうしたの、タータちゃん」
「宣教師になるには、どうすれば、いいんでしょうか」
タータなりに勇気を振り絞って、自分の夢の叶え方をたずねた。
実のところタータには、ファーンより世話になっている人間は何人もいる。タータが育った修道院の院長などはその筆頭だ。
だがタータの知り合いの多くは修道院の人間だ。彼女たちは、おそらくタータがこの街の修道女になることを望んでいる。
だからこそ、教会に併設された修道院から働きに出ている人間ではなく、外部から仕事として修道女の役割をこなしているファーンは、タータにとって貴重な外の世界を知る人間だった。
「宣教師、かぁ」
ファーンは幼い同僚の意外な質問に目を丸くして、ふむと考え込む。
宣教師は、自分たちの教えを他国に布教する伝道の役目を担っている。政治的な思惑も絡んでくる役職なため、聖職者の中でも出生からしてエリートの生え抜きである人間が任じられることが多い。
正直にいってしまえば、地方の修道院上がりの修道女が目指す道としては、あまりにも厳しい。
「その……やっぱり無理ですか?」
タータは教会政治に詳しくはないが、宣教師がけっこう偉い役職であるという意識はある。不安げになった声に、ファーンは努めて明るい笑顔を浮かべた。
「ううん、無理じゃないよ。宣教師になるのが厳しいのは確かだけど、修道女が宣教師になって派遣された例はあるしね!」
「前にもなった方がいるんですね……! よかった。どんな試練があっても耐えてみせますっ」
「あー……」
ぐっと握り拳でやる気を見せたタータに、ファーンはなんと言うべきか言葉に迷う。
耐えることで達成できる物事は、実は多くない。なぜならば、人が望むものは向こうから降りかかってくることなど稀なのだ。だからこそ、夢があるのなら自分から近づかなければならない。忍耐が試練となるのは、まずは歩き始めてからだ。
タータの意識を変えなくてはと、ファーンはぴっと人差し指をあげる。
「まず、勉強。語学が必須です。最低、三カ国語の読み書き日常会話はできないとダメ」
「そんなことでいいんですか?」
「え? ……タータちゃん、外国語できるの?」
「古典語は教典に一通り目を通すために必要ですし。それと、東方言語なら日常会話くらいなら……その、たまに会う知り合いの子に教えてもらってます」
さらっと返された言葉に、あ、この子だいぶ頭がいいとファーンは察する。
実際、タータは勉学には自負がある。教われば身につくという自信を持てるだけの地頭のよさだ。
「そっかそっか。すごいなぁ。……いや、ほんとにすごいよ」
うんうんと笑顔で頷く。年長者からしてみれば、前向きな若者は見ていて楽しい。今度、実家から蔵書を持ち出して修道院にいっぱい寄付しよう。ファーンは、最近たまーに顔を出すようになった実家の本棚のラインナップを思い出してそんなことを考える。
「細かい知識はいろいろ必要だけど、タータちゃんなら問題ないかな」
「ほ、本当ですか?」
「うん。最初は宣教者のお付きから始めるものなのかな? そうなると……教会の外部に出る場合、ダンジョンへの探索経験が三年以上は必要なんだよね」
「ダンジョン、ですか」
ファーンから知らされた情報に、尻込みしてしまう。
タータは荒事には慣れていない。ダンジョンの受付をしているが、仕事ほとんどは事務関係の雑務だ。基本的な秘蹟は使えるが、戦闘の訓練も受けていない。
「やっぱり宣教師ってなると見も知らぬ土地に行かなきゃいけないから、厳しい状況でも切り抜けられるようにってことなんだけど……難しいよね。うちの教会だと、ダンジョンを単独探索できるのなんて先輩くらいだし」
自分で言った内容に、ファーンは苦笑する。
『聖女』イーズ・アン。
革命の功労者にして、信仰の体現者だ。極まった秘蹟使いである彼女は、一個人で完結した能力を持っている。一人での探索どころか、ダンジョンの単独踏破が可能なほどだ。
そんなイーズ・アンも少し前にとある事件を経て秘蹟使いとしての力量を減じ、ぎりぎり人間のレベルに戻ったのだが、タータが知る由もないことだ。そもそも一般人にとってみれば突き抜けたレベルにいることに変わりない。
もとも尊敬する人物の実力を引き合いに出されて、タータはしゅんとうなだれる。
「じゃあやっぱり、修道院上がりのわたしじゃ無理なんでしょうか……」
「ああ、違う違う。こういう時はね。冒険者さんたちの力を借りるんだよ」
西方教会の聖職者が上の位階に上がるには、意外なほど『ダンジョンでの実戦経験』が重視される。冒険者の中にはちらほらと教会関係者である秘蹟使いが混ざっている理由がそれだ。
だが、タータの表情は晴れない。
「冒険者、ですか」
ダンジョンで受付業務をしているからこそ知っているが、冒険者の多くは荒くれものだ。中にはパーティーメンバーを女性ばかりに固めて、あろうことかタータと同年代の少女に『おにーちゃん』などと呼ばせている不埒者もいる。
そんな大人が集まるパーティーに入っての探索など、到底できる気がしなかった。
だがファーンは、彼女に簡単に夢を諦めて欲しくなかった。もしも宣教師になれずとも、ダンジョンの攻略経験はタータのためになるはずだ。
「タータちゃん。よかったら、信頼できる冒険者パーティーを紹介しよっか?」
「本当ですか!?」
ファーンに相談してよかった。
自分の夢への道を切り開いてくれる答えを与えてくれた彼女への信頼を胸に、タータはきらきらと瞳を輝かせた。
タータの瞳から光が消え失せた。
幼いながらも利発な顔立ちの表情に陰が差し、あれほどファーンへの信頼に満ちていた瞳には、じっとりとした疑いの念に満ちている。信じることを是とする生活をしてきた少女にあるまじき、不信に満ち満ちた表情だ。
その視線を向けられているのは、ファーンの信頼を受けし冒険者パーティーのリーダー。
「タータちゃん、だよね。よろしく!」
パーティーメンバーを付き合っている彼女を筆頭に女性で固めて、十一歳の幼い少女に『おにーちゃん』と呼ばれている少年、レンだった。






