珠、子犬と遊ぶ
息子さんに連れられてやってきたのは、犬たちから離れた建物でした。
この中に子犬がいるようです。
まだ、戸を開けていないにもかかわらず、きゃんきゃんという可愛らしい鳴き声が聞こえてきました。
ひょっとして、草履の足音で気づいたのでしょうか?
やっぱり、耳もいいのですね。
息子さんが戸を開けると、いっせいに飛び出してきました。
わんわんと元気よく鳴いて、息子さんにまとわりつきます。
六匹もいますね。
「餌の時間ではないぞ」
わかっているのか、いないのか。
子犬たちは息子さんが何も持っていないことがわかると、じゃれあいながら走り回りだしました。
本当に、力が有り余っている感じですね。
見慣れない私たちに興味を示した子が、おっかなびっくりな様子で近づいてきました。
えーっと、どうしたらいいのでしょう?
「姫様、ゆっくりと手を子犬の下から差し出してみてください」
言う通りに、そろーっと手を子犬に近づけます。
子犬は匂いを嗅いで、一拍置いて首を傾げました。
「手の動きがわかるように、子犬に見せながら頭を撫でるのです」
子犬を驚かせないように注意をしながら、手を子犬の頭に持っていきます。
子犬は目で手を追っていましたが、特に驚くこともなく、頭を撫でさせてくれました。
それで、遊んでくれると思ったのか、子犬は私に飛びかかると、顔を舐めたのです。
うぅぅ。くすぐったいのです。
「もう普通に触っても大丈夫です」
息子さんの許可が下りたので、子犬の毛をわしゃわしゃと撫でます。
ふわふわしてて、とても柔らかいですね!
すると、もう一匹が近寄ってきたので、先ほどと同じように手を差し出してみました。
この子は、軽く匂いを嗅いだあと、ぽんというふうに前脚を乗せてきました。
これは!お手ですね!!
「おりこうさんなのです」
たぶん、偶然だとは思いますが、お手をしてくれた子にも偉い偉いといっぱい撫でます。
「では、姫様。これを投げてあげてください」
そう言って渡されたのは、さらしを結んだものでした。
ひょっとして、棒とかの代わりですか?
投げて取ってこーい、みたいな?
子犬たちは、さらしがおもちゃだとわかっているのか、さらしに向かってぴょんぴょんと飛んできます。
「取っておいで!」
力いっぱい投げますが、それほど遠くまでは飛びません。
軽いものですし、私のか弱い力ではしょうがないですよね。
すぐに追いついて、一匹が口に咥えました。
そして、ぶんぶんと左右に振り回してから、私のところに戻ってきました。
…獲物にとどめを刺してってことでしょうか?
私が手を出すと、子犬は素直に口を離します。
尻尾をめいいっぱい振って、投げられるのを待っています。
今度は、上から投げるのではなく、下から投げてみました。
うん、こっちの方がまだ飛びますね。
二匹が駆け、同時に追いつくと、引っ張りあいっこになってしまいました。
前脚を突っ張って、うぅーと唸りながら力比べです。
お手をした子が勝ち、やはりぶんぶんと振り回してから、私のところに持ってきます。
これを、子犬たちが飽きるまでひたすら繰り返しました。
子犬たちよりも、私の方が先に疲れてしまったのです。
まだ遊び足りないようなので、しんちゃんに代わってもらいましょう。
さらしを渡して、しんちゃんにお願いします。
子犬たちが警戒するかなと思いましたが、遊んでくれる人なら誰でもいいみたいですね。
しんちゃんが投げると、さすがに私よりも遠くに飛びました。
子犬たちは一目散に駆けます。
戻ってくると、再び投げるの繰り返しです。
しばらくすると、ハッハッ息が上がってきたので、息子さんがお水を用意しました。
それに気づいた子犬たちは可愛い舌を覗かせて、凄い勢いで水を飲みます。
喉が潤うと、さらしのことは忘れたかのように、他の子犬たちと合流して、お昼寝を始めたのです。
「やっと落ち着きましたね。いかがでしたか?」
「とってもかわいいです!」
子犬たちの寝顔も、しっかりと堪能しておきます。
時折、脚を動かしたりするのは、夢の中でも遊び回っているからでしょうか?
しかし、その子が脚を動かすと、他の子に蹴りが入っていることになります。
それでも起きないというのも凄いですが。
「また、あそんでもいいですか?」
「もちろんです。子犬たちも喜びます」
よし。次の約束を取りつけました!
そういえば、いつまでこのお城にいられるのでしょうか?
規兄に確認しておかないといけませんね。
息子さんにお礼を言って、規兄のところまで案内してもらいました。
今日お泊りするお部屋は、ずいぶんと広いのです。
広いお部屋は、私と規兄で使うそうですが、隣りのお部屋をたかじょーたちが使うそうです。
しかし、風魔衆の五人は交代で私たちの警護をしなければならないそうです。
本来なら警護対は私だけですが、規兄たちはついでだと言っていました。
こたがですけど。
そう言ったあとに、こたこたに拳骨されていました。
ごちんといい音がしていたので、とっても痛かったと思います。
まぁ、自業自得というやつですね。
風魔衆が警護してくれるので、安心して寝れます。
そりゃもう、ぐっすりです。
規兄が呆れるくらい、よく寝ていたそうですよ。
朝餉をいただいたあと、息子さんが迎えにきてくれました。
今日は、三田さんを口説くための作戦会議です!
「父上、皆様をお連れいたしました」
昨日と同じお部屋に通され、すでに太田さんが待っていました。
「ゆっくりとお休みいただけましたかな?」
「はい!」
おかげで、元気いっぱいです!
「それはよかった」
太田さんが笑うと、目尻の皺がくしゃっとなって、なんだか恵比寿様みたいです。
さて、本題の三田さん攻略方法ですが、三田さんが指定してきた辛垣城は杣保と呼ばれる地域にあるそうです。
凄い山奥らしく、行くとなるとかなり大変みたいです。
うまく村までたどり着けないと、野宿の可能性もあるとか。
どうしてそんな辺鄙なところに…と思いましたが、どうやら木材搬出の拠点であり、多くの民が木樵や木材加工で生計を立てているようです。
確かに、木材は大切な資源ですからね。
その地を源氏時代より治めているとか。
源氏時代って、源頼朝さんとかの時代ですよね?
何百年も前ですよね?
そんな歴史があるお家だったら、我が家なんかぽっと出の新参者扱いですよね。
「そうすると、どうめいの方がいいのでしょうか?」
我が北条家も、いろいろと同盟を組んでいます。
小梅姉の実家でもある武田さんと、春姉が嫁いだ今川さんです。
あと、やっすんとも謎の同盟を組んでいましたっけ。
「ですが、同盟を組む利点がありません。三田氏が仕える上杉家は関東管領であります。なので、この関東を取り戻したいという思いは強いでしょう」
「…かんとうかんれい?」
聞きなれない言葉ですね。
「関東管領とは、お上の代理でもある公方様を補佐するお家のことだ」
規兄、教えてくれるのは嬉しいのですが、まったく意味がわかりません!
お上って、誰ですか!!
「京の都にはお上、つまり将軍様がおられる。だか、ここ関東と呼ばれる地域は京からは遠い」
将軍様ですか。
今の将軍様って誰なんでしょうか?
たぶん、足利なんちゃらさんだと思いますが……。
足利!?
「そのお上のけんりょくが、ここまで行きわたるように、そのくぼうという人がいるのですね!」
「そうだ。昔は鎌倉にいたので鎌倉公方と呼ばれていたそうだが、今は古河公方という。誰だかわかったか?」
私はあったことありませんが、一人だけ心当たりがあります。
「すずねぇのふくんです!」
夫君とは、夫の敬称らしいですよ。
兄弟の伴侶をどう呼べばいいのかと、苗姉に聞いたら教えてくれました。
照兄や邦兄のお嫁さんや鈴姉やしず姉の旦那さんとは余り関わりがなかったからです。
すると、旦那さんは夫君、お嫁さんは細君とお呼びすればよいと。
「そうだ。今は小田原におられるが、当代の古河公方は足利義氏様だ」
「ただ、関東管領であった上杉憲政様は正統な後継ぎは藤氏様だと仰っており、それが幾度となく起こされた戦の原因でもあります」
そうだったのですか!
古河公方の跡目争いに巻き込まれていたのですね!
いや、関東を平定するにあたり、古河公方の権力が必要だから、進んで後ろ盾になったのかもしれません。
父上、そういうところはちゃっかりしていそうですし。
しっかりではないですよ!ちゃっかりですよ!!
ということは、こちらが古河公方を抱えている限り、三田さんはいい顔をしないということですね。
それか、義氏兄上が正統な後継ぎであることを認めさせるか…。
これは難しそうですね。
長子相続ではないですが、やはり長男が嫡男というのが文化みたいなところもありますし。
「よしうじ兄上をみたさんにみとめてもらうか、よしうじ兄上の兄上をこちらにとりこむことができればよいのですが…」
「藤氏様をですか!?」
太田さんは何やら驚いているようですが、規兄は頭を抱えました。
「兄弟であらそうのはかなしいことです。どちらがくぼう様とやらになるにせよ、とりこんでしまえばほうじょうにそんはないと思うのです」
「いやいや、争い事の火種を抱え込むようなものだぞ」
う?まぁ、そういう見方もありますね。
「その、ふじうじさんって、どこにいるのでしょうか?」
「恐らくですが、佐竹氏か里見氏に匿ってもらっていると思われます」
…ということは、隠れているのですね。
ならば、探しましょう!
「こたこた、ふじうじさんのいばしょをさがしてくれる?」
「…御意」
こたこたは表情を変えませんでしたが、答えるまでに間がありましたね。
一応、保険みたいな感じなので、藤氏さんの居場所だけでいいのです。
「よしうじ兄上をみとめさせて、みたさんをこちらにとりこむ方が、まだかのうせいはありそうですよね?」
「難しいところです」
うぅぅ。
やはり、三田さんの嫡男を勧誘する方がいいですかね?
北条についた方がお得ですよーって。
でも、お得って何がお得なんでしょうか?
我が北条家のいいところと言えば、まずは兄弟仲がよいことです。
あと、父上が強い!
でも、強い武将はいっぱいいそうですね。
他は……。
もう、思いつきません。
どうしましょう。
これは困りましたね…。
補足
足利義氏:第五代古河公方。氏康にとっては甥であり、娘婿。
関東各地を転々とさせられていたらしいが、幼少期は小田原、元服してからは葛西城(葛飾区)や関宿城(千葉県野田市)いたと思われる。
作中では、ずっと小田原にいる模様。
春やしずといった年長組の娘たちが嫁ぎ、離れていってしまったため、融通の利く鈴だけは手元に置きたかったのかもしれない。
公方:室町時代に関東を統治するために作られた鎌倉府という機関の一番偉い人。
関東地方における、将軍の代理人。
当初は鎌倉にあったが、室町後期から古河(茨城県古河市)に移る。そのため、鎌倉公方と古河公方とわけられるようになり、総じて関東公方ということもある。
代々、足利家が当主となり、将軍の足利家とは別に、関東足利家とされることもある。
関東管領:設立当初は、公方の肩書きが関東管領であったが、いつの頃からか公方の補佐をする執事を示す言葉に変わっていった。
関東管領はほぼ上杉家が独占していたが、室町後期にはほとんど機能しておらず、上杉謙信を最後になくたった。
室町時代の関東では、この公方と関東管領が絡む戦が多かった模様。
杣保:そまのほ、またはそまほ。
現在の青梅地方の呼び名。羽村より西の多摩川上流一帯で、武州杣保青梅村など古文書にも記載があるらしい。