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静寂が戻っても、エリシアはしばらくの間、押し入れの中で身動きを取れずにいた。
心臓の鼓動が落ち着くのを待ち、そっと小さな扉を押し開ける。
部屋は、あのままだった。
グレゴリーの気配も、足音も、もうない。
けれど、少女の机の上――確かに一枚の封筒が置かれていた。
重みのある厚紙。古い筆記体で、エリシアの名前が記されている。
《To: Elisia Northfield》
まるで最初から、彼女がここへ来ることがわかっていたかのように。
指先の熱が再び疼くのを感じながら、そっと封を切る。
中には、一枚の便箋と、折りたたまれた紙切れが同封されていた。
エリシアはまず便箋に目を通す。
『貴女がこの手紙を読んでいる頃には、もう“見る者”となったのでしょう。
鏡に触れた者は、“名を持つ者”として屋敷に記されます。
それは一度きりの機会――されど、“記された名は書き換えられる”。
貴女には、その可能性があります。
ライナルト様は選ばれし夜の血族。“忘却と永遠”をもって契約を結ぶ者。
鏡の奥の影は、“契約から漏れた者たちの残響”。貴女の曾祖母も、そこに引かれかけた。
貴女はその交差点に立っている。
どうか、問いなさい。
“私の名は、誰によって書かれたのか?”と。
それを知る時、貴女は初めて――
“選ばれるのではなく、選ぶ者”となる。
これは、私からの最後の忠告です。
どうか、“誰のために選ぶか”を間違えないように。
――G・H』
グレゴリー・ハーランド。
彼の筆跡で書かれたその言葉に、震えるような優しさと、覚悟がにじんでいた。
震える手で同封されていた折りたたまれている紙片を開いた。
それは、薄く擦れた記録の写しだった。
かすかに文字が読み取れる。
《対象:E.N(ノースフィールド家)
記録番号:B-17
初回呼応:鏡の間
焼印確認:右手指先(刻印一致)
備考:契約未定/干渉履歴あり(L.V)/記録外の影より接触の形跡あり》
備考の欄が、異様に濃い。
“L.V”――ライナルト・ヴェルナー。
そして、“記録外の影”――おそらくは、鏡の奥の“彼”。
この屋敷には、ふたつの呼び手がいる。
ひとつは、君を愛そうとする吸血鬼。
もうひとつは、名もなく影の中から“戻ってこようとする”者たち。
だが――“誰がエリシアの名前を刻んだか”は、まだわからない。




