第六話 人間の世界への旅立ち
地球人のお約束として、魔法はなかなか苦労しますね。
「ほんとにきみはセンスがないな。いっそすがすがしいくらいだよ」
アルテミス師匠が深くため息をついてそう言った。
「イメージを精霊に伝えれば、あとは精霊が勝手にやってくれるじゃないか。なんでわたしが指示したのと全然違った結果が出てくるのかな?」
「すみません……」
アルテミス師匠は、属性魔法担当の指導役だ。アンネロッテの魔法の指南役であり、王宮の魔法研究の責任者でもある重鎮だ。武のアンドロメダ、魔のアルテミスと並ぶと、まさに泣く子も黙る偉容なのだが、このふたりは対照的である。アンドロメダ師匠が底抜けに明るい脳筋で褒めて伸ばすタイプの師匠であるのに対して、アルテミス師匠は気むずかしく、指導もとことん厳しい。
属性魔法を学びはじめたのはつい二週間ほど前、ガルストンのところから戻ったすぐあとあたりからだ。それまでは魔法云々以前に魔力をどう操るかをたたき込まれてきたわけだが、すこしそれが形になったというところで、属性魔法の特訓が開始されたのである。
「こうパッとあの的が燃えかすになるイメージを浮かべるだろ? それをササッと精霊に伝えれば、こうドーンと消し炭になるじゃないか」
アルテミス師匠の言うところのセンスとはこれだ。どこの永久欠番背番号三番だっつうの。そもそも、精霊にイメージを伝えるところからしてやっとやっとなんだよ。こちとら、ついこないだまで魔法DTだったんだから。
いまの師匠のコメントで、ポイントは「燃えかすになるイメージ」だ。ファンタジー大国の日本で育ったぼくにとって、魔法の発動時のイメージを浮かべることは、易しいとは言わないまでも、わりとハードルが低い。だが、この世界の属性魔法は、発動を担当する精霊に、魔法の起動から収束までの流れを伝えなければならないのだ。
初歩の火属性魔法で言えば、炎が発生して対象をどう焼いてどう鎮まるか、という一連のプロセスを伝えなければならないのだが、これが難しい。魔法を放つ対象を、素材としてある程度理解していなければ、ゆっくり燃焼していくのか、一瞬で溶け落ちるのかといったことが正しくイメージが出来ず、魔法は正しく発動しない。
強力な炎で一瞬で燃えかす、というおおざっぱなイメージもアリだが、これは当然、それに見合う魔力が必要になるし、対象をどう限定するかが難しい。
「きみは基礎の基礎からやり直す必要があるな」
だから、その基礎の基礎をこのあいだまで知らなかったんだよ。最初にアンネロッテがド素人だと紹介してたじゃないかよ。まあ、そのアンネロッテ王女さまも、魔力補充役としてすぐそこにいるにもかかわらず、ノーコメントなんだけど。
「基礎から教えてくれてたんじゃないんですか、師匠?」
「屁理屈をこねるんじゃない!」
あ、ちょっと頬が赤くなった。適切な突っ込みはアルテミス師匠とのコミュニケーションとしてはアリだな。
赤面させた代償はわりと重く、けっこう師匠はネチネチとぼくの至らないところをあげつらい続けた。すると、突然アンネロッテが口を出してきた。
「アズマ、しばらく人間の世界に行ってきますか?」
「はい?」
「人間の世界にももちろん魔法はあります。アルテミスにとっての初歩レベルしか使えないものがほとんどですが、その程度のものであれば、手ほどきを記した書物もあります。アズマにはなじみやすいかもしれません」
おお、なんと建設的な提案。そう、そういう基礎課程が必要なんだよ。ひょっとして、助け船を出してくれたのかな? 1
「これからもアズマには人間と戦ってもらうことになるでしょう。この世界の人間がどのように生き、なにを考えているのか、知っておくのもいいかもしれませんしね」
ますます、まっとうなアイデアだ。さすが王族、人の上に立つ人はひと味違う。
「このままでは、ただの無駄メシ喰らいです。しばらくむこうで自活してきなさい」
それか! 本心はそれか!
「しかしアンネロッテ様、それでは中位以上の魔法の習得に支障が出るかと」
アルテミス師匠が難しい顔で異論を唱えた。師匠はなんだかんだいって面倒見はよく、責任感も強い人だと聞く。ぼくが思うように成長しないことに、すこし責任を感じているのかもしれない。だとしたら、申し訳ないな。
「そうですね。では、申し訳ありませんがアルテミスも同行してもらえますか?」
「はい、承知いたしました」
ふたつ返事? 口もとにわずかな笑み? ひょっとして、師匠は人間の街に行きたかっただけ? いや、まさかな。
「さっそく準備を」
言い終わるよりも姿を消すほうが早かった。やっぱり行きたかっただけかぁ!
「話は聞いた!」
どこの山さんだよ、アンドロメダ師匠。見ると、アンネロッテもため息をついて額を指でグリグリやっているぞ。
「アンドロメダも行くというのですか?」
「アズマの修行は道半ばだ。一日の怠惰は取り戻すのに三日かかる。わたしが同行してしっかりと鍛えてやろう」
すこしだけ頬が赤い。絶対に自分も行きたいと思っているだけだ。
「わかりました。すみませんが、ミステルも一緒に行ってもらえますか? この人たちだけではどうにも不安で……」
「わかりました」
そりゃそうだろうな。この世界に来て二ヶ月もたってない人間と、人間の街に行きたくてしょうがない最終兵器級の魔族ふたりだ。目付役として、ずっと人間の世界で生きてきたミステルは適役なのだ。しかし、一番槍と指南役ともと聖女とは、なんとも豪華な旅の仲間だが、そのわりに不安しか感じないのはなぜだろう?
「ただ、わたしもあちらを離れてだいぶたちます。信頼できるものを見つけましたら、あとを任せて戻って参りたいと思います」
これもまた、理解したくないが理解できる。アンネロッテ愛が高じて人間の世界を捨てたミステルだ。アンネロッテの側を離れることに比べたら、向こうへの未練などないに等しいだろう。
「そのあたりはあなたに任せます。アズマ、しっかり学んできてください」
「頑張ります」
アンネロッテはそのまま部屋を出て行った。すでにアンドロメダ師匠もいそいそと旅じたくをしにいっている。ミステルはぼくに向き直った。
「このあいだ言ったとおり、わたしの後輩を紹介してあげます。煮るなり焼くなり喰われるなり好きにしてください」
真の狙いはそれか! こえーよ。それに「喰われる」ってなんだよ!? 自分と同じ人間の世界に行くというのに、不安しかないこの状況はなんだ?
ぼくは旅支度などしようにも、自分の荷物がほとんどない。すこしの着替えだけを詰めて終わりだ。旅じたくを完璧にすませたふたりの師匠、すぐに帰る気まんまんで荷物も小さいミステルと合流し、ガルストンの領地につながる魔方陣に入った。
ガルストンの屋敷に出たら、そこから領地の境界を越えると、このあいだやり合ったブルネル伯爵領だ。国境管理がきっちり出来ている世界でもないから、この辺はユルユルだ。ぼくらは問題なく人間の世界に入った。こちらに来てから初めての人間の世界に、すこしだけ身震いがした。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!
召喚されて一~二ヶ月で修行の旅、というのはテンプレでしょうか。