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「そのプロポーズは聞こえねぇ! もう一回!」〜オープンカーの風圧に愛を邪魔された私〜

作者: 松平 ちこ
掲載日:2026/05/06

 よくある中小企業の、なんてない工場。

 高校卒業と同時に就職し、そこで出会った二つ上の先輩がいた。

 身長は私より高い、でも言ったら悪いが幼馴染みと比べたら低い分類だった。体格も作業着がダボっとするくらいヒョロイ方。

 工場の音がうるさくて、話し声が聞こえにくいから、仕事中はほとんど話したことがない。


 仕事を覚えるうちにあっという間に月日が流れ、先輩とは挨拶をするかどうかの日々。それもそのはず、まず部所は違うし、定時上がりの私と残業する先輩だ、接点がない。

 時折食堂で、会社の人と話している先輩を見かける。

 倉庫の一角に卓球台が一台あって、会社の人と対戦しているのを見かけたこともあった。


 ずっと一方的に見てるだけ、基本無口、無表情の先輩。

 事務のおばさんと話す時にフッと笑う姿がかっこよくて、汗と油にまみれて真剣に働く姿に思わずドキリとする。

 ハッキリ言おう、家と工場の往復だけの彩りのない社会人、その一年生である私の目の保養だった。


 さらにビックリ。先輩のことをヒョロイと思っていた夏のある日、朝の始業前の仕事で、先輩は作業着を腰に巻き、Tシャツの袖をまくっていた。

 むき出しになった肩から先、ガッチリとした線を描き――なんと、細マッチョだったのだ!


 ――クールなイケメンの細マッチョ。


 脳内が速攻で美化されて、ただ見かける目の保養から、いつの間にか愛でる推しへと変わっていた。

 けれど直接話したことがない先輩のことは、なにも知らなかった。


「えい!」


 転機が訪れたのは年の瀬が終わる仕事納め、現場の人間だけで行うボーリング大会。

 幹事が受付で手続きし、それぞれがボール等を選んだりする自由時間。

 一人ポツンと椅子に座ってスマホを触る先輩に、私は思いきってペットボトルを首筋へ当てた。


「――っ! なに?」


 ヒヤリとした冷たさに肩をビクりと震わせた先輩は、いきなりの私の暴挙に怒ることはなく、仕事中と同じように静かに訊ねてきた。それだけでとても好感が持てて、ドキドキしてしまう。


「係長が若手社員対象に、好きな飲み物買ってくれるそうです」


 小さな工場だから、ここで言う若手は先輩を合わせても全員で五人しかいない。

 誰かに頼まれたわけでもない。単純に、口実になると思ったからだ。

 でも、普通に話せばいいのに、仕事外で話しかけたことがないから、何を話せばいいか分からない。


 一瞬悩んだ結果、私が取った行動は真冬でのクールドリンクアタックだ。

 効果はてきめん。私服姿の先輩の視線を、私はゲットした。

 先輩はと言えば軽くお礼を言ったと思えば、さっさと係長のところへ行ってしまった。

 私は私で他の社員に話しかけられて、グループ決めやら雑談やらへ混じっていった。


「はい、仕返し」


 唐突にそう前フリされて、私の頬に熱い物が触れた。熱いと感じるより先に離されたそれは、先輩が選んだ缶コーヒーだった。

 しかも、私のリアクションを見ずにヒラヒラと缶コーヒー片手に先輩は席へと戻っていく。


 ――キザ!!


 しかしすぐに始まったメインイベントのボーリング大会のせいで、私は先輩を追いかけることも出来なかった。

 そしてボーリング経験があまり無いせいで、スコアは残念なことになっていた。

 周りの社員はと言えば、皆、大人でやりなれている。かなり上手い人もいれば、パッとしない人もいるにはいたが……。

 ぐるぐると考えたところで、私のスコアが上がることもなく、半ばヤケクソで先輩のところへ行った。


 ――ボーリングまで、そつなくやるだと!?


 私は話しかける前に、スコア表を見た。そこは先輩を含め、全員が上手いところだった。

 しかもちょうど先輩が投げているところで、スラリとした後ろ姿に綺麗なフォームで見とれてしまう。軽々と持ったボールも普通に重いやつを選んでいた。

 あまりにも大きな差に悲しくなり、場違い過ぎて席へ戻ろうとすると、投げ終わった先輩に見つかってしまう。


「偵察?」


「いえ、全く上手くないんで、私」


「そんなこと言って……あ、ホントだ。下位賞狙い? いや、下位賞も無理か、残念だね」


 先輩は目も大変よろしいようで、遠くのスコア表を見て、さらには二度見された。そして、気遣うように労われた。

 そう、私のスコアは半分以上ガーターなのに対し、なぜか時々、二本目で全本倒しスペアを取るせいで、最下位ではなかった。

 当たる、当たらないが極端すぎて、一言で言うなら、なんでそうなった? という残念なスコアなのだ。


「まぁ、順位やスコアは気にしないで、ゲームを楽しみなよ。ほら、あそことあそこも、マイボールとか持ってきてるから、上位はある程度出来レースになってるんだよ」


 ボーリング大会と言うだけあって、上位三位までと最下位賞の四つが設定されていた。

 先輩は上位に入る腕前ではないし、狙えないからと笑って説明してくれる。

 少し言葉を交わしただけで私の順番になり、社員から呼ばれてしまう。


「ここから見てるから頑張って」


「いや、下手なので見ないでください」


 笑顔もない無表情ではあったが、先輩からエールを送られた。悲しいかな、良いところを見せたいといくら思っても、私は最後までほとんどをガーターに入れていた。


 ――黒歴史抹殺! もう先輩がかっこいいだけ覚えとくから!


 しかしこのボーリング大会をきっかけに、先輩とは少しずつ話すようになった。

 少しずつ無表情から他の表情も見せてくれるようになり、残業の無い日に食事を誘われるようにもなった。

 工場の周りに洒落た店などが無いため、居酒屋やラーメン屋に立ち寄って、食べて帰るだけの色気の無い日々だったけれど。


『好きです。付き合ってください』


 タタタ、とタップが打たれ、表示されたスマホの画面を見せられた。

 いつものように立ち寄った居酒屋のテーブル席、食事が一段落したタイミングで、それは起きた。

 そのテーブルの上に、スッと置かれて見せられたスマホの画面。突然の無言の告白だった。テーブルに身体を預け、上目遣いで窺うように先輩は私を見てきた。

 言葉が出てこなかった私は、スマホを手渡しで返して無言で頷いた。


 ――待って、クールイケメンの次は、愛車がスポーツカーなの?


 付き合うようになって、休みの日に初めて出掛けることになった。

 車で近くまで迎えに行くから、と言われて待ち合わせ場所のコンビニで、私が目にしたのはスポーツカーだった。

 マニュアル車でリトラクタブルのツーシート、昼食を節約し給料を貯めて一括払いしたという。

 狭い車内に、低い車高、見える景色は歩くよりかなり低い。隣を見れば姿勢良く座りながら、風に髪をなびかせハンドルをかっこ良くさばく先輩の姿。


 ――先輩のスペックおかしくない?


 そんな先輩とのデートも慣れてきた頃、キラキラとした少年のような目をした先輩の、その日一つ目の爆弾発言があった。


「ハードトップ取って、オープンカーにして乗ってみない?」


 街で目にする分にはかっこいい。それが先輩なら、さらにかっこいいだろう。

 そこに私が乗ることになるとは、微塵も思わなかったが。

 オープンカーにするには、古い車だったから二人がかりでハードトップを取る必要があるそうだ。

 イケメンの眼差し、さらには恋人補正がかかってしまったら、引き受けないわけがないだろう。

 初めてのプライベートでの共同作業はドキドキよりも、ハードトップが重くてスリリングだった。


 ――これ、帰ってきたら先輩と二人で戻すんだよね!?


 オープンカーでのデートは、風で髪が乱れ、通行人との距離が近く視線も感じて、かなり色々と落ち着かなかった。移動があっという間に感じるほどだ。

 やっと余裕が出てきたのは、日が落ちてからの夜だった。

 人通りの減った夜間を走るのは、風を直接感じれてとても気持ちが良かった。

 帰り道で、峠を下ることになった。界隈では有名な夜景スポットでもあるそうだ。せっかくだから見て帰ろうと誘われた。


 ――先輩、全然疲れた様子がなくてすごいなぁ。


 そう思ってしばらく経った時に、夜風を感じて思い出した。雑念が出るほどにリラックスしていたともいえる。

 確かあの漫画では、風圧でおっぱいの感触が体感できる、と主人公が言ってたなぁと。

 さすがに真上に手を突き出すのは気が引けて、横から手のひらを少し出して風を受けてみる。

 着替えやお風呂でのことを思い出して比べてみるけれど、よく分からなかった。

 アホな子と思われても嫌で、私はすぐに引っ込めた。


「――前! 前見て!」


「すごー!」


 遊んでいたら、先輩に声をかけられた。

 言われるがまま見た景色を、私は一生忘れないだろう。

 テレビでよく見る夜景と言われたらそれまでだが、髪型を犠牲にして心地よく受ける風に、緑の香り、遠くの方まで一望できる――この臨場感は、テレビでは味わえないだろう。

 直線道路の見通しの良い下り坂、視界いっぱいに、まるで宝石箱のようなキラキラとした光が広がっていた。


「――い!」


「え、なに?」


 ――というか前! 前、見て!


 何かを言われた気がして先輩を見れば、ライトに照らされ真っ赤な顔をして私を見ていた。その日、二つ目の爆弾発言の始まりだった。


「――と――――ださい!」


「だから、聞こえないって! 前、前見て!!」


 オープンカーは坂を下っている。お互いに叫ばないと聞こえないくらいには、ゴォォォオー! と風が煩かった。

 そして叫んでいるはずの先輩の声は、肝心な中身だろうところが聞こえない。


「だから! けっ――――い!」


「聞こえない!!」


 とりあえず前を向いて運転に戻ってくれた先輩は、諦めていないのか何かを叫んでいた。

 聞き取れた言葉の前後を繋げれば意味が分かって良いのだろうが、それを受け入れるのは私の中の乙女な部分が断固拒否していて無理だった。


「はぁ……、はぁ――っ、俺と結婚してください!」


「だからそのプロポーズ、あんなところで聞こえねぇぇぇぇええ!」


 問答している間に坂を下りきり、信号待ちになった。車が減速したところで、息切れた先輩がそれでも大きな声で言いきった。

 そして私は、それに思いっきり素で返していた。


 ――そりゃね!? 車がとまれば聞こえるって!


「なんであそこで言おうと思ったの!?」


「いや、本当は誕生日の時にプロポーズしようと思ったんだけど、あの夜景見たら、我慢できなくて……つい……」


 オープンカーにして初めて走っていた今日のデート。法定速度でも聞こえづらい場面がお互いに何度かあって、走行中はどちらともなく会話を控えていたのだ。


 ――ここに来て、キザか! キザなのか!?


「思いつきなの!?」


「ちょっと誕生日まで一ヶ月も待てなかっただけだから! 勢いじゃなくて、プロポーズはちゃんと本心だから! 返事は!?」


 出会いから今までの先輩像が、ガラガラと音を立てて面白いまでに崩れていく。ただ、それで嫌いになるとかという次元でもなかった。


「もう一回」


「――え?」


「聞こえなかったから、もう一回」


「いや、今言って……」


「ここ、もろに市街地。夜景見て言うんだよね? もう一回。あれだけ叫んでたら、もう一回、ちゃんと仕切り直して言えるよね?」


 クールな先輩は、私の中にもういない。けれど目の前には、確かに愛しい未来の旦那さんがいた。

 で、あれば、一生に一度のプロポーズだ。ちゃんとオチまで回収しなくてはならないだろう。定番の指輪を出されたわけではないのだから、特に。


 ――うやむや、ダメ絶対。


「……はい。一回で良い?」


 泣きそうな声で、決まりの悪い先輩が確認のために聞いてきた。

 信号がパッと青に変わる。来た道を戻るために、先輩はウィンカーを操作しギアを握る。カチカチと車は曲がるべく音を鳴らした。


「ちゃんと聞こえたら、一回で良いよ」


 私の返事は決まっていた。先輩はそれに無言で車を運転する。

 峠を上り夜景が見える坂まで戻った。先輩は慎重に辺りを見渡して、夜景が見えて一時停止出来る路肩へ車を止めた。


「俺と結婚してください。絶対、幸せにするから」


「はい。やっと、ちゃんと聞こえたよ」


 夜景を背景に繰り返された、テイク合戦となった嵐のプロポーズは、やっと止まることで成功した。

 そして怪我の功名ではないが、夜遅くなったのもあり流れで泊まって帰ったので、オープンカーにハードトップを戻すスリリングな作業は、朝の明るいうちに安全にすることが出来た。

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