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恋文の代筆をしていたら、お相手の公爵様から「代筆人殿」宛に返事が来ました

掲載日:2026/07/13

 恋文の値段をご存じだろうか。


 わたしの店では――店といっても、文具店の奥を借りた机一つだけれど――一通、金貨一枚。調査込みなら二枚いただく。


 調査というのは、お相手の好みを調べることだ。好きな詩人、好きな花、幼少期の思い出、苦手な話題。恋文は矢文である。的を知らずに射る矢は、どれほど美辞麗句を飾っても当たらない。


 わたし、ロゼ・アルマン。没落男爵家の長女、二十三歳。家に残った財産は、亡き祖母仕込みの文字の腕だけ。おかげさまで代筆業の成約率は八割、ご令嬢方の間でひそかに「文具店の魔女」と呼ばれている。


 ただし、依頼を受けるとき、わたしは必ず一つ約束させる。


「成就したら、その先はご自分の言葉で書いてくださいませ。わたしが書けるのは、扉を叩く音まで。扉の内側で交わす言葉は、あなたのものです」


 嘘の恋を売っているのではない。本物の恋の、最初の一歩だけを整えて差し上げる。それがわたしの矜持であり――まあ、正直に言えば、金貨一枚でそれ以上の責任は持てないという話でもある。


 ◇


 その依頼は、春の社交期の初めに、三件連続で来た。


「お相手は、レーンフェルト公爵様ですの」

「レーンフェルト公爵様に、ぜひ」

「公爵様……レーンフェルトの」


 三人。お相手が、全員同じ。


 アルディス・レーンフェルト公爵。二十九歳、独身、国境軍の元司令官で、いまは枢密院の重鎮。眉目秀麗、資産潤沢、性格は――社交界いちの堅物として知られる。夜会では必要最低限しか話さず、贈られた恋文には十年間、一通の返事も書いたことがないという伝説の持ち主だ。


 依頼を三件とも受けるかどうかは、迷った。同じ相手に三通、同じ代筆人が書く。倫理的にどうなのか。


 迷った末、受けた。家の冬越しの薪代が、ちょうど金貨六枚だったのである。矜持は薪では燃えないが、薪がなければ矜持ごと凍える。


 その代わり、手は抜かなかった。三人のご令嬢それぞれと面談し、それぞれの人柄が最も良く出る角度を探し、三通、まったく別の手紙を書いた。武門の姫には狩猟の話を、学問好きの伯爵令嬢には古典の引用を、内気な子爵令嬢には庭の花の話を。文体も筆跡も変えた。プロの仕事である。


 二週間後。文具店に、一通の手紙が届いた。


 封蝋は、鷲の紋。レーンフェルト公爵家。

 宛名は、依頼人の誰でもなかった。


『文具店気付 代筆人殿』


 ……心臓が、嫌な音を立てた。


『拝啓、代筆人殿。


 先般、当方宛てに三通の書簡を受領した。差出人はそれぞれ異なるが、以下の三点により、起草者は同一人物と判断する。


 一、三通とも、段落の頭で一字下げる際、僅かに右に傾ぐ癖がある。筆跡は変えてあるが、癖は変わっていない。

 二、三通とも、便箋の折り方が同一である。四つ折りの最後の一折りだけ、山が一分ずれる。

 三、三通とも、文末の結句が異なる表現でありながら、韻律が完全に一致する。同じ耳が書いた文章である。


 以上を踏まえ、差出人のご令嬢方ではなく、貴殿に問う。

 貴殿は、恋を偽造して恥じないのか。


 アルディス・レーンフェルト』


 わたしは手紙を持ったまま、文具店の奥で立ち尽くした。


 怖い。観察眼が怖い。折り目の一分のずれまで見ているのか、この公爵は。


 だが、それより――恋の偽造、と言われたことが、腹に据えかねた。


 ◇


 返事を書いた。書かずにいられなかった。薪代のためではない。矜持のためである。


『拝啓、レーンフェルト公爵閣下。


 ご賢察の通り、三通は私の手によるものです。観察の精緻さに敬服いたします。特に折り目の件は、以後の業務の参考にいたします。


 しかしながら、「恋の偽造」との仰せには、職業人として反論申し上げます。


 私が偽造したものは、一つもございません。武門のご令嬢が閣下の遠乗りの逸話に頬を染めたのは事実です。伯爵令嬢が閣下の議会での引用の出典を三日かけて調べたのも事実です。子爵令嬢が夜会で閣下に踏まれた裾を、繕わずに取ってあるのも事実です。


 彼女たちに欠けていたのは恋ではなく、恋を紙に載せる技術だけです。文字の巧拙で恋の真贋を測られるのであれば、この世で文字を持たぬ者は永遠に恋を証明できません。私は技術を貸したのであって、心を捏造したのではありません。


 なお、恋文に十年間返事を書かなかった御方が、代筆人への詰問には即日筆を執られたことを、職業柄、大変興味深く拝見しております。


 代筆人』


 我ながら、最後の一段落は余計だった。投函してから三日、後悔した。

 四日目に、返事が来た。


『拝啓、代筆人殿。


 反論を受領した。概ね、認める。恋と技術の分離という論点は、当方に欠けていた視座である。三通のご令嬢方には、それぞれ礼を失さぬ形で、直接お断りの返書を出した。当方の言葉で書いた。生涯で最初の恋文への返事が断り状三通であることは、我ながらどうかと思う。


 最終段落への回答。詰問に筆を執ったのではない。十年間、当方に届く手紙はすべて、当方の爵位と資産と外見に宛てられていた。先般の三通は、初めて「当方が読むこと」を考えて書かれていた。狩猟の話は距離の詰め方が正確で、古典の引用は衒学に堕ちる一歩手前で止まり、花の話は当方の亡母の庭を調べた上と見た。


 つまり当方は生まれて初めて、手紙に敗北したのである。敗因の分析は軍人の習性だ。以上。


 追伸。貴殿の商売の建て付けについて、なお疑義が三点ある。返答されたい。』


 疑義三点、の下に、几帳面な箇条書きが続いていた。


 わたしは呆れ、それから、笑ってしまった。

 この人、文通がしたいのだ。堅物の伝説の中身は、「話したいことが手紙でしか出てこない人」だったのである。


 ◇


 文通は、春から夏へ続いた。


 公爵の手紙は、毎回が軍の報告書のようだった。箇条書きで、論点が明示され、追伸に必ず質問がある。だがその硬い様式の隙間から、時々、妙なものがこぼれた。


『追伸。本日、議会にて三時間の答弁。疲労した。貴殿の言う「文字を持たぬ者の恋」について考え続けている。当方は文字しか持たぬ者の恋というものも存在すると思う。所見を乞う』


『追伸。亡母の庭の薔薇が咲いた。母の存命中、当方は一度も綺麗だと言えなかった。本日、庭師に言った。庭師は驚いていた。貴殿の影響と分析する』


 わたしはわたしで、手紙の中でだけ、自由だった。没落男爵家の長女でも、行き遅れの代筆屋でもなく、ただの「筆の相手」として、詩の話をし、商売の愚痴を書き、公爵の箇条書きの癖をからかった。


 名乗らなかった。名乗れば、爵位と家格と年齢が、紙の上に乗ってしまう。あの人が十年うんざりしてきたものを、わたしが持ち込んでどうする。


 だから、夏の終わりのあの手紙には、心臓が止まるかと思った。


『拝啓、代筆人殿。


 単刀直入に記す。貴殿に会いたい。


 貴殿の言う通り、当方は手紙でしか話せぬ人間だった。この半年、貴殿への手紙の中でだけ、当方は当方であった。ゆえに次の段階に進みたい。扉を叩く音までが代筆人の領分と、いつか貴殿は書いた。ならばこの手紙が、当方の叩く音である。扉の内側の言葉は、拙かろうと、当方自身の口で述べる。


 場所と日時の指定を、貴殿に委ねる。


 追伸。貴殿が何者であっても、当方の判断は変わらない。爵位、家格、年齢、その他、社交界が数えたがる一切を、当方はすでに三十年数え飽きている。当方が数えたいのは、貴殿の手紙の続きだけである。』


 わたしは、その手紙を三日、引き出しに入れた。


 三日目の夜、二十三年分の臆病と、半年分の文通を天秤にかけて――天秤が、あっけなく傾いたので、覚悟を決めた。


 指定した場所は、文具店。日時は、店じまいのあとの夕刻。

 逃げも隠れもしない。ここがわたしの、紙とインクの城である。


 ◇


 約束の日、鐘が鳴り終わる前に、扉が三度、叩かれた。時間に正確な人だ。知っていた。


「どうぞ」


 入ってきた公爵は、噂通りの美丈夫で、噂通りの仏頂面で、そして手紙の通り、少しだけ耳が赤かった。


 公爵はわたしを見た。店の奥の机、インクの染みた指先、積まれた便箋。それで全部わかったのだろう、深く息を吸ってから、彼は言った。


「……アルディス・レーンフェルトだ。その、あー……」


 沈黙。見事に、続かない。手紙ではあれほど雄弁な人が、三語で止まった。


 わたしは笑いをこらえ、助け舟のかわりに、机の上の便箋を一枚、彼の前に滑らせた。ペンを添えて。


「ロゼ・アルマンと申します。閣下。――お急ぎでなければ、書かれますか?」


 公爵は便箋とわたしを二往復見て、それから、観念したように笑った。伝説の堅物が笑うところを、社交界の誰も見たことがないだろう。わたしは見た。最前列で。


 彼はペンを取り、一行書いて、わたしに向けた。


『扉の内側でも、時々は紙に頼ることを許されたい』


 わたしはペンを受け取り、その下に返事を書いた。


『許可します。ただし今後、代筆料は頂きません。身内料金ですので』


 一拍おいて、彼が顔を上げた。


「……身内、の定義を確認したい」


「あら。観察眼の鋭い閣下なら、ご賢察かと」


 その日、文具店の閉店時刻は、大幅に破られた。


 ◇


 後日談を一つだけ。


 わたしたちの婚約が公表されたとき、社交界は騒然となったが、いちばん騒いだのは例の依頼人のご令嬢方だった。てっきり恨まれると思ったら、三人揃って店に押しかけてきて、こう言った。


「「「結婚式の招待状の文面、代筆してくださいます?」」」


 もちろん、お受けした。ただし今回は、調査は不要である。

 新郎の好みなら、この世の誰より、わたしが知っている。


(了)

お読みいただきありがとうございました。


「恋文に十年返事をしない人が、返事を書きたくなる手紙とは何か」から逆算して生まれた話です。世の中には、口では三語しか出ないのに、紙の上でなら三枚書ける人がいます。そういう人の恋は、遅いだけで、薄いわけではないのです。


ロゼの代筆屋のその後(公爵夫人になっても店を畳まない)も、ご要望があれば書くかもしれません。


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― 新着の感想 ―
なんだかメグ・ライアンのユー・ガット・メールとか、ケビン・コスナーのメッセージ・イン・ア・ボトルを思い出させる、ロマンチックな短編でした。顔も名前も知らないままに、文通だけで、ビジネスライクなはずなの…
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