珠、混乱する
さて、規兄が結婚が決まったと思ったら、今度は葉姉の輿入れが決まりました!
お相手はたかじょーです。姉弟で兄妹に嫁ぐ…ややこしいですね。
まぁ、いとこではあるけれど、兄、姉になったってことで。たかじょーのあだ名はやめませんけど。
結婚式と言うことで、お城は準備に追われています。
規兄の方の準備はほとんど終わっているみたいですが、葉姉の方は今からです。
結納品を選んで、職人さんにお願いすることから始まり、着物を仕立てたり、相手のお家のことを勉強したり。
と言っても、相手も北条の血筋なので、家臣の名前を覚えるだけでいいから楽だと、葉姉は笑っていましたが。
私も一緒に、着物用の反物と、かんざしや普段使う小物も選びました。
女の子ですから、綺麗なものやキラキラしたものを見るのは楽しかったです。
そうこうしているうちに、規兄の結婚式が近づいてきました。
ここ小田原城に、父上や政兄の家臣たちも集まって来ています。
重臣って呼ばれている人たちですね。
通常は別のお城でお仕事をしているのですが、規兄の結婚をお祝いに登城し、上屋敷や武家屋敷の方に滞在しています。
私は普段通り、遊んでいるだけなので、その重臣さんたちには会っていませんけど。
今日は忠兄が遊んでくれると言うので、本丸の広場でチャンバラごっこです。
私が忠兄に勝てるわけないので、こたも入れて二対一でやってます。
しんちゃんは審判役です。
…夏にやるものじゃありませんでした。
暑いです。
木陰でへばっていると、こたが井戸からお水を持ってきてくれました。
ぷはぁっ!生き返りますねぇ!
しんちゃんは、濡れた手ぬぐいで汗を拭ってくれます。
…それくらい、自分でできますよ。
「珠、これくらいで情けないぞ!」
むぅ。忠兄のドヤ顏がムカつくのです!
「氏忠様、珠姫様を煽らないでください」
しんちゃんが注意しますが、私とて武士の子!
負けず嫌いなのです!
「ただにぃ、もう一回!!」
そう言って、木の棒を掴み、忠兄と対峙した時でした。
「珠!大きくなったな!」
突然、知らない少年にハグされましたよ!
…どちら様でしょうか?
「菊王丸!!」
忠兄は知っているようですが、一族の人間でしょうか?
「えーっと…」
「兄の菊王丸だ。会いたかったぞ」
なんと!!
私の知らない兄がいたとは…。
「珠はお前のことなど知らん。早く珠を離せ」
「わたしに家を押しつけて、珠と暮らす兄者の言うことなど聞けないね」
「どういうこと?」
私が首を傾げていると、政兄の登場です。
「菊王丸、父上に挨拶せず、何ほっつき歩いている!」
「…申し訳ない」
事情が全く飲み込めないので、政兄に聞いてみましょう。
「きくにぃはどうしておやしきにいないの?」
養子に出たとも考えられますが、婿入りする年頃ではありません。
どう見ても元服前です。
「菊王丸は氏尭叔父上の子でな。叔父上の容態がよろしくないゆえ、父上が引き取ることになったのだ」
つまり、いとこってことですね?
しかし、謎が残ります。菊兄は、忠兄のことを兄者と呼んでいました。兄のようにしたっている感じでもありませんし…。
それと、氏尭叔父上は長尾さんとの戦で受けた傷が原因で、臥せっていると聴いていましたが、そんなに悪いのですか?
「…ただにぃは、たまの兄上じゃないの?」
「何を言う!珠の兄に決まっているだろっ!」
今度は忠兄にぎゅっとされました。
苦しいです。
「珠を混乱させるな!」
政兄が珍しく怒っています。
忠兄も政兄が怖いのか、やっと離してくれました。
ふぅ。生き返りました。
「氏忠は後継ぎとして、経験を積ませるために養子に出されたのだが…。叔父上のもとに戻るのを嫌がってな。結局、菊王丸が継ぐことになったのだ」
「おかげで、幻庵殿や綱成殿にしごかれる日々よ。なのに、兄者は珠と楽しく暮らして…。恨みたくもなるわ」
いろいろと、大人の思惑に振り回されているのですね。
じぃと綱成おじじということは、菊兄は玉縄城にいたのでしょうか?
何はともあれ、兄が一人増えました!
「そうか。では珠はしずも覚えてはいないのではないか?」
はい。もしかして、その方も姉妹なのでしょうか?
「しずは八重殿の長女で、小笠原家に嫁いでいる」
初耳です…。八重様の子は、葉姉が長女だと思っていましたし…。
誰も話題に上げないって、どういうことですか!!
……姉も一人増えたようです。
さて、ここで少し整理をしましょう。
母上が一緒なのが、氏政、春、氏照、氏邦、鈴、氏規、空、崎、豊、私です。
えーっと、母上、明らかに産みすぎですよね?
本当は養子だったり、腹違いだったりする兄弟がいるんではないですか?
「何を騒いでいるのです?」
えっ!?母上!!
母上が外に出てきているって、すっごく珍しいのですが、何か起こったのですか?
「氏政も、菊王丸を呼びに行くのに、どれだけ時間がかかっているのですか。二人とも、早く御屋形様のもとへ行きなさい!」
母上の頭に角が見えます…。
政兄も菊兄も、早く父上のところへ行った方がいいですよ。
「申し訳ない。ただちに菊王丸を連れて参りますゆえ」
政兄は菊兄の頭を押さえつけながら、母上に礼をして、足早に去って行った。
よっぽど、母上が怖かったのでしょう。
「母上、たまはにぃやねぇと血がつながってるよね?」
私の質問に、母上の顔が険しくなりました。
…まさか!!
「珠、部屋へ戻りますよ」
「…はい」
答えてもらえないってことは…。
うぅ。泣いてしまいそうです。
結局、お部屋に到着する前に、泣いてしまいました。
泣き出した私を、母上は優しく手を引いてくれます。
父上や母上の子でなかったら、私はどうしたらいいんでしょうか?
怖くて、何も考えられません。
「珠、皆が揃うまでには、泣き止むのですよ」
……みんなが揃うまでって、どういうことですか?
母上の言葉を疑問に思っていると、空姉と崎姉、豊姉がお部屋に入ってきました。
「珠!どうしたの!?氏忠兄上にいじめられたの?」
姉たちが心配して、側に駆け寄って来てくれました。
「心配はいりません。三人とも、座って待っていなさい」
母上にそう言われ、姉たちは私の側に座り、慰めてくれます。
「何があったかわからないけれど、大丈夫よ」
しかし、慰められるほど、この優しい姉たちと血が繋がっていないかもしれないと、涙が出てきてしまうのです。
その後、葉姉が来て、忠兄と規兄がともに来ました。
忠兄は何か察したのか、抱っこをして、何があっても、珠の兄だぞと言ってくれました。
ようやく、涙が出なくなり、少しうとうととし始めたころ、政兄と菊兄が来ました。
「さて、お前たちは知っているでしょうが、珠が混乱しているので、改めて話ますよ」
母上が話し始めると、全員が背筋を正します。
「まず、珠は間違いなく、御屋形様とわたくしの子です。亡き新九郎、氏政、氏照、氏邦、氏規、春、鈴は我が子です。八重殿はしず、葉、竹王丸を産み、氏忠と菊王丸は氏尭殿から養子として預かっております」
…名前の上がっていない姉たちがいます。
忠兄の着物を握りしめ、母上の言葉を待ちます。
「空、崎、豊。御屋形様の子ではありますが、お前たちの母親はお側に上がることのできない身分でした。女子であったゆえ、引き取ったのです。意味はわかりますね」
三人の姉たちは、すでに知っていたのか、表情を崩すことなく頷きました。
父上が浮気というか、弄んだ結果、産まれてきた子供は政略結婚の駒として使うってことなのですね。
「しかし、お前たちは皆、御屋形様のお子です。それは、わたくしの子でもあるのと同じです。兄弟、力合わせて、この北条を守りぬくのですよ」
母上の言葉に、空姉、崎姉、豊姉は泣きながら頭を下げました。他の兄や姉も、静かに頭を下げています。
私はというと、これからもこの優しい人たちの妹でいいのだと安心し、再び涙腺が決壊するはめになりました。
それにしても、母上は肝っ玉といいますか、懐が深いといいますか。
いくら利用価値があるとは言え、夫の浮気でできた子を自分の子と言えるのはすごいです!
その後、母上が父上に話があると言って退室し、兄弟だけになりました。
「結局のところ、母上も珠には甘いということだな」
政兄がしみじみと言います。
「そうね。珠の悲しむ姿を見たくなかったのでしょう」
う?よくわかりませんが、母上がよいと言ってくれたのです。
だから、みんな兄弟なのです!
「ねぇたちがとついでも、ずっときょうだいだからいいの!」
「珠の言う通りだな。せっかくだから、兄弟の絆を固めるために、起請文でも作るか?」
規兄がニヤニヤしながら言います。
「きしょうもん?」
「神仏に誓うことを紙に認めたものだ」
そんなものがあるんですねぇ。
規兄の発案に、他の兄姉たちも乗り気です。
早速、葉姉が紙と筆を用意しています。
政兄が達筆な字で何かを書いています。
本当に、サラサラっと書けるものなんですね。私のべちゃっとした字とは大違いです。
そして、草書体は相変わらず読めません。いや、すべて平仮名なら読めるようにはなりましたよ?漢字は、崩し方に個々の癖があるので難しいのです。
北条氏政と書かれた下に、政兄が脇差しで親指の腹を切り、血判を押します。
…まさか、血判、私もやるのですか!?
政兄の名前の後は空白を作り、規兄、忠兄、菊兄、竹兄と続きました。
みんなためらうことなく、血判を押していきます。
また空白を作り、葉姉、空姉、崎姉、豊姉と続きます。
姉たちも、痛がる様子もなく、自ら指を切りました。
二歳しか違わない豊姉ですら、綺麗な文字で名前を書き、小さな指で血判したのです。
私の番ですが、かろうじて珠と読める字になり、指を切るのが怖くてできません。
「珠、怖いなら目をつぶってごらん」
竹兄にそう言われたので、ぎゅーっと目をつぶりました。
誰かに手を取られ、ツキンと鋭い痛みが親指に走ります。
痛いです。地味に痛いです。
紙で指を切ってしまったときのような、じんじんとした痛みが広がります。
「もう、目を開けてもいいよ」
促されて開けてみると、右の親指に血がぷっくりと溜まっています。
こぼして、母上のお部屋を汚してはいけないので、えいっと拇印しました。
おぉ、指紋が綺麗についたのです!
これで、この場にいる兄弟の分は終わりました。
あとは、照兄、邦兄、春姉、鈴姉、しず姉にお手紙とともに、この血判状が回されます。
戻ってくるころには、規兄の結婚式は終わっているでしょうね。
…照兄と邦兄は、結婚式でこっちにくるんだから、そのときでもよかったと思いますよ?
行き違いにならないといいですが…。
女性陣の資料がなさすぎて、誰が正室の子で誰が側室の子かわからず、結果、氏康がおいたしちゃった子になってしまいました(笑)
氏尭の子として出てきた菊王丸ですが、幼名は氏尭から取りました。
後から出てきた資料では竹王とあり、景虎(現竹王丸)と混同されているようで。
その資料では、景虎は国僧丸となっていました。
もし、二人の幼名についての資料など、知っている方がいらっしゃいましたら、お教えくださると嬉しいです。
資料が見つかるまでは、現行のままでいきますが、途中で変更するかもしれません。混乱させるとは思いますが、ご了承のほどよろしくお願いいたします。
補足
瑞渓院:母上の子としては、氏政、氏照、氏邦、蔵春院(春姉)、浄光院(鈴姉)が有力説となっています。
氏邦が庶子であるという資料もあるみたいですよ。