少女は斯くも語る
「奴隷少女は日々の疲れでため込んだあなたの心の澱を吐き出させるのよ!!!!!! さあ!!!!! 大声を出してすっきりするの!!!!!!!!!!」
奴隷少女の清冽な笑顔と、明朗なハスキーボイス。
いつもは横から眺めている二つの要素が、正面からもたらされた今日ばかりは、なぜか直視できなかった。
レンはうつむく。
夜の影が落ちた広場。砂のまかれた地面が見える。
「俺は、駆け出しの冒険者でさ。今日、ダンジョンで新種の魔物と戦ったんだ……」
「そうなの!!!!!! お疲れ様だったのね!!!!!!!」
ポツポツと今日あったことを話し始める。
奴隷少女はにこにこ笑い、テンポよく素晴らしい勢いの相槌を打つ。いままでレンが見てきたように、急流のようなエネルギーでもって対面にいるレンを巻き込んで行くような声を出す。
「俺、この間に荷物持ちから前衛に昇格して、それなりに上手くやってきて……でも、今日は全然役に立てなかったんだ」
そうだった。
あの知性ある魔物。
あれが現れた瞬間から、レンはただの足手まといになり下がった。
女魔術師をぎゃふんと言わせてやるなんてことを目標にして、自分を磨いてきたつもりだったのに。
「すっげー強い魔物が相手で、俺は取り巻きの魔物を倒すのですら足手まといで、失敗して……俺はっ、自分がもっとできると思ってたのに……ぜんぜん、だめで……!」
「わかるのよ!!!!!!」
レンが無根拠に確信していた何かを、奴隷少女は力強く保証する。
「大丈夫なの!!!!!! あなたはこれまでたくさん頑張ってきたの!!!!! いつだって努力を忘れないで、目標を見失わずに邁進していたの!!!!!!! それが、報われないはずないのよ!!!!!!」
「そう、かな」
「そうなの!!!!!!!」
「は、はは。そう、だよな」
頷こうとして、首を、縦に振れない。
違う。そんなわけがない。わかっている。自分がどれだけやろうとも、成果が出なければ意味がない。誰かの邪魔になれば鬱陶しがられる。なにも成せなければいつか追い出される。
人は人に対して、無償で優しくできないのだ。
だから、レンだって。
「俺さ、けっこう頑張ってきたつもりなんだ」
「まったくもってその通りなの!!!!!!」
見捨てられないように、見返してやれるように、ダンジョンの知見を増やして魔術を身に着け体の使い方を叩き込む。新しいことを知るたびに、なにか新しいことをやればやるだけ自負が重なっていく。
これだけやったじゃないかと、思わずにいられない。
やったのに、なんで報われないんだと嘆かずにはいられない。
「なのに、なんで、他のみんなみたいに、なれないんだろ……」
「なにをいってるの!!!!!! あなたはこの世でたった一人のあなたなのよ!!!!! 他の人なんて目じゃないの!!!!」
わかっている。自分だけではない。積み上げているのだ。他の人だって。レンが見ていないだけだ。レンのパーティーメンバーはみんな、レンよりも年季の入った冒険者揃いなのだ。
あの女魔術師だって。
「負けたくないって、あきらめたくないって、こなくそって、さ。がむしゃらだったかもだけど、やってきたはずなんだ」
「負けん気は宝なのよ!!!!! 成功の秘訣は、試行を止めないことにあるの!!!!! 一度きりで成功するわけないって本能的に悟って頑張るあなたはすごいのよ!!!!!!」
すごい、すごい、すごい。
奴隷少女はそう言ってくれる。迷わず全肯定をしてくれる。
すごい、すごい、すごい…………どこが?
人には、必ず優劣がつく。
結果は、相対的に現れる。
過程を褒められて、慰め以外の何になる。レンと女魔術師で冒険者の実力を比べれば、百人が百人、女魔術師を優れていると断言する。
自分と同世代で、なのに自分とはまるで違う彼女の力を見せつけられる度に、レンは叫びたくなる。
才能が違うっ、生まれが違うッ、育ちが違う!
そう叫んだところで、答えは一つ。
『ふーん。だから?』
それで終わりだ。
それが、事実だ。
「俺はさ、誰かに、認めてほしくてこの都市に来たんだよ……!」
「大丈夫なの!!!!!! あなたの頑張りは、認められるに決まっているの!!!!!!」
「だって、俺の生まれたところって、ほんとにつまんないところで、夢なんて見れないところで、だからもっともっと広いとこにって、それでこの都市に来たんだ……」
まとまりのない、どこまでもしみったれたみっともない言葉。
情けない。情けない。情けない。自分が嫌いになる。あさましい心が憎たらしい。英雄になりたいだなんて思って冒険者になったのが自分だ。
ダンジョンで、人々の望みが生んだ一本の剣を引き抜いた勇者の活躍に心を躍らせて。
なのに、なんでだろう。
人を助ける勇者に憧れたのに、なんで他人をうらやむことしか能がないのか。ああ、ちくしょう。そうだろうさ。
だって自分は、誰かのために誰かの英雄になりたいわけではなかった。
称賛して欲しかった。歴史に残りたかった。自分のために、自分のためだけに他人がいて欲しかった。
なのに自分は一人で生きるだけで精いっぱいどころか、他人に迷惑しか負わせていない。
「夢を持つのはとってもいいことなの!!!!!! 夢があるからこそ、人は前に進めるのよ!!!! 大丈夫!!!!! この都市の懐は広いの!!!!!!! これからもいっぱいの出会いに溢れているはずなのよ!!!!!!!!」
ダメだ。
いくら肯定してもらっても、いまのレンの心に響かない。自責の念が晴れることがない。認めない体。受け付けない心。精神が己を自罰し続けて許さない。
それでもボロボロと言葉は漏れる。レンは、もはや奴隷少女の言葉を聞いていなかった。ただ一方的に、言葉を落としていた。勢いのよい相槌の響きだけを捕らえて、砕けた自分の心の破片を投げ捨てるように話し続けた。
田舎に生まれて、飛び出てきた。閉鎖的で、先の見え切っている生活が嫌になった。
退屈だと、自分はもっとやれるんだとうそぶいてこの都市に来た。すごい冒険者になってやるぜとうぬぼれていた。これから立派でカッコいい大人になるんだと思っていた。
バカだった。
そんなバカげたよくいる間抜けの過程を、肯定してもらいたかった。
奴隷少女は、快活にレンの道のりに頷いては肯定していく。都市に来て、いまのパーティーメンバーに入れてもらって、失敗と成功を繰り返して、リーダーに剣をもらった。レンがこの都市に来てからを、彼女のハスキーボイスが全肯定する。
「そうやって冒険をしてきて、戦って、俺は、俺はさぁ……! 同世代の、あの人を――」
「……」
レンの話が今日の女魔術師を傷つけてしまったところまで及ぼうというところで、不意に奴隷少女の声が止まった。
なぜだ。これからが、一番ぶつけたいところなのに。そう思って顔を上げて気が付いた。
「……」
奴隷少女は、プラカードで口元を隠していた。
口元より上の瞳が、困ったような視線をレンに向ける。
そこには、見慣れてしまった文言が書かれていた。
『全肯定奴隷少女:1回10分1000リン』
十分が、経過していた。
奴隷少女は、ぴたりと口を閉ざす。対価なき全肯定を、彼女は行わない。
また肯定してもらうには、どうすればいいか。
簡単だ。
もう一度、千リンを渡せばいい。
「……あ」
ただ、レンは我に返ってしまった。
今日、ここに来た理由。いま、吐き出そうとした己の最悪の失態。
自分の未熟さが原因で、女魔術師が重体になった出来事。
それを奴隷少女にぶつけようとした自分に気が付いて、愕然とした。
もしかして、自分はその失敗を正当化して欲しかったのか? この子に、この子の口から、お前はワルクナイヨと言って欲しかったのか。見返してやるだなんて思っていた女魔術師に自分の未熟さを助けてもらって、それが原因で彼女を傷つけた事態を引き起こしたくせに、お前はワルクナイヨと、そう言って欲しかったのか?
まったくもってその通りだよ。
言って欲しかったんだ。
お前の力不足じゃないって。お前は悪くないって。お前のせいじゃないって。
恥知らずにも、自分の至らなさを全部放り投げて見ないふりして、奴隷少女に縋りつこうとしたのだ。
もちろん、彼女は肯定してくれるだろう。レンの罪を快活に吹き飛ばしてくれるに違いない。清廉な笑顔と圧倒的なエネルギーで消し去ってみせるに決まっている。
千リンで。
それに気が付いた瞬間、果てしなく虚しい感覚に突き落とされた。
「俺、は……」
自分は何を期待していたのだ、馬鹿野郎。
いままで彼女に全肯定された人々を、思い出せ。シスターさんを。錬金術師の青年を。あのアニキさんですら。
みんなみんな、いわれなき何かの業を押し付けられて苦しめられた人たちだ。誰一人だって、自分のせいで誰かを傷つけたことを肯定して欲しいと叫んだことなどなかった。
なのに、自分は。
たったの千リンで、ちょっと高めの昼食を食べれば消えるはした金で、自分はなんてものを求めているのだ。
なあ、レン。お前は、お前は。
「お、れは……あぁ」
なんておぞましい奴なんだ。
「あ、ぁあ、あ゛ああぁああああああ!」
自己嫌悪に、くしゃりと押しつぶされた。
膝から力が抜けた。地面に倒れるようにして転がり落ちて、頭を抱えて打ち震える。
水面を揺らめく太陽の輝きに惹かれて陸に上がって、なのに日照りに渇いて水を求めてさまよって、果てに干からびる寸前になった亀のように丸まって。
もうダメだ、と思った。
レンは嗚咽を漏らす。歯を食いしばって、それでもとどまることなく、ドロドロとした何かで詰まった心の軋みが口から出てくる。
もう二度と、立てる気がしなかった。
奴隷少女は、何も言わない。
ただただ困ったように、自分の足元でうずくまったレンに視線を落とす。
レンは泣き続ける。いつかの錬金術師の青年のような、心の澱を吐き出す前向きな涙ではない。ひたすらに、自責の念と嫌悪が心を巡る。収まりのつかない何かがまとわりつく。こびりついて落とせない何かが十重二十重になってレンの全身を覆う。
「……」
ことり、と何かが地面に置かれる音がした。
レンは反応しなかった。ただただ死にたかった。死にたくなかった。生きていたかった。なぜ生きているのかわからなかった。自己嫌悪が生き死になんて大層な極論にたどり着いて、ぐるぐる回って行き詰っていた。
そんなレンの耳に、声が届いた。
「……あのね」
小さく、かすれたように聞こえるハスキーボイス。女の子の声にしては特徴的な低音で、耳にやさしく届く静かな声音。
一瞬、誰の声だかわからなかった。
次いで、気が付いた。
ここには、レンともう一人。貫頭衣を纏って首輪をつけた彼女しかいない。
けれども信じられなかった。
だって、彼女がそんなことをする理由はないのだ。
レンは、おそるおそる顔を上げる。
そんなわけないと思って、でももしかしたらと思って。
手を伸ばせば触れる距離に、一人の少女がいた。
青みがかった銀髪の、静かな口調が似合う美貌。艶やかな朱唇に、整ったあご先。プラカードを地面に置いてしゃがみこんだ彼女は、レンと目線の高さを合わせていた。
「……少しだけ、話をさせて?」
いまの彼女の表情を、なんと表せばいいのだろうか。
待機している時の楚々とした笑顔でも、全肯定の時の元気いっぱいの笑顔でも、全否定の時の嫌悪に満ちた表情でもない。話し方もそれらのどれとも違う。
そこにいる少女は、夜道で泣いている見知らぬ人を捨て置けずに話しかけて、戸惑いながらも言葉を選んで何とかしようとする、そんな普通の人の表情をしていた。
「……本当のことを言えばね。私は、あなたのこと……よく、わからない」
青みがかった短い銀髪を揺らし、透き通るような瞳で彼女は切り出す。
よくわからないという彼女の言葉は、当然だろう。
実のところ、レンと彼女に接点はほとんどないのだ。
「……私は、君を見ていないから。君を、知らないから。昔になにをして、いまどうしていて、将来、どうなりたいか。全部……そう。一つも、見ていない。君がどんな人か、実感できない」
レンのことを、彼女が詳しく知っているはずがない。
家族でも、友人でも、仲間でもないただの他人なのだ。彼女にとって、レンは今日が初めての客だ。たまになんか遠巻きに自分の商売を見聞きしている奴で、ようやく自分で金を払ったらぐちゃぐちゃの半生を語り始めて、果てにはうずくまって泣き始めた迷惑極まりない客だろう。
レンが彼女に、一方的に救いを求めただけなのだ。
そんな鬱陶しくってめんどくさいやつだというのに、彼女は真摯に語りかける。
「……だから本当はね。求められなければ、望まれなければ、なにも言わない方が……いいのかもしれない。対価のない言葉は、とても、軽いから。……きっと、あなたに届かない」
ゆっくりと、言葉をひとつひとつ選んで、声に出して。
慎重に厳選した想いを、レンに手渡すように語りかけて。
「……だって結局、人は他人のことなんて、わからないの」
届けられた真実は、あまりにも胸に苦しかった。
きゅうっと締め付けられるようにレンの心が圧迫されて、けれども彼女の言葉は無性に腑に落ちた。
その通りなのだ。
自分が他人のことをどんなに考えようが、聞き出そうが、観察しようが、彼らの本当を知ることなどできない。
いつも意地を張っているのかもしれないし、聞かされた話は誇張されているかもしれないし、嘘を吐かれることもあれば、隠し事だってされる。
自分から見た他人の姿なんて虚像で、すべてが自分勝手な想像でしかない。
「……なのに、人はいつだって、自分のことは見せつけられる」
まったくもってその通りだ。
人は他人に見せたいところだけ見せつけることができるのに、自分には本当のことばかり晒し出すのだ。
レンは知っている。自分の浅ましさを。愚かさを。妬み深さを。意地汚さを。無力さを。己の生涯で、己の内に置き続けている。
嘘をつこうとしても、必死に隠そうとしても、見栄えよく飾り立てようとしたって、本当のところ、誰もが自分の正体だけはわかっているのだ。
「……だって、君のことを一番見ているのは、君自身だもの」
自分が、なんてことない人間だって、自分自身で暴き続けている。
十七年。
大人は、たったの十七年というだろう。短い間じゃなにもわからんと笑い飛ばすに違いない。
でも、レンにとっては、その十七年がすべてだ。
「……自分は、嫌な自分を、いっぱい知ってる。見ないふりをしようとしても……自分は、自分のことを、わかってるから」
他人のことはわからない、自分のことはよくわかる。
自分の卑劣さを知っているのに、他人の高潔さが目にまぶしい。みんなみんな、うらやましく見える。
「……だから君は、いま君のことを、嫌いになっているのかもしれない」
どんなに気が付かないふりをしたって、目を背けたって。
いつだって自分の奥底にいる汚らしい気配を感じている。
どこにだって自分より優れた人がいる。一番先にいる人は輝いていて、自分のみすぼらしさがより一層引き立つ。
「……賢くなる度、やれることができる度、成長したと思った度に、知らされるの。自分は……まだ、なんにもできてないって」
頂点に立つ人の背中は遠すぎる。先駆者の歩みに追いつける気がしない。全力で走っているはずなのに、自分の苦しさばかりが募って前の人たちとの距離が縮まった気がしない。あまりの息苦しさに、立ち止まりたくなるのだ。
諦めれば、いいのかな。
そう思う。
言い訳だったらいくらでもある。才能の差を思い知った。女魔術師を傷つけた責任を取る。そもそも自分には向いていなかった。強い魔物と戦って怖くなった。
どれもこれも、諦めるに足る理由だ。
「……でも、それでも。人生には、あるの」
少女が、そっとレンの頬に手を寄せる。
濡れた頬を、こぼれる涙を、白い掌でぬぐって静かに告げる。
「……いつか、君が君のことを大好きになれる、そんな瞬間が。これだって思える、生まれてきた意味を知る日が……必ず、来る」
全肯定でもない。全否定でもない。
一人の少女が、彼女の人生で得た教訓。
「……だから、泣かないで。そこにたどり着いてから、初めて胸を張って言えるから」
レンの胸にはない言葉が、心を震わせた。
呆然と彼女を見つめ続けるレンに、少女は穏やかに微笑んだ。
「……これからが、自分の始まりだって」
自分の中にはない他人の言葉に、ここまで心が震えるということを、生まれて初めて知った。
彼女の心地よい声音に、やさしい仕草に、静かな笑顔に。
情けないことに、レンは笑顔を返せなかった。
「ぅ、ううう」
嗚咽が漏れる。とても、こらえきれない。レンはもう一度、泣き崩れてしまった。
ただ、今度は上を向いて。顔を上げて、隠さずに。先ほどまでの鬱屈とした泣き方ではなく、大きく口を開いて。
「ゔぁああああああああああああ!」
自分の澱を吐き出すために。どん詰まりでよどんだ心を洗い流すために。力いっぱい、押し流すように大声で、わめきたてるようにして叫んで泣いて、泣いて、泣いて、泣き叫んで。
腐った心が透明になるまで涙を流し続ける彼の頭を、一人の少女が髪をすくように優しく撫でる。
「あ゛ぁああああああぁあああぁあああ! ぅあああああああああああああ!」
「……」
いつまでも、いつまでも。
少年の声が尽きて涙が枯れるまで、少女は静かに寄り添って彼を慰めた。