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十話 ツガル

 政策の一つとして、かの寒冷の地においてある薬の原材料が栽培されていたとされる。

 服薬することで得られる主な効用は、気分の高揚から始まり、疲労感の軽減。そして鎮痛効果も期待出来るという、なんとも出来のいい、聞こえの良い万能薬のようだ。

 肥沃(ひよく)とは程遠い、育つ穀物も限られたようなその土地で、はたしてどのように栽培が続けてこられたのかは(はなは)だ疑問ではあるが、その地の名が今も尚用いられる事からは、何の関係もないという事はないのだろう。

 江戸よりも昔、室町の頃に南蛮貿易を通して島国に(もたら)されたとされる、古い文献に記されるそれは“ツガル”という俗称で呼ばれたそうだ。

 以降はその地に限らず、甲斐国を始め上方(かみがた)へも渡り、寒冷の地同様に幕府の監視下で栽培は長きに及んだとされる。

 作用までは実に緩やかなもので。相良もこの薬の話を以前彼女から聞かされたと時は何が問題であるのかがイマイチ理解出来なかった。かの幕府自らが時代を跨ぎ栽培をつづけてきたような薬だ。何故彼女がそれを(いた)く嫌うのかが、彼には分からなかった。

 

 台所を任された彼女は器用にも、普段からそうであるが他愛もない世間話を呟く。人の営みを長く見守ってきた彼女が、関わりを持った人間の様子を子を見守る親のように語る様は常だ。

 今朝方(けさがた)屋敷に招かれた際に、地下牢にて酷く狼狽えてみせたのが、口許を覆っていたのがまるで嘘のようだ。何事もなかったように振る舞ってみせる姿はとても芯が感じられた。が、それでは今までと何ら変わりないと相良は思った。

 だから、(たず)ねた。

 あの一度きりの説明以降口にすることを避けてきた彼女に対して、知らぬ存ぜぬではいられぬ、と。

 あの頃はその背中を撫で摩る事しか出来なかった自分が、このように時間を置いて問うのは何とも狡い話だ。しかし膝から崩れ落ちた彼女を目の当たりにしておいて、知らぬままを貫き通すような事は出来ないと確信した。

 一定の音を刻んでいた包丁が止まる。出窓から差し込むややせっかちな夕暮れに照らされながら、彼女は静かに振り返った。

『それには、服薬し続ける事で起こりうる別の作用があったのです。』

 薬と毒は紙一重と聞く。使い方を見誤れば、本来治った病とは別の症状をその身に引き起こしてしまいかねない。いくら身体に良いと言われるものも、摂りすぎては良くないと。それと同じ事だろうか。

『同じ…そんな生半可なものであればここまで毛嫌う必要もなかったでしょうね。』

 それは長期に渡って摂取すると、人はそれがなくては満足出来ない身体になってしまうのだという。どれだけ屈強な精神を持っていようとも、段々と判断力さえも鈍り、己さえも見失う。自我を保てなくなり、身も心も擦り減らしていってしまう。とても、危険な薬なのだという。

 人の一生など到底及ばない、長い時間を生きてきた。多くの人間と向き合い、言葉を交わし接してきた彼女だ。時には直接歩み寄りその終わりを幾度となく見届けてきたであろう彼女は人をとても深く愛していた。そんな彼女であるからこそ、人を壊すそれが許せなかったのだろうと、相良は今になって知った。

 幕府亡き今、この島国においては地方によって根強く残り続けている、これもまた遺産の一つである。遺されたものをどのように扱うかは、今を生きる者たちに委ねられているのは分かるが、それによって苦しむ者がいるんのなら初めからそんなものなければ良かったのにと思えてしまうのははたして我儘だろうか。

 それがある事で救われたものがいたとしても、だとしてもだ。

 それは年を跨いで暫くしての事だった。






 春原と館林が不在の間、人手不足で手が回らない討伐屋に救いの手を伸べてくれたのは春原の義理の兄に当たる藤原和馬だった。

 春原自身に血の繋がりはなくとも義理の兄がいるのだという話は、昔相良から聞かされた事があった為、名乗られた時はそこまで驚く事はなかったものの、思い返せば春原が和馬と顔を合わせる場面には既に何度か出会していたが、春原の方から彼が兄であるという説明を受けた事はなかった。

 失礼のないようと注意していたが、やはり気になってしまう。日に日に好奇心にも似た興味は膨らんでしまう。陽が沈むのに合わせて帰り支度をする和馬の横に、適当な理由を並べながら屋敷への帰路に付き添ったのは三月の半ばの出来事である。

『和馬さんって本当に春原さんのお義兄さんなんですか?』

 何の脈絡もなくそんな話を別れ際に振られたもので、驚き言葉を詰まらせている和馬に、芳賀は続けた。

『前に相良さんが教えてくれたんすよ。でも春原さん、和馬さんを前にしてもそんな素振り全然見せなかったから、ずっと気になってて。どうなのかなって。』

 昨日今日の仲ではない。いくらかふざけた話も(まじえ)られるようになっての切り出し方にしては何も違和感もない筈だった。

 しかし無意識に表面に滲み出ていたのだろう。好奇心では塗り隠せない警戒心が。薄ら勘が良いと言う相手はそれを微かでも感じ取ってしまったのか、眉を僅かばかり潜めて彼は口を(つぐ)んだ。

(まずった、)

 そんなつもはなかった。空気を読むのは長けているというのが聞いて呆れる。自制が効かず興味本位、考えなしにとんでもない質問を投げかけてしまった。いや考えがなかったわけではない。あったが今になって、返答に詰まる相手の様子を目の当たりにして浅はかであった事を芳賀は理解した。

 この里を治める扇堂家の屋敷に今は身を寄せているが、義兄弟であろうとも彼が藤原の血を宿す人間である事に変わりはない。気になどしたつもりはなかったが、幼い頃から随分と身に染みついてしまった教えが態度に現れてしまった。

 自分の内情を隠しきれずに表に出してしまうなんて、相良から未熟者と称されるのがただただ頷ける。

 今更そんなつもりはなかったと言って、それで傷ついた表情を浮かべた彼が許してくれるとは到底思えず。こちらも言葉を詰まらせてしまうと、途端にまだ春を知らない冷たい風が頬を掠めた。

 目を補う為の硝子板に、沈みかけの強い陽光が反射する。彼自身、その問いかけに言葉を詰まらせる時点でもしかしたら何かしら後めたくなるような背景があるのかと想像を膨らませるも、今となっては失礼な事。

 いくらでも勝手な憶測を立てる事は出来ても、本音は彼自身の口から紡がれない事には分からず終いだ。

 気まずい空気の中、何事もなかったように立ち去る事も一つ手としてはあるが、訊ねたのは自分なのが手前、蟠りを残したまま今後も顔を合わせる事を考えると中々に気が重い。

 妙な時間だけがゆっくりと過ぎていく。

 春の暖かさが訪れるにはまだまだ時間が要る、外を出歩く人も決して多くはない。屋敷の門番は聞こえていただろうが、何も口を挟む事はなくこちらの様子をただ窺っていた。今後どころか今まさに、空気は最悪なものに成りはててしまったと気付くのが遅かった。

 どうしたものかと芳賀が冷や汗を浮かべた時だった。

『邪魔ですよ。』

 右へと、身体が押し退けられる。

 後ろから伸ばされた細腕に押される。夕陽が透けて見える、後ろ髪に救われた。






 自分の幼馴染はどうにも子供じみた部分が多いと和馬は思う。

 これまでの彼女がどうだったのかをやはり和馬はあまり知らないが、自分と二人きり、膝頭を向かい合わせにしている時の彼女というのはとても子供っぽい。齢二十二にもなって悪い事だとは思いはしないが、すっかり大きく育ってしまった見た目とは噛み合わない、そのままとまではいかないがあの頃とほぼ変わりない様子はどうにも違和感が拭いきれない。自分だけが大人になってしまったような気持ちに襲われるも、そういうわけではない。引っ張られてしまう。脚の長い椅子に腰掛けてぶらぶらと行儀悪く足を振ってしまったり、頬杖をついて迷い箸をついついしてしまう。

 八年という溝など初めからなかったように、あの頃の延長のように自然と会話が進んでしまうのだ。

「やから、心配してたんやろ?まごついちゃうやろけど、言って分からんような子じゃないやろ弥代ちゃんは。」

「ですが、でっですが…その、分かってもらえなかったらどうしたら良いんですか?」

 どうやらこの幼馴染のな中では、幼馴染という枠組みと友達というものは全くの別物らしい。

 自分が異性で、弥代が同性だから接し方が違うのかとてっきり思っていたのだが、弥代自身が里にいなかった間にも何度か雪那の口から話を聞く機会があったが、違うそうだ。

 幼馴染である自分は何年も幼い頃を共にしたから信用も信頼もあるが、付き合いがまだ短い友達である弥代にはまだ多少なりとも遠慮であったり、言っていいのか分からないと言葉をあれでも選ぶ事があるのだという。

 二人が一緒にいる場面は数えるぐらいしか知らない和馬だが、決してそんな風には見えなかったが、雪那の中では少なくともそうらしい。(遠慮をしているのならば久方ぶりの再会に頬は叩かないと薄ら思いはするが。)

 単純に幼馴染という括りだけで物を言うなら、それは討伐屋の頭を務める彼・春原千方も頭数に含まれる事となっってしまう。

 だとすれば彼女は春原に対しても信頼を寄せているという事になってしまう。いや、幼馴染と認識しているのが自分だけという可能性も考えられる。もしくは彼女の口からその名が語られる事が、再会をしてから未だ一度もない事から忘れられている可能性も窺えた。

 どちらにしてもそれを嬉しいと感じてしまうのは独りよがりだろう。幼稚な独占欲が満たされてしまったのは当然秘密だ。

「それはしちゃった雪那ちゃんに非があるかんやから、分かってもらえるまで言い続けな。」

「しつこいって突っぱねられてしまったら私また不貞腐れてしまいます。」

「突っぱねるような子?」

「………違います、」

 義理の弟と言えば、先日討伐屋の手伝いの帰り道、屋敷に入る寸前に色を持たない彼から投げかけられた質問を思い出す。あれから幾分か時間が経つが未だにまともな答えを出せずにいる。答えなど分かりきっている筈なのに。

 彼女も同じだ。どうしたいのかなんて分かっている。分かっているが一歩が踏み出せない。自分一人では中々踏み出せない大きないだけの一歩なのだ。返事をあれから先延ばしにしてしまっっている狡い自分だからよく分かる。

 咥えていた箸をコトリと起き、膝の上に乗せられた掌が、上品な着物に皺を刻む。

「弥代ちゃんは、正面から向き合ってくれました。」

 少しだけ、含みのある言い方だ。

「弥代ちゃんは、」

 その場にいたわけではない。

 先日、あの人の口から聞かされた、去年の彼女に身に起きたという変化。ずっと長い間言葉に出来ずにいた考えを口にするというのは、とても勇気がいったことだろう。あるいはどれほどまで追い詰められたことか。

 自分も似たようにあの事件が起きてから暫くの間は戻った家で塞ぎ込んでしまっていた。が、不器用ながらも優しい義父の言葉によってどうにか早い段階で立ち上がれた。今思い出しても全く慰めの言葉には思えないのに、向けられたその眼差しに奮い立たされたのを覚えている。いつまでもこんなままでは駄目だと思わされたのだ。

 この幼馴染には長く、自分のような相手がいなかった。ずっと我慢を続けてきたのだ。分かるとも、同じだとも言いたくはないが、苦しかった事だけはよく分かる。

 その果てで、彼女は結果友達と呼べる大切な相手を得る事が出来たが、いかんせんその相手はあまり優しくはない。正面から向き合ってはくれても背中を押してくれるような人物では少なくともない。

「大丈夫やよ。」

 屈む。見上げる形となったが、膝の上で強く握り締められた指を解く。

「友達だって信じられる。信頼におけるよ。」

 なんて、

 自分には友と呼べる存在がいたことなんてないのに、和馬は雪那に語った。

 自分が知らぬことだって知ったふりをして述べようと思えば述べられるのだ。嘘は良くないと思いつつも、世の中には嘘も方便という言葉があるぐらいだから、たとえ嘘であってもそれで誰かが前に踏み出せるなら良しとする。雪那が前に進めるのなら和馬は進んで嘘をつける。折角の美人が台無しになるなんて勿体無い。勿論憂いを帯びた表情も綺麗だが、和馬は出来る事なら雪那には笑顔で過ごして欲しかった。

 まだまだ心が幼い、彼女には尚更。






「何しよう…、」

 自分以外が出払った討伐屋というのは非常に静かだと芳賀は知らなかった。口数の多い少ないで賑やかかどうかを決めているわけではないが、自分以外の誰もいないここはこんなにも静かなのかと実感する。

 早朝の近所のご挨拶を終えて帰ってくる頃あいには、いつもであれば自分の次に早起きな伽々里がお台所に立って朝餉の支度を初めているというのに、まだ二日目だというのに慣れない。無人の炊事場にはまだ肌寒さが残る為に早々に腐ることはない野菜が笊の上に並べられている。一緒くたにされるとどれも同じ葉っぱの塊で、区別が付かなくなってしまう。適当に掴んだそれを毟るって鍋に投げ込めば、後は沸かした湯でどうにかこうにかすれば、

「………火ってどうやって付けるんだっけ?」


 炊事は出来なくても洗濯ぐらいなら出来る。

 汗まみれになった替えがあまりない服を、桶に張った水でバシャバシャと。伽々里が普段しているのの見様見真似で、こう、えっと、こんな感じで。

「乾くまで何着れてばいいか考えてなかった。」


 ゴソゴソと漁るのは相良の部屋の箪笥だ。

 背丈や肩幅なら春原の方が近いが、春原の服に袖を通すなんて恐れ多い。館林は上背があり体格が人よりも恵まれている為に、裾がだらしない事になってしまうのは目に見えている故の相良だ。

 上半身素っ裸で外を出回れられるよりはマシだろう。

「帰ってきたら謝ればいっか!」


 立派な置いてけぼりを食らった芳賀は、一人討伐屋の中で失敗続きだ。当の本人は上手くいっていると思っているあたりがなんとも恐ろしい。見栄えばかり良い、風貌には全く合わない相良の着物に袖を通し、我が物顔で外に出る。他の顔ぶれが不在の間は巡回を行わなくてもいいと言われていたが、それでは何もする事がなく暇になってしまう。そんなのはつまらない。せめて、せめて何かする事はないかと。先日までは弥代の勧誘を行なっていたが今日は中々あの青い頭を見掛けない。そういえば昨日会った際、別れ際に貯まっていたツケを払い終えていたのだと言っていた。自分たち同様に懐にゆとりがない事と思っていたのに意外だ。

 近所の顔ぶれが平和そうに過ごしている中、ふと芳賀の意識はある一点に注がれた。よく知る、一括りの彼女を見つけてしまったのだ。

「戸鞠ちゃんっ!」

「…。」

「こんにちはっ‼︎」

「…こ、こんにちは、」

「佐脇さまのお遣いですか?屋敷のお仕事だってあるのに大変ですね!手伝いましょうか?」

「結構です…手は、足りていますから。」

 返事を返してくれるだけ幾分かマシになった。一月前の時点ではまともに口もきいてくれなかったものだから大きな進歩だ。そう思わずにはいられなかった。

 彼女と初めて会ったのは、昨年の今頃だったか。

 この里が崇め祀る神仏に、無謀にも正面から立ち向かい怪我を負った春原の傷が良くなるまでの間、世話になっていた医師の傍にいたのが彼女だった。

 高い位置で結いた髪の毛先が、色が抜け落ちたような風変わりな“色持ち”。若干キツめな目尻が特徴的な、警戒心が人一倍強そうな彼女の名前は戸鞠といった。

 名前を知ったのはそれこそ一月前のあの出来事がきっかけで、なんなら屋敷に出入りしていたあれ以降その姿を見ることはなかった相手だ。偶然の再会を前に、それまで気まずかった和馬との間に流れていた空気はどこへやら。一気に上書きされてしまった。

 寒空の下で交わした約一年ぶりの再会に、芳賀の心が奪われたのはわざわざ話す必要のない話。

 年が明けた頃から屋敷の例の医者が床に臥せってしまったようで、彼の教えを理解している彼女が医者に代わり何かと動く機会が増えたのだという。和馬曰く、戸鞠は扇堂のお嬢様の身の回りのお世話も行なっている為忙しいそうだが、泣き言一つ溢さずせっせと真面目に働いており、見習わねばならないそうだ。この一月の間でも三日四日に一度はこうして、討伐屋がある東区画の通りまでやって来る用事が多いようでよく顔を合わせていた。

 武蔵国からこちら榊扇の里に移る際、出来れば近くに植物の扱いがある問屋があると良いと要求を述べたのは伽々里だった。

 屋敷からも一番近い位置にある、取扱がある問屋となればここいらになってしまう。医者の代わりに彼女が頻繁にここに訪れるのはそういう背景があったのだ。あの再会以前も年明けから足繁く通っていたそうだが、すっかり見落としていたのかもしれない。

 今じゃその目を引く後ろ髪を見つけたらすかさず駆け寄ってしまう。単純で分かりやすい話だ。

「荷物重くないですか?今日は雪那さまのお世話はもう良いんです?」

「…重くないです。重くならないように何度か分けてます。問題ありません。雪那様は本日は気分が優れないと横になられています。」

 間がある。返答に時間がかかる事はまだまだあるが、目は合わせてくれないがそれは致し方ない事。

 間近で見ないとよく分からないが、彼女は髪だけではなくその瞳にも“色”の名残を感じさせている。普通なら黒い筈の瞳が薄いのだ。

 長めの重たい前髪はいつぞやの春原のように。目つきが若干悪いのも目を細める癖が身に染みついているからか。

 これは芳賀の考えでしかないが、“色持ち”というのは警戒心が普通の人よりも強い。“色持ち”という特異な“色”を、本来持ち得ないものを持って生まれてしまったが故に、幼い頃からいくらか平穏と呼べる日々と縁がないように思えてしまう。この里に多く、他の地を追いやられ住み着いた“色持ち”が多いが為に、余計にそう感じるだけかもしれないが。

 屋敷には少なからず、彼女のように境遇に恵まれなかったであろう親を失った“色持ち”が引き取られ育てられていると言っていたのは和馬だ。彼女の事が気になって根掘り葉掘りあの翌日に聞いてしまった。だから一方的に知っている。それだけ。

 芳賀は結構だと断られたというのにもかかわらず、彼女の帰路に付いていくように勝手に横に並んだ。正にあの日の和馬にした事とまんま同じに。






『友達だって信じられる。信頼におけるよ。』

「友達…。」

 割と真剣に考えていた事だ。

 友達とは何か、と。

 昨年の暮れ、神無月のあの晩が今も忘れられない。

 弥代が身を危険に晒してまで、自分を助けにきてくれたあの晩からずっと考えていた。一方的に心配をされるばかり、気を使われるばかり。本当は自分だって弥代の役に立ちたいという考えがないわけではないのに、何も出来ない。自分に何が出来るだろうと考えた矢先に弥代は行方が分からなくなってしまった。

 出来る事を最大限したつもりだった。手紙は添えるだけ添えた。用意した荷を積んだ葛籠を背負って里を出ていった討伐屋の二人を見送ってから、後になって弥代が字の読み書きが出来ない事を思い出して少々慌てたが。

(別に、信じられないわけじゃないです。)

 信じている。なんなら誰よりも。

 初めて吉野で助けてもらったその時からずっと。でも弥代の事は信じていても、弥代が自分の事を友達として見てくれているかは信じられない、不安があった。

 自分だけが弥代の事を友達と考えているのではないかと思う時があるのだ。

 年はいくらか下だが、屋敷に住み込みとして働く下女の戸鞠が身の回りの世話をしてくれるようになってから、聞けば彼女は友達の話をしてくれた。自分と同じような境遇で屋敷に身を置く、大切な存在がいるのだと。互いに互いの幸せを喜び合えるような、何か辛いことがあれば寄り添える気の許せる相手だと。

 友達は、初めてだ。

 幼馴染はいたが、友達がいたことはこれまでなかった。

 些か友達になるには弥代と自分では、気が合わないような気はしていたが難なくその言葉を当て嵌めて口走ることが出来るだけの関係にはなったと思う。思うのは、やはり自分だけじゃないか。

 弥代は、優しい。

 不器用だと感じる時はあるし、遠回しに嫌味を口にすることもあるが、しっかり耳を傾けてくれるし、正面から向き合ってくれる。下手に気を遣われるよりは全然有難い。でも、

(無理に付き合わせてる気がしてならない。)

 元は一箇所に留まらず、のらりくらりとぶらぶら一人放浪をしていたという弥代が、この里に留まってくれるのは自分が無理を言ったからだ。結局の所、先日も思った事だが雪那は弥代の事をあまり知らない。喋りたがらないのだから知る術もないだろうが…。

(弥代ちゃんは…、)

 分からない。送った冬服に袖を通してくれていたが、そこにあれはなかった。一番、受け入れてほしかったものだった。なんと押し付けがましい事か。それだけを身につけていないというのはつまりは拒絶されたような気がする。考えすぎ、だろうか。考えすぎて次第に余計な事まで気が回ってしまう。足元を掬われてしまう。

「私は…、」

 今は何よりも、謝らねばならない。






 弟がいた。

 一つ下の弟は、もう長いこと目を覚さない。

屋敷の中ではもう死んだも同然の存在として扱われている。なんと嘆かわしい。本来意識が戻らない人間など、食事を摂ることが出来なければ栄養が回らず一月二月と保つ筈がないというのに、弟はどうしてか生きていた。かれこれ目を覚さなくなって三年以上は経つというのに、不思議と生きていた。

 すっかり痩せ細った、筋が浮かぶ腕に手を這わす。感覚は遠くても意識を集中させれば奥底で弱々しい脈を感じる。安心する。

 それはこの一族の中では“呪い”とされている。

思えば幼い頃から屋敷の中にはあまり男の人がいなかった。血筋でない屋敷に仕える者にはいた印象があるが、血筋に、特に本家には男が一人といなかった。代々女性が当主を務め上げてきたとされるが、だからといって男性が端から省かれるのはおかしな話だ。

 弟は当主に昔は気に入られていた為に、よく本堂へ招かれて可愛がられる機会があった。当時愛嬌がまだ足りてなかった私は、それを恨めしそうに羨ましそうに眺めるばかり。

 両親は早い段階でなくなってしまい、屋敷の中であろうとも守ってくれる大人たちは限られていた。分家という弱い立場に拍車が掛かってもなにぶん不思議ではなかった。

「…違うわね。」

 違う。そうではない。

 寝台に横たわる、薄っぺらい体を持ち上げる。

 頼れる大人など知らない。身の回りの世話は全て自分一人でこなしてきた。それは弟も含めて、だ。

 意識が戻らなくなってしまったばかりの頃はまだ肉付きもよく、体を一回拭うだけでとんだ重労働だったというのに、今じゃ随分と手慣れてしまったもので。体が軽くなってしまった事もそうだが考えると泣きそうになってしまう。

「………。」

 弟と呼ぶが、それは正しくない。あの時に止まってしまった彼の時間を、自分が上回ってしまったから弟と呼ぶようになってしまっただけで。

「兄さん、」

 自分は姉だと言い聞かせて、しっかりしろと強く奮い立たせる。そうでもしないと耐えられない。堪えられないから。

『大主の意識が戻られるまでの間、僭越ながら私が代役を務めさせていただきます。』

 意識が戻られるまで、と彼女は言った。

 意識が戻らないからと見限った、諦めた兄妹を抱えるあざみに対して、久方ぶりに顔を見せたかと思えばそう言ってのけたのだ。

(助けてくれなかったくせに、自分の身可愛さに手を差し伸べてすらくれなかったくせに。)

 向こう方も立場が弱い事は分かっている、分かってはいるが。

こんなの逆恨みにすらならない。恨み。そうだ、あざみは恨んでいる。多分、きっと、そうだ。

 初めての裏切られたのは、だからやっぱり、






「今日は来ないのか。」

 ここ連日顔を見せていた彼。今日もてっきりしつこい勧誘を受けるかと身構えていたのだが、どういうわけかお天道様が真上を過ぎても一向に姿を見せない。

 それならそれでいいのだ。似たような会話を一々繰り返さなくていいし面倒臭くなくて都合がいい。いいのだが少しだけそれはそれでつまらない。期待をしていたわけではないが、思わず何かあったのではないかと考えてしまう。考えるだけなら誰の許可もいらない、自由だ。

 待ち合わせをしていた茶屋の長椅子に落ち着く彼女を見れば、その傍らには別に好きではないといっていた団子があった。どうしたのかと聞けば、自分が食べたいだろうと思って先に注文していたのだという。

 以前であれば館林が教えてくれた、体に害のない草でも咥えて口寂しさを紛らわしていたが、今はそれが出来ない。彼女に止められてしまったからだ。そんなものを咥えるのは行儀が悪いと叱られてしまった。今までの自分ならきっと適当にあしらっていただろうが、今はどうしてかそれが出来ない。

 姉を名乗る、未だその正体が分からない相手に。ただ、徐々に情を傾けている事だけは分かった。

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