タータの全肯定・後編
「え、えと、あの……」
「千リンを支払ったからには遠慮はご無用!!!!! ため込んだ心の澱を吐き出すために、なんでも相談すればいいの!!!!!」
「な、なんでもって……」
ハキハキとしたハスキーボイスに押されるようにして、たじたじと後退る。
公園広場で施しを求める少女に千リンを渡したら、いきなり大きな声を上げて話しかけてきたのだ。
何度か教会主導の炊き出しに参加したことのあるタータでも初めての反応だ。意味がわからない。普通に怖かった。
だが奴隷少女を自称する相手は止まらない。
「安心して欲しいの!!!!! 奴隷少女はあなたの言葉の全部を肯定するの!!!!! だからバカみたいって思うようなことでも、些細だと思っている小さな心のささくれも、安心して奴隷少女に言えばいいの!!!! 言葉を出すことを怖がる必要なんてないのよ!!!!!!」
「な、なるほど……?」
奴隷少女なる相手が発した内容に一理を見つけ、タータの恐怖心がわずかに薄らいだ。
奴隷少女ちゃんとやらは、声こそ大きくてびっくりするものの言動自体は理性的だ。それに手に持っている『1回10分1000リン』という文言。これは彼女が施しを求めているのではなく、商売を営んでいるものだと考えられる。
理解不能なものには恐怖が湧くが、自分の常識に収まるなら別である。
「し、質問なのですが……」
「うん!!!!! 気になったことはどんどん問いかけるといいのよ!!!!!!」
「あなたのやっているご商売は……ようするに、懺悔に近いものなのでしょうか?」
「当たらずとも遠からずなの!!!! でも、あんまり深く考える必要はないのよ!!! 奴隷少女には軽率に日常のご不満をぶちまけてくれればいいの!!!!!」
自分の知識と近いものを照らし合わせたことで、安心感が増した。受け答えもきちんとできる相手だと、ほっと一息つく。
どうやら彼女は、人々の不満を聞くことを商売としているようだ。教会に懺悔室があるのだから、民間で同じような需要を見つけて商売とする発想はおかしくはない。
タータは教会で育ったからこそ、逆に懺悔室を使えない気質の少女だ。周囲に誰もいないことを確認してから、タータは決意を固める。
せっかく千リンを払ったのだ。勇気をもって、口を開いた。
「それなら、話を聞いてもらえますか?」
「もちろんなの!!!! 奴隷少女は千リンを貰ったときから十分間、あなたのお悩みを全肯定するの!!!!!!」
「最近、なんだかとても疲れて……いや、違います。そうです。私は自分の欲深さが、恥ずかしいんです」
言葉にして、ここ最近、誰にも相談できなかった疲れの理由をはっきりと自覚した。
ここ最近の気疲れの理由は、体力の問題ではない。自分の感情が纏わりついて離れないのが重荷となっていた。
「欲深さは言い換えれば前に進む力で、成功を掴む強さなの!!!!! それはあなたの美点だから、恥じるようなことじゃないのよ!!!!」
「違うんです」
タータは首を振る。そういう一般的な問題ではない。自分の悩みが、成功を求める市井の人々と同じではいけない。
彼女の言うとおり、求める心は成功につながる推進力なのかもしれない。
でもタータは聖職者なのだ。
「私は少し前に十二歳になりました。修道院では十二歳を過ぎればただ養われるだけの立場から、年少の子供たちを養う立場になります。修道院の監督生になるか、修道女として教会の実務に参加するか。私は秘蹟使いとしての資格をとって教会で働くことを選びました」
「そうなの!!! 限られた環境の中で、きちんと自分の意志で道を選んだのね!!!!! とっても偉いことなの!!!!!」
「偉いかどうかはともかく……それで私は、ささやかながら賃金ももらって、自由にできるお金ができました」
仕事を始めた。やりがいがあった。
お金をもらった。生まれてはじめて自由にできる金銭に胸が弾んだ。
受付を頑張っていると冒険者のお客さんから褒められた。誇らしくては思わず笑顔がこぼれた。
「私は、ちょっとだけ人より要領がいいんだと思います。秀才気質なのか、言われたことはきちんとできてこなせます。前々から仕事自体は見て覚えていたので、やってはいけないことも、失敗した時のリカバリーもわかります。周りの人は、みんな褒めてくれます」
「そうなの!!!! お仕事がうまくできる人は、誰かを支えて助けている人なの!!!!! あなたはとっても素敵な人なのね!!!!!!」
「でも、そんなのじゃ、いけないんです」
出た声は自分で思った以上に力がなかった。
「私は修道女なんです」
タータはお金のために働く人を軽蔑していた。動機が不純だからだ。仕事の愚痴を吐く大人を忌み嫌っていた。怠け者に見えたからだ。
余剰のお金のためではなく、生きる糧を得ることが労役だ。奉仕は義務であり、食べきれない余剰の豊かさは腐敗を呼ぶ。
強欲は、心の罪だ。
タータは皇国最悪の十年で生きてきた。だから貧しさの惨めさを知るのと同じく、豊かさの愚かさを知っていた。
現に教会の教義は、勤勉であれと、清貧であれと唱えていた。
だというのに、真実誰かのために働くということを体験してわかったのだ。
「私は、見返りがないと……働くことに、耐えられないのです」
「自分の働きに見返りを求めるのは当然のことなの!!!! ボランティアを強要する相手はぼっこぼこの血祭りに上げてもいいくらいなの!!!!!! 笑顔で自分のお金を受け取っていいのよ!!!!!!!」
「そういう考えは聖職者にふさわしくありません」
打てば響く奴隷少女の声に、虚ろな声を返す。
自分の性根は、お金をもらって喜びを感じ、無償の行為に不満を感じる、そこらの人と同じだった。
教会に属することは、世俗から切り離されるということだ。修道院の生活は耐え忍ぶ日々に等しい。
だから、これまで知らなかった。
「私は俗物です」
「なにも悪いことじゃないの!!!!! 誰だってお腹はすくし、欲しいものができるもの!!! みんな同じなのよ!!!!!!!」
「いいえ」
タータは自分が俗物であることに気がついてしまった日から、堪えがたい失望を自分に抱き始めた。
だって。
聖人となったあの人は、笑わない。
「私は、そうじゃない人を知っています」
『聖女』イーズ・アン。
清貧も体現者である彼女は、皇国最悪の十年を打破するという大功を挙げても、何一つ求めなかった。
ただ教義に沿って振る舞い生きている。
彼女がこの都市に来て、八年。
いつ見ても超然としている。公私なくどんな苦難をも超えてそこにある。聖職者は、かくあるべしと憧れた。
でも。
「あの人のように、私はなれないのだったら、聖職者である意味なんて……」
「大丈夫なの!!!!!!」
無責任な肯定に、むっと反感が浮かんだ。反発心がタータの口から言葉となって飛び出る。
「なんで、そんなことが言えるんですかっ」
「だって聖職者として頑張っているあなたが、聖職者に向いていないわけがないの!!!!」
寸暇もおかずに返された肯定の言葉に息を飲む。
根拠のない言葉だ。自分のことを知らない人の台詞だ。
でも彼女の声には自分の自己否定を吹き飛ばす勢いがあった。
「なりたいものの方向に向いているっていう時点で、あなたはきちんとなりたいものに向かっているの!!!!! それが向いているっていうことなのよ!!!!!!!」
「わ、私は、ちゃんとした聖職者になりたいんです! それなのに、卑しい心を抱える私が、聖職者に向いているはずなんてありません!」
「大丈夫なの!!!! あなたはちゃんとしているから、あなたの思うような人になればいいのよ!!!!!!」
「なれませんよっ、こんな体たらくで!」
「なれるのよ!!!!!」
どうして。
どうして、自分のみじめな告白を聞いて、そんなことが言えるのだ。
言い返す言葉に詰まる。自分とかかわりのない人の、無根拠で無責任な言葉だとわかっているのに、彼女の明るい肯定を聞きたいと思ってしまう。求めることが自分の弱さで醜さだとわかっているのに、彼女の言葉に吸い寄せられる。食い入るように、次の言葉を心待ちにしてしまう。
「人は神様にはなれないの!!!!!!!! だって完璧な人なんて、それが聖人であっても存在しないの!!!!」
「そ、そんなことありませんっ。私は完璧な人を知っています!」
「どんな人でも理想の姿と自分の心の食い違いに苦しむことがあるの!!!!!! 外から完璧に見える人だって心のどこかに矛盾を抱えているものなの!!!!!」
「っ!」
反論が喉に詰まった。
聖人の心に矛盾などあるはずがないと、とっさに言えなかった。
タータの迷いを埋めるように、奴隷少女の言葉が続く。
「だから怠けることも愚痴ることも必要なものなのよ!!!!! 仕事の息抜きは、人の卑しさじゃないの!!!!!!!」
「息抜き……」
「そうなの!!!!! 自分がどうしようもなく不完全な人間だと知って、それでも頑張れることができたあなたはとってもすごい人なのよ!!!!!! だから、これだけはきちんと覚えてほしいの!!!!」
奴隷少女は大きく口を開いてタータのことを全肯定する。
「誰かと関わるあなたのお仕事は、誰かの神様になることがあるの!!!!!!」
目元が、熱くなった。
ぎゅっと拳を握って涙をこらえる。初対面の人の言葉で泣くなんて、バカみたいだと思われるかもしれない。
だけどタータの心は大きく動いてしまった。
「だから頑張るの!!!!! 完全な人にはなれなくても、不完全で頑張るあなたを必要としている人はいるの!!!!!!」
喉に詰まったものを飲み込むために、息をする。涙はこぼさない。すうっと息を吸って、お腹膨らませて、タータは返事をした。
「はいっ!!」
「いいお返事なの!!!!!!! まだまだ時間はあるから、どんどんいっぱい話すといいの!!!!!」
「わかりました! ついこの間――」
そうして長くも短い十分間。
タータは誰にはばかることのない言葉を、公園広場で打ちあけ続けた。
教会のダンジョンの受付で、人目がないことをいいことにだらっとしている女性がいた。
「うーん……疲れた」
ぐでーっとしながらぼやいているのはファーンである。彼女は後輩の前でカッコつけたことを少し後悔していた。
退勤する途中で見かけた十二歳の少女、タータの顔色が悪かったため、思わず交代を申し出たのだ。
タータはなんでも要領よくこなしているため粗が目立たないが、真面目な性格からため込むところがある。修道院育ちの生真面目ゆえに、息抜きなどを学んでいなそうなのだ。
それとなく奴隷少女ちゃんのほうへと向かわせてみたが、どうだろうか。
「それが上手くいくとも限らないしねぇ。ああ、もうっ。めんどくさいめんどくさい奴隷少女ちゃんのところに行きたいよぅ……タータちゃんにはちょっと嫌われてる気もするしなぁ。つらい」
一度帰るモードになっていたために、いまのファーンは業務にものすごく気が乗らなかった。
修道院育ちの聖職者と、外部から入って来た聖職者に溝があるのは昔からだ。特にファーンのように、生き方ではなく職業として修道女を選んでいると敵視されやすい。修道院組の連帯感が強すぎて、途中で資格を得て聖職者になる者たちにやや排他的になっているのだ。
タータの意識もそこから来るものだろう。
グチグチとしながら、なんだかんだで仕事を終えたファーンが私服に着替えて教会を出た時だった。
「あの、ファーンさんっ」
声の主はタータだった。なんだろうとファーンは目をぱちくりさせる。
「今日は途中でかわってもらって、ありがとうございました」
「気にしなくていいよ? 私が勝手にやったことだもん」
「いえ。それで、その、気が付いたことがあって」
タータは視線を迷わせて、それでもファーンと目を合わせて自分の言葉を紡ぐ。
「私はたぶん、イーズ・アン様よりファーンさんに近い人間だと思うんです」
「うん? う、うん。だいたいの人は、そりゃそうだと思うよ?」
「はい、なので、ファーンさんからいろいろと教えてほしくて」
ファーンよりイーズ・アンに近い人間など、探す方が難しいだろう。なにが言いたいのだろうと戸惑うファーンに、タータが上目遣いで頼み込む。
「まずは、ですね。息抜きの仕方とか……教えてください」
目を丸くしたファーンは、ぱっと顔を輝かせる。
「もっちろん!」
声を弾ませたファーンは、仕事の疲れも忘れて小さな後輩をどこへ引き連れるかのプランを練った。






