第20話 筋肉、涙の再会っ!
『母上……お久しゅうございます』
『ああ……マッスル。よかっ……た。死ぬ前にまた貴方に会えました。マッスル……もっと近くにきてもらえますか。もう……母は体が動かないのです』
『はい』
そう返事をし、湖のような血だまりに横たわる母上のそばへと移動する。
弟妹(クマの方)たちと、弟妹(人間の方)たちチーム人間は、ただ静かに見守ってくれている。
『母上……』
『マッスル……うふふ。私の小さな巨人』
母上は体中に傷を負い、呼吸もずいぶんと浅いようだった。
『くっ、いったい誰が母上にこのような酷いことを?』
『とても……大きなドラゴンでした。私の何倍も大きなドラゴンが……ゴホッゴホッ……とつ、突然襲いかかってきたのです』
『大きなドラゴン? そのモノに母上は……』
『ええ。貴方の弟と妹はなかなか親離れができない甘えん坊でしたから……守るために、ね。すこ……少しだけ、む、無理をしてしまいました』
『母上……』
私は母上の前脚を持ち上げる。
『もう……すぐ、母は遠くに……くっ……た、旅立ちます。それまでマッスル、どうか私の手を離さないでくださ……い。あと……甘えん坊な弟と妹を、あ、貴方にお願いしてもいいですか?』
『無論です。ですが母上! まだ――まだ母上が死ぬには早すぎます!! 母上! あなたは強い! 生きることを諦めないでください!!』
『ふ、ふふ……無茶をい、言いますね』
こうして会話している間にも、穴ぼこだらけの母上の体からは血が、私の眼からは涙がとめどなく流れ出ている。
「マッスル、お母さんが回復魔法をかけてみるわ」
「母殿……」
母上(クマ)の凄惨な姿にいてもたってもいられなくなったのか、大神官でもある母殿(人間)が進み出る。
大神官は回復のエキスパート。
回復魔法を使わせたらぶっちぎりで人類1位なのが母殿(人間)なのだ。
「……頼みます」
「やってみるわ。マッスルを子に持つ母同士、子育ての苦労話もする前に逝かせるわけにはいきませんものね。癒しの光よ! 集え、命を救え!! ハァァァァァァッ!! オメガ・ヒールッ!!」
眩い光が母上(クマ)を包み込む。しかし、傷の治りが遅い。
そういえば授業で習ったことがある。
回復魔法とは、あくまでも『生者』の傷を癒すもの。
魔力が高い者ほど深い傷を治せる一方で、棺桶に両足突っ込んでいるような死者直前の、『魂』が離れかかっている相手には効き辛いそうなのだ。
母上(クマ)の傷は遅々として治らない。
つまりは……そういうことなのだろう。
「おばさま! あたしも手伝います! ハイ・ヒール!」
「わ、わたしもお手伝いします! ハイ・ヒール!!」
エリィとリアーナが上位の、母殿(人間)が最上級の回復魔法を母上(クマ)にかける。
回復職3人による、多重回復魔法。
しかし――
『もう……よいのですニンゲンたちよ。私は最期にマッスルに会えただけで……なにも思い残すことはありません』
母上(クマ)の傷は、一向に治らなかった。
魔力がAランクのエリィとリアーナ、SSSSSランクの母殿(人間)による回復魔法をもってしても、SSSSSSSSSSSSSSSSSSランクの母上(クマ)の傷を癒すことができなかったのだ。
これは、人類の敗北なのだろうか?
否。断じて否である。
目の前で母上(クマ)命の灯が消えようとしている。
それを、この私が赦すはずがない。
そんなのは当たり前のことである。
「母殿、エリィ、リアーナ、私が代わろう」
「マッスルくん……でもっ、でもマッスルくんは基礎のヒールしか使えないじゃないっ。いくらマッスルくんの魔力がSランクだっていっても……SSSSSランクのおばさまの回復魔法でも治らないんだよ? そんなの無茶だよぉ。だからここはあたしたちに任せて、ね? お願い」
エリィは頑なに代わろうとしなかった。
幼馴染の私にはわかる。
なにも、エリィは本心から言っているわけではないのだ。
私が使える唯一の回復魔法は、『ヒール(小)』。
回復魔法の基礎中の基礎でしかない。
そんな私が母上(クマ)にヒール(小)をかけ、治すこと叶わず、絶望と無力感に打ちひしがれることを恐れているのだ。
エリィは優しい子である。
だからこそ、母上(クマ)を救えなかった私が自分を攻めることがないよう、頑なに譲ろうとしないのだ。
「エリザベスちゃん、マッスルにも回復魔法をかけさせてあげて」
「おばさま……」
「……お願い。後悔させたくないの」
母殿(人間)がエリィを諭すように言う。
息子である私にはわかる。
母殿(人間)は、私がここでヒールをかけずに一生引きずることになる後悔を背負わせたくなかったのだ。
やらずに後悔するよりは、やって後悔したほうがいい。
そんなのは当たり前のことである。
エリィと母殿(人間)。
どちらも私を想うがゆえの、優しき言葉。
「わかりました……。マッスルくん、一緒に回復魔法をかけよ?」
かくて、折れたのはエリィだった。
「うむ」
私は決意を胸に、大きく頷く。
本日の私がエリィの言葉に退かなかったのは理由がある。
何故かというと、私にも私なりの勝算があったからだ。
回復魔法の効力は、行使する魔法の階位と術者の魔力によるところが大きいと云われている。
そんなのは当たり前のことである。
しかし私は、兼ねてから疑問に思っていたことがあるのだ。
それは――
回復魔法の効力は、術者の筋肉量に比例するのではないか?
この仮説をアレクサンドラ教師にぶつけてみたときは、それはそれはずいぶんと笑われたものである。
だが、私には確信があった。
常日頃から己の筋肉にヒールをかけ続けていた私には、確信があったのだ。
『兄者……』
『兄さま……』
「「兄さん……」」
「アームストロング君……」
「トレーナー……」
「マッスル……」
「シドの息子よ……」
「シドのとこの坊主……」
「シドの……後継者」
「やれやれ、頑固なのは父親譲りのようですね」
皆が見守るなか、私は母上(クマ)の体に触れ回復魔法を行使する。
「ヒール(小)」
『あら、元気になったみたい』
母上(クマ)は完全回復した。
◇◆◇◆◇
母上が回復したことにより、悲壮感が漂っていた空気は一掃された。
『母上、一時はどうなることかと思いました』
『貴方のお陰です。ありがとう、マッスル』
『なぁに、子として当然のことをしたまでですよ。お気になさらないでください、母上』
母上(クマ)と話していると、
「マッスル、お母さんにもうひとりのお母さまを紹介してもらえるかしら?」
母殿(人間)が遠慮がちに話しかけてきた。
「もちろんですよ母殿」
私は頷き、母上(クマ)と母殿(人間)の間に立ち、同時通訳をはじめた。
「はじめまして、幻獣のお母さま、マッスルの生みの母、ナンシーと申します」
『はじめましてニンゲンの母よ。マッスルを産んでくれて感謝しています』
母親同士による会話は、私の苦労話をメインに終始和やかに行われた。
ひとしきり談笑したあと、ずっと気にっていたのだろう。親父殿が母上(クマ)に疑問をぶつけた。
「なあ、深淵なる幻獣のおっかさんよ、あんたほどの幻獣がなんだって瀕死の重傷を負っていたんだ? ありゃどうみても何存在かにやられた傷だったぜ」
親父殿の疑問は、この場に全員(クマ除く)が感じていたようだ。
皆一様に私の言葉を待っていた。
「それなんですが、母上の話ではとても大きなドラゴンに襲われたそうです」
「ドラゴンだって!?」
親父殿が素っ頓狂な声をあげる。
「いくらなんでもそれはないだろ? だってエンシェントドラゴンだって『深淵なる幻獣』より小さくて弱っちいんだぞ? いったいどんなドラゴンにやられたってんだよ」
「やれやれ、仮にも勇者と呼ばれる貴方が気づきもしないとはねぇ」
大魔導士のポール氏が呆れたように言い、「ふぅー」とわざとらしくため息をつく。
「んだよポール? その顔はまた俺をバカにしてるな」
「馬鹿にもしますよ。このパーティでまともなのはナンシーとグレンぐらいで、あとは単細胞な脳筋ばかりですからねぇ」
「てっめぇ……ケンカ売ってんな?」
「よせシド。それにポールも口が過ぎるぞ」
「ジョニー、お前もバカにされてんだぞ」
「ん? オレは否定はせんぞ。戦闘が大好きだからな。それよりポール、『深淵なる幻獣』にああも深手を負わせた存在に心当たりがあるなら聞かせてもらえないか?」
「おおっ、そうだったそうだった。やいポール! さっさと教えろい!」
ジョニー氏の言葉で本題に立ち返った親父殿が、ポール氏に問い詰める。
「本当は皆知ってるはずですよ。その『存在』のことをね」
「「「「「「「「「「「?????」」」」」」」」」」」」
「はぁ……。誰もわからないのですか。やれやれ、さすがに呆れてしまいますね」
ポール氏はそう言ったあと、きりりと真剣な顔をし、ただ一言。
「破滅龍ですよ」
「「「「「「「「「「「な、なんだってぇーーーーーーーー!?」」」」」」」」」」」
全員が衝撃を受けた。
だが、それも当然といえるだろう。
なぜなら、『破滅龍』とは、お伽噺の中にしか出てこない神代のドラゴンの名だったからだ。
お伽噺で、『いつか世界を滅ぼす』といわれている破滅龍。
まさかそんなものが本当に実在するのだろうか?
「…………ポール、お前ふざけてんのか?」
「ふざけてなどいませんよ。シド、それに皆も。そういえば、あなた方には話したことがありませんでしたね。わたしは魔道の深奥を求め、始祖エルフの里へ行ったことがあります」
「マジッスか? 始祖エルフッスか?」
スティーブ氏が目を見開く。
「ええ。そこでわたしは原初のエルフにお会いしました。彼は――彼女でもありましたが。原初エルフの話によると、わたしたちがいるこの世界は少なくとも7度、滅んでいるそうです。原初エルフは、7回世界が滅びるのをその眼で見た、とおっしゃっていました。滅ぼしたのは……破滅龍だそうですよ」
「「「「「「「「「「「「…………」」」」」」」」」」」」
ポール氏の言葉に、皆黙り込む。
その時だった。
「トレーナー、煙の匂いがする」
不意に、ガガが私にそう言ってきた。
「ふむ? 煙であるか」
「うん。あっちから漂ってきてる」
ガガが指さし、この場にいる全員が顔をそちらに向ける。
「「「「「「「「「「「「ッ!?」」」」」」」」」」」」
森の遥か遠くで、黒煙が無数に天へと上がっているのが見えた。
それを見て、親父殿が声を震わす。
「あの方角は……魔属領だぞ。魔族の街が燃えてるっていうのか?」
「ねーねーシド、内乱っスかね? それとも魔王同士による戦争ッスか?」
「……スティーヴ、僕たち人間の王と違い、7人の魔王は大魔王フレディ・マーキュリアスに従っている。同族で争ったりはしない」
「えー? じゃあ、あの煙はなんなんス――」
スティーヴ氏の言葉は、そこで途切れた。
黒煙が登る空に、巨大なドラゴンがいたからだ。
『兄者! アイツだ!! あのドラゴンが母者に傷を負わせたんだ!!』
『兄さま! あのドラゴンですわ!!』
弟妹(クマ)たちが怒りを内包した声で叫ぶ。
この場所からドラゴンまでの距離は、夢のようにある。
それなのにあそこまで大きく見えるということ……。
ぶるりと、筋肉が震えた。
巨大なドラゴンはそのまま、東の方角へ飛び去っていった。
重苦しい空気が場を満たす。
「お伽噺の破滅龍が……実在したのか」
「やれやれ、どうやらそういうことのようですね」
絶望に沈む親父殿に、ポール氏が相槌を打つ。
「こうしちゃいられねぇ! みんな、王都へ戻るぞ! すぐ王様に知らせてやらねぇと……」
親父殿は生唾を飲み込み、次なる言葉を絞り出す。
「この世界が滅んじまう」
◇◆◇◆◇
皆の行動は早かった。
テキパキと支度を終え、王都へ戻ろうとしている。
「おっしゃ。準備できたな。マッスル、王都へ帰るぞ」
「……親父殿」
手を差し伸べてくる親父殿に、しかし私は首を振る。
「マッスル?」
「すみません親父殿。私にはまだやらねばならぬことがあるのです」
「あん? 『やらねばならぬこと』だって? それって――――ま、まさかお前、破滅龍のところへ行くつもりじゃないだろうな?」
「ふっ、バレてしまいましたか」
「…………本気か?」
「はい。母上の子の一人として、破滅龍なるモノにひと言もの申そうと思いまして」
「話が通じるドラゴンには見えなかったぜ。お前、死んじまうぞ」
「大丈夫です。私はなにも争いに行くわけではありません。破滅龍と対話したいだけなんです」
「……そうか」
私の意思が筋肉のように固いと察したのか、親父殿は「しょうがない息子だぜ」と笑った。
「マッスル、ならこれを持っていけ」
「これは?」
「これは神々が鍛えたと云われている、『勇者の盾』だ。きっとお前を守ってくれるだろう。ああ、せっかくだ。『勇者の鎧』も持っていけ」
「ありがたいのですが、私と親父殿では体格が違い過ぎて装備できないのでは?」
「安心しろ。これは神が創った武具だ。ほら、見てみろ」
親父殿から渡された鎧と盾が、なんと私サイズに大きくなる。
「すげぇだろ? 使用者に適した大きさになるんだ。なんなら、ついでに『勇者の剣』も持っていくか?」
「いえ、私は己が食する以外での殺生は好みません」
「そう言うと思ったよ。なら鎧と盾だけ持ってけ。ほら、鎧を装備するのははじめてだろ? 手伝ってやるよ」
「かたじけない」
親父殿から譲り受けた『勇者の鎧』を装備したところで、母殿(人間)とポール氏が私に近づいてきた。
「マッスル、必ず帰ってくるのですよ」
母殿(人間)はそう言い、『勇者の鎧』と『勇者の盾』に物理防御力大幅アップの補助魔法をかけてくれた。
「やれやれ、シドの息子はシド以上の大馬鹿者のようですね。せめてわたしがマジックシールドをかけてあげましょう」
ポール氏が呪文を詠唱し、『勇者の鎧』と『勇者の盾』に対魔法防御と全属性防御の魔法をかけた。
「マッスルくん! あたしも!」
「マッスルさん! わたしも!」
エリィとリアーナが駆け寄り、ふたりが覚えたての補助魔法を『勇者の鎧』と『勇者の盾』にかける。
「マッスルくん、絶対に帰ってきてね!」
「マッスルさん、わたし……待ってますから!」
「うむ」
エリィとリアーナと入れ替わるようにして、スーザン先輩とガガが私のそばにやってくる。
「ガガ、トレーナのこと信じてる」
「うむ」
「アームストロング君、あなたはわたくしの後を継ぎ、生徒会長になるべき傑物です。そのことを忘れてはいけませんわよ」
「承知した」
次はクマと人間の弟妹達と再会の約束をし、最後に母上に言葉を交わし、そして――
「では、いってくるのであるっ!」
「行ってこい。俺の息子――二代目勇者!」
私は、破滅龍がいる東へと向かうのだった。