第5話 筋肉、両親と再会するっ!
森で巨熊たちと共に生活するようになって2度ほど季節が巡った。
こちらの世界にも日本のような四季があるらしく、2度冬を越したことを考えるに、私が森で暮らすようになって2年が過ぎたということだろうか?
いまでは奥歯も生え揃い、最近やっと筋肉をつくる上で欠かせないタンパク質も食べられるようになってきた。
乳離れするのに時間がかかった私は、弟妹(子熊)たちにずいぶんとひやかされたものだが……それもいまとなっては良い思い出である。
私を育ててくれた母熊はどうやらこの森の主らしく、その母熊の匂いがついた私は他の動物やモンスターに襲われることがなかったのは僥倖といえよう。
おかげで悠々自適に筋肉を育てることができたからだ。
子熊たちとじゃれ合い、時に狩りをしながら生物としての本能と野生の感、そして全身の筋肉を鍛え、そこらに転がっている巨木や岩石を持ち上げては足りない部位に負荷をかけた。
器具を使った均整の取れた筋肉もいいが、大自然のなかで自然と鍛え上げられていく筋肉もまた美しい。
いったいどっちを取るべきか?
そんな贅沢な悩みを抱えながら、私は2年もの歳月をただひたすらに筋肉を鍛えて過ごしていた。
だが、時折思い出してしまうのだ。
この世界での、本当の父と母のことを。
実の子と同じように育ててくれた母熊には深く感謝しているし、弟妹たちに負けないほど愛してもいる。
それでも、ふとした拍子に思い出してしまうのだ。
そしてどうしようもなく会いたくなってしまうのだ。
私は木に登り、ひとり夜空に輝く満月を見上げ、呟く。
「ばーぶー……」
子はいつか親の元を離れていく。
そんなのは当たり前のことである。
弟妹たちもずいぶんと大きくなった。
母元を離れる時がついにきたのかも知れない。
木から飛び降りた私は弟妹たちが眠る洞窟へと向かった。
『おい、お前たち起きてるか?』
『兄者……? どうしたんだこんな夜更けに?』
私はこの二年の間で、クマ語を完璧にマスターしていた。
まあ、人の身でありながら人の言葉より先にクマ語を覚えてしまったのは、皮肉な話ではあるが。
『お前たちに話があるんだ』
『なに兄さま? 話って』
弟妹たちは重そうな瞼を開けながら、私の方を向く。
昼間はさんざん私のトレーニングにつき合わせてしまったから、ひどく眠いのであろう。
『実はな……私は母上の元を離れようと思う』
『なんだって!? 本気か兄者!?』
『そんなっ!?》 兄さまはついこのあいだ乳離れできたばかりではありませぬか!?』
やっぱりというか、弟妹たちには反対された。
『すまん……もう決めたことなんだ』
『でも――でも兄者はこんなにも小さいじゃないか! 危険だ!!』
『そうですわ。それなのにお母さまの元を離れるだなんて……』
弟妹達はすでに体長20メートルほどにまで成長している。
一方の私は、まだ1メートルを超えたぐらいでしかない。
それが弟妹たちは心配でならないのだろう。
母元を離れた私が、小さな小さな私が、ひとりで生きていけるのか、と。
『私は大丈夫だ! 私の強さはお前たちが一番よく知っているだろう?』
『それは……そうだが……』
『兄さまの強さは存じております。でも――』
なおも食い下がってこようとする弟妹たちの言葉を片手をあげて制し、続ける。
『それに……だ。長兄が1番はじめに親離れするのは当然のことだろう? その時がきたってだけだよ』
『兄者……』
『兄さま……』
私は弟妹たちを抱き寄せ、優しく語りかける。。
『大丈夫だ。お前たちになにかあったらすぐに駆けつけるから。約束しよう』
『ぜ、絶対だぞ兄者!』
『約束ですよ、兄さま!』
そして私と弟妹たちは抱き合い、折り重なるようにして最後の夜を過ごしたのだった。
◇◆◇◆◇
そして翌日。
私は母上に親離れ宣言し、この森から去っていくことを告げた。
母上はただ一言、
『わかりました』
とだけ返してきたが、逞しい両肩が小刻みに震えているところを見ると、別れを惜しんでくれているのかもしれない。
『母上、私を育ててくれてありがとうございます』
『いつでも帰ってきなさい。どこへ行こうとも、この森はあなたの住処であり、わたしはあなたの母親なのですからね』
私は、母上に強く抱擁された。
きっと筋肉を鍛えていなかったら、内臓が口から飛び出ていたことだろう。
母上はそれだけ強く私を抱擁してきたのだ。
その巨体に、私の存在を刻みつけるかの如く。
『では……お世話になりました!』
『兄者――あにじゃー!!』
『兄さまお元気でー! わたくしのっ、わたくしのこと忘れないでくださいましね!!』
『強く生きるのですよ』
こうして家族に見送られた私は、親離れの第一歩を踏み出し、2年もの間私を育んでくれた森をあとにしたのだった。
次から次へと溢れ出てくる、涙を拭いながら。
◇◆◇◆◇
いったいどれだけ歩いたのだろうか?
食糧も水も現地調達しつつ歩き続けた私は、ついに森の切れ目へとやってきた。
遠くのほうに、川が流れているのが見える。
きっとあの川を辿っていけば、私が鷹にさらわれた丘へとぶつかるに違いない。
「ばーぶー」
私はまず川を目指して歩き川辺へと辿り着くと、そのまま川の流れに沿って歩きはじめた。
その道中、突如として川から大きなワニが出てきて襲い掛かってきたが、そのワニの顎の力を持ってしても私の筋肉には届かず、傷ひとつつけることもできやしなかった。
こちとらそんなヤワな鍛え方はしていないのだ。
そんなのは当たり前のことである。
私は襲い掛かってきたワニを逆に絞殺し、その血肉を己の筋肉の糧とした。
森で住むようになり、私は生肉もイケようになっていたのだ。
ワニ肉を存分に堪能した私は、再び歩き出す。
幾日も歩き続け、ついに丘へと着く。
その日の月が夜空の頂点へと達するころには、野生の感を頼りに懐かしい我が家の前へと辿り着いていた。
遅い時間だというのに1階の窓から僅かに明かりが漏れ出てているところを見ると、両親はまだ起きているのかも知れない。
私は逸る気持ちを抑えて家のドアを開けようとするが……あいにくと鍵がかかっていた。いまは深夜なのだ。
そんなのは当たり前のことである。
しかたなく私は家の外壁をよじ登り、2階の窓から侵入を試みた。
たしか2階の窓には鍵がついていなかったはずだ。
よく窓枠にぶら下がってチンニングしていたから憶えている。
「だーだー」
読み通り、2階の窓に鍵はかかっていなかった。
私はすぐさまその窓を押し開け、2年ぶりの帰宅に成功する。
だが、ここでひと息ついてはいけない。
なによりもまず親父殿と母殿に私自身の安否を知らせなくてならないからだ。
私は階段を降り、明かりがついていた居間の扉をそっと開く。
そこには――
「だ、誰っ!?」
ロッキングチェアに座る母ナンシーが、左右の手それぞれに赤子を抱いてお乳を与えているところであった。
よく見れば、その赤子たち(たぶん双子)は母によく似ている。
私は2年もの間行方知れずだったのだ。
であれば、私が死んだと思ってしまうのも仕方がないことかも知れない。
そしてその悲しみを埋めるために新しく子をつくることは、なんら不思議なことではない。
そんなのは当たり前のことである。
「ばーぶー……」
「え!? どこの子……えぇっ!? その筋肉……ま、まさか……マッスル。マッスルなのっ!?」
「ばーぶー!!」
「ああ! マッスル! こんなにも過剰なまでに逞しくなっちゃって!」
私は母殿の元に駆け寄り、その足にしがみつく。
あいにくと母上は両手が赤子(双子)たちでふさがっているため私を抱きしめられなかったが、それでも涙を流しながら私の帰還を喜んでくれた。
鷹に攫われ2年と少し。
私はやっと親父殿と母殿の元へ戻ってきたのだった。