魔法使いの合い言葉
今日は大丈夫。
玄関の扉を見ながら、そう言い聞かせる。
大丈夫。
今日の解除の合い言葉は難しいものにしたから、開けられるわけがない。
「……よし!!」
ぐ、と手を握り込む。
喜びのあまり、金色の砂がぱらりと天井から振り始めた瞬間、背後の窓が開いた。
「やあ」
「出ていって!!」
今日は窓か!
私は外を指差すが、窓から入ってきた顔見知りはにこやかに笑いながら窓から入ってくる。
「今日はこっちにしてみた」
「私の魔法を解かないでよ……!」
「解かれないような合言葉に変えたらどうかな?」
「毎日変えてる!」
「ああ、君ったら行動パターンがわかりやすくて心配になるよ……」
やれやれ、という顔をする魔法使いは、私の「言葉縛り」をすぐに解除しやがる性格の悪い男だ。なぜか毎日毎日引きこもる私の家に突撃し、勝手にテーブルとティーセットを転移させてお茶を始める。
「恋人としては、毎日顔を見ないと心配でね」
「違うけど?!」
「なぜ?」
な、なぜ?!
こちらこそ、なぜそんなに不思議そうにされるのかわからない。彼は天井から部屋に降る砂を見つめ、ふう、と息を吐いた。
「今日の砂も美しいね。でも、できれば夜の砂に変えてくれるかな? 二ーシアンズ砂漠の午前二時で」
カップをすい、と宙に上げる。
これが王子様ならまだわかるが、こいつはただの王子様の幼馴染だ。
「リュー。二ーシアンズ砂漠、午前二時」
「はいはい!」
天井を見つめると、砂がサラリと変わる。細かく、夜を映したような月光をまとった砂に。
「さすが、幻視と言霊縛りの砂の魔女だね。前線に戻らないのかい?」
「魔法嫌いの言霊使いの大地の魔法使い、あなたは前線に戻らないの?」
「面倒くさいよ。魔法なんて厄介なもの。僕は僕の人生を謳歌したいんだ……」
「私もよ!! 放っておいて!!」
何度勧誘されても戻らない。
地上の魔物は淘汰したのに、今度は人間同士で争い始めた。
やってられるか。
「記憶は戻ったかい?」
「……別に。覚えてることもあるし、何も困ってないわ。そもそも何を忘れてるって言うのよ」
「……そう」
彼はなぜか悲しげに微笑むと、席を立った。
「今日は帰るよ。明日はもっと難しい合言葉にしておいてくれ」
では、と魔法で消えていく。
ふと何気なく天井を見た。
二ーシアンズ砂漠、午前二時──?
具体的だな、と思った瞬間、頭の中に奇妙な映像が差し込まれた。寄り添う男女。握る手。近づく微笑み──
「あ、ありえない…!!」
ありえないはず、だ。




