珠、籠城する
やっすんはあっという間に帰っていきました。
帰り際に、嫁に来いとか言っていたので、やだとお断りしました。
こんな若い身空で、家族と離れたくありません。
やっすんがいなくなって、平和です。
いや、政兄も規兄も何やら忙しそうで、最近構ってくれないので、気持ちは平和ではないです。
不満たらたらです。
そんなことを思っていたらばちが当たったのか、上杉・長尾両軍が小田原めがけてやってくるというではないですか。
戦になるということで、父上も政兄も規兄も出陣の準備です。
敵軍は進行しながら数を増やしているそうです。
北条勢力下にあるお家にも離反を勧めているとかいないとか。
しかし、それは余り成功していない模様。
こたこたの話によれば、父上と政兄への忠義のため、離反はないと突っぱねているそうです。
父上と政兄、人気者ですね!
「珠姫様のおかげかと思われますが?」
「どうして?」
「我らが武士として取り上げてもらった一件以来、大御屋形様と新御屋形様の態度が変わりましたから」
う?それとこれとどういう関係があるのですか?
「どんな形であれ、大御屋形様たちに認めていただけるというのは、誉れなのですよ」
なるほど。つまり、みんな父上たちが大好きということですね!
うんうん。よきかな、よきかな。
そして、こたこたの情報によると、やっすんが援軍あげようか?って文をくれたらしい。
でも、父上は今三河も大変だろうからって断ったらしい。
やっすんは今川陣から独立したいらしくて、頑張っているそうです。
氏真兄もいい人なんだけどねぇ。よく、珍しいお菓子を送ってくれますし。
ただ、先祖代々の土地だから、奪還したいっていうのもよくわかります。
私も小田原を他の武将に取られたら嫌ですから。
やっすん、頑張れ!
あと、びっくりなのが織田信長からも援軍送りましょうかって書状が来たとか。
これはみんなびっくりですよ。
織田家とは何のつながりもないもの。
何企んでいるのしょうか?
こちらもやんわりとお断りしたらしい。
後でむちゃぶりされるかもしれないですから。
「のぶながさんはなにをかんがえているのかな?」
「わかりませぬ。彼も天才と呼ばれるお人ですから」
「のぶながさんみたいなひとはふううんじではないですかね。じだいのながれをさきどり、みたいな」
「風雲児ですか。確かにそうかもしれませぬな」
結局のところ、私はお屋敷で父上たちの帰りを待つしかないのだけれど。
父上が忠兄を連れて出陣しました。
忠兄にとっては、これが初陣です。
政兄は後詰めということで、お城に残ります。
照兄も邦兄も、それぞれの居城から出陣するらしいですよ。
そうそう、見られないと思っていた月代を見ることができました!
どうやら、戦のときにしかしないものだとか。
兜で蒸れて、頭が寂しくなるのでしょうか?
そして、竹兄が戻ってきました。
人質にされる可能性もあるので、お城にいてくれた方が安心ということです。
早く、家族水入らずしたいものですなぁ。
とりあえず、竹兄と遊んでおきますか。
「たけにぃ、あそんで」
竹兄がいる部屋に突撃すると、読書中でございました。
「なによんでいるの」
「孫子だよ」
うっぷ。漢字がいっぱい。
有名な孫子ですが、私は『孫子曰く』の部分しか読めませんでした。
「珠姫にはまだわからないでしょう。こっちへいらっしゃいな。物語を読んであげましょう」
葉姉と竹兄の母上、八重様の元へ行きます。
やはり、竹兄は八重様似です。
切れ長な目に、すっと通った鼻梁。さっぱり塩味ですね!
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
うっぷ。八重様、物語は物語でも、源氏物語ですよって。
そんなの聴いたら、寝てしまいます。
「母上、それこそ珠には早すぎます」
「そぉ?面白いのに」
とりあえず、この親子が読書家なのはわかりました。
たまには体を動かしましょうよ。
戦は長引きました。ものすごーく長引いたのです。途中、戦をしているのを忘れるくらいでしたよ。
敵軍の数はそれほど増えていないらしいですが、長尾景虎さんが戦上手というかなんというか。
私からしたら、誰それ?なのですが。
父上も作戦を変えて、籠城することにしたとか。
政兄やじぃのおかげで、兵糧はあります。魚の保存食が四割くらい占めていますが、春までは余裕です。ただし、飽きます。
今は籠城に向けて、大急ぎで準備を進めているそうです。
そういえば、春姉の旦那の氏真兄が援軍を送ってくれるとか。
あちらも、やっすんが暴れているので大変なのに、ありがたいですね。
父上は武田信玄にも、動くようにお願いしたらしいですよ。
何だかんだしているうちに、春がすぐそこまで来ています。
籠城中なので、新年のお祝いも質素に行われました。
基本、私はお城から出ることはないので、いつも通りです。
そう、いつも通り遊ぶのです。
何して遊ぼうか悩んでいると、二の丸の方が騒がしいのに気づきました。
「しんちゃん、なにかあったの?」
「どうも、門の前に長尾景虎が来ているそうです」
………ながおかげとら?
それって、今戦っている人じゃないですか!!
「てき!?」
「どうやら、単騎みたいだぞ。長尾の側にいるのが直江かって騒いでいる」
直江さん?…聞いたことあるような、ないような…。
「ながおさんとなおえさんだけなの?」
「そうみたいだな」
あれ?今、籠城中ですよね?
お城だけではなく、城下町も一緒にどうとかって言っていませんでしたっけ?
「まちにはいれたの?」
「外郭が完成していない、渋取川の方から入ったみたいです」
がいかく?話の流れからして、お堀のようなものでしょうかね?
うーん、とりあえず見に行ってみますか!
「じゃあ、しんちゃん、こた、そのながおさんとやらをみにいこう!」
「なりません」
「危ないだろ!」
案の定、二人に反対されてしまいました。
でも、気になるじゃないですか。敵の総大将って。
渋取川の方ってことは何とか曲輪が一番近いのですが、私は二の丸より先には行ったことがありません。
たぶん、二の丸のあの門の先が何とか曲輪だろうというくらいしか知りません。
二の丸が騒がしいということは、その何とか曲輪や三の丸なども騒がしいでしょう。
私一人では行くことは不可能です。絶対に門を通れません。
…しんちゃんとこたが連れていってくれないとなると、諦めるしかなさそうです。
今日は大人しく、お庭で木登りでもしていましょう。
長尾さんは何とか曲輪の目の前で、昼餉を食べ、お茶を飲んで帰っていったそうです。
変わった人ですね。
父上は、ただの挑発だから放っておけと言っていたらしいです。敵の総大将を放っておいていいんですか。
酒匂川に陣を張っていた長尾さんですが、武田軍が動いたらしく、小田原城を諦めて撤退しました。
よかったよかった。
兄弟もみんな無事だったし、ひでりんも大活躍したらしい。父上が喜んでいました。
ただ、武田に借りができたって、苦虫を噛み潰した顔で言ってましたね。
そうだ!ひでりんに文を書きましょう。ついでに、武田信玄にもお礼の文を書いてみます。小梅姉に頼めば、届けてくれるでしょう。
『ひでりん、がんばった。えらい』
『ありがとうございます。おかげでたまはげんきです。こうめねぇも、こうもげんきです』
これでよし。
ひでりんへの文はこたこたに頼んでおきましょう。
武田信玄宛ての文を手に、小梅姉の部屋へ向かう。
「こうめねぇのちちうえにふみかきました!」
「父上に?」
「ありがとうって」
「まぁ。きっと父上も喜ぶわ」
「こうもかくー」
香ちゃんも、武田信玄に文を書くと張り切りだしたので、小梅姉と一緒に書いています。
私と香ちゃんの文は、こうして武田信玄に届けられました。
ひでりんからはすぐにお返事が来た。
『有り難き幸せ』
こたこたによると、泣いて喜んでいたそうです。ひでりんは泣き虫さんです。
武田信玄からもお返事来ました。
『息災で何より。困ったことがあれば、いつでも頼られよ』
うん、社交辞令ってやつですね。
何かの役に立つかもしれないので、一応保管しておきましょう。
さて、上杉謙信による、関東遠征・小田原城の戦いでした。
珠からの視点だと、こうもあっさり風味になるとは…。
<補足>
小田原城の戦い:1560年9月頃から1561年4月頃まで。(間に閏月挟む)
作中では、一、二ヶ月早く終結している。
何とか曲輪:評定所曲輪。蓮池に接しているため、ここから上杉謙信を攻撃したと思われる。
ひでりん:大藤秀信。上杉軍に獅子奮迅したが、小田原への接近を許してしまう。しかし、その活躍を氏康に褒められる。この時にも、嬉し泣きをしたらしい。