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静かに震えが収まっていく中、
エリシアは彼の頭をそっと撫でながら、小さな声で囁いた。
「あのね、ライナルト様。実は……」
間を置いて、少し照れたように、でも確かに言った。
「……腰が抜けて、
――立てないの」
数秒の静寂。
そのあと、彼は肩を震わせた。
「……ふ……ふふっ……」
唇を押さえ、必死に堪えていたけれど、
それは――確かに笑っていた。
「君は、ほんとうに……」
「まったく、もう……とんでもない人だね」
彼はゆっくりと顔を上げて、エリシアを見つめた。
グレーの瞳に、まだうっすらと涙を残しながら――
けれど、そこには確かな“生”が戻っていた。
そして、優しく腕を回す。
「立てないなら、僕が抱き上げようか?それとも……このまま、ずっと抱きしめていようか?」
冗談めかして言う声。
けれどそこには、甘やかなぬくもりと、すこし意地悪に囁かれたその言葉に、エリシアの身体がぴくりとこわばる。
そして――
「っ……!」
顔が、ぽうっと真っ赤に染まった。
さっきまで、あんなにも深く、あんなにも真剣に抱きしめていたのに。
今さら、たった一言で――全部溶かされてしまう。
「そ、そ、そん、な……っ!わ、わたしは、いま真剣に……っ!」
言葉にならず、手で顔を覆う。
けれど彼は、そんな彼女の姿を見て――
今度は静かに、何も言わず微笑んだ。
そして、そっとその手に自分の手を重ねる。
「……いいよ。どんな君でも、愛おしい」
その声が、またひとつ――エリシアの鼓動を早くした。
「……とりあえず、上に戻りたい……です」
そう小さく呟いたエリシアに、
ライナルトは何も言わず、ただそっと笑って――
その身体を、ひょいと軽々と抱き上げた。
「っ……わっ……!」
ふわりと視界が高くなり、胸の奥がきゅっとなる。
だけど、彼の腕はとても安定していて、
その胸のぬくもりは、あたたかくて。
「少し重いって言おうかと思ったけど……やめておくよ。怖いから」
「……言ってたら爪痕つけてました……!」
「ふふ、だろうね。つけてくれてもいいけど」
「っ!!もう!!」
そんなやりとりをしながら、
ふたりはゆっくりと、地下の階段をのぼっていく。
踏みしめる音。
遠くなる鏡の間。
もう、そこには“封じられた影”はいない。
あるのは、名前を取り戻した夜と――それを乗り越えたふたりの、始まりの足音。
階段をのぼりきった先、
ほんの少し、空が明るくなっていた。
雪の夜が明けようとしている。
ライナルトはエリシアをそっと抱いたまま、扉の前で一度立ち止まり、
小さく囁く。
「おかえり。僕の小鳥。――ありがとう。」
そして、ふたりの一歩が、
これから始まる“新しい日々”へと踏み出された。




