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……その声は、ほんの一瞬。
光へと還りかけた“彼女”の姿を、現実に引き戻し最後の一滴の霧となって――再び形を持った。
その瞳が、レイナがじっとエリシアを見た。
そして、静かに口を開く。
「――“影”には、いくつもの顔がある。
でも……君に手を伸ばしていた影。
それは……あの人の“もう一つの姿”なの」
「……あの人……?」
エリシアの声に、レイナはゆっくり頷く。
「ライナルト・ヴェルナー。夜を統べる者。貴女の名を書いた存在。
……でもね、エリシア。
“あの人”は、名を記す筆と同じくらい、自分自身を“裂いて”この館を保とうとしているの。
影は、“彼が切り離した自己”。かつて、私を喰らいかけた、本能そのもの。
ライナルトが優しくなければ、きっと、今のようには振る舞えなかった。
……でも、それは彼が“自分の影を鏡に封じた”から。
貴女が鏡に触れたとき、その封印が揺らいだ。
だから影は、君を奪おうとした。
……けれど、その影も、最後に君に名を渡さなかった。なぜかわかる?」
エリシアは、息を呑む。
レイナは――やわらかく笑った。
「それは、君が“問う者”だったからよ。
君が、自分の名に誇りを持ち、
答えを望んで、差し出すことを拒んだ――
だから、“彼”の影も、
君を“主ではなく、対等の者”として見たの。
……貴女は選んだ。
それが、この屋敷の歴史の中で、
初めてのこと――なのよ。」
レイナの姿が、再び消えようとしていた。
けれど、今度はもう、恐くなかった。
その声が、最後に残した言葉。
「もし……彼と向き合う時が来たなら。“影だけ”を恐れないで。
あの人も、またずっと――
“誰かに名前を呼ばれること”を望んでいたのかもしれないわ」
そうレイナは言い残し、鏡は完全に沈黙した。
静けさだけが、地下室を包んでいた。




