第42章 守護者F・A・クーパーウッド
クーパーウッドがベレニスに再会したのは、この最初の出会いからしばらくしてだった。それからほんの数日の間だけ、カーター夫人が夏の別荘を構えていたポコノ山脈で過ごした。そこはストロウドバーグから三マイルほど離れた山ののどかな場所の、丘陵地が変な並び方をしている中にあり、カーター夫人がよく説明していたように、正面ベランダの心地いい奥まったところから、象とラクダが遠くを行進しているように見えた。こぶのような丘陵は、中には千八百フィートに及ぶものもあって、堂々とそびえ立ち、緑色をしていた。見下ろすと視界は一マイル以上開けていて、埃っぽい白い道がストロウドバーグへ下っていた。カーター夫人はルイビルで稼いだお金で庭師を雇い、ここにいる夏の数シーズンの間、傾斜した前庭の芝地に季節の花を植えさせた。すてきな馬と馬具を備えたこぎれいな軽二輪馬車があった。ロルフもベレニスも当時の最新型の乗り物を持っていた……ちょうどその頃旧式のハイ・ホイール自転車に取って代わったばかりのホイールの低い自転車だった。ベレニスには、クラシック音楽と歌のコレクションでいっぱいの譜面棚、ピアノ、愛読書の棚、画材、いろいろな運動用具、サンダルや髪留めも含めて、自分でデザインした数種類のギリシャ・ダンス用のチュニックがあった。彼女は働きもせず、考えごとばかりしている、官能的な人間で、近いようでまだずっと遠い上流社会の不思議な夢を見ていた。かと思えば、自分に訪れた社交のチャンスに大忙しだった。ベレニス・フレミングよりも抜かりなく打算的で、わがままな娘を見つけるのはさぞかし大変なことだろう。精神を調整して多少ごまかすことによって、社会的に正しい選択を行うことや、自分の本心や感情を隠すことがいかに必要かをはっきりと予見していた。しかし精神的には決して俗物ではなく必ずしも計算高くはなかった。自分と母親の人生で起こった数々の出来事が彼女を悩ませた……七歳から十一歳の幼い頃に母親と義父カーターとの間であった喧嘩、時々カーターの泥酔が振戦譫妄症寸前だったこと、あちこちへ引っ越したこと……あらゆる種類の惨めで気が滅入る出来事があった。ベレニスは多感な子供だった。いくつかは彼女の記憶に鮮烈に残った……例えば、一度、女家庭教師のいる前で義父がテーブルを蹴り飛ばし、倒れかけたランプを乱暴につかんで、窓から放り投げたのを見たことだ。こういう癇癪を起こしたときは、彼女自身も義父に投げられたが、そのときまわりの者たちの恐怖の叫びに答えて義父は叫んだ。「倒れたっていい! ガキは、骨の二、三本折ったって平気なんだ」これが義父に関する彼女の最も強烈な記憶だった。これは母親に対する評価をかなり下げてしまい、批判的になりがちなときは母親に同情心を抱かせた。本当の父親については、父親が母親と離婚したという事実しか知らなかった……まあ、母親の口からは言えなかった。本当に愛しているとは実感できなかったが、ベレニスは多くの点で母親のことが好きだった……カーター夫人は愚かすぎる時もあれば、控えめすぎる時もあった。このポコノもしくは、カーター夫人が付けた名称だと「森のほとり」の家は、独特なやり方で運営された。開いているのは六月から十月までだけだった。昔はその時期カーター夫人はルイビルへ戻ってしまい、ベレニスとロルフはそれぞれの学校に帰って行った。ロルフは陽気な、感じのいい青年だった。育ちがよく、温厚で、礼儀正しかったが、あまり頭脳明晰ではなかった。クーパーウッドが初めて会ったときに下したロルフへの人物評価は、普通の状況なら優秀な信頼できる、多分銀行の事務員になるだろうというものだった。それに反して最初の夫の子ベレニスは、エキゾチックな精神とオパールのような心の持ち主だった。ブルースター校の応接室で初めて会ってからというもの、クーパーウッドはこのうら若い人物の重要性を深く意識した。今ではすっかり女性のタイプや種類に慣れ親しんでいたので、例外的なタイプはひときわ鮮明に脳裏で目立った……馬の鑑定人にとっての非凡な馬のようなものだった。野心的な騎手が、どこかの大きな競走馬用の厩舎で、それらしい牝馬の中に将来ダービーの勝者になりそうな兆候や特徴を感じ取るように、クーパーウッドはブルースター校の静かな構内で、ベレニス・フレミングの中にニューポートの園遊会やロンドンの社交界の中心人物を予感した。なぜだろう? ベレニスには風格、品格、家柄、血統があった……これが理由だった。これまでは他のどの女性もそうではなかったが、ベレニスはこの点を激しくクーパーウッドに訴えかけた。
今、クーパーウッドがベレニスに会っている場所は「森のほとり」の芝生の上だった。ベレニスは庭師に高いポールを立てさせ、そこにテニスボールがひもで取り付けられた。ベレニスとロルフはテザーボールに夢中だった。カーター夫人へ電報を打った後、クーパーウッドはポコノの駅で出迎えられ、すぐに家まで連れて来られた。緑の丘陵はいい眺めだった。曲がりくねった黄色い上りの道路があり、茶色い板屋根の銀灰色のコテージが遠くに見えた。時刻は午後三時、太陽が沈んでいくにしては明るかった。
「今あそこにみんながいるわ」コテージから少し離れた道路沿いの低い岩棚の下から出るときに、カーター夫人は明るく微笑んで言った。ベレニスは軽快な駆け足で片側へ寄って、ひもでつながれたボールをラケットでたたいていた。「いつものように一生懸命だわ。二人ともやんちゃだこと!」
カーター夫人は満足した母親が見守るように二人を眺めた。クーパーウッドはこれこそ夫人の大きな功績だと思った。子供にかけた母親の願いが実現しなかったらひど過ぎると考えていた。それでも、事によっては実現しないかもしれなかった。人生はとても厳しかった。このタイプの女性は何て奇妙なんだろうとクーパーウッド思った……思いやりがある愛情深い母親であると同時に、男性の悪癖の仲介役でもあるのだ。彼女にこういう子供たちがいるとは何とも奇妙だった。ベレニスは、白いスカートと、白いテニスシューズと、とてもゆったりして体に合う淡いクリーム色のシルクの胴着だかブラウスを着けていた。運動したせいで顔色がよかった……ピンクそのものだった……ほこりまみれの赤みがかった髪が風に吹かれていた。二人は生け垣の門を通って、家の側面の西側玄関に乗り付けたが、ベレニスは多忙でゲームを中断するどころか見向きもしなかった。
ベレニスにとってクーパーウッドは母親の友人に過ぎなかった。感覚が人並み外れて鮮明なクーパーウッドは、彼女が動くときの体のラインや、彼女がとった過ぎゆくほんの一瞬の姿勢が、すばらしい自然な魅力でいっぱいだと気がついた。カーター夫人にそう言ってやりたかったが自制した。
「活気のある試合ですね」クーパーウッドは楽しそうに見て言った。「あなたもおやりになるのでしょ?」
「そりゃ、しましたけど、もうそんなにやりません。たまにロルフかベヴィと一セットする程度ですが、二人とも私のことをこてんぱんにやっつけるんですよ」
「ベヴィ? ベヴィとはどなたですか?」
「ああ、ベレニスを詰めたのよ。ロルフが赤ん坊のころ、そう呼んでいたんです」
「ベヴィか! なかなかいい響きですね」
「私も、それが気に入ってます。何となくあの娘に合っていそうでしょ。どうしてかはわかりませんけど」
夕食の前にベレニスが現れた。入浴でさっぱりしたベレニスは、クーパーウッドにはひだ飾りだらけに見える軽いサマードレスに身を包んでいた。コルセットがないせいなのか、スタイルが一層優雅に見えた。しかし、顔と手は……顔は細長く、うわべだけ優しそうで、手は華奢なのに筋っぽく……クーパーウッドの心をつかんで離さなかった。ちょっぴりステファニーを思い出した。しかしこの娘の顎の方が、もっと堅固で繊細だったが、もっと攻撃的で丸みがあった。目も十分に鋭かったが、もっと抜け目なくて、はぐらかそうとするところが少なかった。
「またお会いしましたね」ベレニスがポーチに出て、だるそうに籐椅子に座り込むと、クーパーウッドは多少よそよそしい態度で言った。「前回お目にかかったときは、ニューヨークで大変でしたね」
「校則違反ね。さあ、忘れたわ。あんなの、大したことじゃないから。ねえ、ロルフ」ベレニスは何の気なしに肩ごしに声をかけた。「あなたのポケットナイフが芝生のところにあるわよ」
クーパーウッドはちゃんと自制して少し待った。「さっきの大勝負はどちらが勝ったんですか?」
「もちろん、私です。テザーボールはいつも私が勝つんです」
「ほお、あなたが勝つんですか?」クーパーウッドは言った。
「弟が相手ならですよ、もちろん。弟はとても下手ですから」ベレニスは西を向いた……家は南向きだった……ストロウドバーグから続く道をじっと見た。「あれはハリー・ケンプだわ」ベレニスはひとりごとを言った。「もしそうなら、あれば、私宛の手紙を持ってるわね」
ベレニスは再び起き上がって家の中に消えた。しばらくして姿を現し、百フィート以上離れた門までゆっくり散歩した。クーパーウッドにはベレニスが浮いているように見えた。とても元気で優雅だった。青いサージのコートを着て、白いズボンと白い靴をはいた洒落た若者が、座席の高い軽二輪馬車で立ち寄った。
「あなた宛の手紙が二通来てますよ」高い裏声のような声で青年が声をかけた。「あなたのことだから、八、九通はあると思ったんですがね。それにしても暑いですね?」青年は洒落てはいたがどこか軟弱だった。クーパーウッドはすぐロバに格下げした。ベレニスは魅力的な微笑みを浮かべて手紙を受け取った。脇目もふらずに手紙を読みながら、彼を素通りした。さっそく、中でベレニスの声がした。
「お母さん、ハガティ家が八月の最後の週に私のことを招待してくれたわ。タキシードを新調して行こうかしら。私、ベス・ハガティが好きなのよ」
「まあ、自分が決めないといけないことですよ、あなた。タリータウンかルーン湖にでも行くのかしら?」
「ルーン湖に決まってるわよ」ベレニスの声がした。
彼女は大した社交の世界に身を置いたものだ、クーパーウッドは思った。順調な滑り出しだ。ハガティ家はペンシルバニアの裕福な炭鉱経営者だ。おそらくベレニスが言っているハリス・ハガティの家は、少なくとも六百万から八百万の資産家だった。彼らが入った社交の世界は一流だった。
夕食後、サドラー通りのサドラーに出かけた。そこは、ダンスと「月明かりの散歩道」が名物だった。その間ずっとベレニスの態度がよそよそしいものだから、クーパーウッドは人生で初めて老いを実感した。心身ともに壮健でも、自分は五十二歳を過ぎていて、相手がまだ十七歳なのが絶えず身にしみた。なぜこの若さの誘惑は自分につきまとわなくてはならないのだろう? ベレニスはレースとシルクの白い混紡の服を着て、滑らかな若い両肩と、細い女王のような独特な形の首筋を見せていた。腕の滑らかなラインを見れば彼女がどのくらい力強いかは読み取れた。
「手遅れかもしれないな」クーパーウッドは自分に言い聞かせるように言った。「私は老境に差し掛かっている」
薄暗い夜の丘の若々しさが悲しく感じられた。
十時過ぎに到着したとき、サドラーは近隣の若者や美女で混んでいた。銀色と灰桃色のダンスの衣装で着飾ったカーター夫人は、クーパーウッドが自分と踊ってくれるだろうと期待した。踊りはしたが、その間中ずっとクーパーウッドの目はベレニスに釘づけだった。ベレニスは夜が更けるにつれ、こっちの若者あっちの伊達者につかまって、リズムにのってワルツやショティッシュの迷宮に連れて行かれた。陽気な駆け足のステップの新しいダンスが流行っていた……まず片足で蹴ってそれからもう片方の足を前に出す。ターンして後ずさりしてまた蹴って、パートナーと背中合わせになってかっこよくスイングする。しなやかにリズムにのったベレニスは、クーパーウッドには元気で上品な安らぎの魂に見えた……お祭り騒ぎの甘美な感情や何か遠くの楽しい夢の精神を伝える媒体としてのダンスそのものの精神以外は、誰のことも何も意識していなかった。クーパーウッドはすばらしいと思った。深い感銘を受けた。
「ベレニス」クーパーウッドと一緒に月明かりの下に座って、ニューヨークとケンタッキーの社交界の話をしているところに、休憩中の娘がやってきたので、カーター夫人は言った。「クーパーウッドさんのために一曲残してあるのかしら?」
クーパーウッドは一瞬怒って、私はもう踊りたくありませんと言った。内心では、カーター夫人の愚か者めと思った。
「確か」娘は気だるそうに言った。「私の方は埋まっているわ。でもどれかひとつ断れるかもしれない」
「どうぞ、お構いなく」クーパーウッドは言った。「もうダンスは結構ですから」
薄情な猫みたいな態度のせいで彼女を嫌いになりかけたが、なれなかった。
「まあ、ベヴィ、何て言い草ですか! 今夜の態度はとても失礼よ」
「どうか、どうか」クーパーウッドは必死に言い繕った。「お構いなく。もう踊る気はありませんから」
ベヴィは一瞬妙な目つきでクーパーウッドを見た……考え込むようにちらっと目を向けた。
「やっぱり踊ります」ベレニスは優しく言った。「ただ、じらしていただけですから。私と踊ってくれませんか?」
「これでは断れませんね」クーパーウッドは冷静に答えた。
「じゃあ次よ」ベレニスは答えた。
二人は踊ったが、クーパーウッドは最初のうち相手に優しくできなかった。とても怒っていた。どうしたのか、これまでのことがあるせいか、ぎくしゃくして見苦しいと感じた。ベレニスが相手だと自然にうまく接することができなかった……こんな小娘なのに。しかし後半が進むにつれて、ベレニスの踊ろうという気持ちがクーパーウッドの心をとらえた。クーパーウッドはさっきより気が楽になって、うまくリズムを取り戻した。ベレニスはクーパーウッドを近くへ引き寄せて不思議な一体感の中に連れ込んだ。
「きれいに踊るものですね」クーパーウッドは言った。
「大好きですから」ベレニスは答えた。ベレニスはすでに彼にふさわしい背丈だった。
ダンスはすぐ終わった。「氷があるところへ連れて行ってほしいわ」ベレニスはクーパーウッドに言った。
自分に対する彼女の態度に、よろこび半分と戸惑い半分を感じながら、クーパーウッドは案内した。
「私をじらして楽しいですか?」クーパーウッドは尋ねた。
「疲れただけです」ベレニスは答えた。「夜会って退屈だわ。本当やんなっちゃう。家にいればよかった」
「あなたがそう言うのなら帰りましょう」
氷のところにたどりつき、彼の手からひとつ受け取る間、ベレニスはさめたどんよりした青い目で相手を見ていた……素焼きのオランダタイルのように平板だった。
「許してほしいわ」ベレニスは言った。「私は失礼でした。自分ではどうすることもできなかったんです。私ったら自分のことしか考えなくって」
「失礼だとは思いませんでしたよ」クーパーウッドは大嘘をついて彼女に対する態度を一変させた。
「いえ、失礼でしたわ。許していただけるといいのですが。本当お許しください」
「では、そうしましょう……許すことがあったとしても微々たるものですよ」
ベレニスを連れ帰るのをあとにして、待ち構えていた青年に引き渡した。クーパーウッドは、ベレニスが踊るように遠ざかるのを見送り、結局、母親を馬車に案内した。帰り道、ベレニスは一緒ではなかった。他の誰かが連れ出していた。彼女はいつ来るのだろう、部屋はどこなのだろう、本当にすまなく思っているのだろうか、クーパーウッドは考えた……眠りにつくまで、頭はベレニス・フレミングと彼女の濃い青灰色の目のことでいっぱいだった。




