珠、三田さんと対峙する 二の巻
笛姫がいたおかげか、お外に出ても斬られることはありませんでした。
お外と言っても、縁側ですけど。
笛姫といっぱいシャボン玉を飛ばして、どちらが大きなシャボン玉を作れるか競ったりして遊びました。
私が遊んでいる間に、規兄たちは作戦を考えていたようです。
「珠姫様は懐が深いというか、型にはまらないというか。とにかく、凄いですな」
笛姫を見送ったあと部屋に戻ると、たかじょーにしみじみと言われました。
「我らが掌中の珠だ。当たり前だろう」
規兄が自慢気な様子ですが、どこに自慢する要素があったのですか?
「人の懐に飛び込んでいくのが珠姫様ですから」
のりりんまで…。
それ、褒めてますよね?
「でだな、珠。石けんはなくとも、しゃぼんの水がある。それを見せるのが一番早いと思うのだ」
そうでしょうね。
あ、水が入ったたらいを用意してもらわないといけませんね。
「笛姫にあげて、残り少ないとは思うが、すべて使うつもりだ」
「おだわらにかえればいっぱい作れるからいいですよ」
旅の間、私が遊ぶ用にと持ってきたものなので、規兄たちが一緒に遊んでくれれば問題ないのです。
「そうか。では、三田殿を説得しに行くか」
見張り役の人に、話し合いが終わったと告げると、再び先ほどの部屋に案内されました。
しかし、部屋にはまさやんしかいません。
三田さんはどこに行ったのでしょうか?
「太田殿、大丈夫でしたか?」
「えぇ。上杉様のもとへ戻らないのかと言われましたが、このまま北条で珠姫の行く末を見てみたいと答えました。三田殿は笑っておられましたが」
やはり、勧誘されたようです。
断ってくれてありがとうございます!
「三田殿も思うところがおありのようですし、珠姫次第ではよい方へいくかもしれませぬ」
そうだといいのですが…。
しばらくすると、三田さんが姿を現しました。
「話はまとまったか?」
さぁ!勝負ですよ!!
「みたさんは、さぼんというのをごぞんじですか?」
「さぼん?聞いたことはないな」
私は簡単にしか知らないので、説明はのりりんがしてくれます。
さぼんとは、南蛮渡来のもので、本来は洗濯など洗い物に使うのですが、貴重品なため薬として使う方が多いのだそうです。
便を出すための、下としても使えると言っていますが、初耳ですよ!
それ、食べてはいけないものを食べてしまっての、お腹ぴーぴーだと思うのは気のせいでしょうか?
「そのようなものが、どう関係あると?」
「珠姫様が、さぼんを作ることに成功しておられます」
「なんと!?」
お腹ぴーぴー疑惑に気を取られていたら、のりりんが何やら自慢気に話していました。
「さぼんは持ってきていないので、さぼんになる前のものをお見せいたします。水を張ったたらいを用意していただいても?」
三田さんは、すぐに側にいた人に持ってくるよう命令しました。
たらいが用意されると、私が実演します。
「シャボンえきと言います。これをかためると石けんになります」
「石けんとは?」
「さぼんのことです。さぼんを知らなかったので、石けんと名付けたのです」
本当は違いますが、さぼんの存在を知らなかったので、嘘ではないですよ。
手のひらにシャボン液を垂らし、少し水を足してから泡立てます。
シャボン玉用に調整してあるので、泡立ちは鈍いですが、白っぽい泡が出てきました。
「ごふじょうのあとに、こうして手をあらうと少しだけやまいになりにくくなります」
たらいの水で泡を落とし、次は手拭いを洗ってみせます。
「どろのよごれもきれいにできますよ」
そして、最後はやっぱりシャボン玉ですよね!
「このシャボンえきと石けんのちがいは、これです!」
お皿がなかったので、手のひらをお皿代わりにして、シャボン玉を作ります。
「…なんと儚く美しい…」
数秒で割れてしまったシャボン玉を見て、三田さんが呟きました。
「石けん二しょう分で、とらえたものをかえしてくれませんか?」
「其方は、これの価値を理解しておらぬのか?」
う?価値ですか??
作り方はわかっているので、大量生産はできなくても、いつでも作れますよ。
「珠姫は直感で動いている一面があるようですぞ。ご自身が面白いと思ったからやる、といった具合に」
まさやんが三田さんに言うと、なぜか三田さんが納得しています。
…仲直りでもしたんですかね?
「なるほどな。…わかった、捕らえた者を返そう」
…お、おぉぉぉ!!
なんかよくわかりませんが、すんなりといきましたよ!!
「して、珠姫よ。笛が其方と友になったと申しておったが、どういうつもりだ?」
えーっと、聞かれている意味がわからないのですが?
「どうもこうもないですよ?」
「儂の孫だと知って、懐柔しようとしたのではなかろうな?」
あぁ、そういうことですか。
笛姫のことを心配しているんですね。
「友だちに、親きょうだいはかんけいないのです。ただ、ふえひめと仲よくしたいだけです」
笛姫はどこか鈴姉に似ています。
お淑やかで楚々とした、私とは真逆ですが、一緒にいて楽しいのです。
笛姫のよいところを語ると、三田さんは深く頷きます。
「其方は人を見る目はあるようだな。笛と仲良くしてやってくれ。あの子があんな嬉しそうな顔を見せたのは、初めてだったんだ」
孫を褒められて嬉しくないお祖父ちゃんはいませんよね。
「はい!」
「孫に甘い儂を、愚かだと思うか?」
私は愚かだと思いませんが、この問いには規兄が反応しました。
「いや、目に入れても痛くないほど可愛がっている者の、喜ぶことをしてあげたいと思うのは当たり前のこと」
突然、規兄が熱く語り出しました。
駿府にいたゆえに、弟妹の成長を見られず、ようやく戻ってこれた今は、誰に憚ることなく可愛がれるのだと。
「貴殿も苦労しておられるのだな」
三田さん、そうじゃないんです!
規兄、駿府もある意味満喫していましたよ!!
ただの弟妹馬鹿です!!
「この先、我が身に何が起こるともわからんのであれば、今を大事にするしかないのでな」
頭が揺れるくらい強い力で、わしゃわしゃと撫でられます。
こういうところは、父上や照兄にそっくりです。
もう少し、女性の扱い方を覚えた方がいいですよ。
というか、政兄や邦兄を見習ってください。
「今を大事に…か」
私たちを見つめていた三田さんですが、何か思い悩んでいるような表情になりました。
「どうしたのですか?」
「……いや、確かに、この先はわからぬと思ってな。今や、戦の火種はどこにでも転がっておる。我らが一族とて、どうなるのかわからんのだよ」
そうですね。
特にここ関東一帯は、曾祖父様より以前からずっと戦をやっていると聞きました。
「そこでだ、儂から一つ、珠姫に頼みたいことがある」
凄く真剣なので、私も背筋を伸ばします。
…何を言われるのでしょうか?
「足利藤氏様を保護していただきたい」
………誰ですか?
「義氏義兄上の兄上だ」
規兄に教えてもらって、ようやく思い出しました!
鈴姉の旦那さんのお兄さんですね!
「しかし、なぜゆえに?」
「先の戦いで儂は上杉についた。山内上杉を継いだ政虎様は実にお強い方ではあった」
えーっと、政虎さんって誰ですかね?
とりあえず、上杉さんなら知ってますよ。
「だがな、政虎様は越後国におられる。いくつかの分家は其方らに滅ぼされたとはいえ、上杉は大きすぎる。いつまでも身内同士で足を引っ張っていては、先も知れてよう」
上杉さん、そんなにたくさん分家があるのですか!?
我が家の分家って…よくわかりませんが、北条を名乗るのを許されているのは、たかじょーのところと龍山じーちゃんのところくらいだったと思います。
「よしうじにぃの兄上をほごしたらどうするのですか?」
「簡単であろう。古河公方の足利一族が北条の内とあれば、儂は争う理由をなくす」
すみません、それぞれの勢力とか権力とかがよくわからないです。その藤氏さんがいれば、三田さんが仲間になってくれるということですか?
「つまりは、北条につくと?」
「公方あっての関東管領だ、と言いたいところではあるが。上杉は動くのが遅すぎた。政虎様でも、武田・北条と戦い、関東を平定するのは至難の業ではないか」
詳しいことは、あとで規兄に教えてもらいましょう。
武田信玄や上杉謙信なら知っていますが、彼らが何をやったかまでは知りません。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ならば……。
うーん、ここら辺もよくは知りませんでした。
でも、たぶん、知らなくても困らないのです!
「儂とて人の子よ。倅や孫たちの命は惜しい。一族を守るためにも、見極めねばならぬ」
怖い人かと思いましたが、家族思いの優しいお祖父ちゃんなんですね。
ならば、三田さんを味方にするために、いっちょ頑張りますか!!
「ふじうじさんほごしたら、三田さんはみかたになってくれますか?」
「珠姫が望むなら、其方の下についてもよいぞ?」
どういうことですか?
下って、私の家臣ってことですか!?
「三田殿、面白がっておられるな」
まさやんが呆れたふうに言いますが、三田さんもまさやんも笑っています。
やっぱり、仲直りしたんですね。
「老い先短いんじゃ、少しは羽目を外してもよかろうて」
とりあえず、捕らわれた風魔を返してもらえることになったので、第一の目的は達成しました。
第二の目的である戦を回避するためには、藤氏さんを見つけて、三田さんを味方にしないとだめってことですよね?
「ところで、そのふじうじさんはどこにいるのですか?」
「恐らくだが、里見か佐竹のもとへ身を寄せていると思われる」
先の戦い、つまり長尾景虎さんとの戦のときに、上杉軍と行動していたようですが、古河城を落とすことができずに敗退したそうです。
そして、長尾さんが帰ったあとは、反北条勢に匿ってもらっているのではないかと。
とりあえずは、風魔に探してもらいましょう。
藤氏さんが見つかるまで、三田さんは敵のままです。
離反を上杉に疑われると面倒臭いので、木の取り引きもできません。
また、味方になった際に、信用を失うような行動もできなくなりました。
木樵の職人さんを呼ぶのは、三田さんが味方になってからお願いするとしましょう。
さて、一旦滝山城に戻りますが、その前に、笛姫遊びましょう!!
三田さんの正体は……孫にはめっぽう弱いお爺ちゃんでした。
規兄は同類だと思ったんだな、きっと(笑)
補足
上杉政虎:上杉謙信さんですよ。長尾景虎だったのが、小田原遠征の際に、山内上杉の家督を継ぎ、改名しました。
珠はまだ知りません。
足利藤氏:鈴の旦那である義氏の兄。古河公方の正統な後継者と訴えるも、北条に敗れ行方不明中。
史実では、上杉の力を借りて古河御所を北条から取り戻し、古河公方に就任するも、上杉が越後に帰ると、すぐに北条が古河御所を攻め奪還する。
戦に負けた藤氏は、捕虜となり小田原を転々とするが、ある日を境に消息不明に。
一応、2年くらいは古河公方をやっていたにもかかわらず、現代では歴代公方から外された可哀想な人である。