第46章 深さと高さ
いろいろな多感な問題の後に起こった複雑な問題は、結局、一夫一婦制でなければ、平和や満足が得られるのだろうか、と時々クーパーウッドを悩ませた。ハンド夫人は自分の問題で立場が危うくなりヨーロッパに行っていたが、クーパーウッドに会いたくて戻ってきていた。セシリー・ハグエニンは、何度もクーパーウッドに手紙を書いて自分の変わらぬ愛情を保証した。フローレンス・コクランは、自分に対するクーパーウッドの関心が薄れ始めた後も、クーパーウッドに会い続けたというか、会おうとし続けた。また、アイリーンは、自分の問題が複雑になって全体的に悪化したせいで、最近酒を飲み始めた。身をゆだねておきながらアイリーンがその関係に全然本気でなかったためにリンドとの関係が破綻したことと、クーパーウッドが彼女の不義に対してとった態度が騎士道精神的だったので、アイリーンは、人間という動物が厳しい自己分析で自分自身を向かわせる、思い詰めた鬱状態に陥った。もっと感受性が強いか、もっと耐性が弱い者なら行き着く先は、自堕落か死ということさえある。幻想……唯一の現実……を信じる者に災いあれ、信じぬ者に災いあれ。一方には痛みを伴う幻滅があり、もう一方には後悔がある。
リンドが、同行を拒んだヨーロッパに発った後、アイリーンは彫刻家のワトソン・スキートという二人目の人物と付き合った。ほとんどの芸術家とは異なり、彼は大手の家具メーカーの社長の唯一の跡取りだったが、事業にかかわるのを拒んでいた。留学していたが、西部に芸術を広めようと思い立ち、シカゴに戻ってきた。大柄で金髪の体が柔らかい男で、アイリーンが好むある種の古風な気取らなさと素朴さがあった。出会ったのはリース・グリアーの家だった。リンドが出発した後アイリーンは、ほったらかしにされていると感じ、何よりも孤独をひどく恐れるようになり、スキートと親密になったが、大きな精神的満足は得られなかった。人を駆り立てるあの心の中の基準……すべての物事がそれによって測られることを求めるあの頭から離れない理想……は未だに優勢だった。そのもっといいものをぞくぞくしながら思い出した経験のない者がいるだろうか? それはどうやって今の夢の精神に忍び寄るのだろう! 虚ろな目が間に合わせの饗宴を悲しく冷ややかに眺めながら、亡霊のように宴席に立っている。クーパーウッドと「こんな生活を送っていたかもしれない」人生は、アイリーンがどこへ行こうが一緒について回った。かつては時々だったが、今はほとんど休まず喫煙した。かつてはワイン、カクテル、ブランデーソーダをほとんど口にしなかったが、今はブランデーソーダ、いや、むしろ「ハイボール」として知られ、それ自体の味とはほとんど関係のない強さを持つ新しいウイスキーのソーダ割りに手を出していた。確かに、飲酒は、結局のところ精神の状態であって食欲ではない。アイリーンは、リンドと喧嘩したときや、精神的に落ち込んだときに、こういう酒を飲むと何度となく、体がほてって杞憂ばかりで投げやりになることに気づいていた。もうそれほど悲しくはなかった。泣くことはあるかもしれないが、それは物静かで、雨に遭ったような、憂さ晴らしのようだった。悲しみは、不思議な心を引き付けられる夢の中の出来事のようだった。それがアイリーンを取り巻くようにして動いた。彼女と同じ実在するものではなく、遠くから傍観できる不幸のように動いた。(アイリーンは自分のことも一種の蜃気楼だか反転映像の中のものとして見ていたので)時によっては自分もそれらも、悩みはするが辛い苦痛ではない別の状態の存在に思えた。ボトルに入ったその昔ながらの秘薬がアイリーンをつかんで離さなかった。たまたま数回酔いつぶれると、それが慰めだか鎮静の働きをするのがわかった。ハイボールは気晴らしになることを身をもってアイリーンに示したのである。実際にそうなっているのだから、飲んで心と体の苦痛が和らぐのなら飲んだってかまわないのではないか? 悪い後遺症はないようだった。ウィスキーはほとんど水と同じくらいにまで薄められていた。自宅でひとりっきりのときは、酒が保管されている執事の食料庫に行き、自分で酒を準備するか、自分の部屋にサイフォンとボトルをのせたトレイを置いておくよう命じることが、今の習慣だった。クーパーウッドは、そこに存在するもののしつこさと、アイリーンが食事中に深酒をした事実を気にして、そのことに触れた。
「飲み過ぎていないよね、アイリーン?」ある晩、クーパーウッドがテーブルを飾る刺繍の模様を座ってじっと眺めていると、アイリーンがウィスキーの水割りのタンブラーを飲み干すのを見て尋ねた。
「ええ、飲み過ぎてないわよ」少し赤い顔の、ろれつが回らない状態で、いらだたしげに答えた。「何でそんなこと聞くのよ?」時間が経過して、顔の色つやが悪くなっているのではないだろうかと考えていた。今でも気になるのはそれだけだった……自分の美貌だけだった。
「だって、そのボトルをずっと部屋に置いているみたいだからね。限度を忘れてやしないかと思ってたんだ」
アイリーンはかなりピリピリしていたので、クーパーウッドはうまくあしらおうとしていた。
「だとしたら、何なのよ」アイリーンは不機嫌に答えた。「飲んだからって、別に何も変わらないわよ。他のことをするのもいいけど、飲むのもいいかもしれないわ」
こうやって相手にちょっかいを出すとアイリーンは一応気が済んだ。相手が尋ねるのは相手の関心が持続している証拠であり、それなりの価値があった。少なくともクーパーウッドはアイリーンにまったく関心がないわけではなかった。
「そういう言い方をしないでほしいな、アイリーン」クーパーウッドは答えた。「少しくらい飲んだからって別に反対しないよ。私が反対しようがしまいが、きみには関係ないだろうからね。でもこんなことを始めるには、きみは見た目がいいんだし、スタイルもしっかりしていてもったいないよ。きみにはそんなものは必要ない。たちまち悲惨なことになるぞ。きみの状況は大して悪くないんだ。まったく! きみみたいな境遇の女はいくらだっているんだ。きみが別れたがらない限り、私から見放したりしないよ。何度もそう言っただろう。残念だけど人は変わるんだ……私たちだって同じだよ。私は多少変わったと思う。だからといって、きみをボロボロにしていいわけじゃない。こんなことで自暴自棄にならないでほしい。長い目で見れば、意外とうまくいくかもしれないだろ」
クーパーウッドはただアイリーンを慰めるために話していた。
「ああ、ああ、ああ!」アイリーンは突然、体を揺さぶり始め、まるで心臓が張り裂けんばかりに、愚かな酔っぱらいのように泣き出した。クーパーウッドは立ち上がった。さすがに、ぞっとした。
「ああ、あたしの近くに来ないでよ!」それでいて妙に正気で、アイリーンは急に叫んだ。「あなたの魂胆はお見通しなんだから。あたしのことや、あたしの見た目が、さぞかし気がかりなんでしょ。あたしが飲もうが飲むまいが大きなお世話よ。自分が飲みたいと思えば飲むし、他のどんなことだって、やりたいと思えばやるわよ。これであたしの悩みがなくなるのに役立つなら、これはあたしの問題であって、あなたの問題じゃないでしょ」アイリーンはむきになってもういっぱいグラスを用意して飲んだ。
クーパーウッドはじっと悲しそうにアイリーンを見ながら首を振った。「残念だよ、アイリーン」彼は言った。「きみがどうしたらいいか、はっきりとはわからないけど、このままじゃいけないよ。ウイスキーじゃ何の解決にもならない。見た目だけじゃなく、きみ自身までみじめになるぞ」
「ああ、見た目なんていいでしょ!」アイリーンはぴしゃりと言った。「そのおかげで、いろんな目にあったわ」からみたいやら、やるせないやらで、アイリーンは立ち上がってテーブルを離れた。クーパーウッドはしばらくして後を追ったが、アイリーンが白粉を目と鼻にぬっているところを見ただけだった。ウィスキーと水が半分入ったグラスが、アイリーンの横の化粧台にあった。それを見て責任と無力を感じる変な気持ちになった。
ベレニスに寄せる想いの浮き沈みを考えていたところへ、アイリーンへの不安が入り込んだ。ベレニスはいわば非凡な娘で、ひとりの人間として確実に成長していた。うれしいことに、最近も数回会ったが、親しげに、親密といっていいほど十分に打ち解けて話しかけてくれた。決してお高くとまっているわけではなく、極めて知的というか、むしろ最高の芸術的センスを持つ、思慮深い理性的な人間だった。とても呑気に、高尚な孤独の世界に生きていて、ある時は一見穏やかな考えに包まれたかと思えば、またある時は上流社会の今の関心事に生き生きと参加していた。彼女はその社会の一部であり、そこが彼女に威厳を与えるように彼女もそこに威厳を与えていた。
六月下旬ある日曜日の朝、ポコノでのこと。クーパーウッドが数日休養しに東部に来たとき、カーター家のコテージがある高台は全てが静かで風通しがよかった。クーパーウッドが座って、自分の会社のうちの一社の会計資料に目を通しながら問題点を考えていたところ、ベレニスがベランダに現れた。今では二人とも以前より何だか心が通うようになっていた。ベレニスはクーパーウッドの前だと気楽で愛想のいい態度だった。むしろクーパーウッドのことは好きだった。鼻と目に皺を寄せて、口角に何とも言えない微笑みを浮かべながらベレニスは言った。「これから、小鳥を捕まえに行ってきます」
「えっ、何を?」クーパーウッドは顔を上げて、聞こえたが聞こえなかったふりをして尋ねた。彼はベレニスのどんな動きも見逃さなかった。ベレニスは、自分が活動している世界にぴったりの、ひだ飾りのあるモーニングガウンを着ていた。
「小鳥よ」ベレニスは頭をひょいと上げて答えた。「今は六月だから、スズメが雛に飛び方を教えているのよ」
それまで金融の投機のことで頭がいっぱいだったクーパーウッドは、妖精の杖が振られたように、小鳥や雛鳥や草原や天国のそよ風が、レンガや石や株や債券よりも重要な別の世界に移された。起き上がって、ベレニスの流れるような足取りを追って草むらを横切り、ハンノキの茂み近くまで行った。ベレニスはそこで、母スズメが雛を巣立ちさせようとしている様子を見ていた。ベレニスは二階の自分の部屋から、このささやかな外の社会を観察していた。ベレニスに気づかされたように、この素晴らしい生きようとする意志が、自分の周りで働いているとき、人生のこの大きな流れの中で自分の問題は何と取るに足りないものだろう、とクーパーウッドは、衝撃とともに、突然思い知らされた。見れば、ベレニスが両手を下に広げて、颯爽と優雅に走って、あちこちでかがみ、自分の前で雛を羽ばたかせていた。やがて突然すばやく手を伸ばし、振り返って、顔を輝かせて叫んだ。「ほら、捕まえたわ! この子ったら闘志満々ね! まあ、かわいい!」
ベレニスは自分の言う「この子」を手でそおっとつかんだ。親指と人差し指で頭を挟んで自由な方の手の人差し指でなでながら、笑ってキスをした。ベレニスを感動させていたのは、小鳥への愛情ではなく、生命と自分が織りなす芸術的効果だった。親鳥が近くの枝で取り乱して鳴いているのを聞きつけると、振り向いて声をかけた。「そんなに騒がないで! すぐにお返ししますから」
クーパーウッドは笑った……朝日を浴びて壮健だった。「親鳥を責めるのは酷でしょう」彼は言った。
「私がこの子を傷つけないことはちゃんとわかってるわよ」この言葉に間違いはなしと言わんばかりに、ベレニスは元気よく答えた。
「ほお、わかってるんですか?」クーパーウッドは尋ねた。「その根拠は何なんですか?」
「それが真実だからよ。我が子が本当に危険な状態にいるときって、親にはわかるんじゃない?」
「でもどうしてわかるんですか?」クーパーウッドはベレニスの理屈のこんがらがりそうなところに魅了されて興味を持って言った。すっかり彼を煙に巻いていた。クーパーウッドにはベレニスが何を考えているのかわからなかった。
ベレニスはただ冷静な灰青色の目でしばらくクーパーウッドを見つめた。「世界に感覚って、たったの五つしかないのかしら?」ベレニスは最高に魅力的に、責めるでもなく尋ねた。「確かにそれでちゃんとわかるのよね。親鳥にはわかるのよ」ベレニスは振り返り、今は平和が支配している木の方に優雅に手を振った。鳴き声はやんでいた。「私が猫じゃないってわかったのよ」
鼻と目尻と口に皺を寄せた、あの魅惑的で、馬鹿にした微笑みが再び浮かんだ。『猫』という言葉がベレニスの口の中で、鮮明に優しく響いた。力強く、軽快な力で、きちんと噛み切るように発せられたようだった。クーパーウッドは、自分が知る最も有能な人を調べるように、ベレニスを調べた。自分の魂の最大能力をあらゆる方向から支配することができて、支配しようとする女性がここにいるとクーパーウッドは認識した。ベレニスの関心を引くには、全力でかからねばならないだろう。ベレニスの目は、つかみどころがないだけでなく、とても率直で、とても親しみやすく、とても冷静で鋭かった。「私に興味を持たせたいのなら、興味深い人にならないと駄目よ」と目が言っているようだった。それに決して心からの友情を拒んではいないようだった。鼻に皺を寄せた微笑みもそれを語っていた。ステファニー・プラトーも、リタ・ソールバーグもこの域に達しなかった。エラ・ハビィ、フローレンス・コクラン、セシリー・ハグエニンを見るように見ることもできなかった。ロマンス、芸術、哲学、人生にひたむきな鉄の人がここにいた。他の人たちを扱ったように彼女を扱うことはできなかった。それに、ベレニスはクーパーウッドのことを少なからず本気で考えるようになり始めていた。クーパーウッドは非凡な人間にちがいなかった。母親はそう言ったし、新聞は連日彼の名前を取り上げて動向に注目していた。
少ししてから、ベレニス親子が出かけたサウサンプトンで彼らは再会した。クーパーウッドとベレニスは、グルネルという名の青年と一緒に、水浴びしに海に入った。すばらしい午後だった。
東と南と西には青い皺くちゃの床のような海が広がり、その左側、彼らの正面は、外側にカーブした薄茶色の美しい砂浜だった。青いシルクの水着と靴を身につけたベレニスを見ながら、クーパーウッドは過ぎていく人生を振り返って心を痛めた……若さはどのように訪れて、みずみずしいときがあって、老いていくのだろう。クーパーウッドは長年の闘いと経験を経てここまで来たというのに、鋭い思考力と豊かな感性を持つこの二十歳の娘は、世の中の大事な問題に彼と同じくらい精通していた。二人で論じられる問題があっても、クーパーウッドはベレニスに付け入る隙を見つけられなかった。ベレニスの知識と意見は、あくまで妥当な範囲で少し張ったりをきかせ気味だったが、しっかり身についた健全なものだった。グルネルは少し退屈だったので、ベレニスは彼を追い払い、充実した人柄に心酔しながらクーパーウッドに話しかけて楽しんだ。
「実は」このとき、ベレニスは打ち明けた。「時々、若い男性が退屈でたまらなくなるのよ。からっぽなんじゃないかしら。はっきり言っちゃうけど、若い人って靴とネクタイとソックスと杖を、何か想像を絶する方法でつないだだけの代物よ。今日のヴォーン・グルネルなんて、誰が見たって、歩き回るマネキンと同じだわ。あんなの杖をついて歩き回っているただの英国製のスーツよ」
「これはまた」クーパーウッドは言った。「手厳しいこと!」
「事実ですから」ベレニスは答えた。「ポロと、最新の泳ぎ方と、みんなの居場所と、誰が誰と結婚するんだ、以外のことは何も知らないのよ。それって退屈じゃない?」
ベレニスは頭を後ろに反らせて、まるで体の奥から退屈と空虚を煙にして吐き出すかのように息をした。
「彼にその話をしたんですか?」クーパーウッドは気になって尋ねた。
「ええ、言ってやったわ」
「どうりで深刻な顔をしているわけだ」クーパーウッドは振り返ってグルネルとカーター夫人を見ながら言った。二人は並んで折り畳み椅子に腰掛け、グルネルはつま先で砂を蹴っていた。「あなたは好奇心旺盛ですね、ベレニス」クーパーウッドは親しげに続けた。「とても率直だし、時々活気に満ちあふれている」
「あなたには及びません、聞いた限りですけど」ベレニスは視線をそらさずじっと見つめながら答えた。「いずれにしても、なぜ私が退屈な思いをしなくちゃいけないの? 向こうが退屈なのに。向こうはいつも私の後をついて回るんだけど、私は願い下げだわ」
ベレニスはひょいと頭を反らせ、「ついて来たらどう?」と言わんばかりにクーパーウッドの方を振り返って、もっとずっとひと気の少ない浜辺に向かって走り出した。クーパーウッドはやる気になって、かなり元気よく走り、浅瀬の近くで追いついた。そのあたりは沖が砂州になっているため、水は透き通って明るかった。
「ほら、見て!」クーパーウッドが近づくとベレニスは叫んだ。「魚よ! ほら!」
ベレニスは、イワシぐらいの大きさのヒメハヤが小さな群れで遊んでいて、日差しを浴びて銀色になっている数フィート沖まで突っ走った。鳥に向かって走ったように、魚を脅かして近くの窪んだところか、岸辺のもっと先の水たまりへ追いやろうと全力を尽くした。クーパーウッドは十歳の少年のようにはしゃいで、追い立てに加わった。元気に魚を追って、ひとつの群れを逃したが、少し先の別の群れを追い詰め、ベレニスに来るよう呼びかけた。
「まあ!」やがてベレニスが叫んだ。「いる、いる。ほら、はやく! こっちに追い立てて!」
髪は風に吹かれ、顔色は濃いピンク、目は対照的に鋼青色だった。ベレニスは水面を覆うように低くかがみ込んで、クーパーウッドも同じようにして、両手をいっぱいに広げていた。全部で五匹くらいの魚が二人の前で逃げようとおろおろと身をくねらせていた。片隅に一気に追い込もうとして、手を突っ込んだ。ベレニスが実際に一匹捕まえた。クーパーウッドはタッチの差で捕まえそこなったが、ベレニスが手で捕まえた魚は彼が追い込んだものだった。
「まあ」跳び上がって叫んだ。「すてき! 生きてるわ。私が捕まえたのよ」
ベレニスは飛び跳ねて踊った。クーパーウッドはベレニスの前にいたので、その魅力のせいで現実に戻った。自分の胸の内を明かしたい、彼女が自分にとってどれほどそそられるかを伝えたい衝動を感じた。
「あなただけだ」クーパーウッドはいったん話すのをやめて、その一言を特に強調した。「ここで私にとってすばらしいのはあなただけです」
ベレニスは伸ばした手に生きた魚を持ち、目で状況を分析しながら、しばらく相手を見た。クーパーウッドの見る限り、ベレニスはほんの一瞬、どう受け止めていいのかわからずにいた。これまでの多くの男性と同じだった。褒められるのはよくあることだった。しかし、これは違った。ベレニスは何も言わなかったが、「もうこれ以上は何も言わない方がいいと思います」と、はっきり伝える目でじっと見つめた。相手が理解して、緊張がとけて、ばつ悪がっているのに気がつくと、派手に鼻に皺を寄せて、言い添えた。「まるでおとぎの国ね。別世界からの声を聞いた気分です」クーパーウッドは理解した。彼女の場合、直接訴えるのは無理だった。しかし手はあった。友情がある。共感がある。それを彼も感じ、彼女も感じていた。女子校、因習、社会的立場を確立しなくてはならないこと、保守的な友人、他人の目……ここではすべてが働いていた。もしクーパーウッドが今、独身だったら、もっと違う気持ちで彼の話に耳を傾ける気になっただろう、とベレニスは内心思った。だって魅力的な人だから。こっちは……クーパーウッドは、もし相手が自分を受け入れるなら、喜んで結婚したい女性がここにいると結論を下した。




