珠、お嫁さんと遊ぶ
まだ陽も昇らないうちに、女中から叩き起こされました。
最近、私の扱いが雑ではないですか?
手早く着付けされ、ついでにさらしも交換されました。
両手はまだ赤みが残るものの、最初に比べるとましになっています。
何か、白くなってません?気のせい?
右足の方は、酷かった鼻緒の部分が水膨れみたいになっています。やはり、こちらも肌が白っぽくなっています。
それでも、痛みは減っているので、治りかけなんでしょうか?
ひょっとしたら、治るのも早いかもしれませんね。
準備が終わり、しんちゃんに抱きかかえられて向かった先は、二の丸の広場。
すでに、他の兄弟も総揃いしていました。
旅支度を整えた、照兄と邦兄。
自分たちの居城に戻るのです。
「珠、元気なのはいいが、あんまし心配かけるなよ」
しんちゃんに抱っこされたまま、頭をわしゃわしゃされました。
髪型が崩れるので、やめてください。
「そうだよ、珠。怪我をするようなことだけはしないこと。約束できる?」
照兄と邦兄にまで釘を刺されてしまいました。
「はい。やくそくします!」
私だって、怪我をしたくてしたわけではないので、怪我をせずに遊びたいのですよ。
「信太郎、珠が無茶しそうになったら、必ず止めてくれ」
照兄がしんちゃんに声をかけていますが、そこまで釘を刺しますか!
「心得ております」
しんちゃんも、それが自分の仕事だと言わんばかりの態度、やめてください。
「それでは、皆、達者でな!」
「父上も、無理をなさらないでください」
「安心せい。最近は氏政に取られておるからな。無理をしたくともできん!」
父上、それはそれでいいのですか?
まだまだ隠居はせん!って吠えていたではないですか。
名残惜しくも、照兄と邦兄の一団は、小田原を去って行きました。
次に会えるのは、いつになるでしょうか?
さて、私は二度寝でもしましょうか。
白んじてきた空ですが、朝餉にも早いですし。
そう決めて、お部屋に戻ると、すでに布団は片付けられていました。
仕方ないので、座布団を並べて寝っ転がります。
もう少し明るければ、お庭で遊びたかったのですが。
…あ、お外は禁止されていましたね。
暇です!やることがなくて暇すぎます!
座布団の上でゴロゴロして、いつの間にかうたた寝をしていたようです。
女中に朝餉だと声をかけられ起きると、着物も頭もぐちゃぐちゃになっていました。
女中にお願いして、身だしなみを整えて、朝餉に向かいます。
みんなでご飯を食べるお部屋に着くと、知らない女性がいました。
規兄の隣りに座っているってことは…お嫁さんですね!
早速、挨拶をしなければ!
「たまともうします。あねうえ、なかよくしてください!」
「北条綱成の娘、苗です。姉上と呼んでくださり、とても嬉しいですわ」
何か、ほわほわした感じの人です。
母上は牡丹、小梅姉は梅の花、苗姉は…たんぽぽでしょうか?
キリッとした女性が北条には多いので、苗姉みたいな柔らかい感じの女性は珍しいですね。
ひょっとしたら、この為人なので、外には嫁がせたくなかったのかもしれません。
挨拶をすませ、今日は父上の膝の上でご飯です。
照兄や邦兄がいると、そちらを優先するので、淋しかったのでしょうか?
私の善には、匙が添えられていました。
スプーンというにはいびつなので、薬さじか何かでしょうか?
しかし、小さいので一口が少ないです!
食べた気がしないのです!
結局、父上にお願いして、父上に食べさせてもらいました。
夕餉にはもっと大きな匙を用意してもらいましょう。
朝餉が終わって、お部屋に戻っても、することがないのです。
しんちゃんは富が持ってきた本を読めと言いますが、意味がわからないので面白くありません。
却下です!
相変わらず、ふすまの前には女中が待機しているので、お外にも行けません。
母上が怖いので行きませんが。
またお絵描きでもしようかと、しんちゃんに準備をさせていたら、女中が奥方様がいらっしゃったと声をかけてきました。
奥方様?
誰だろうと思ったら、苗姉ではありませんか!
「珠姫様がお暇しているだろうと、殿がおっしゃっていたので。お怪我の具合は大丈夫ですか?」
さすが規兄です!
暇している私のために、苗姉をお部屋によこしてくれたのですね。
「はい。もういたくないのです」
「それはようございました。殿も、たいそう心配しておりましたよ」
やはり、殿って違和感がありますね。
母上は父上のことを御屋形様と呼んでいますし、小梅姉は人前ではめったに言いませんが、政兄のことを屋形様と呼んでいるようです。
父上と区別しなければならない場合は新屋形様ですかね。
また、家老衆は父上のことを御本城様と呼ぶ時もあります。
ひょっとしたら、照兄や邦兄は居城で殿って呼ばれているかもしれませんね。
「なえねぇは、何がお好きですか?」
「和歌も好きですし、はしたないと思われるかもしれませんが、将棋をさしたりもしております」
う?
将棋って、あの将棋ですか?
「珠姫様はご存じないですよね。将棋は殿方の遊びなのですが、小さな盤の上で駒を動かし、戦のまね事のようなものです」
いえ、将棋は知っていますよ。
ルールは全く知りませんが。
「珠姫様もやってみませんか?父上に頼んで、花嫁道具に将棋を入れてもらいましたので」
「なえねぇがおしえてくれますか?」
「もちろんですとも!」
何だかよくわからないまま、苗姉と将棋することになりました。
しばらくすると、将棋盤が運び込まれ、苗姉が慣れた手つきで駒を並べていきます。
駒は見覚えのあるものばかりですが、一つだけ異様に違和感を放つ駒があります。
王将のすぐ上に置かれた、象という駒です。
まさか、ぞうさんってことはないですよね?
苗姉が一つ一つ、駒の動かし方を教えてくれます。
気になるぞうさんの駒は、「醉象」と言うらしいです。
後ろ一マスだけ動けない駒だとか。
うぅぅ。駒の種類と動かし方がごちゃごちゃになって覚えられません。
「なえねぇ、えにかいてください」
苗姉にお願いして、お絵描き道具で駒の動かし方を絵にしてもらいます。
さて、絵を描き終わったら、準備完了です。
早速、将棋をやってみましょう!
先手を譲ってもらい、まずは歩を一つ動かします。
将棋盤が小さくコツンと音を立てました。
苗姉も私とは違う場所の歩を動かしました。
苗姉の駒は、パシッと綺麗な音がします。
持ち方も、私とは全く違いますね!格好いいです!
コツン、パシッ、コツン、パシッという音だけが聞こえます。
次の一手で、私の歩が苗姉の歩とぶつかります。
「なえねぇ、こまがある時はどうするのですか?」
「この駒を取って、珠姫様の駒を裏返します」
苗姉の歩を取り、自分の歩を裏返すと、そこには「と」と書いてありました。
これは知ってます!成り金ですね!
「と金と言います。金将と同じ動かし方ですよ」
あ、違いました。成って金将と同じだから成り金ではなかったのですね。
わからないところは苗姉に聞きつつ、駒を動かしていきます。
「王手」
「えっ!?」
王将の駒を動かそうにも、他の駒が邪魔して動かせません。
苗姉の駒を取ろうにも、一つを取っても龍王の駒と龍馬と言う、飛車と角が成った駒があるので、どうにもなりません。これが詰んだってやつですかね?
「負けました」
負けるとわかっていても、負けると悔しいのはなぜですかね?
苗姉は経験者で、私は今日教わったばかりの初心者なので、どう足掻いても勝つことはないのに…。
うぅぅ。悔しいです!
「なえねぇ、またおしえてくれますか?」
「えぇ!珠姫様と将棋をさせるなんて、とても嬉しいです!」
満面の笑みを浮かべる苗姉。
そんなに将棋が好きなんですね。
さすがに、将棋は母上に怒られないですよね?
お部屋で大人しくしているわけですし。
将棋をしていたら、だいぶ時間が経っていたようで、苗姉が長居してしまいましたねっと帰ってしまいました。
「それにしても、姫様がずっと座っていられるとは驚いた」
何気に失礼ですよ、こた!
「姫様は、遊びには凄い集中力を発揮なさるからな」
しんちゃんも酷いです!
まるで私が、遊ぶことしか脳がないみたいではないですか!
遊ぶことしか興味がないだけです!
あ、竹兄のところに行くの忘れていました…。
補足
将棋:現代の将棋を本将棋といい、本将棋以前のものを古将棋といいます。
古将棋も色々な種類があり、その中でも室町時代にはやったとされる小将棋を採用しました。
小将棋は現代のものに繋がるものがあり、基本的なルールが近いそうです。
正式なルールは残っておらず、作中のルールはWikipediaを参考にさせていただきました。
大きな違いは、醉象の駒があることと、持ち駒再使用ができないことです。