資房、思い悩む
太田資房の視点です。
急に父上に呼び出されたと思ったら、北条の者が来ているので同席しろと言われた。
いつもはそんなこと言わないのに、どうしたのかと思えば、予想していなかった人物が来ていたためだった。
今川義元が討たれ、三河の松平と小田原の北条の息子らが戻ったという話は聞いていたが、その氏規殿が動いたか。
しかも、氏康様の重臣の松田憲秀殿と北条綱成殿を連れているということは、戦でも起こすのか?
氏規殿が氏照殿からの文を渡し、父上が目を通すと、僅かながら表情が険しくなった。
さすがに、北条側には変化が見られないか。
いや、幼な子がどうしていいのかわからず、視線をさまよわせている。
少し観察をしていると、落ち着きのない様子につい笑みがこぼれた。
幼な子はそれに気づき、愛らしい笑顔を見せてくれた。
ふむ。このような場にいながら雰囲気に飲まれぬとは、肝が据わっているのか、鈍いだけなのか。
「状況はわかりました。私に三田殿との繋ぎをして欲しいと、そういうことですね?」
読み終えた文を渡されたので、私も目を通す。
そこには、三田殿との戦を避けたいのと、間諜として放った忍びが捕らわれたので救出したいとあった。
そのために、三田殿と折衝をして欲しいと。
なかなか無茶なことを言う。
こちらとて、立場は微妙なのだ。
仕えていた主家が北条に滅ぼされ、北条の下ったとはいえ、向こうにしてみればいつ裏切るかわからない新参者だ。
そして、三田殿からしたら、主家は違えど、上杉家に連なる者からしたら我々は裏切り者だ。
「ですが、三田殿にとっては私は裏切り者です」
父上も同じことを思っていたのか、裏切り者と口にした。
「おおたさんは、わがほうじょうについて、こうかいはしておりませんか?」
先ほどの幼な子が口を挟んできた。
なるほど、後者の方であったか。
しかし、我が北条だと?
氏規殿が妹だと言う。
北条はこんな幼ない姫に旅をさせたというのか!?
そういえば、幼い弟や妹を異様に可愛がっているという噂があったが、まことであったか。
父上は姫様に疲れていないかと聞き、姫様は元気だと返事をした。
父上は言葉を選びつつも、太田家が北条家についたのは必要なことだったと答えた。
じい様の意志を継ぎたかったと言ったが、じい様が本当に望んでいたものを父上は大切にしていると思う。
そのことについては、父上は語らなかったが、姫様は気にしていないのか話を変えた。
「では、いっしょにくどきもんくを考えてください!」
そう言われ、ついまぬけな顔をしてしまった。
口説くって、三田殿をか!?
父上が姫様に問うが、命がないやもと言っても、姫様の決意は固かった。
姫として何不自由なく暮らし、よい家に嫁ぎ穏やかに生きることもできるであろうに、それをたかが忍びのために捨てると。
「彼らがえらんでくれたのです。父上でもなく、兄上でもなく、この珠を」
姫様がそう言うと、お付きの者たちが眩しいものを見るかのように目を細めた。
その目に宿るは誇りか。
氏規殿も姫様を愛おしげに見ておられる。
なるほどな。
こやつらは忍びで、その主人は姫様ってことか。
だが、忍びがこんな幼な子を主人と仰ぐとは、北条はいったいどうなっているのだ?
姫様の真っ直ぐな視線に、父上もどうやら折れたようだな。
明日、また話そうと、この場を締めようとしたときだった。
何匹もの犬の鳴き声がして、それに姫様が反応した。
訓練を兼ねた狩りから、犬たちが戻ってきたのだが、犬のこととなると父上は機嫌がよくなる。
今も、犬に興味を示した姫様へ、犬を自慢したくて仕方ないのだろう。
結局、姫様に犬を見せることになり、たくさんいる犬たちに姫様は目を輝かせた。
しかし、成犬であるこの子たちに姫様を近づけるわけにはいかない。
ここにいる犬たちは、戦でも使えるようにと人間を襲う訓練や伝令の訓練をしてある。
命令を聞くといっても、誤って襲うこともありうる。
「父上、子犬ならば姫様が触っても問題ないのでは?」
触れないことで気落ちした姫様のために、子犬を勧めてみる。
すでにある程度は成長しているし、遊び盛りの子犬たちだ。
遊んでくれる人間ならば、襲うこともないだろう。
父上はまだ犬を自慢し足りないという顔をしたが、姫様がさらに目を輝かせたので諦めたようだ。
私が案内するように言われ、姫様たちを子犬を飼っている場所へと連れていく。
子犬たちは外で遊べることが嬉しいのか、元気よく跳ね回る。
子犬たちの中でも、好奇心が強くてやんちゃな子犬が姫様に興味を示した。
姫様に触り方を教えると、すぐに仲良くなったので、子犬たちが好きなさらし投げを勧める。
姫様も子犬も、飽きることなくさらし投げをやり続けた。
ふむ。姫様とこの二匹の子犬は相性がいいのかもしれない。
ようやく子犬たちが飽きて、大人しくなったので、氏規殿のところまで送り届ける。
姫様とわかれたあと、父上の元へ向かう。
「いかがであった?」
「姫様は子犬たちと仲良く、さらし投げをしておりましたよ」
「左様か」
しばしの沈黙のあと、父上がとんでもないことを言い出した。
「資房、お主、北条の姫を娶れ」
「はぁ!?」
今まで、氏康様が婚姻を申し出下さっていたのを、私が一人前でないから、まだ早いなどと言って断っていたのに。
「まさか、珠姫様をですか?」
年の差を考えれば、それはないとわかりそうなものだが、余りにも驚いたためについ口に出てしまった。
「いや、珠姫は外に出さぬだろう。私であったら、あれだけの器を持つ娘を手放すなどせん」
「器…ですか?」
「どういうわけかはわからぬが、珠姫は忍び衆を配下においておられる。そうであろう?風魔小太郎殿」
最後は天井に向かい言い放つ父上。
すると、どこからともなく大きな人が現れた。
北条の一団の一人であることはわかったが、風魔だと!
「見つかってしまいましたか」
「わざと見つかるようにしておったのでは?」
父上の問いに、風魔は笑みで答えた。
わざとと言われても、私にはわからなかった。
「して、風魔は北条ではなく、珠姫についておるのだな?」
普段の父上とは違う、まるで戦場にいるような父上。
そんな殺気を放つ父上を前にしても、笑みを崩さない風魔。
元服し、初陣を経験しているとはいえ、私はまだまだ並び立つことはできないのだと感じた。
「えぇ。我々風魔の忠誠は珠姫様にございます」
やはり、そうであったか。
しかし、姫になぜ忍びが忠誠を誓うのだ?
「太田殿も感じられたのではないですか?珠姫様の真っ直ぐな眼差しを」
あぁ。確かに、感情を目で訴えているような、しっかりと目を合わせてしゃべっていたな。
「珠姫様は誰に対してもああなのです。身分に関係なく、凄いことは凄いと認め、人の心に寄り添える。主君を選べるとしたら、我々を使い捨てにした北条よりも、珠姫様につきたいと思うのは必然ではないでしょうか」
「…まさか、北条が選ぶことを許したとでも言うのか!?」
「新御屋形様がね」
新御屋形様ということは、氏政様か。
可愛がっている姫に旅させたり、忍びの家臣を許したり、北条の考えがわからんな。
「そうか。では、氏政様に北条の姫との婚姻を受けると伝えてくれ。こちらでも書状は出すが、早い方がよいだろう」
まだ娶ると返事をしていないのだが…。
政略結婚もやむなしと思ってはいたが、思ったよりも早かったな。
「承りましょう。ただし、こちらへ嫁がれる姫は、珠姫様にとっても大切な姉君です。姫様を泣かせるようなことがあれば、風魔が黙っていないことを肝に銘じておいてください」
どちらの姫と言わないということは、どちらの姫も大切にしろってことか。
しかし、珠姫のように元気すぎる姫というのも、扱いづらいだろう。
こうして、自分の結婚が自分の意思に関係なく決まってしまった。
そして、父上のとんでもない行動に頭を抱えることとなる。