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珠、岩付城へ向かう

「氏規、珠を頼んだぞ」


照兄たちに見送られ、早速出発です。

今回は、せいちゃんとれんちゃんが先行して、残りのみんなは一緒に動きます。

なので、こたとこたこたも一緒です。


「そういえば、苗は元気にしておりますか?」


たかじょーが規兄に話しかけていました。

忘れていましたが、苗姉(なえねぇ)はたかじょーの妹でした。


「あぁ。珠とも仲良くやってくれている」


「はい!なえねぇとしょうぎをするのが楽しみなの」


苗姉とお勉強の日は、最後に一局打つのが習慣になっています。

いまだ勝てたことはありませんが、苗姉が言うには強くなっているそうなので、いつかは勝つのです。


「あいつは、珠姫様にまで…」


たかじょーはしっぶい顔をしています。

そういえば、苗姉が将棋は男性の遊びだと言っていましたっけ。

苗姉も意外とお転婆なのですね!


さて、お城をぐるりと半周すると、大きな川があります。

これを渡るのですが、結構深いみたいです。

私たちは船ですが、お馬さんはどうするのでしょうか?

渡しの準備を観察していると、いかだが現れました。

お馬さんはいかだで渡るそうです。

ちょっと面白そうだったので、私もいかだに乗りたいと言ったら、即座に却下されてしまいました。

うぅぅ、残念です。

お馬さんだけではなく、しんちゃんが一緒にいかだに乗るそうで、羨ましいです!


無事に渡り終えると、対岸の拝島(はいじま)という村は賑やかでした。

川があるとはいえ、この村は城下町なのですね。

賑やかな村を通りすぎ、本郷城までひたすら歩きます。

私はお馬さんに乗っているので、お尻の限界がくる前には着きたいものです。

照兄が整備しているおかげか、多くの旅人の姿があります。

珍しいですが、私のように幼い子供もいました。

目の前を歩く旅人は、大きな荷物を背負い、子供を連れての旅のようです。

それにしても、あの大きな荷物はなんでしょうかね?

薬売りとか、何か商売をしている人かもしれません。

私が前の旅人をじっと見ていたせいか、規兄がどうかしたのか?と聞いてきました。


「子どもがいるから、めずらしいなって」


「あぁ。恐らく、猿楽師だろう。幼いうちから師事するのはよくあることだ」


「さるがくし?」


初めて聞きました。

一体なんなのですか?


「猿楽師は、寺や神社で舞いや人形芝居など、見世物をする一座のことだ」


そんな面白そうなものがあったのですか!?

他にも、ものまねだったり、お寺や神社にまつわるお芝居とかもするそうです。

一座によって、得意なものがことなるため、中には旅をしながら見世物をやっている一座もあるそうです。


「私もみたい!」


「次にある祭りにでも呼んでもらうか」


秋になると、市井では豊穣を祝うお祭りがあります。

私は参加することができませんが、民たちがいろいろな食べ物をお城に持ってきてくれたりもします。

残念ながら、私たちが口にできるのはほんの少しですが、それでもお祭り気分を味わえるのは嬉しかったです。

毒味と称して、私の目の前でこたが饅頭を食べたときには、涙が出そうでしたけど。

あのときの恨み、まだ忘れていませんよ!


「かえったら、まさにぃにおねがいしてみる!」


最近、政兄(まさにぃ)へのお願いが増えているが、どうにかしてくれるでしょう。


なんだかんだと言って、おしゃべりしているとあっという間に時間が過ぎていきますね。

お昼にはまだ早い時間に、所澤村というところに到着しました。

拝島村よりも、さらに賑わっていています。

こんなにたくさんの人を見たのは、初めてではないでしょうか。

お馬さんに乗っていると目立ってしまうので、こたこたに抱っこされて、村を抜けます。

お馬さんに乗ったときよりも視点が高くて、ちょっとびっくりしました。

兄上たちよりも背の高いこたこたですが、改めて大きさを実感しましたよ。


所澤村を抜けてしばらくすると、お城が見えてきました。

本郷城です。

こちらも、ちょっとした高台に作られているので、お城がよく見えます。

今は、比佐姉の兄上、照兄にとっては義理の兄上に当たる人がお城を守っているそうです。

このお城も、川に沿うように作られています。

川はお堀の代わりなんですね。

その川に沿って進むと、すぐに別の川に突き当たりました。

沿ってきた川は柳瀬川(やなせがわ)というそうで、それに交わる川が東川(あずまがわ)です。

この東川の方を渡ると、風景が変わっていきました。

畑が多く見られていたのが、草ぼうぼうな、なんの手も入れられていない状態が続いています。

私の背丈くらいある草は、草と呼んでいいものですかね?

道も、所々に板が敷いてあったりと、なんだか不思議です。


「ここら一帯に畑がないのはなぜだと思いますか?」


案内役の照兄の家臣さんが質問してきました。

なぜなんでしょう?

川もあるので、水はたくさんありますよね。

平地なので、稲作には向いていると思うのですが。


「あ!鳥がたくさんいるから!」


先ほどから、たくさんの鳥が飛んでいます。

鳥に作物を食べられてしまうからですね!


「まぁ、鳥もたくさんいますが、川が氾濫すると、ここら一帯も被害にあってしまうからです」


確かに、川が多いなとは思っていましたが、そんなに被害にあうのですか!?


「それに、水気を含む土地のせいか、動物が多くいますので、猟師が多いというのもあります」


水気を含むってことは、湿地帯ということでしょうか?

まさか、底なし沼があるとかではないですよね?


家臣さんが言うには、季節によって獲物も変わるので、猟師には人気の場所なんだとか。

秋口になると飛んでくる鶴は、縁起物として高値で売れるらしいです。

鶴も食べちゃうのですね。

美味しいのでしょうか?


家臣さんにいろいろと教わりながら進んでいると、姫様と呼び止められました。


「あちらをご覧くだされ」


そう指差された方向には、念願の富士山が!!


「ふじ山!」


「ほぉ。これはこれで美しいな」


青空の中、富士山は雄大に佇んでいました。

てっぺんの方がうっすらと白いのは、まだ雪が残っているのでしょうか?

それとも雲ですかね?

富士山って、昔から富士山だったんですねぇ。

記憶にあるのと変わっていません。


「たまにだが、煙を上げることもあるんだぞ」


う?

富士山、噴火するのですか?


「ずっと昔には、火を噴いたらしいが、今ではまれに煙を出す程度だ。だが、煙を上げる富士山も畏怖を感じるほど美しい」


あぁ。規兄がいた駿府では、富士山が近かったと言っていました。

近くで見る富士山も、また別格なのでしょうね!

春姉(はるねぇ)のところに遊びにいけば、大きな富士山を見ることができますね。

ただ問題は、母上が許してくれるかですけど。


時折、富士山を眺めつつ、草ぼうぼうの中を行くと、陽が傾いて夕闇が迫りつつあります。

もう少しで、内川(うちかわ)の渡しに着くので、そこの旅籠で一泊することになりそうです。

夕日に染まる富士山も、とても綺麗でした。

旅のよい思い出になりますね。




疲れて早く寝たものの、起きたらすっかり陽が昇っていました。

寝坊した!と慌てて起きたら、岩付城まで二刻もかからないから、ゆっくり出発するそうです。

焦って損しました。


内川を渡り、またすぐ大きな川に出ました。

入間川(いるまがわ)というらしいです。

この川を渡ると、武蔵一宮(むさしいちのみや)と呼ばれている神社に続く、大きな道があるそうです。

入間川でも、お馬さんはいかだで運ばれました。

お馬さん、羨ましいです。


対岸に渡ると、今までで一番人がいっぱいいました。

お店だけでなく、屋台のようなものも出ています。

どこからともなく、香ばしい匂いがしたり、威勢のいい声が聞こえたりと、活気にあふれています。

これだけ人がいると、はぐれてしまうからということで、せいちゃんとれんちゃんも一緒に動くことになりました。


「すごいね!」


この賑わいが、道の沿って続いているのです。

神社に近づくほど人も増え、まるでお祭りのようです。

人混みの中を進んでいくと、店先で何かを焼いているお店がありました。

すっごくいい匂いがします。


「あれは何かな?」


「ん?あぁ、焼き田楽か」


田楽って聞いたことありますね。

お豆腐でしたっけ?

規兄が食ってみるか?と言ってくれたので、道の端っこで少し休憩することにしました。

規兄はひでりんとつぐりんを連れて、お店に買いにいきます。

その間は暇なので、たかじょーとのりりんにお仕事をしているときの父上と政兄の様子を聞いてみました。


「珠姫様の前では、大御屋形様も形無しですからな」


う?父上は怒ると怖いですよ!


「しかし、戦となると(まこと)に勇猛勇んで、我らも負けてはおれぬと戦場(いくさば)を駆け回ったものです」


若いころですよね?

お祖父様の跡を継いでからは、大人しくしていますよね?

総大将が戦場に出るなんて、ありえないですよ。


「民のことを思い、よき治世を敷こうとしておられるのも、やはり早雲様の御意志を引き継いでおられるからでしょう」


河越のときがどうとか、国府台のときはこうだったとか言っていますが、貴方たちは生まれてないと思いますが?

あ、自分の父上に聞いたのですね。


うーん、私の前の父上とは、だいぶ印象が違う気がします。

今度こっそり、お仕事中の父上を覗いてみますか。

政兄はまだまだ父上には及ばないものの、先が楽しみだとのりりんは言います。

二人が父上大好きなのは理解できました。

父上を追い越すのは、当分かかりそうですね。


二人の話を聞いていると、規兄たちが帰ってきました。

手には串に刺さった田楽と思われるものを持っています。


「まだ熱いから、火傷しないようにな」


串を受け取ると、お味噌のいい匂いがしました。

ふーふーと息を吹きかけてから、一口食べてみます。

焼いた豆腐の香ばしさと、ほのかな甘みと、ピリ辛なお味噌が相まって、とても美味しいです!

大きくかぶりつけないので、少しずつ食べていくと、徐々に口の中が熱くなってきました。

お味噌に唐辛子が入っているせいか、食べれば食べるほど、ヒリヒリしてきます。

半分ほど食べて、残りを規兄にあげました。


「珠には辛すぎたか?」


そう言ってお水をくれたので、ごくごくと飲み干してしまいました。

口の中が火事とは、このことですね。

辛いものは、大きくなるまで控えた方がよさそうです。


神社に参拝に行く人々の流れから出ると、だいぶ歩きやすくなりました。

あとは一刻もかからないそうです。


岩付城の近くまでくると、城下町の賑わいが戻ってきました。

緩やかな傾斜の道を行き、小田原にあるような外郭を発見しました。

門のところに人がいたので、規兄が声をかけました。


「小田原から来た北条氏規と申す。こちらに、大石氏照からの書状を預かっているゆえ、太田資正(おおたすけまさ)殿にお会いしたい」


婿養子に行っているので、照兄は大石さんなんですね。

なんか、違和感があります。


門にいた人が、伺って参りますと、別の人を城内に走らせていました。

しばらく待っていると、ご案内しますと別の人が出てきた。


「これはこれは宮城(みやぎ)殿、ご無沙汰しております」


照兄の家臣さんは知っているようです。


狩野(かのう)殿もおられるということは…」


「正真正銘、氏照様の弟君の氏規様でございます」


あれ?

ひょっとして、照兄の家臣の、狩野さんって偉い人だったります?

そして、こちらの人も太田さんの重臣だったりますかね?


なんだかよくわからないまま、あれよあれよと大手門まで連れてこられました。


「かのうさんってえらい人?」


「父が氏照様付きの家老でして、その縁もあり氏照様には目にかけていただいております」


北条家の家老衆の一族でしたか。

ですが、能力のないものを可愛がる照兄ではないので、たかじょーやのりりんのようにできる人なんだと思います。


さて、大手門の横にある小さな扉をくぐると、そこにはありえない光景が広がっていました。


「わぁ!きれい!!」


お城が湖の上に浮いているではありませんか!

その神秘的な光景がとても美しく、興奮してしまいます。

丸や曲輪(くるわ)が島のようでもあり、お堀という規模ではないですね。


「これは見事!」


私よりも、いろいろなお城を見たことのある規兄も褒めています。


「ありがたきに存じます。裏を流れる荒川から水を引き入れ、堀にすることによって守りを強めております」


川をお堀の代わりにするのではなく、お堀をより機能させるために川を利用したのですか。

凄いですねぇ。

三の丸を越えて、三の丸と二の丸の間に本丸があるという、変わった造りをしていました。

小田原城では、本丸に天守閣にあたる屋敷と私たちが住んでいる屋敷があります。

父上たちがお仕事しているのは、二の丸の屋敷です。

三の丸は二の丸を囲うようにしたコの字型だそうです。

岩付城では、三の丸のお屋敷がお仕事をする場所のようです。


目の前の立派な屋敷を見て、緊張してきました。

ここで太田さんから助力を得られなければ、三田さんの説得はできないかもしれません。

私にとっては、戦のようなものです。

いざ、参りましょう!


補足

作中の地名は、当時の漢字を使っています。


珠が渡った川:滝山城すぐは多摩川、本郷城すぐは柳瀬川(やなせがわ)東川(あずまがわ)

ここまでは現代でも同じ名前の川です。

内川(うちかわ)新河岸川(しんがしかわ)、入間川は荒川が現在の名前です。

この時代なので、荒川は元荒川、利根川は大落古利根川を流れています。


所澤村:現在の埼玉県所沢市。古くから、鎌倉街道があり、ルートはいくつも分岐しているもよう。戦国時代には、大きな道が二本あったとされ、脇道によって繋がっていたと推測されています。


本郷城(ほんごうじょう):滝の城の名前の方が有名かもしれません。所沢市にある、北条氏の支城。


猿楽師:戦国時代には、巫女舞、白拍子、猿楽師といった芸人が寺などに保護され始めた。

当時の芸人は身分が低く、女性は遊女のような扱いがあったらしい。

奈良時代から平安初期にかけては、喜劇的な要素の方が強かったが、平安中期以降は宗教的な要素を取り入れ、鎌倉時代には寺社との繋がりが強くなる。

座という芸能集団ができ、能や狂言への発展していく。

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