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ライナルトは、ゆったりと椅子に腰を下ろしながら、手元のカップに紅茶を注いでいた。

その所作はどこまでも優雅で、見とれてしまうほどに自然なものだった。


「大丈夫ですよ。……ところで、エリシア嬢」

静かに目を上げると、その灰銀の瞳がまっすぐに彼女を捉えていた。


「あなたは、なぜこの屋敷へ?」


「……え?」


思わぬ問いに、エリシアはまばたきをする。


「ノースフィールド家が我々ヴェルナー家と親交を持っていたのは事実です。けれど……“何も知らない”あなたが、この冬のもっとも厳しい時期に、ここを訪れた理由とは?」


言葉は穏やかだった。

だがその裏に潜むのは、明確な――“疑い”。


エリシアは目を見開き、ぽつりと口にした。


「え……ライナルト様が、呼んだんじゃないんですか?」


その一言に、紅茶を注ぐ音が止まる。


ライナルトの手が、ぴたりと止まった。

その動きは一瞬で元に戻ったが、その沈黙の重さが、空気を冷やしていく。


「――私が?」


「はい。数ヶ月前に……ノースフィールドの屋敷に手紙が届いたんです。封にはこの屋敷の印章が押されていました。だから……私は呼ばれたのだと思って……」


ライナルトは目を伏せたまま、しばし何も言わなかった。

そして、静かに立ち上がると、暖炉のそばに歩み寄り、炎を見つめた。


「……それは奇妙ですね」


「……え?」


「私は、誰にも手紙など出していません。少なくとも、あなたに対しては」


その言葉が、エリシアの中に氷のような冷たさを流し込む。


じゃあ――誰が?

誰が、私をこの屋敷に?


「けれど、あなたは確かにここへ来た。そして今、ここにいる」


ライナルトは振り返り、再び穏やかに微笑んだ。

けれどその微笑みは、まるで何かを諦めるかのように、どこか遠いものだった。


「……それは偶然か、あるいは……運命でしょうか」


その言葉のあと、また“あの”ノック音が、扉の外から――


コン……コン……


エリシアは震え上がった。

けれどライナルトは、微笑みを崩さずにいるだけだった。


コン……コン……


また。

まるで昨夜とまったく同じ音。遠慮がちな、それでいて“確実にそこにいる”と訴えてくるような――異質なノック音。


エリシアは、反射的にライナルトのそばに寄った。

彼の存在にすがりたいというより、この部屋のどこかに“まだ人の理性”が残っていることを確かめるように。


「……また、来た……」


エリシアが小さく呟くと、ライナルトはほんの少しだけ、視線を扉に向けた。


「ええ。来ましたね。貴女がここに来た理由を――知っている“何か”が」


「……ライナルト様、あれは……あれは誰なんですか?」


ライナルトはすぐには答えなかった。

長い沈黙のあと、まるで重い蓋を開けるように、低い声で答えた。


「この屋敷には、時折、魂が還らずに留まる場所があります。……かつてここにいた者。あるいは、ここに来たかった者。あるいは、“呼ばれたのに来られなかった者”。」


「呼ばれた……?」


「ええ。そして、貴女は来てしまった。呼ばれたのが“私”ではないなら……誰かが、あなたを必要としていたということ」


エリシアは顔を青ざめさせた。


「そんな……でも……私は……ただ……」


コン……コン……


ふたたび、扉のノック。今度は、わずかに力を帯びた音。


エリシアは息をのんだ。

そして、扉の下の隙間に――うっすらと、影が見えた。


誰かが、そこにいる。


「ライナルト様……開けたら……どうなるの……?」


「――わかりません」


その言葉は、穏やかでありながら、どこか切実だった。


「貴女は。きっとまだ“誰のものでもない”」


「……!」


「けれど……それが崩れたとき。呼んだ者は、きっと手を伸ばす」


ライナルトの目が、初めて微かに揺らいだ。

そして、今度は彼が一歩、エリシアの前に出る。


「エリシア嬢、今夜はもう、自室には戻らない方がいい」


「えっ……?」


「戻れば……迎えが来ます。誰が、とは言いません。けれど“貴女の選択”が、貴女を決める」


その言葉の意味は、すぐには理解できなかった。


だけど、エリシアはただ――

目の前の扉の向こうに立つ“それ”が、自分の名を呼ぶ瞬間が近づいているのを、はっきりと感じていた。



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