珠、お手紙かく
よろしくお願いいたします。
時は戦国、世は乱世。
天下統一の野望を胸に、男たちの戦いが今始まる。
…なーんてね!
実は私、未来の知識があるのです。
いや、未来から過去に来たと言うほうが正しいかもしれません。
なんでこうなったのか、よくわかりません。
ただ、日本の西暦2000年前後の未来を知っています。
教育で様々なことを学んだ記憶があります。
働いていた記憶もあります。
しかし、その未来で私がどういった人間だったのかは全く記憶がないのです。
今わかっているのが、私は北条氏康の娘で珠、御年四歳です。ちなみに末っ子です。
兄が六人、姉が六人の大家族です。
と言っても、長男は私が生まれる前に亡くなっているし、三男と四男は養子入りしていません。五男も人質として駿府というところにいるらしい。腹違いのすぐ上の兄は、お寺で修行中。長女と次女も私が生まれる前に嫁いでいるし、三女も一年ほど前に嫁いでいきました。
つまり、今お城には、後継の氏政と、六男の藤王丸、四女の空、五女の崎、六女の豊、そして私がいる。他にも、父と母、側室、氏政の妻と娘がいるので、やはり大家族に違いないですよね。
未来の知識があったとしても、この戦国時代の知識は大雑把にしかありません。
なので、難しく考えることはやめました。
考えたって答えはでないのですから。
珠として生きるしかない。そう、覚悟を決めています。
「ははうえー。おにわにいきたいです」
「なりませぬ」
「ははうえぇぇぇぇ!」
「そういえば、氏規から文が届いておりましたね」
母上の指示で、女中がお膳に乗せて文を持ってきました。
母上、そういうことは早く言ってください。
どうせ、この文も二、三日前には来てたのでしょう?
母上への文句は口に出さずに、いそいそと文に手をやる。
どうしたことでしょう!文の中はミミズがのたくったような草書体で読めませんでした。
「ははうえ、よめません」
母上に読んでもらった規兄の文の内容が…。
『我らが掌中の珠、元気か?兄は頗る元気だぞ!駿府の地は小田原に似ていて、海が綺麗だぞ。この前も、元康と海に遊びにいってな。いつか、お珠も兄と海に行こうな!』
といった、規兄の近況報告でした。
元康ってお友達もいるようだし、人質生活を満喫しているみたいで何より。
しかし、この文、暗号文なのです。
兄や姉が養子や結婚で出ていく前に作られた、父上と子供たちしか知らない暗号。
いや、風魔の者も一部は知っているかも。
この暗号を作る際に、ターゲットになったのが、腹違いの兄である竹王丸と私だ。
幼い弟を心配する文、母上とお腹の中にいた私を心配する文。
兄弟仲が大変いいことを盾にとり、例え検分されても弟や妹のことばかり。
この文のやり取りのおかげで、諸外国にはシスコン・ブラコン兄弟と有名です。
残念なのは、私には暗号の書き方も解読方法も教えてもらえてないこと。
まぁ、まだ文字を習っている段階なので仕方ないともいえますが。
多分、文の本当の内容は、父上か政兄に宛てた今川氏の情報だと思いますけど。
「おへんじかきます」
女中が筆の用意をしてくれる。
子供用の少し背の低い机に、筆、硯、墨、和紙とテキパキ並べていく。
うんしょうんしょと墨をすり、それを筆につけ、いざ!
一文字が大きく、歪で、まさに子供が書きましたという、味のある文が完成しました。
若干、現代仮名遣いが混じっているが、上手く書けない子供の進化系とでも思ってくれるだろう。暗号のような私の文字でも、兄たちはその愛情でもって解読してくれるに違いありません。
お返事の内容は…。
『はやくかえってきて、たまとあそべー!』
である。
こうして見ると、猫の名前みたいでアレですが、ちゃんと規兄が元気であることを喜んでいるという気持ちが込められていますよ。
この文を政兄に検分してもらい、規兄に送ってもらいましょう。
「まさにぃにみせてくる!」
文を手に持ち、母上の部屋を後にします。
「お待ちなさい!」
母上が制止する声が聴こえましたが、聴こえなーい。
すると、どこからともなく一人の青年が現れました。
「珠姫様、お供します」
「じゃあ、いっしょにいこう」
彼は風魔の一族の一人。風魔信太郎。しんちゃんです。一応、私の護衛役らしい。
父上や政兄の部屋は、母上の部屋とは反対にあるので遠いのです。
しんちゃんをお供に歩いていると、父上の部下さんたちとすれ違います。
「珠姫様、お一人ですか?」
部下さんの一人が声をかけてきました。
誰だっけ?
「んーと…」
「失礼いたしました。松田憲秀と申します」
政兄よりも少し年上だろうか?なかなかの好青年。
「たまです!」
どう切り返ししていいのかわからなかったので、とりあえず名乗ってきます。
「珠姫様はどちらに行かれるのですか?」
「まさにぃのおへやです」
「では、我々がご案内いたしましょう」
ちゃんと政兄の部屋は覚えているから、一人でも平気なのですが。
「我らが掌中の珠に何かあっては、若様に顔向けできませんから」
気持ちが顔に出ていたのか、松田氏は言ってきた。
まぁ、そういうことなら…。
政兄のところへ連れていってもらいましょう。
松田氏の手をキュッと握ると、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「まさにぃー!」
政兄の部屋に入ると、誰かとお話中だったようです。
「う?」
しまった!と思いましたが、部屋に入る前に松田氏が取り次ぎをして、入っても大丈夫だと言われましたよね?
「珠、よく来たな」
部屋の前で固まっていた私を、政兄が抱き上げてくれます。
相変わらずの美青年ですね。
日本人ならではの美しい顔とでも言えばいいのか。あ、醤油顔の方がわかりやすいかな?
某アイドル事務所の大物に似ている。
「まさにぃ、のりにぃにふみかいたの」
政兄に力作の文を見せました。
「もうこんなに文字が書けるようになったのか。珠は偉いな」
褒めてくれたので、見せにきた甲斐があったというものです。
「珠姫も大きくなったなぁ」
声をかけてきたのは、政兄と話していた人。
「じぃ!!」
祖父である北条氏綱の弟で、筆頭家老の北条幻庵だった。
人生五十年と言われる時代で、還暦を越えたお年なのに、未だ北条の政治を動かしているお爺ちゃんである。
政兄に下ろしてもらい、じぃに抱きつく。氏綱亡き今、この幻庵が祖父と言っても過言ではない。それくらい、私たち兄弟を可愛がってくれています。
「じぃ、あのね。てまりでとよねぇにかったの!」
「ほぉ、それは凄い!」
子供のしょうもない話も、嬉しそうに聴いてくれる。
最近あったことを話つくすと、じぃが政兄の部屋にいることが気になった。
「じぃ、まさにぃとなんのおはなししてたの?」
また戦でも始まるのだろうか?
「民を助けるために、どうしたらいいのか話しておったのだよ」
「たみ?」
「小田原だけでなく、あちらこちらで飢饉が起こってしまってなぁ。飢饉が何かわかるか?」
「うーんと、ごはんがつくれなくて、みんなおなかすいてること?」
「そうだ。それをどうにかできないかと話しておったのだよ」
なるほど。
でも、米がないならお菓子じゃなかった、魚を食べればいいじゃないか!
目の前に、海があるんだし、漁師くらいいるでしょう。
「おさかなさんならうみにいるよ?」
「だが、獲れる量は限られている」
「う?あみでがばーってできないの?」
この時代の漁法は投網か刺し網、あとは地引き網くらいだろうか?
すると、定置網や引網にすれば効率は上がると思う。
「がばー?」
「おおきなあみでおさかなさんをがばーって」
両手を大きく振り、ジェスチャーでも意図を伝えようとするが、なかなか伝わらない。
「うー。じゃあ、おおきなあみでおうちつくって、そこにおさかなさんおいでおいでするの」
「網のお家?」
ダメです。じぃには伝わりません。
政兄なら理解してくれましたよね!?
「珠が言いたいのは、大きな網を船で引いて、魚を群ごと獲る方法と、逃げられないよう工夫した網を設置して、そこに魚を追い込む方法ではないですかね」
さすが政兄!
「がばーや網のお家でよくそこまで理解できたな」
「珠の言うことですから。ちゃんとわかります」
「さて、珠姫や。網を引くという方法はすでにある。それとは違うのか?」
多分、一緒です。網の形が違うだけです。
そうだ!政兄の羽織物をちょっと失敬。
「あのね、このてからここまでがあみなの。ここからおさかなさんでるのよ」
これならじぃもわかってくれるだろう。
大きな網の中央が袋状になっているのです。
そして、袋の先は開閉できるようにして、魚を取り出すという、一般的な引網です。
「試してみる価値はあるな。どれ、漁師たちに声をかけてみるか」
そう言って、じぃは部屋から出ていきました。
即実行って、フットワーク軽いですねぇ。
私は政兄に遊んでもらい、大満足で部屋に戻りました。
戻ったら、母上に氏政の邪魔をするんじゃありませんって怒られましたけど。
邪魔してないもん!