珠、兄の成人を祝う
今日はお祝いごとなのです!
藤王丸こと藤兄の元服の儀なのです!
儀式には参加できませんが、お屋敷で宴会をやるのですよ。北条一族と重臣たちが一堂に会します。
春姉と鈴姉からも、祝いの品が届いていて、早く中身が見たくて仕方ありません。
ついでに、私も五歳になりました!
元服の儀は、お城の近くにある神社で執り行われます。
松田大明神という神社では、日本武尊、素戔嗚尊を祀っており、武家からの信仰を集めています。また、穀物の女神も祀ってあることから、農民たちにも人気があるそうです。
午後になり、元服の儀に出ていた人たちが帰ってきました。
二の丸の広間で、お披露目式みたいなものをやります。
上座にはいつも通り、父上と政兄が座り、同列に藤兄が座っています。
あとは、官位や歳などで席順が決まっているようです。
女性陣は隅っこですよー。
なんだか悲しいですね。兄たちが遠いです。
「この度、無事に元服を終え、氏忠の名を授かりました。若輩者ではありますが、皆様のご指導、よろしくお願いいたしまする」
烏帽子を被った藤兄改め、忠兄が頭を下げます。
まだ幼さが残るものの、狩衣姿がよく似合っています。
父上や政兄の狩衣姿は何度か見たことありますが、男性陣全てが狩衣姿だと迫力があります。
やっぱり、政兄の格好よさは際立っていますね。
もちろん、照兄と邦兄も格好いいですよ!
忠兄の狩衣は緑のグラデーションと派手目です。紋も入っているようですが、何かはわかりません。袴は紺色っぽい気がします。
そして、やはり一番の違いは髪型でしょうか。
以前は前髪があったのに、髪を全て上げています。烏帽子の中は丁髷ですかね?
そういえば、月代は誰もしていませんね。ちょっと楽しみにしていたのに残念です。
「氏忠の元服の儀を執り行えたこと、嬉しく思う。今日は無礼講じゃ!皆、飲み明かそうぞ!」
「「「おぉぉーーー!!!」」」
いきなりテンションマックスですか。
びっくりしますよ!
私も加わりたいところですが、隣の母上が怖い顔をしております。
大人しくしておけってことですね。
仕方ないので、姉たちと大人しくご飯食べています。
上座近くの顔ぶれを見ると、じぃに照兄、邦兄、綱成叔父上とその嫡男らしき人。じぃのところの嫡男と次男、あと子供。
血の繋がりはあるのに、名前を知らない人がいっぱいいますね。初めて見る顔がほとんどな気がします。
私はいつまで大人しくしていればいいのでしょうか?
お腹いっぱいになったら、眠くなってしまうのです。お膳に顔を突っ込む前に、誰か救出してください。
周りの騒ぎなど何のその。睡魔には勝てないのです。うつらうつらと船を漕ぎ出した私を、葉姉が抱えて広間を出てくれました。
本格的に寝ていいってことですね。では、遠慮なく。
目を覚ますと、お屋敷の母上の部屋でした。
母上も戻ってきていて、文を書いています。
「ははうえ、ただにぃは?」
「起きたのですね。氏忠はまだ戻ってきませんよ。会えるのは…明日の昼すぎかしら?」
あれま。お外はもう真っ暗ですよ?
まだ飲んでいるのですか?
大人のお付き合いも大変そうです。
結局、忠兄に会えたたのは、夕方に近い時間でした。
二日酔いなのか、ふらふらしています。
二日酔いにはしじみの味噌汁がいいのですが、しじみってここら辺にあるかしら?
とりあえず、しんちゃんにお願いして、何でもいいので味噌汁を持ってきてもらうことにします。
しんちゃんはすぐに戻ってきたので、きっと台所では大量発生した二日酔いたちのために、あらかじめ用意していたのでしょう。しじみではなくあさりでしたが。
頭痛に苛まれている忠兄を引っ張り、春姉と鈴姉からの贈り物を開けさせました。
春姉からは、細工が見事な軍配でした。蝶々に似た形の扇で、中心に我が北条の家紋である三つ鱗が入り、朱色の地に金の細工が映えます。柄の先には緑色の紐があり、翡翠が繋がれています。
これ、実用性あるのですかね?
「きれいです!」
芸術品としては、凄いものだと思います。
「これを使う日が来るのもな…」
確かにそうですね。
軍配を使うということは、一軍の大将として戦場に立つということですから。機会がない方がいいのです。
鈴姉からは狩衣一式でした。
いくつか仕立ててあるとはいえ、これから使う場面も多々あるでしょうから、いくつあってもいいのです。
それに、この狩衣はもう少し大人になったら着てほしいのだと思います。
焦げ茶色に同色で渦巻きの地紋があり、紋は白の藤でしょうか?裏地は萌黄色で、若者向けとは思えません。
鈴姉は落ち着いた、渋い趣味の持ち主だったのですね。
「…似合うと思うか?」
「うーん、まさにぃくらいのとしになれば、ぴったりだとおもう!」
「そうか?」
忠兄は納得できないようですが、鈴姉からの贈り物なのです。ちゃんと着てくださいね!
補足:氏康は酒は朝に飲めと言っているので、本来は、武士として酔い潰れるような飲み方は許さなかったと思われます。