珠、初めてのお外 一の巻
さて、いよいよ出発の日です。
前夜には、母上から耳にたこができるほど、皆の手を煩わせず、大人しくしていることと言われましたよ。
規兄が全体の責任者となるようですが、たかじょーとのりりんという重臣と、お久しぶりのひでりんとつぐりんもいました。
風魔衆からは、しんちゃんとこたはもちろん、こたこたと初顔の二人がついてきてくれます。
陽が昇る前だというのに、父上と母上、兄姉全員に小梅姉と苗姉、よっしーたちも見送りに来てくれています。
「では、行ってまいります!」
みんなに別れを告げると、しんちゃんが私を持ち上げて、馬に乗せました。
馬は一頭しか連れていかず、立ち寄る先で交代させるそうです。
それに、安全対策として、大きな道を行くと言っていました。
そこら辺は規兄に任せているので、詳しくは知りません。
先頭は風魔衆の初顔二人です。
清志郎と蓮次郎というらしいです。
せいちゃんとれんちゃんですね。
彼らが、道中に危険がないかを調べ、そのあとを私たちが見失わない程度に離れてついて行きます。
そして、殿にはこたとこたこたです。
今の頭領と次代頭領の組み合わせですが、普通に兄弟に見えます。
まぁ、その方が自然に見えるので大丈夫でしょう。
こたこたとたかじょーの組み合わせとか、ただ者ではない感が出まくりで、怪しまれるに違いありません!
朝も早い時間なので、小田原の城下町も静かです。
朝餉の準備をしているところもあるのか、魚の焼けるいい匂いがします。
初めて見る城下町ですが、賑わいのない町は少し不気味ですね。
しばらくすると、大きな通りに出ました。
この通りには、旅装束の人たちがちらほらいましたよ。
「今日はこの道をずっと行くんだ」
「どこまでつづいているの?」
「三浦というところまでだな。そこから海を渡り上総国から常陸国まで続いているらしい」
教えてもらったのですが、地名がまったくわかりません!
とにかく、遠くまで続いているってことがわかればいいのです。
城下町を進んで行くと、土手のようなものを発見しました。
「のりにぃ、あれは?」
指で土手のようなものを差します。
「あれが小田原城を守る外郭だ。長尾景虎が侵入してきたところを、作り急いでいる」
へぇ。長尾さんはあそこら辺で、昼餉を食べていったのですか。
でも、お城からはちょっと離れていますね。
鉄砲でも届かないと思います。
その外郭の上には、木と竹でできた櫓がいっぱい建っています。
それにしても、こんなものを作ってしまう父上は、やっぱり凄いのです!
「父上もまさにぃもすごい!これがかんせいすれば、みんな安心してくらせるね!」
「あぁ。氏政兄上の代で、早雲様が目指していた民が平穏に暮らせる国造りが完成するかもな」
曾祖父様はもともと足利将軍に仕える一族だったらしいです。
家族関係で苦労したとも言っていたらしく、曾祖父様の父上からの命令に託けて、今川家に嫁いだ叔母さんを頼って駿河国に来たと、じぃが言っていました。
その後は、今川さんについて戦ったりして、お城をもらって領主にまで出世したのですが、当時の伊豆国は跡継ぎ争いで荒れていたらしいです。
結局、将軍家から討伐命令が出たとかで、曾祖父様が勝って、伊豆国も治めることになったのが、我が北条家の始まりだと、じぃが興奮気味に言っていました。
そのあとは、戦の話が続いたので、よく理解できなかったのですが、とにかく曾祖父様が領民思いの優しい人だということはわかりました。
それから、お祖父様が北条姓を名乗るようになり、お祖父様はどんどん勢力拡大していったのです。
じぃ曰く、お祖父様は清廉潔白でとても強い人らしいです。
お祖父様の素晴らしさを、それはもう力説していました。
やはり、北条の血筋なのですね。
そんなことを話しているうちに、城下町を出て、初めてのお外です!
別に何があるわけではありませんが、うっすらと白んじてくる空と、山々が黒く浮かび上がってくる光景は、まさに絶景と言えるものでした。
太陽が昇り、周囲も明るくなると、風景がよく見えるようになりました。
半刻余り、歩いたでしょうか?
目の前に、大きな川があります!
「あれが酒匂川だ」
酒匂川ですか…。聞いたことがありますね。
…あ!流し雛をやりに行く川ですね!
いつも籠に入れられて、景色を見ることができなかったので、気づきませんでした。
流し雛をするのは、もう少し上流の方で、この河口付近はまた違った景色をしています。
川岸に、人がいっぱいいて、肩車をして川に入っていく人もいますよ!
「珠はこのまま、馬に乗っていてくれ。信太郎、頼んだぞ」
「お任せを」
う?どういうことですかね?
というか、先頭を行くせいちゃんとれんちゃんは、ざぶざぶ川の中に入っていっています。
深いところは、大人の腰までありますよ!
規兄は近くにいた人に声をかけ、何やら注文をしてお金を渡しました。
すると、お金を受け取った人が、大きな声で人を集めたのです。
集まってきた人たちは、お神輿の土台のようなものを担いでいます。
あれは何でしょうか?
その一つに規兄が乗り、担いでいる人はそのまま川に入っていきます。
のりりん、ひでりんが続き、そのあとにしんちゃんが馬を引いて川に入っていくではないですか!
「しんちゃん、ぬれちゃうよ!?」
「この天気であれば、すぐに乾くでしょう」
確かに、今日はいい天気で、暑くなりそうですよ。
そうではなくて!
「御身を、どこぞのものと知れぬ輩に任せられませんので」
私のために、しんちゃんが濡れることになってしまったのですね。
申し訳ないです。
馬は水を怖がることもなく、どこか気持ちよさそうに進んでいきます。
馬って、臆病な生き物だと思っていたのですが、案外そうでもないようです。
それとも、訓練をしているのでしょうか?
「しんちゃんもお馬さんも、かたじけないです」
そして、私のあとにはたかじょー、つぐりんと続きました。
川を渡りきると、しんちゃんは軽く着物を絞り、そのまま歩き出します。
ほんと、ありがとうございます。
さて、こたとこたこたはというと。
こたこたに肩車をされているこた。
しかも、こたこたの頭の上で、何かわめいていますよ。
まぁ、微笑ましい光景ですね。
酒匂川を越えて、しばらく行くと、海が見えてきました!
海ですよ、海!
また、砂で何か作りたいですね。
次は、鯨とか鮫とか、大きな生き物がいいと思うのです。
しかし、ここからが大変でした。
海が見えたり、見えなかったり。
小さな川を橋で渡ったり、ずっと似たような風景だったり…。
つまりは飽きました。
山と木と海ばかりは飽きます!
丁度、退屈しきっていた頃、休憩を取ることになりました。
お茶屋に行くそうです!
お茶屋って、お茶しかないお店ですか?
立ち寄ったお店は、軒先きに長椅子が並べてあり、みんなが座ると、お店の人がお茶を人数分持ってきてくれました。
どうやら、お抹茶のようです。
お抹茶なら、甘いものが欲しくなりますよね…。あんことか、あんことか。
しかし、あんこを食べたいと言える雰囲気ではなさそうなので、ここは我慢しましょう。
帰りの休憩では、絶対にあんこを食べるのです!
お抹茶を飲んで一息ついたら、出発です!
規兄は、暗くなる前に藤沢に着きたいと言っていました。
そこで一泊するそうです。
次第に、海は見えなくなり、たまに坂道が続いたりと、相変わらず変化の乏しい光景が続きます。
退屈なので、規兄に駿府にいたときの話を聞かせて欲しいとお願いしたのですが、それが失敗でした。
全部、やっすんと一緒にやった悪さの話で、そんな武勇伝が聞きたかったわけではありません。
しかし、規兄が楽しそうに話すので、大人しく聞き役に徹しましたよ!
ここから先に、また大きな川があるのですが、この川では舟を使うそうです。
しんちゃんが濡れずにすむと思ったのですが、お馬さんは舟に乗れないので、しんちゃんがお馬さんで渡るそうです。
確実に、足は濡れちゃいます。
風邪、ひかないようにしてくださいね。
そして、その川を渡る前に一休み。
もう、午の刻も過ぎてしまいましたが、みんな疲れた様子は見せていません。
やはり、日頃の鍛錬のおかげですかね。
私はお馬さんに乗っているだけですので、疲れてはいませんが、お尻が痛いです。
座っているだけというのも、ある意味苦行ですね。
「この馬入川を渡れば、藤沢まであと少しだ」
それにしても、どうして橋を作らないのでしょうか?
橋があった方が便利ですよね?
「何ではしを作らないの?」
「昔はあったらしいが、増水で流されてしまってな。その都度作り直すのだが、また流される。それを繰り返すうちに、この渡しという商売が始まり、それ以降は作る必要がなくなったというわけだ」
なるほど。自然の脅威とお金の問題だったのですね。
それに、濡れても大丈夫な人はお金がかからないですし、渡しをやっている人たちにとっては、大事なお仕事ってやつですね。
さて、再びしんちゃんとお馬さんにずぶ濡れになってもらい、私たちは船に乗って川を渡ることができました。
初めて舟に乗ったのですが、まさしく和船って感じでした。
竜骨のない船体に、船尾についている櫂をギーコギーコ漕いでいくやつです。
これが、風情ってものですかね?
のんびりな船もいいものです。
このまま順調に行けば、日が暮れる前には宿に着けそうです。
お腹空いてきたので、ご飯が楽しみですよ!
北条早雲のくだりは、史実を軸に脚色しておりますのでご注意を。
補足
お神輿の土台のようなもの:使用されたのは、半高欄蓮台という、二本の棒の上に、手すりの付いた板が乗っているものです。
橋のない大きな川を渡るときには、肩車での歩行渡し、蓮台渡し、馬渡しで渡っていたそうです。
馬入川:相模川の河口付近での呼び方。
ちなみに、ここら一帯は安定の北条領でした。
江戸時代には、大きな川に橋を作らないようにしていたそうですが、北条家も防衛のために橋を作らなかったという設定にしております。
酒匂川は、増水時以外は馬でも渡れますし、相模川では須賀さんという家臣が水運を担っていたので、船で渡ることができたと思います。
今回の旅に使っている道は、東海道です。
なかなか、戦国時代の東海道の資料が少なく、江戸時代のものを使用しました。
しかし、小田原から藤沢、藤沢から八王子までは、後北条が伝馬のために道を整備していたという記述がありましたので、宿場町や茶屋などはあったと思います。
皆様が思い浮かべる東海道といえば、東海道五十三次だと思いますが、松の木や大きな宿場町はやっすんが作ったものですよ!