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プロローグ

 死は、突然に訪れた。

 極度の減量による餓死。

 それが私の死因である。


 大会が近かった。

 なのに、私は減量が遅れていたのだ。


 筋肉を愛する全ての者たちが憧れる夢の舞台、“ミスター・オリンビア”。

 かつてアードルド・シュワルズスレッガーや“伝説”セルバヒオ・オリバが優勝した、この世界で最も有名なボディビル大会への切符を手にした私は、その重圧に耐えられず体重のコントロールが上手くいっていなかったのだ。


 ボディビルの世界は過酷である。

 鍛え上げた筋肉を維持したまま脂肪を極限まで削ぎ落さなければならない。


 ボディビルダーにとって脂肪とは無用の長物。

 そんなのは当たり前のことである。


 しかし一方で、脂肪とはいわば肉体にとっての予備燃料でもある。

 エネルギーを摂取できない緊急時に消費する、予備燃料なのだ。


 それをなくしてしまうとどうなるか?

 基礎代謝とトレーニングによるエネルギー代謝。


 そのふたつを食事で補えなくなった私はあっさりと死んでしまった。

 視界がぐるりと回って世界が暗転する。

 それが私が最後に見た光景だ。


 ではいまもこうして自意識を保っている私が、なぜ自分自身の死を認識しているのか?

 それは簡単なことだ。

 いま育て上げた肉体(筋肉)を失い意識だけの存在となった私の前に、背中から白い羽を生やした金髪の女人にょにんがいたからだ。

 しかもご丁寧に頭の上には光輝く輪っかまで乗っている。


 目のまえの女人は、尋ねるまでもなく天使であろう。

 そんなのは当たり前のことである。


「はじめまして! あたしは天使のルマエルっていいます! 『ルマ』って呼んでください。あっ、でも『エル』でもいいですよー」


 とにっこり笑って元気にあいさつをしてくる天使。その笑顔もマジ天使。


「ああ、はじめまして」


「えー……えっと、あなたは自己紹介してくれないんですか?」


「残念だが私にもう名など意味がない。筋肉を失ったボディビルダーに……存在価値などありはしないのだから……」


「え!? ちょっ、ちょっと、そんな気落ちしないで下さいよ! どう接したらいいかこまるじゃないですかぁー」


 ルマエルと名乗った天使が慌てはじめる。

 私の精神テンションが低いことに動揺しているのだろう。


「そうは言うがな、死んだばかりなのに明るい方がおかしいのではないかな?」


「うーん、言われてみればたしかにそうですね。……すみません」


「いいえ、お気になさらずに」


 私の言葉で彼女は肩を落としてうなだれてしまうが、すぐに気を取り直したのか、顔を上げて笑顔を向けてきた。

 その素敵な笑顔のおかげか、私の意識体が姿形を持ち人型へと変わる。


「ふっふっふ、実はですねー。そんなあなたにビックチャンス到来なのです!」


「……『ビックチャンス』? なにかねそれは?」


「ビックチャンス、それは……なななんとっ! いまあなただけ特別にっ! 異世界へ転生する権利が神より与えられたのです!!」


 彼女は目を輝かせながらこぶしをぎゅっと握りしめる。


「転生……って、“あの”?」


「そう! 『あの』転生です! しかも今ならもれなくお望みのすっごい(チート)能力がついてきますよ!!」


「チート能力って、いまネット小説界隈で人気の“アレ”のことだろうか?」


「おっ!? ご存じでしたかー。そうです! “ソレ”です!」


 トレーニングの合間にスマートフォンでネット小説を読む。

 私にとってはそれが最近のトレンドであった。

 ファンタジーな世界を冒険する主人公たちに刺激された私は、その受けた刺激をそのまま筋肉へとぶつけていたのだ。


「ふむ……」


 私は悩む。

 異世界転生。それは多くの者が憧れる夢のような世界である。

 しかし私が目指したミスター・オリンビアもまた、ボディビルダーにとって憧れの世界でもあるのだ。


「ルマエル……さん、だったかな?」


「ルマでいいですよー」


「そうか。ではルマさん、私をもう一度この世界……地球の人間として、出来ればまた日本人として転生させてはもらえないだろうか?」


「あー……そうきましたかー」


 ルマさんは頭をぼりぼりと掻き、人差し指を顎にあてて眉間にしわを寄せる。


「ごめんなさい。そうくるのはちょっとあたしの予想外でした」


「無理……なのかな?」


「いや、ムリってことはないんですけどー、日本人ってなると順番待ちになっちゃいますよ。だってほら、日本っていま出生率右肩下がりじゃないですかー」


 まさか天使の口から日本の出生率について語られるとは思いもしなかった。


「そ、そうか。なら他の国ではどうかな?」


「んー、すぐってなると出生率の高いアフリカとかですかねー。土着信仰とかいろいろあって天使としてはあんまりお勧めしませんけど」


「な、なるほど……アフリカか……それはちょっと、な。できれば先進国が……」


「ダメですよー、わがまま言っては。みなさん先進国を希望する方が多くて順番待ちになってるんですから」


 ルマさんの頬がぷくーと膨らむ。


「……つまり私の選択肢は異世界しかないわけか」


「異世界はお嫌いですか? 誰でも転生できるってわけでもないんですけどねー」


「ふむ、どういうことだね?」


「えっとですね、地球ってどんどんどんどん人間の数が増えていってるじゃないですか? あと何十年かしたら食糧危機になっちゃうぐらいに」


「うむ」


「それとは逆にですね、人間の数がすっごく少なくなっちゃった世界があるんですよ。まー、おっきな戦争で人口が減っちゃっただけなんですけどねー」


「ふむ。それで?」


 私は頷き、先を促す。


「それでですね、その世界の神さま――異世界の神さまですよ? 異世界の神さまから、『強い意思を持つ魂をスカウトしてきてほしい』って言われたんですよ。それであたしはあなたを異世界転生へのスカウトしにきたわけです! 体を鍛えまくってホントに死んじゃうほど自分を追いこめる、強い意志をもったあなたを!」


 なるほど。

 つまりは誰もかれもが流行の異世界転生できるわけではなく、選ばれた者のみが転生できるというわけか。

 異世界へと。

 私は深く考え、決心を固めた。


「……いいだろう。その異世界転生のオファーを受けよう!」


「え!? ほんとうですか?」


「ああ。本当だ」


「いやったー! いやー実を言うと困ってたんですよねー。転生先の赤ちゃんに合う魂がなかなか見つからなくて……」


「転生先の……魂? どういうことだ?」


「えっとですね、転生するにはどーしても外せない条件がひとつだけありまして。その条件とは、『魂が定着しなかった赤ん坊にしか転生できない』ってやつなんですよー」


「魂の定着? それがないとどうなるんだ?」


「生まれてもすぐに死んでしまいます」


 死産。

 その言葉が私の脳裏に浮ぶ。


「赤子を死なせないために別の魂を入れる、ということか?」


「んー、その解釈はちょっと違いますね。赤ちゃんにはもともと魂が存在しなかった。いうなれば空っぽの容器なんです。ですから『別』という言葉は適切ではないですね」


「では赤子の肉体を乗っ取るわけではない、ということか?」


「もちろんですよ。むしろ赤ちゃんのご両親を悲しませないためにも、是非とも転生してほしいぐらいです!」


 私が転生することで救える命がある。

 私が転生することで悲しむ者がいなくなる。

 なんとも素晴らしいことではないか。


「分かった。そういうことなら喜んで転生させてもらおう。いや、こちらからお願いしたいぐらいだ!」


「ありがとうございます!」


 ルマさんがぺこりと頭を下げ、慌てて私も「こちらこそ」と頭を下げた。

 そんなのは日本人として当たり前のことである。


「あなたの転生先の赤ちゃんの両親はすごいんですよー。二人とも国を救った英雄で、とくに父親なんかすっごく強くてかっこいいんです! まあ……その父親の血が強すぎたせいで赤ちゃんに魂が定着しなかったんですけどねー」


「つまりは精子が強すぎた、ということか。意気地のない卵子め」


「せっ、せい――って、ちょっ、ちょっと、急に変なこと言わないで下さいよ!! もうっ」


 顔を真っ赤にしたルマさんが私の言葉に狼狽えはじめる。

 案外おぼこい天使なのかも知れないな。

 まあ、かくいう私も筋肉を愛しすぎたせいで30歳にして未だ童貞ではあるが。


「じゃ、じゃあもう転生させちゃいますからね! あっ、そうだ!! 特別な(チート)能力をつけなきゃいけないんだった! えーっと、どんなのにしましょーか? おすすめはなんでもできちゃう〈天賦の才〉ですとか、物事を極める〈開眼〉とかですかねー。あー、それとも転生先の赤ちゃんはもともと強い魔力を持っているみたいですから〈大魔導士〉とか〈大神官〉とかにしておきます? あと最近だと相手の能力をコピーする〈ラーニング〉ってのもにんき――」


「そんなものは必要ない」


「ありますけど――――って、ええっ!? い、いまなんて言いました!?」


「そんな能力チートなどいらない、と言ったのだ」


「え!? ちょ、な、なんで、えぇ!? ど、どーしていらないんですか!? 特別なんですよ! と、く、べ、つ!! 転生者だけの――」


 驚いた顔をして興奮したように叫ぶルマさんの言葉を、私は片手を上げて制す。


「筋肉を鍛えられる肉体がある。私にはそれだけで十分だ」


「筋肉……って、そんなのっ、た、たったそれだけの理由で特別チートな能力をいらないっていうんですか!? どうしてっ!?」


「ふっ、そんなの決まっているではないか」


 私は優しく微笑み、言葉を続ける。


「私がボディビルダーだからだよ」


 その言葉を最後に私の意識は光に包まれ、何処かへと飛び立っていった。

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