珠、ひな祭りをする
3月4日 一部変更
寒さが和らぎだした今日この頃。
今日は桃の節句。そう、ひな祭りですよ!
本当は上巳の節句と言うらしいです。最初何のことかわからなかったのですが、雛人形を見て理解しました。
そう、屋敷の広間に豪華な雛人形が飾られたのです!
お馴染みの雛壇ではなく、小さな建物に雛人形が並んでいるのです。
これは春姉からの贈り物で、何でも嫁ぎ先であまりの素晴らしさに惚れ、妹たちにも見せたいと職人に作らせたとか。
春姉曰く、お公家さん家での女の子の遊び道具だそうです。
う?ひな祭り、関係ないのですか?
「じょうしのせっくに、にんぎょうであそぶの?」
「違いますよ。上巳の節句とは、穢れを形代に移し、子供が健康に育ちますようにと願うのです」
人形流しのような、流し雛のような…。同じことですかね?
そう言えば、去年も人形を流したような…。その時は忠兄もいたので、知らない行事だと思っていました。
…まぁ、小難しいことはいいのです。
大事なことは、お菓子がいっぱいあることです!!
草餅が、これでもかというくらい大量にあるのですが、食べきれますかね?
他にも、唐菓子が積み上がっています。
その中でも異彩を放っているのが、かりんとうです。
巾着の形をした揚げ菓子や、紐をねじった形のもあります。
どれも美味しそうですね。
珍しいお菓子は、家臣たちからの献上品だとのこと。
ありがたく、頂戴いたします。
気になるかりんとうは、のりりんからの物でした。
センスがいいですね。
惚れてしまいそうです。
砂糖はとても貴重品らしく、南蛮からの輸入だとかで、伝がないと手に入りません。
このかりんとうはどうやら大陸からのものっぽいです。
お菓子は姉妹で仲良くわけて食べます。
忠兄が羨ましがっていましたが、忠兄は元服したのでだめです!
甘酒かと思って飲んだものが、本当のお酒でした。ほんのちょびっとだけでしたよ?
桃の花をつけたお酒と言っていたので、春らしくはあるのですが、甘酒の方がよかったです。
このあとは、みんなで折り紙です。
人の形に折り、川に流すのです。
海が近いのに、川まで行くそうです。
人の形といえばやっこさんですが、男の子になってしまいます。
ようは人だとわかればいいのですよね?
正方形の紙を三角形に折ります。広げて、ついた線に合わせて折ります。はみ出ている部分も折ります。そうすると二等辺三角形になります。
とんがっている部分がはみ出るように折ります。今度は両側のはみ出ている部分を折ります。
最後にとんがっている部分を少しだけ折ると、十二単風の人形のできあがりです。
ついでに顔も描いておきましょう。
折り紙も意外と楽しいです。
手裏剣とかも折ってみますか。
折って折って折って、合わせて中に折り込む。
紙の色が同じだと、手裏剣って感じがしませんね。
次は船にしましょう。
帆があって、息を吹きかけると進むやつです。
これも折って折って折って、ちょこっと折って、返して折って。最後に折った部分を立てると完成です。
ふーっと息を吹きかけると、机の上で船が動きました。
我ながらいい物ができたと思います。
私が折り紙で遊んでいると、姉たちも人形を折り終わったようです。
今度は籠に押し込められました。
私と母上、葉姉と豊姉、空姉と崎姉の三台と護衛の人たちで出発です。
籠は外が見られないので嫌いです。
窓があるのに、開けてはいけないと言われています。
暇すぎるので、母上に膝枕をしてもらってお昼寝しています。
まだ午前中ですけど…。
到着したのは酒匂川というところらしいです。
寝ていたのでよくわからないのですが、河口が近いのかな?
時折、風に乗って潮の香りがします。
下流の方では、ちらほら人影が見えます。あの人たちも人形を流しに来ているのでしょうか?
人形に厄を移すのですが、私の人形を持った母上が、真剣な顔をしています。
「珠のじゃじゃ馬が治りますように」
母上、私はじゃじゃ馬ではありませんよ?お転婆と言うのですよ?
そして、私の頭を念入りに人形で擦られました。
ひょっとして、頭のおかしい子と思われているのでしょうか?
心外です。母上にそんな風に思われていたなんて…。
というか、私より葉姉にやってあげた方がいいのではないですか?
このままだと、次の嫁ぎ先が決まらないかもしれませんよ?
ようやく、人形を川に流します。笹舟に乗せてあるので、しばらくは沈まないと思います。できれば、海まで行ってもらいたいですね。
この人形と一緒に、悪いものも流すのです。
ついでなので、作った船も流します。
こちらには、家族がいつまでも元気でありますようにと願いを込めます。
さぁ、帰ってお菓子を食べましょう!
ひな祭りということで、私はちらし寿司を食べました!…もう、ひな祭りを楽しむ歳ではないのですが、つい(笑)
上巳の節句:宮中行事だったものが、室町時代のころより、民間に広まったと考えられているそうです。穢れを祓うといことで、人形を使い身を清めることが、農耕の前に豊作を願って神様を迎えるという民間行事と結びついた説があります。
雛人形:雛=小さい。平安時代の貴族の子供の玩具として流行し、室町時代には武家にも広まったらしい。
つまり、春姉が雛人形を送ったのがたまたま上巳の節句に重なっただけ…とうことで。
流し雛:上巳の節句に行われる宮中行事を真似て、貴族の女子がお酒の代わりに小さな人形を流したのが始まりという説がある。
これらのものが、時代と共に変化し、結びつき、現代のようなひな祭りとなったのが江戸中期とのこと。
補足:のりりん、覚えてますか?北条の家臣、松田憲秀です。