珠、置き土産をする
お腹を満たして、滝山城に戻りました。
髪がぼさぼさになった私を見た照兄に、何が起こったのかと問い詰められ、川に落ちたと白状したら怒られるという、散々な目にあいました。
でも、三田さんのことは褒めてくれたので、ひとまず戦は先送りにできるようです。
照兄の方でも、藤氏さんを探してくれるそうですが、ついでに石灰と漆を探してくれるとありがたいです。
さて、越後国の上杉さんか動かなければ、すぐに戦になるようなことはないということで、ささやかながら宴会を開くことになりました。
それでも、食べ物は無駄にできないので、いつものご飯にお酒がついたくらいです。
つまり、私にとっては普通の夕餉ということになります。
明日のお昼前には滝山城を出発するので、夕餉をさっさとすませて、千代ちゃんと遊びます。
遊ぶといっても、お乳を飲むところを観察したり、抱っこしてみたり、おしめを替えるのを手伝ったりするくらいですが。
「珠姫様、よければご一緒に寝ませんか?殿たちは放っておけば三更まで飲んでいるでしょうから」
比佐姉からお誘いを受けてしまいました。
三更って、そんな深夜まで飲んだら、明日は二日酔いになっていそうですね。
…だから昼前に出発なんでしょうか?
せっかくなので、比佐姉のお誘いを受けます。
「はい!ひさねぇといっしょに寝たいです」
比佐姉のお部屋に布団が二組用意されました。
千代ちゃんは残念ながら、隣りのお部屋で乳母と寝るそうです。
比佐姉に、普段の照兄がどんな様子なのかを聞いているうちに、寝落ちしてしまったようです。
起きたら朝でした。
「珠姫様、まだお早いですよ?」
比佐姉は早いと言いますが、お外はすでに明るいのです。
「起きます!」
身支度をしていた比佐姉ですが、私の身支度も手伝ってくれました。
比佐姉と一緒に、朝餉を軽くすませると、ようやく規兄たちが起きてきました。
こめかみを揉んでいることから、明らかに二日酔いですね。
次の日にお酒を残すと、父上に怒られますよ?
「早いな、珠」
「兄上たちがおそいのです!」
風魔衆は出発の準備を始めているのですよ?
「汁だけくれ」
控えていた女中に告げると、すぐにお味噌汁が運ばれてきました。
ずずずーっと豪快にお味噌汁をすする規兄です。
規兄が復活するまで、暇なのでお絵かきでもしますか。
何を描いたらいいですかね?
あ!いいこと思いつきました。
迷路を描いて、比佐姉やまさやんにやってもらいましょう!
四角く枠を描いて、入口と出口は開けておきますよ。
適当に線を描いて、それに合わせて道になるよう線を足して、行き止まりも作って…。
なんだか、迷路っぽくなってきました。
でも、これ、ちゃんと出口まで行けるのでしょうか?
ちょっと試しにやってみましょう!
鼻歌まじりに、作ったばかりの迷路を指でたどります。
一度も迷子にならずに出口まで行けてしまいました。
まぁ、初めて作ったから仕方ないですね。
よし!もう少し複雑にしてみましょう!!
試行錯誤して、満足のいくものができました。
早速、やってもらいましょう。
「まさやん!」
お屋敷のお庭で、まさやんとその部下さんたちが、稽古をしていました。
「朝からせいがでますね」
部下さんたちはうっすらと汗をかいているので、今しがた始めたということはないでしょう。
「出立の前に、酒を抜いておこうと思いまして」
規兄!まさやんを見習いなさい!
我が兄ながら、ちょっと無精すぎやしないですか?
「のりにぃにもみならってもらいたいです」
「氏規様はまだお若いですから、酒がそこまで残ることはないでしょう」
いやいや、先ほど二日酔いで歩くしかばねと化していましたよ。
「まさやんにこれをやってもらいたいのです!」
そう言って、力作の迷路を見せました。
「…何かの図柄のようですが?」
「この入口からここの出口まで、まいごにならないように行く遊びです」
「迷子にならないようにですか?」
私が試しに、最初の方だけ指でたどっていきます。
「なるほど」
理解してくれたのか、まさやんが軒先に腰かけて、迷路とにらめっこしています。
部下さんたちも興味を持ってくれたのか、失礼いたすと声をかけてから覗いています。
時折、まさやんは唸りながらも、一度も行き止まりにつまずくことなく出口まで行きました。
「すごいです!がんばってむずかしくしたのに」
「出口の場所がわかっているので、なんとかなりました。実際の地形でこんなものがあれば、無理でしょうな…」
自分の言葉に驚くまさやん。
どうしたのでしょう?
「ここに資長様がいらしたら、さぞ喜ばれたでしょうな」
すけなが様って誰ですか?
私はつい首を傾げてしまったので、まさやんが教えてくれました。
お城作りが上手な、まさやんの高祖父らしいです。
つまり、私の曾祖父ちゃんみたいに、凄い人だったのでしょう。
今は北条の城になっているものも、いくつかはそのすけながさんが作ったらしいです。
「もし、城がこように複雑になっていたら、どう思われますか?」
元々、お城は複雑ですよね?
小田原城でも、広すぎて迷子になりますし、政兄曰く、城下町を囲ってしまえば、全部がお城だって言ってました。
ただ、本丸に行くまでが、こんな迷路みたいだったら、敵さんは大変そうです。
「とても大変だと思います」
「そうです。ただでさえ、足軽たちは甲冑を着て動き回っていますし、これを掘で作られたら、考えただけでも頭が痛くなります」
そうして、まさやんはこの迷路を照兄に見せるべきだと言いました。
照兄も城作りには一家言あるそうです。
それも知りませんでした。
兄弟といえど、知らないことがたくさんありますね。
まさやんの勧めに従って、迷路を照兄に見せにいきます。
「てるにぃ、みてみて!すごいのできたの!」
まさやんにも褒められるくらいですので、出来に関しては問題ないはずです。
「これは?」
照兄にも迷路の説明をして、実際にやってもらいました。
しかしです。
照兄はすいすいと、一度も迷うことなくあっという間に出口まで行ってしまいました。
「うぅぅ」
「すまん、すまん。しかし、よくできていたぞ」
頭を撫でてくれましたが、それくらいでは誤魔化されませんよ!
「珠は本当に面白いことを考えつくな」
「まさやんはお城にこれを作れたらすごいって」
「城にか?」
照兄は何か考え込んでいますが、歩くしかばねがやってきました。
…まだ、お酒臭いですね。
「兄上、どうなされた?」
「いや、珠がまた面白いものを作ってな」
照兄が規兄に迷路を渡しました。
「なんだこれ?」
規兄、迷路をくるくるといろいろな方向に回していますが、ちゃんと入口と出口って書いてあるでしょ!
「こうして遊ぶの!」
迷路を奪い返し、遊び方を説明しました。
「…何が楽しいんだ?」
迷路の楽しさを理解できないですと!?
わかりました。規兄でも楽しめる要素を入れましょう!
迷路にさらに書き込みします。
ここの行き止まりには落とし穴です。
そして、こちらには爆弾にしておきましょう。
「では、のりにぃ。このわなにかからないよう、出口まで行ってみてください!」
「…お、おう」
私の勢いに押されつつも、規兄が迷路をたどっていきます。
照兄はすいすい行っていましたが、規兄は時たま指が止まります。
「こっちか?」
しかし、そちらに行くと行き止まりです。
「のりにぃは死にました」
「おい!!」
「だめです。ここはかやくでばーんってなるのです」
「火薬でって、焙烙玉が飛んでくるのかよ」
その焙烙玉というのは知りませんが、爆発でばーんってなるのです。
「もう一回だ」
死んだのが悔しいのか、もう一度入口から始めます。
何度かさまよい、また行き止まりになりました。
「今度は落とし穴で死にました!」
「落とし穴って…」
「氏規も、珠にかかれば形なしか」
規兄の情けない様子に、照兄が大笑いしています。
規兄に才能がないだけですよ。
「これを上手く城作りに用いれば、面白くなると思わないか?」
「まぁ、確かに。しかし、自分たちも使いづらくなりそうだが…」
…お家が迷路って考えると確かに使いづらいです。
「別の場所に作って、そこに追い込めばいいのです!」
「それもそうだな。罠だとわからないようにするのも、また腕の見せどころか」
照兄が楽しそうです。
「珠、楽しみにしていろ。この氏照が、凄い城を作ってやるからな」
照兄、お城の中に迷路を作るつもりですかね?
それは凄く楽しそうです!
「はい!楽しみに待ってます」
私たちが出発する前に、まさやんたちが帰っていきました。
まさやんは、いつでも岩付城に遊びきていいとまで言ってくれました。
絶対にまたわんこたちと遊ぶのです!
フリスビーも練習しておかないといけませんね。
まさやんたちが見えなくなるまでお見送りすると、次は私たちです。
規兄が、しず姉のお家までの道のりを教えてくれました。
峠を越え、当麻ところで一泊して、馬入川を下り、戸田というところまで行くそうです。そこから、波多野までひたすら歩くとか。
とりあえず、地名はまったくわかりませんが、また、山登りなのは確かですね…。
「氏規、珠、達者でな」
「おせわになりました。てるにぃも、ひさねぇに押しつけてばかりはだめですよ!」
お嫁さんの苦労を、少しは照兄も味わった方がいいのです。
「比佐ほどできた嫁はおらんよ。まぁ、頼りにしすぎているくらいはあるが…」
自覚があるなら、まぁいいでしょう。
そのできたお嫁さんを大切にしてください。
滝山城の面々に別れを告げると、お馬さんが甘えるようにすり寄ってきました。
「珠姫様に会えなかったので、寂しかったのでしょう」
たかじょーがそう教えてくれたので、お馬さんをたくさん撫でておきました!
「その馬に、名を付けないのか?」
「う?」
…名前ですか?
お城のお馬さんなので、すでに名前があると思うのですが?
「この子、お名前ないの?」
「珠の馬になるのだから、新たに付けてよいのだぞ?」
え?
改名しちゃうんですか!?
「主から名をもらう方が、馬も嬉しいと思います」
しんちゃんまでもがそう言ってきました。
しかし、本当に私のお馬さんにしちゃっていいんですかね?
「かってに決めて、父上におこられない?」
「父上もわかるだろう。馬自身が主を決めたのだからな。まぁ、母上には小言をもらうかもしれん」
うっ…。
やはり立ちはだかるのは母上ですか…。
「しかし、大御方様も武家の出でございます。きっと、わかってくださりますでしょう」
のりりんが慰めてくれましたが、母上、わかってくれるでしょうか?
また、じゃじゃ馬になるって反対されそうなんですが。
「じゃあ、小豆にします!」
毛の色もあんこみたいに黒っぽいですし、小豆って可愛いと思います。
「…この馬、雄だがいいのか?」
男の子でしたか。
しかし、お馬さん自体小さいので、可愛い名前の方が似合ってます。
「はい。小豆でいいかな?」
お馬さんが嫌だと言えば、別の名前にしますが…。
ヒーンと高い声で鳴いたので、名前に異論はないということですね!
「小豆で決まりだね」
小豆の首あたりを撫でてあげると、尻尾を豪快に振っています。
小豆もご機嫌なようです。
さて、まずは峠越えですね。
頑張りましょう!!
補足
三更:23時から翌1時くらいまでの深夜のこと。
焙烙玉:焙烙という土鍋の一種に火薬を詰め、導火線を用いた手榴弾のようなもの。
焙烙自体は様々な形があるが、急須に似たものを使用していたと思われる。
本来は「ほうらく」と言うが、関東のみ「ほうろく」と呼ぶらしい。
太田資長:法名の道灌の名で知られいるあの人です。
一番最初の江戸城を作ったことで有名で、河越城、岩付城など、たくさんのお城を建てています。
しかし、子孫の代になると、ことごとく北条にお城を奪われ、改築されてしまいます。