駆け出しの魔王が支配する世界における平凡な一日
ここは、とある新米魔王が支配する世界。
その広大な世界のほぼ中央に位置する大きな城の、とある一室。
白魔法石の灯りに照らされたこの部屋はちょとしたパーティーが開けそうなほど広い。壁や天井には豪奢な装飾が施されていて、床には緻密な文様が描かれた絨毯が敷かれていた。
黒と白を基調とした調度品が静かに佇む空間の奥には大きな天蓋ベッドがある。カーテンを閉め切ったその中で、銀髪の女性がうつ伏せに寝転んでいた。
彼女の名はフェリン。魔王レオンの妹にあたる人物だ。
彼女は柔らかな枕に顔をうずめている。黒のドレスから伸びる褐色の脚がバタ足のように動いていた。
パタパタ。
バタバタ。
ドタンバタン。
徐々に乱暴になってゆく動きがピタリと止まる。彼女は「うー」と弱々しく呻いたのを最後に静かになった。
コンコン。
静まり返った空間にノックの音が響く。
「フェリン様、サディアです。お呼びでしょうかー」
声に素早く反応したフェリンが小さく指を振る。軽い音と共にドアの錠が外れて、
「失礼しまーす」
入室を許された女性は、特に緊張した様子も見せずに部屋に足を踏み入れた。
彼女の名はサディア。この部屋の主フェリンに仕える魔人だ。
黒がかった赤色の髪を二つの束にしていて、背後では黒い尻尾がゆらゆらと揺れている。体の線を見せつけるような衣服には大きなスリットがいくつも入っていて白い肌が大胆に露出していた。
成熟した色香が漂う容姿だが、彼女を良く知る者にとっては見慣れた光景だ。フェリンは特に気にすることもなく奥へと進むよう促した。
「時間どおりね」
「はい。それで、突然どうしたんですかー?」
二人は向き合ってソファーに腰掛ける。使用人に用意させたフレーバーティーの甘い香りを楽しみながら一口飲むと、フェリンは「サキちゃんのことでお願いがあるの」と口を開いた。
サキとは人間族の剣士の名だ。鮮やかな赤色の髪と瞳を持つ彼女はまだ幼さが残る少女だが、その実力は魔王も認めるほどに高い。
そんなサキのことを、フェリンは一目見た時からとても気に入っていた。それは実力がどうこうではなく、単純に可愛いと思っているからだ。許されるなら一生側に置きたいとすら考えていた。
だからフェリンは兄に「サキを魔界へ連れて帰りたい」と頼んだことがあった。しかしその時はにべもなく却下さてしまった。
残念に思っていたが兄に逆らう訳にもいかず、フェリンは半分ほど諦めていた。ところが諸々の事情により、サキはこちらの世界へと足を踏み入れることになったのだ。彼女は魔王レオンの友人として一週間ほど前からこの城に滞在していた。
この好機を逃す手はない。今のうちにサキを篭絡して自ら「残りたい」と言わせれば、ずっと一緒に居られるのだ。
「今は千載一遇のチャンスだと思うの」
「どうしたんですかフェリン様。そんな怪しげなオーラを振りまきながらクスクスと笑うなんて、レオン様が見たら速攻で逃げ出しますよ」
「うるさいわよ。そんなことよりチャンスなのよ」
「何がですかー?」
「決まってるわ。サキちゃんがこの城に滞在しているのよ。そしてあの子は私の手助け無しに人間界へ帰れない。この意味が解るわね?」
「はあ。まさか『無事帰りたければ言うことを聞きなさい』とか脅して無理矢理ヤっちゃうんですか?」
フェリンの指先が闇色の光を宿す。そして躊躇なくぶっ放した。
「下品なコトを言わないで」
「いま私の心臓を狙ってましたよねー!?」
「あの可愛い体を抱き締めながら愛を語らうだけよ」
「苦情を耳に入れてください!」
「ついでにあの柔らかな耳とか頬とか唇に触れて、隙を見つけてメイド服を脱がしてイチャイチャしちゃおうとか、それ位しか考えてないわよ」
「それって、ヤっちゃうってコトじゃないんですか」
3つの光の筋がソファーに穴をあける。サディアは涙目になりながら床に転がった。
「脳に穴があいたら死んじゃいますってば!」
「愛を確かめ合う行為をそんな下品な言葉で表現しないで」
「苦情を聴けよ!」
「ずいぶんな言葉遣いね。お兄様に言いつけるわよ」
「ふーんだ。だったら私もチクっちゃいますからねー。レオン様のお気に入りである彼女に危害を加えたら、いくらフェリン様でもタダじゃ済みませんよー?」
「危害を加えるだなんてご挨拶ね。愛を確かめる行為だと言っているでしょう」
「むこうは愛だと思っていないと私は思いますけどねー? 彼女はフェリン様の半径3m以内に近寄ろうとしないですし」
む、とフェリンの唇が尖る。手にした陶器のカップに目を落とした彼女は、クイと液体を流し込むと、やや乱暴な手つきでカップを置いた。
「そうなのよ。今朝もサキちゃんに声をかけたら逃げられてしまったわ。やっぱり以前に無理矢理抱きしめたのがマズかったのかしら。人間ってよく解らないわ」
「我々魔族だって同じですよー。強引に迫られたら普通逃げますって」
「遺憾ながらそのようね。というわけでサディア、頼んだわよ」
お茶を楽しんでいたサディアの体が硬直する。たっぷり十秒ほど固まっていた彼女はカチャリと音を立ててカップを置いた。
「な、何がですかー?」
「サキちゃんをこの部屋に拉致ってきてちょうだい」
「危害を加えちゃダメだと言ったばかりでしょーが!」
「ついでに裸にしちゃって、リボンでラッピングしてくれると気分が盛り上がるわね」
「だから聞けよ! 耳ついてんのかこんにゃろー!」
とうとう我慢できなくなったサディアが手の平をテーブルに打ち付けた。
水晶製のそれにヒビが入りそうな程の音が響いたが、対するフェリンはまるで動じていない。胸元からゆっくりと愛用の扇子を取り出してみせた。
濡れ羽色のそれをパラリと広げてパタパタと扇ぐ。フェリンの美しい銀髪がふよふよと揺れる。
サディアは口をへの字にしたまま「考え直せこんにゃろう」と目で訴える。
妙な緊張感が支配する状況のままきっかり30秒後。フェリンが口にした一言がサディアの胸にクリティカルヒットした。
「以前、貴女が犯した致命的なミスを覚えているかしら」
「う」
「偉そうなコトを言っておきながら結果はどうだったかしらね。あの時のことを忘れたとは言わせないわよ」
「そ、それとこれとは話が違いますよー」
「別に貴女の首なんて要らないけれど、それなりのケジメが必要だと思わない? 貴女が願いを叶えてくれたなら、あの失敗は水に流してあげるのだけれどね?」
フェリンは整った眉をゆっくりと動かしてサディアに問いかける。
「私はあの子にどうしても尋ねたいことがあるのよ。だから宜しく」
「わかりましたよ、もう……」
という訳でサディアは折れてしまい、サキ捕獲作戦の実行犯になったのだった。
* * *
昼食の時間も終わり、どこか気の抜けた雰囲気が漂う時間になった頃。
サディアは城の書物庫へと足を伸ばしていた。
蔵書数が数百万冊にも上る大規模なものだが、書物庫を利用する者は滅多にいない。長らく司書が存在していなかったせいで整理整頓が不完全である上に、モンスター化した魔術書が襲ってくることもあるからだ。
そんな場所に彼女が向かった理由はひとつ。ここにターゲットが高確率で滞在していることを知っているからに他ならない。
(ここは相変わらず閑散としてますねー)
書物庫へと入った途端、広大な本棚の森が目の前に広がる。周囲は静寂に支配されているので小さな物音でもよく響いてしまう。サディアは音を立てないよう慎重に扉を閉めた。
本棚がきちんと整列していないせいで書物庫はちょっとした迷路になっていた。空を飛べば簡単に進めるが、そんなことをしたらターゲットにすぐバレてしまう。何度か引き返すハメになりながらも足音を殺して奥へと進んでゆく。
(……おっと)
古書の香りが漂う中を5分ほど進んだ頃、サディアは小さな気配を感じ取った。
物陰から気配の主を確認する。やや開けた場所に設置されている机に座っていたのは、メイド服風のドレスを着た女の子だ。その鮮やかな赤髪はターゲットに間違いない。
「んー……」
長時間の作業に疲れているのか、サキは眼鏡を外して小さく伸びをしていた。彼女が使用している眼鏡は言語を自動翻訳する便利なアイテムなのだが、着用による負担が大きいというリスクがある。
小さな指で目を擦っている彼女を観察しつつ、サディアは笑みを浮かべた。
ターゲットはお疲れのご様子だ。つまりチャンスだ。大チャンスなのだ。
サディアは胸元から取り出した布に目を落とした。これには催眠剤を忍ばせてある。軽く吸い込んだだけで即座に眠りに落ちてしまうというシロモノだ。
隙を突いて接近し、これを使って眠らせる。疲れて注意力が散漫になっているであろう相手なら難しい仕事ではない。
(下手に魔術を使うと発動前に感付かれちゃいそうですしねー)
軽く息を吐いたサディアは仕事モードに意識を切り替えようとして、
「こんな所で何をやってる、なの?」
「うひゃぁああああああ!?」
見事なカウンターを食らった。
* * *
すごすごと退散したサディアは、再び無茶ぶり依頼者の下へと戻っていた。
「というわけで失敗しちゃいました……って痛い! 何するんですか!」
「失敗報告なんて聞きたくないわ。どうして気づかれたくらいで諦めるのよ。適当に誤魔化してヤっちゃえば良かったじゃない」
「誰の仕業かバレちゃったら後でレオン様に殺されるからですよ!」
「構わないわ」
「構えよ!」
涙を浮かべながら苦情を言ってもフェリンは相変わらず聞いちゃいなかった。
「それで? 次の手は考えてあるんでしょうね」
「……次は、夕食に遅効性の睡眠剤を入れてみようと思っていますけれど」
「良いじゃない。それなら正体を気づかれぬまま実行可能ね。フラフラになったサキちゃんを介抱するフリをしてこの部屋に連れ込めば勝ったも同然だわ」
「簡単に言ってくれやがりますね……正直に言って怖いんですよね。なんというか、ものすごく失敗する予感がビシバシするんです。お仕事の前に突然降ってくる予感って大概当たるんですよ」
「どうしてよ。ちょっと厨房に忍び込んでお鍋にでも睡眠剤を忍ばせれば終わりでしょう?」
「そんなコトしたら食事に同席する全員が寝ちゃうから後で大騒ぎですよ。だからターゲットのお皿にだけ盛る必要があるんです」
「ふーん、どうでもいいけど。じゃそれで宜しく」
という訳で、サディアは青筋を立てながらも第2ラウンドへ向かっていった。
* * *
そろそろ夕食の時間に差しかかった頃、サディアは再びフェリンの私室に戻っていた。
「また失敗したの?」
「ふぐぅうううう、みず、水をください死んでしまいます」
顔を緑色にした彼女は、手渡された水を浴びるように飲んでバッタリと倒れた。
「何があったのよ……」
「厨房に入ったら、リアさんが、料理の練習を、して、いたんです」
リアは、サキと同様にこの城に招待された人間だ。普段からニコニコと笑顔を絶やさない彼女は見た目こそ非力な少女にしか見えないが、その正体は正真正銘の勇者だったりする。そんな人物がなぜこんな所で暮らしているのかという理由は説明が長くなるので割愛してしまおう。いま必要な情報はただ一つ。彼女は料理の腕が悪魔的だということだ。
「味見を頼まれちゃいまして、断りきれずに一口飲んだらぶっ倒れました」
「そんなに酷かったの?」
「見た目はとっても美味しそうなのに、口にした途端に体が痺れたんです」
「お兄様苦労してるのね……でも、それをサキちゃんに飲ませれば良かったんじゃない?」
「いや本当に洒落にならない破壊力なんです。死んじゃいます。というか私もそろそろ限界なんで気絶していいですか」
「ダメ」
という訳で、サディアは第3ラウンドへと突き落とされた。
* * *
夕食も終わり、夜も深くなってきた頃。
またも失敗したと報告したサディアは真っ白に燃え尽きていた。
「熟睡しているところを狙って近寄ったのにバレるとか、もームリです」
「また失敗したの?」
「あの子本当に人間なんですか? 実は猫が化けているんじゃないですか」
「知らないわよ。それよりサディア、貴女手を抜いているんじゃないでしょうね」
「そ、そんなこと無いですって。あの子とんでもなく気配に敏感なんです」
「言い訳は要らないわ。さあ早く立ち上がるのよ。まだ戦いは終わっていないわ」
「ダメです。どうあがいても絶望です。お願いですから勝利条件を変えてください」
ぷるぷると震えるサディアを横目にフェリンはお茶を一口飲む。そして僅かに首を傾げた。
「……どういうこと?」
「つまり、"ターゲットとフェリン様を引き合わせる"という条件にして欲しいんです」
「今までと同じじゃない」
「裸にひん剥いてラッピングしろとか無茶なコト言ってたじゃないですか!」
「騒がしいわね……まあ、その条件なら別に構わないけれど」
「本当ですねー? あの子と会えれば良いんですよねー?」
「ええ。でもどうするつもりなのかしら」
「もうすぐ解ります」
サディアの発言が終わるのとほぼ同時に、フェリンの手からカップが零れ落ちた。
「……あら?」
「実はそのお茶に細工をしていまして。毒ではありませんからご安心ください。夕食のスープに混入させようと思っていたヤツの速効性バージョンです」
「ちょっと、どういうこと?」
「危険を冒してターゲットを捕まえるよりも、フェリン様を拘束して引き合わせた方が何かと都合がいい上に手っ取り早いんです。フェリン様が手出しできないと解っていたらあの子も安心してくれるでしょうから。という訳でアナタは段々眠くなるー。ほらほらー」
「う……く……後で、覚えて……なさいよ」
「次に目を覚ました時にはあの子目の前にいるハズですから。後は――」
言い終わる前にフェリンの頭がカクンと下を向く。サディアは「くふふ」とイタズラっぽい笑みを浮かべて、いそいそと準備を始めた。
* * *
「――まあ、こんなところかしら」
眠らされたフェリンが次に目を覚ましたのは書物庫の中だった。
恒常的に発光する白の魔法石に照らされているので周囲は明るいが、時刻はそろそろ日付が変わろうとする頃だ。
彼女は後ろ手に拘束されていた。おまけにピンク色のリボンで全身をぐるぐる巻きにされて、鉄木の椅子に縛り付けられていた。
そんな状況に陥ったフェリンは、ちょうど今、若干引いているサキに向かってこの状況に至った経緯を白状し終わったところだ。
「私が縛られて喜ぶ性癖の持ち主でないと理解してもらえたかしら」
「フェリン様は、どちらかと言えば縛りたい方ですよねー」
「ええ。この拘束を解いた暁には、真っ先に貴女の四肢を縛り上げて刑に処してあげるから覚悟しておきなさい。サディア」
サキから目を逸らして裏切った部下を睨む。しかし睨まれた方は余裕の笑みを浮かたまま動じない。
「どうしてですかー? ご要望どおりの状況になってるじゃないですかー」
「どこがよ!」
「おお怖いですー。悪い娘にはお仕置きしないといけませんねー」
言いながらサディアは扇子を取り出した。パッと広げると、先端にある黒い毛玉の装飾をちょいと触って感触を確かめる。
「……ちょっと、それ私の扇子じゃない。貴女サキちゃんの目の前で何をするつもりなのかしら」
「ふっふー、薄々感づいてるくせにー」
「こら、ばか。止めなさいってば」
「うりうりー、悪いコトを企む娘にお仕置きじゃー」
そして、逃げようとするフェリンを全力でくすぐり始めた。
「ひぁっ、やめ、止めなさい! 首は弱いから止めてってば!」
「はっはっはー、だったらココですか? この柔らかな耳をくすぐられるのが好きなんですかー?」
「んんッ! 違うわよッ! いいから止めなさいって――」
「うりうりうりー。あ、そうだ失敗したなー。どうせなら後ろ手に縛るんじゃなくて、両手を頭の後ろ辺りで固定するように縛ってあげれば良かったですね。そしたら脇腹とかもくすぐってあげられたのに」
「冗談じゃないわよ! っていうかそもそも何故私は薄手のワンピースなんて着てるのよ! 寝ている間に着替えまでさせたの!?」
「その方がくすぐり易いじゃないですかー」
サディアが目を輝かせる。完全にドSのスイッチが入っていた。フェリンが身を捩って暴れても、全身を拘束しているピンクのリボンは僅かに軋むだけでビクともしない。
「やっ、ちょっと! 胸はもっとダメだってば――」
「いやー、楽しいですねー。何だか新たな性癖に目覚めちゃいそうです」
「バカなこと言わないで……ッ」
顔を真っ赤にしながらサディアを睨みつける。そんな主の様子を見てさらに調子に乗ったドSは耳、首、腕、胸、そして脚を順にくすぐっていく。日ごろの鬱憤を晴らすような勢いは止まることを知らず、その間すっかり放置されているサキは大きな欠伸をして眠そうに目を擦っていた。
「っ、サディア……覚えていなさいよ……」
「まだそんなことを言いますかー? ……おっと、名残惜しいですが、そろそろ私は退散しますね」
サディアは後ろを振り向くと、もう半分寝ているサキに扇子を手渡す。
「フェリン様からお話があるらしいので、変な話だったり悪い事を企んでいたらこれでお仕置きしてあげてください。きっと喜びますよー」
そして、さっさと書物庫から退散していった。
* * *
残された二人は暫く無言のままだったが、フェリンが気まずそうに口を開いた。
「ごめんね、こんな夜遅くに」
「何だか二人で楽しそうだった、なの」
「本当に苦しんでたのよ……あのバカちっとも手加減しないんだから。それにしても、まさかこんなシチュエーションになるとは思わなかったわ」
まったく、と悪態を吐く。彼女は気を取り直して本来の用件を伝ることにした。
「夜も遅いし手短に用件を言うわ。あなたに訊きたいことがあるのよ」
「ききたいこと、なの?」
「そう。サキちゃんは、いつか人間の世界に戻ってしまうの?」
サキは質問の意図が解らずに首を傾げたが、迷うことなく肯定してみせた。
「そのつもり、なの」
フェリンの顔が一瞬だけ暗くなる。しかし、彼女はすぐにそれを消して言葉を続けた。
「あなたの主は、今もあなたにとって大切な存在なのね」
「当然なの」
「だったら、どうして貴女はお兄様たちと一緒に行こうと決めたの?」
サキは、かつて日天玉を壊そうとした事がある。己の主を助けたい一心で、一国を滅ぼしてしまう事になる手段を選ぼうとしたのだ。
その時の事を兄から聞いていたフェリンは、好奇心に負けてサキの記憶を少しだけ探ったことがある。彼女が幼少の頃にどんな経験をしてきたのかを知ったフェリンは、サキの決断が生半可なものではないことを理解していた。
しかし、だからこそフェリンには解らなかった。それ程に大切にしている人物と別れてまで兄に同行した理由は何なのだろう、と。記憶を探っても、その部分だけは何故か読み取れなかったのだ。
「どうしてそんな事を知りたい、なの?」
「好きな相手のことなら何でも知りたくなるのは自然なことよ」
サキの窺うような視線をフェリンは涼しい顔で受け止める。根負けしたように目を逸らしたのはサキの方だった。
「……主様に怒られちゃったから、なの」
「それは、国を滅ぼすようなコトをやろうとしたから怒られてしまった、ということ?」
「違うの。主様の命を助けることしか考えてなかったから怒られた、なの」
「でも、貴女は主を守る立場にあるのよね? 他の何よりも主を優先するという考えに間違いは無いと思うのだけれど」
「あの時自分がしたことを後悔はしていないの。でも主様は『娘の人生を壊してまで生きたいと思う親なんていない』って、ものすごく悲しそうに怒ったの」
離れたいなんて思う訳がない。でも、あの時の自分は主を悲しませてしまった。
主を守りたいと思う気持ちと同じ位に、主を悲しませることもしたくない。
「だから、もっと成長しないとダメだと思ったの」
主を笑顔のまま守れるようになる為に、離れる決心をしたのだとサキは言った。
「もちろんレオンとリアっちが好きだからという理由もあるけれど、なの」
どこか遠くを見ていたサキが少し照れたように視線を戻す。その先にいるフェリンは「そっか」と頷いて微笑んだ。
「貴女の主は、もっと強くなれと言ったのかしら」
「色々なものを見てきなさい、と言われたの。そして、自分が大切にしたいと思えるものを見つけてほしいって」
「そう。それは見つかった?」
「……まだ、よく解らない、なの」
「そうよね。まだお兄様と出会ってから大して月日も経っていないんだものね。……ねえ、だったらその時が来るまではここに居てくれる?」
「迷惑じゃないなら、そうしたいの」
何を言ってるのよ、とフェリンが笑う。
「私にできる事があったら何でも言ってね。協力は惜しまないわ。お兄様ほどではないけれど、私の名もそれなりに使えるのよ」
「うん。ありがとうなの」
「お礼なんて要らないわよ」
ここ数日消え失せていた彼女の笑顔は、とても優しい顔だった。
* * *
「さて、と」
フェリンは首をぐるりと動かして周囲を見渡した。
もう夜は相当に深くなっている。当然ながら二人の他に動くものはいない。意識して耳をすませば痛くなるほどの静寂が周囲を支配していた。
そのことを確認したフェリンの唇に、先ほどまでとは違う笑みが浮かぶ。
彼女は全身リボンの体を揺らすと「もう一つの目的を果たそうかしら」と立ち上がった。
ぐるぐる巻きになっていたピンクのリボンが解けて落ちる。フェリンは全身をほぐすように伸びをして、ゆっくりとサキに歩み寄った。
「ふふふ。あの程度の拘束でこの私を封じたと考えるなんてサディアも甘いわ。さあサキちゃん、もっと仲良くなる為に愛を語り合いましょう?」
「そ、それはイヤなの」
「うふふふ、大丈夫よ痛くしないから。色々なことを知るのは大切だって貴女の主も言ったのでしょう?」
「それ絶対に違うの。フェリンの触り方はぞわぞわってするから苦手なの」
「まだ愛撫に慣れていないからよ。そのうちきっと好きになるから――」
「――悪い子にはおしおき、なの」
サキが右手の扇子を相手に向ける。フェリンは一瞬キョトンとしたが、すぐに「ふふん」と笑みを浮かべた。
「そんなモノもう怖くないわよ。ああ、ひょっとしたらそれで遊んで欲しいのかしら?」
「レオン、助けてなの」
「……え?」
何者かが、フェリンの肩をガッシリと掴む。
今日も魔界は平和だった。
読んでいただきありがとうございます。
あらすじにも記載しましたが、これは『手を引く勇者と引きずられる魔王』という作品の後日談的作品です。本編を補完する目的で作成しました。
本編は完結処理をしているので短編として掲載することにしました。