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高みを覗けた男

作者: 火素矢

「……始めまして山城(さんじょう)散勝(さんがつ)さん。お会いできて光栄です」


 名刺を渡しながらそう呟く。

 青年は一時インタビューが来た時もあったようだが、プロ志望届を出さなかったところで多少静かになった。


 四年前の甲子園優勝投手の一人……彗星のように現れたチームのクローザーだった青年である。


 高校三年生の夏……甲子園では投手三人体制のチームで。ほぼ九回しか投げなかった。

 可愛らしい容貌の160㎝を切るスポーツ選手としては小柄な身体で、MAX155km/h超の速球に、チェンジアップと130km/hで落ちるフォークボールに、100km/hに届かないが凄まじく曲がって落ちるスローカーブの三人目のエースだ。


 今は165㎝と多少伸びたが、アスリートしては小柄な部類でもある。


 地味にバッターとしての成績も優秀で、代打で決勝点を挙げた試合が地方の大会も含めると四回。

 代打だけだが、打率も四割近く打っている。出塁率も含めるともっと上である。守備も達者で、代打で出た後に交代してそのまま内野を守った試合もあった。


 バットに当てる技術がとにかく高く、チョコンと当てて三遊間を抜く技術がズバ抜けていた……と評されていた。

 ほぼ後半にしか出ないので、一試合に二打席立った試合は無い。


 一人目が本格剛速球右腕で二人目が当時はMAX130km/hを切るアンダースローの軟投派。そうして三人目が小さなクローザーと呼ばれた彼だ。毎試合投げた訳でもなくて、二人目で終わるときもあった。



 タイプの違う三人の投手と、単打ならそこそこ打てる打撃陣と鉄壁と呼ばれる守備で勝ち抜いた……投手三人とも三年生の夏にいきなり出て来て甲子園初出場初優勝を飾った変わり種な学校である。


 野手は適当に下級生もいたが、ピッチャーに下級生はいなかった。


 体育科のある高校ではあるが、特に野球の人材を集めてはいなかった。

 スポーツ科学&スポーツ医学も盛んな大学の附属高校を新設された一期生である。



 科学的にスポーツする人材の育成……選手もそうだが、指導者や医者も含むそれであり、色々な思惑と肝煎りで附属高校が新設された……スポーツ強豪校を目指すというより、トレーナーや整体に鍼灸なども含む、スポーツ選手の脇を支える人材育成という理念が強い。



 だから超高校級ピッチャー三人が入部しても、すぐに頭角を表せたりはしなかった。

 目の前の青年は軟式出身であるが、強豪校に声が掛かる遥か手前の選手だった、らしい。

 さして強豪チームに所属していた訳でもなかったが、レギュラーすら微妙でピッチャーとしての登板記録はあまりない。

 中学は体操部に所属していたが、強豪校でもなくコーチもスポーツ医学に長けてはいて、キチンとしたメニューを作ってはいたが、体操の知識の無い部活の顧問に過ぎない。


 逆に言うと、中学までキチンとしたトレーニングは積んでいた。

 父が野球ファンで、息子を近くのチームに入れた……ただ大昔の熱血スポコン漫画の主人公の父親ではなかったようだ。


 習い事にスポーツを入れる家庭方針で、父親の趣味に傾いた……これは後に父親自身がインタビューに応えた話だが。少し怪しいそれではある。


 私が興味を持ったのは、中学まで無名も良い処だった三人が、高校三年で甲子園優勝の栄冠、人生を野球に捧げ続けた少年たちが選りすぐった強豪高ではなくて。


 三年の夏の大会まで適当にしか勝てなかったチームである事だ。


 県内ベスト8にも遠い程度のチームが、最後の夏だけ爆発したのだ。


 適当に現在の野球の話などをして、適度に緊張もほぐれたところを見計らい、本題に入る。


「……一人目のエース、三本矢の一ノ矢の市之宮(いちのみや)赤梼(いちい)選手が、新人賞を取った去年……元のチームメイトの活躍はどう感じましたか?」


 市之宮赤梼選手……高校卒業後にプロ入りした素材枠で関東のチームが取った選手である。


 甲子園優勝をひっさげたが、投手としては割と課題も多いかった投手である。

 高校生の頃には190㎝を超す長身で、筋肉が程よく付いていた。


 昨今の150km/hを超える高校生投手なんて、毎年現れる。だがこの三年生の最後の夏にいきなり表れた投手はMAX160km/hを超える剛速球をひっさげで県では無双した……訳でも無い。


 140km/h台の速球でベスト4までいけていた夏の地方大会。


 それでも高校生ならまだ速球な方だが、そうした速球と切れ味のまあ鋭い落ちるスライダーと、140km/hギリギリな球速のフォークボールをひっさげて出て来た。


 140km/hのフォークの時点で非凡だが、イマイチ物にしているか微妙である。

 決まったときは凄い武器だが、すっぽ抜けてただの速球と思しき場面も散見された。


 一応スカウトは注目したらしい……プロよりも大学や社会人野球に独立リーグがだ。

 それぞれの持ち球は非凡だが、九回まで持たず七回ぐらいでスタミナが切れる投球も見受けられるしすっぽ抜けも多い。


 伸び代は無くも無いが、何せ春の大会まで全くの無名だったのだ。

 正直に言えばプロ注の選手ではなかった……むしろ全くのノーマークでもある。。

 体育科のある高校と言えども、中学時代に鳴らした選手も居らず、特に補強もしていない。

 そうした新設校にしてはヒット数も多かったが――一年生時は大会に選手不足で出場せず。

 二年生は春に一回戦突破で夏はもう少し勝ったところで県内強豪高と当たって一点二点は取れても大量失点で負けていたので注目もされなかった。


 注目が薄かった理由は、長打が無いこともある。単打も滅多打ちな訳でも無い。


 結局勝ち進んだ甲子園を通じて長打を打ったのは、四番も打っていた市之宮選手くらいであり、後はエラー絡みの二塁打以外だと稀にしか無いくらいだ。


「……市やん、ああ市之宮は少林寺拳法をやっていて身体は出来ていましたから。正直に言って甲子園優勝は実力通りな部分と注目されずノーマークだった部分では、ノーマークだったからという理由が勝つチームでしたから。市やんも高校デビューで在学中にあそこまでいったのは凄いけれど、未熟というか完成度はまだまだでしたから」


 三種類のピッチャーを用意したというか、出来たのは僥倖だったと。


 県大会準々決勝……そこまでそこそこな制球力勝負で、打たれても粘り強く投げていたがついに捕まってしまった。


 持ち球が凡庸ではないにせよ、まだまだ直球以外は甘い球になりやすい市之宮選手だった。


 スライダーもフォークもキチンと決まれば、高校生レベルでは……いいやプロ注の選手としても一級品だが、すっぽ抜けることも多く、特にスタミナが切れかける六回以降は甘くなった変化球を打ち込まれてきた――ところが県内有数で甲子園も狙える強豪高に三回時点で捕まり、既に三点取られてもいた。



 そこから伝説の始まりである。

 今までの投球が七割程度だったとでも言うが如く。無名校にしては速球投手と思われていた彼が、急にMAX160km/h台を超える直球を投げてきたのだ。


 高校生最速記録には及ばなかったが、辛うじてストライクが入る荒れ具合で、今までほぼ無かった四球も増えた。


 これで対策していればまた違ったかもしれない。

 

 制球力はともかく、速球は悪くはないが、完全に物にしていれば一級品の変化球も変化しきれない棒球の時も多い程度なピッチャー……さらにはスタミナもイマイチとまず相手側が投げ勝つと思ったのが大半の予想が崩されて、そこから降板した七回途中までヒットの一本もでなかった。


 四球でランナーを三回出したのは制球力に課題もあるろうが、とにかく流れは変わった。


 三点ビハインドで好投手だったのだから、まだ不利だったはずが……しかし警戒はすれども勝てる確信がある投手から打てない投手へと変わった瞬間にチーム全体が飲まれてしまった。


「市やんが初めて本気で投げた試合、俺も代打で決勝点を打ちましたが」


 それまでも代打で活躍していた山城選手は、同点に追いついた八回ツーアウトだが、尚も勝ち越しのランナー三塁のチャンスに美事、三遊間を抜けるヒットで活躍した。


 その後はセカンドの守備に入り、特にファインプレイをした訳でも無いが無難に飛んできた球を捌いた。多分狙ったのだろうが、その範疇ではレギュラーに遜色が無いように見えた。



「……それまでも代打で数回打っていますが……正直に言えば長打がほぼ無いバッターでしたから。以降も相手の失策込みで二塁打が一回あったぐらいな非力さですしね」


 あまり警戒されてもいなかったと笑う。

 バッターとしてはアベレージバッターというべきか……いいや四割近く打っていて選球眼が良いのか四球も多いと言っても、打ったヒットはほぼ全て単打である。しかも三遊間と一二塁間とかゴロが抜けていくヒットが多い。

 ライナー性の当たりはほぼ無い。


 初球から振ってくるバッターで、器用にバットに当てる技術があった。


 得点圏に出て来て、初球から打ちにくる。長打はなくても単打は器用に打っている……何故彼がレギュラーでないか分からないほどに。


 バントは一度もしていないが、転がせはするので犠打となって得点もある。



「……厳しい場面の前進守備の代打だから打てたのはありますよ。運も含まれていますが、データーは無い点から警戒も通り一遍ですし。例えば三年夏じゃなくて春から活躍していたら、最後の夏はもっと打てなくなっていたでしょう」


 器用に転がすバッターではあったが、相手が何者と認識する前だからこそ打てた。


「市やんも高校デビューで、投手として形になったのが三年の夏の大会直前なギリギリでしたから。プロに行くと言われて驚いたぐらいです。まあ一年目からマウンドに立たせるチームじゃなくて、その名の通り育成をキッチリしてくれたようでしたから」


 最後の大会の途中で漸く全力投球してもだ、大暴投にならず試合を壊さない程度にはなれた。馴らしも含めた先発登板で、運も含めて予想外に勝ち上がっていけた……と語る。


「実戦で練習した、と言うと嘘じゃないけれども。制球力を保ったまま投げられる限界と、変化球を雑ぜて投げるのも含めて……だから、俺たち選手にとっても勝ち進めたのは望外であり意外でもあったのです」


 体育科の授業の一環で、入学時に運動テストを受けて、適性のある部活を複数提示される……運動は得意でも、これといって結果を出していない生徒に練習から食事からを含めた練習方を提示するという試みの一期生だった。


 負けて元々だから、テーマを持って投げたらそこそこ通用した。


 漸く形になった二人の投手と綺麗なスイングを追求する練習が功を奏して、点はそれなりに取れた



 以降はだ。

 流石に160km/hの球があれば、すっぽ抜けた球も含めて、まあまあな変化球も相乗効果で何段階も打ちにくくなる。



「……市やんと仁開(にかい)双嗣(ふたつぎ)は高校の部活で会いました。俺は野球の才能というよりも、正しい姿勢でボールを投げる才覚はあると言われたので野球部に入った……別に軟式で物にならなかった野球に未練があった訳でも無いですが、正しいフォームの追求には興味がありました……選手として物になる、では無くて小さな身体と正しいフォームの追求で何処までのボールが投げられるようになるか、です」



 公式戦で活躍というよりも、三年間を通して実力アップするトレーニングを合理的に進める学校ぐるみの一大プロジェクト……の一つである。甲子園優勝した当時結構話題にもなったそれだ。



「……他の部活でも県大会レベルや個人競技なら結果も出したチームや選手もいたけれど、甲子園優勝は出来すぎでした……マグレでは無いけれど異物なポッと出だから勝ち進めたチームですから」


 そもそも高校生の間に選手として活躍するための部活では無かったそうだ。





「……我が校の目的としては、俺たち個人というよりも、色々なスポーツの練習法の確立と、十代で無理しないで高校卒業以降で活躍できる選手の育成と発掘だったらしいですから。特に俺なんかは大学で医者になるための勉強……スポーツ方面に強い医者になりたかった訳ですから。実際のアスリート張りの訓練と身体の消耗と療養を、選手側の立場で体感させる事も目的なカリキュラムを受けられるのが条件とあって喜んで練習しました」


 ある意味サンプルとして貴重だったそうだ。

 相応にセンスもあり、身体の柔らかさだけは上澄みに鍛えている山城くんが、三年間で何処までの球を投げられるようになるか……無論だが身体を壊さない適切なコーチの指導と、キチンとしたプロのトレーナの管理の上での練習で。


 人数が揃えば公式戦に出場はするが、適度に運動神経の良い高校生の協力の下に練習プログラムの構築自体が目的ではある。


 結構一大プロジェクトであり、各スポーツ協会を巻き込んだそれである……は大仰でもある。


 多少の協力と、運動器具メーカーと彼等の学校が共同で興したそれで、効果が出れば良い程度ではあった。

 だからそうした「体育の周辺で食っていきたい」少年少女の育成機関と、運動能力はあっても、競技者としては成功しきれなかった彼等によるデーター取りな側面も強い。


 だから三年で甲子園優勝は出来すぎでもあった。  


「……医学部に入部できなくても、柔道整復師や鍼灸などでスポーツをサポートする人間になりたかった訳で。全寮制で勉強も含めてカリキュラムも組んでくれて学費も補助が出るから有り難かった訳です」


 父親は息子に過剰な夢を見なかった変わりに、野球ファンとしては常軌を逸していた。

 流石に仕事をさぼったりまではしないが、贔屓チームの年間パスや遠征の応援で、シーズン中は日本全国の球場に足を運んだし、それ以外でも方々の関連施設に顔を出していた。。


 まあ多い方程度の給与でそんな暴挙にでると、金銭的に苦しくなる。共働きで、母親もフルタイムで働いていなければ、早晩で破綻していたそうだ。


 三人兄弟の長男でもあった為に、成績優秀のための学費免除やプロジェクト協力の報奨金に加えて寮費減額で、三年間真面目に練習すれば結果を問わない運動部所属は渡りに船だった。



「……双ちゃんのアンダースローも身体の可動域と投球フォームの研究からでしたし。双ちゃんも甲子園には間に合ったけれども。浮き上がる打ちにくいアンダースローでコースに適当に投げられるそれなだけで」



 二年の時はコースに入るどころではなくて、連続四死球を与えかねなかった。公式戦のマウンドに立つ……立てるレベルではなかった。

 三年生の春までのピッチャーは後のキャッチャーをする選手だったそうだが、三年生の夏まで三人とも登板回数は零だった。


 野手として山城選手以外は出てはいたけれども。


「……市やんはバッティングも良かったけれども。あのチームで唯一のホ-ムランバッターだから。エースで四番って奴ですね」


 野手としてもプロにいけた……かもな打力であった。当たれば飛ぶが、器用なテクニックは低いバッタ-でもあった。


 反射神経や運動能力は高く、バットに当てるのも上手い……ただ当ててから上手くコントロールするほどの技術は無くて、感性頼りで打っているだけである。


 運動神経が余っ程良いのか三割以上は打っているが、ある種の勘でもある……四番だった訳は長打力は彼しかなかった程度でもある。



「市やんを取ったチームが育成主体で数年後に出てこれれば良いという方針は良かった……ドラフト三位も普通なら大学か社会人野球かで活躍したら程度の将来なら縁があるかも……上手く成長出来ていたら機会があるかは分からないと割り切って育ててくださったのは安心しました」


 ついでにうちの大学と提携して色々と協力したのも良かった――と言われて改めて驚く。

 プロでキッチリと身体を作ってから……という方針は良かったのだろう。ベテラン選手が幾人か居て優勝争いからそうそうに離脱では無い、緩やかな下降線条体なのも運がよかった面もある。


 二年間音沙汰がなかった……一年目はひたすらトレーニング漬けであり、二軍登板も殆ど無かった。


 投球フォーム自体は仕上がりかけていたが、投球術にはまだ課題も多く改善の余地もあった……スタミナが無いと言うよりも身体のみならず精神と言おうか心構えの鍛え方が足りない部分も多く、余計な動作もある。



 球速だけを武器に、まだ未完成な状態でプロで投げれば……早い段階で壊れる可能性すらある。

 剛速球を投げられるという事は、それだけ過剰に負荷も掛かるという事だ。 


 登板実績も無いので緊張から疲れやすかったのもある。


 野球の経験自体が少なく、それを踏まえても素材は悪くないために大学野球で開花させたら四年後に取れるかどうか分からない――無論物にならない可能性も相応にあるが。


 三年目にシーズン途中から一軍登板して先発一発目で七回無失点でヒット三本のまずまずな成績でGW明けを飾ると、八勝二敗で防御率1.85という脅威なそれを叩きだした。


 完投も三回以上と、スタミナ不足やクローザーのほうが良いという声も出ていたので、そうした下馬評を覆した。 


「リーグが打席に立てる側なピッチャーなのも良かったですね。意外と打っているから、その方向でも話題になるのは見ていて楽しいですね」


 打率251でホームラン三本に犠打も多数は立派なものだ……もっとも最初の二本は極々初期の段階の様子見を初球打ちした出会い頭のようなものだ。


 ある程度長打もあると警戒されてからは甘く入った変化球を大振りしたのが当たった一発だけである。

 バッターとしては実質初年度だから様子見というかで思ったよりも結果が出ただけとも言える。


 三年目を好成績で出発したが、四年目の今年も躍動した。

 一八勝三敗で防御率も一点台のエースとして君臨したのだ。


 負けた試合も大荒れではなくて、そのどの試合も二点程度で抑えたが相手のエースとの投げ合いで負けた。

 五点取られた試合でも負けなかったから、援護が無いと言う訳でもなくて偶々という奴である。


 バッティングは打ち上げてしまう場面が多いが、逆に言えば外野まで飛ばせるので、犠打になるフライも多い。


 バントは可も無く不可も無しであり、だからピンチでもチャンスでも振らせる場面が多い。


 四年目の今年もホームランも一本出て、打率も243の犠打が少しだけ多い。これは去年より登板機会が多い事もあっての事である。


 もっとも本人にインタビューしたときに「今のまま野手転向したら鳴かず飛ばずで、良い処、二軍でそこそこ打てるのに、一軍では微妙なバッターですよ。ピッチャー九番だから色々手違いでちょっと打てているだけで、これが野手でいっていたなら外野フライが多めなだけのバッターでしょうし」と言い切っていた。


 一軍二年目としては悪くもないが、そこまで極端に打てているわけでもない。

 フライを打たせないために色々工夫して、力任せで多少のヒットが出ている感じではある。


 来年以降は実力が完全に知られたので、もう少し打率が落ちるか、いっそバッティングも練習して多少は打てるようになるか。


 反射神経と選球眼に筋力は良いが、バッティング技術自体は然程ある訳でもない……メジャーに言った二刀流でそれぞれ超一流の結果な選手を引き合いに出されると、「少なくともバッターとしては足下にも及ばない」と自他共に苦笑するしかない。


 市之宮選手のバッティングは浪漫枠という事だろう。評論家も概ね一致した、「アマチュアだと素材で打てるが、そこから先は大成するか芽が全く出ないか不明な選手以上でもない」だ。


 時にはそうした下位指名選手が大成したりもするから、スポーツ選手は実績だけでは目が離せないのだが。


 


「肉体強化で高校時代より二回りは大きくなったし、理解者な監督とコーチなチームに入れて良かったですよ。友人としても鼻が高い……まあトレーニングメニューの協力をうちの大学がやっている関係上、結構顔も合わせますが」


 三年目から結果が出ているから、根気よくというほどではなかった。しかし御世辞にも即戦力では無い球速と、変化しきれない事も多いのも含めれば多少の変化球だけなスタミナの無い投手をだ。


 物凄い武器を持ってはいるが、課題も多い……多すぎる選手だった。


 本人なりの育成プランも受け入れてもらい、土台作りを大学の教授にも参加してもらえたのも良かった。

 元々が大学と関わりの強いトレーナーも提携して、入団する数年前から協力体制に入っていたのも指名した一因だろう。



 監督にインタビューしたときは、大学にいったつもりの四年間掛かる覚悟だから、予定の半分で済んでホッとしていると笑っておられた。 



 その内情は、投手陣は結構揃っていて即戦力をそれほど必要としていない事。


 FAを含む大量流失は避けられている状況だが、高齢化が進み若手が台頭しづらくてちょうど四年後位に世台交代の危機感が生じていると目されていること。


 素材枠というか、中間の選手が少ないために、むしろ高卒で即戦力ではなくて育てる時間は十分にあった。


 当時はそこそこ回っているが、世代交代で弱体化は野球に限らずプロスポーツチームが抱える宿痾である。

 大抵は対策を取るが、成功するかはその時々である。


 幸い所属チームに理解者がいた……監督にオーナーたちと、元々大学の方にそれなりに交流があり、トレーナーとして協力していたのも理由の一つだろう。

 


「……二番手のピッチャーの仁開双継選手についてもお聞きしたいです。付属の大学に進学して、大学屈指の投手と言われるまでになりましたが、高校での彼はチームメイトから見てどう思われていましたか?」


 二番手ピッチャーの中継ぎサブマリンと言われた選手である。





「準々決勝……市之宮選手が投げた後に、八回九回を左のサイドスローでギリギリ抑えていたという成績でしたが……右のアンダースローなのは何時からだったのでしょうか」



 左投げのサイドスローで球速はMAX130前後。平均は130以下であり変化球はそこまででもなくても打ちにくいコースを投げて、高校生としては平均を大きく上回る守備力でギリギリ抑える二番手ピッチャー。


 所謂野手投げと誹られて、適当に点を取られていたピッチャーだった。

 準決勝でも三回以降は無得点だったが、双継選手に交代したその試合はランナーを出しながらも、無得点で終えられた。


 同点で迎えた八回に、山城選手がワンアウトだが得点圏にランナーの場面で、三遊間を抜けるヒットを打ち決勝点となった。


 綺麗に打ちはしたが、この時点では山城選手に注目の目を向ける者は少なかった。


 以上でも以下でもない制球力だけが取り柄の仁開選手が右|《●》のアンダースローを披露したのが準決勝で、市之宮選手が五回で球速が落ちたときである。


 外野と交代して市之宮選手はレフトを守った。四番でそれなりに打っていたから外せなかった様だ。


 五回で球速が落ちた理由は、まだフォームが固まっていた訳でもないので、多少の疲れでも球速が急激に落ちる。


 これは実戦経験の無さも含めた高校デビューだったからではある。専門家や評論家や解説者が、才能にあかせて体力作りを怠ったと批判していたが、順番が逆である。


 諸々含めて形になったので、実戦で何処まで行けるか試している最中だった。


 公式戦に照準を合わせていないが、わざと負けるほど徹底していた訳でもない。

 実際に登板させなければ課題も分からない。



 元々強豪でない割りには、基礎がしっかりとしたチームである。派手さはないけれども、堅実な守備と着実な打撃で凌いできた……三年春の大会までは三本の矢と謳われた彼等はピッチャーではなかった。


 そこで球速も含めれば超が付く評価も有り得るピッチャーが登板した時に、一躍強豪校と同等の高みに登った……先発して五回まで市之宮投手が投げている間だけ、だが。


 市之宮選手にスタミナがあれば……とやたら言い募る者も多かったが、高校デビューでそこまで形になったのはそれなりに凄い事だ。


 まあすぐに頭角を現す天才もいるだろうが、彼はそうでは無かった。




 それでも切り札を隠していたのだ――殊更に隠していた訳では無く、調整を続けギリギリ形になった。


 全力投球故か、六回で降板したときにここまでと大半の者が思った。

 プロ注の打者もいるくらい打撃のチームだった。ノーマークのピッチャーが現れて五回まで無得点に抑えられて四点ビハインドだが、左のサイドスローという特徴しか無い二番手ピッチャーを打ち崩す自信はあった。


 たがその二番手も曲者だったのだ。

 六回から登板した投手も、先日までの投手では無かった。


 左のサイドスローだが、特に癖のある球でも無い。まだまだ自分達有利と思った強豪校は投球練習で目を飛び出すほど驚く。


 そもそも左のグローブでは無く、右のそれを嵌めていたことにも驚いたのだが。


 地面にぶつかるかと錯覚するほどの沈み込むフォームから浮き上がる右のストレート。その地面を這うようなダイナミックなフォームは、たとえ一二〇km/h台でも驚きでもって迎えられた。


 剛速球の後の軟遅球は、そこそこランナーは許したが滅多打ちには出来なかった。

 それでも六・七回で一点づつ点が取れた。


 六回にノーアウトかショートを辛うじて超えたポテンヒット一本から、内野ゴロで二塁に進み。遅級であったことから三塁に盗塁が成功してワンナウト三塁となった。


 そうしてタイミングが外されたが外野フライで一点。 


 七回は内野ゴロやタイミングを狂わされた外野フライで簡単にツーアウトになったが。三人目の八番キャッチャーが、大振りで振った球が偶々真芯で捉えて、ギリギリホームラン……一点ずつでタイミングは狂わされたが、全く打てないという事も無く。


「今の双ちゃんとちがって、変化球は上手く投げられれば結構切れがある程度だし、曲がりきらないことも多かった……失投を計算に入れなくてはならないし、浮き上がるような球が打ちにくくても、フォームが独特すぎてコースに辛うじて入る程度だったから、当然のように何球かに一回は甘い棒球が入ってしまう。あの試合は八回にも満塁にされても一点だけで済んだのは本当に運が良かったです」 




 仁開双継、一八〇㎝から思いっきり沈み込んで投げる右腕。だから非常に打ちにくかったようだ……一巡目はだが。


 左から右に変わったことは特に問題ではなかった。


 変化球も横に滑るような……なぞと称された切れの良い球もある。だが、すっぽ抜けも少なくもなく、一番目のピッチャーが剛速球だからこそ、目が慣れてしまって打ち損じもしたが最終回はクリーンナップからである。


 一二〇km/hを切るようなスローボールでは、剛速球の後だから打ちにくくも感じた……だが一巡りもすると捉えられるようになる……甲子園に勝ち進める実力のチームなら。


 これで制球力が完璧で丁寧にコースを突ければ別だが、この時はまだそこまでの制球力は無い。


 ストライクゾーンに概ね投げられて、切れの良い変化球も偶に投げてくる……完封されるほどではないが打ち損ねてしまう打ちづらいピッチャーではあった。


 手も足も出ない球ではなかったから余計に打ち急いで、そうして打ち損ねも多かった。

 だから強打で知られる強豪校が六回七回は打ち崩せなかった。



 八回はストライクが入りづらく連打を浴び死球も出してしまってノーアウト満塁のピンチを招いてしまう。


 サードゴロの間に一点入り二塁ランナだけアウトに出来たが、まだ逆転のランナーは塁にいる。

 そうして初球から今までよりも遥かに切れが良い135km/h(●●●)のスライダーが投げられ……つい打ち急いでボテボテのセカンドゴロで交代となった。


 


 だが勢いは相手チームにあり、一点差でひっくり返される寸前だった。




「双ちゃんは今では大学No.1投手の呼び声も高いけれども」


「サイドスローは子供の頃からキャッチボールで投げてたから野手投げ……内野手投げと言われつつ投げられたけれど、でも正直にいって甲子園を狙うチームを相手にする投手としては物足りない。アンダースローも全身の可動域を有効に使って投げていただけだから……あの時点では一通り投げられるだけの形が出来ただけでした。まあ市やんの次だから通用したのはあるから……」


 高校生全体の球速が上がったとはいえ、160km/hの剛速球を投げられるピッチャーはそういない。

 それに五回も投げられれば、打てないまでも目が慣れもする。


 無論全球の球速がそこまででもないだろうが、基本は剛速球ピッチャーだった。

 それが交代したらまたく違うタイプの下から突き上がるように浮き上がるピッチャーでは、確かに打ち崩すのは難しい。



「まあでも最初サイドスローだったのは、市やんと違って双ちゃんの投球がまだまだでしたから。四死球も少なくない打ちづらいだけなピッチャーでしか無い。変化球も形になってなかったし、球速を上げる投球だと何処に行くか分からなくて実戦じゃ厳しい」


 高校生でも150km/hを超す選手が珍しいだけで、驚かれなくなった昨今だ。


 たとえアンダースロー投手であっても、それだけでは通用しない。

 コースに投げ分けるのも難しく、四球も多く、変化球も物にはしきれていなかった。


 球速が遅いピッチャーは、それなりの投球術や投球フォームを磨いているものだが。高校時代の仁開選手はタイミングを多少は外す投球もする打ちづらい以上のピッチャーではなかった。


 ただそれでも打ち崩されずにいたのは、珍しく慣れるまでに時間が掛かりそうではあったからだが。



 大学二年から投げた彼はもう別人だった。

 元々内野手……サードがポジションだっただけに、極端ではないにせよ、適当に守備も良かった。

 直球も勝負出来るほど速い上に打ちづらく、緩急自在でありタイミングも図り難い。変化球も切れ味鋭く、そうした全てが投球術に磨きをかける。


 そんなピッチャーでもなくば大学No.1とは呼ばれない。


 とはいえそれは高校卒業して、さらに二年生に進級するまで掛かることになる。二年の後半からは中継ぎとして活躍し、程々の成績で終わるが、制球力は格段に増したとはいえ球速は横這いだった。


 それが覆されるのは満を持して三年から先発にまわってからである。



 そこから大学No.1投手と呼ばれるようになるのだから大したものだが。

 MAX145km/h超の快速球と、切れ味鋭い変化球を武器に、絶対的エースとして君臨した。

 その突き上がるように浮き上がる球は、人によっては一六〇km/hより打ちづらい魔球とまで言われている。



「双ちゃんは子供の頃は右利きなのに兄の真似で左投げ左打ちだったそうですが。ただまあ野球少年だった兄に比べて、キャッチボール以上の事はしてこなかった。それでも三流ピッチャー程度に左で投げられるのはセンスでしょうが、先発じゃあ通用しない程度でもあった……ってか本人に許可も取っているのでぶっちゃけますが……双ちゃんの球速は高校三年から変わってないです。ただ致命的に制球力が無かったから……結局あの甲子園でも間に合わなかった」



 へっとなった。

 球速が増して制球力も付いたから一躍スターダムに躍り出たと思っていたが。


「双ちゃん体力お化けだから、高校時代から投げ込んだりしてたけれど。体力的にはあの球速で投げていれば先発完投できても……打たれちゃうから。あの球速でもコースに投げ分けられれば、どうにでもなったでしょうが、球速抑えて精一杯に丁寧に投げてアレだから……当時の全力なんてまあストライク取れなかったでしょうね」


 市やんより先に形になってはいたが、高校時代は実戦レベルまで練り上げられなかった……。


「……正直に言ってしまえば大会前、俺たちが勝ち進める可能性は低い……と皆が思っていました。今時140km/hを超す球で完投できず、ストライクゾーンに放り込むのが精一杯なんてピッチャーが通用するとも思えなかったし、サイドスローの左腕以外特徴の無い……むしろ投げられるだけマシなのが二番手な時点で、勝てると思う方が不思議です……厳密に言えば勝つためのチームでもないですし」


 打撃は悪くもないが、本塁打を打てる目算があるのが市之宮選手くらい。器用に単打を打つ選手が多いが、長打がない分は得点力は真に打撃のチームに及ばない。


 ホームランも確か市之宮選手以外は合わせても十本を切り、県大会でも勝ち進む度に減っていった。


 市之宮選手を含めても、甲子園で打ったホームランは五本だけ、その内の三本まで市之宮選手である。



 貧打ではないし得点力も相応にあるが、長打率は低いチームでもあった。二塁打すらエラー絡みでなくばほぼ無くて、三塁打は大会を通じて一回、これまたエラー絡みである。


 バントもほぼ無いが、犠打というかはそれなりにあった――バントは技術の問題で成功率が低いが、ヒットはともかく打ち上げたりボテボテのゴロはそれなりに打てる。

 


「勝つためではない、ですか」


 どんなに弱いチームでも勝つことを夢想する。

 それを目的としないとは。




「……そもそも監督選手にコーチも含めて欲が出たのは、ベスト4あたりから。ソレまでは勝てる以前の問題とも思っていた。実戦に勝る経験値の付け方は無い……とはいえその土俵に上がるための最低限の力も必要だ」



 そう薄く笑いながら青年は呟くように言っていた。


「……バッティングはまだ何とかなった……一流チームに比すべきそれかはともかく、まあまあ撃てなくも無い程度に形が調えた……勝てたと言うか打てたのは運だとは思うけれども……てのは冗談ですが。それで勝てるぐらい容易くはないです。ただあのチームは平均的に形は出来ていたから」



 打ち崩せたかはともかく、甲子園常連校あたりからも、それなりにヒットは出た。

 それなりの球速や変化球も投げられるピッチングマシーンも導入していた……それで勝てるなら常連校は皆勝てる。


「……まあスポーツ科学に医学で、綺麗に打てる形を個々人のデーターを取って模索した……守備もそうですが、まあまあ形にはなっていたし、結構打てた」


 これだけ聞くと凄いが、そうした模索をしても強打者は一人しかいなかったし、その彼とて素材形としても高校生でスカウトされるなら下位指名で有るか無いかだったろう。


 当てる運動神経は凄くても、安打に出来る技術は程々でしか無い市之宮選手が打席でも中心選手だった訳で。


「長打というかキッチリ打てる選手は、中々でなかった訳です。まあそのデーターの蓄積も悪くはなかったですが、最後の夏にいきなり形になったチームですから、練習試合ですらほぼ無かったので、前評判は微妙でしたし」


 すると言葉を止めた。



「……「三本の矢」と言われた当時の我が校のピッチャーの中で、一番センスがあったのは俺です……そうして、一番才能が無いと言うか、ドラフトに掛かるにはお話にならないのも群を抜いて俺です……むしろ選手としての将来性なんてほぼ無い」



 MAXの球速は市之宮くんに及ばずとも、山城選手も一六〇近いそれが出るピッチャーだった。さらには変化球もフォークとスローカーブがあり、完成度は他の二人よりも高かったぐらいだ。


 何故か抑えでしか出てこないで、国際大会の招集も辞退したぐらいである。秋季大会も彼は出場しなかった……学校はそこでは結構あっさり負けた。




「……そもそも、体育科と言いつつも、中学までで活躍した選手は皆無に近かった。理由は様々ですが、要は学校の運動自慢程度の者が大半だけれど、部活等で活躍できなかった……運動能力を活かし切れなかったか、運動能力がそこまで圧倒的でなかったか競技に向いていなかったか」


 それでも将来は運動に関わる事で身を立てたい……そうした者が大半の体育科であった。


「双ちゃんと市やんが逸材だったけれども、オレまでそうだった訳じゃ無いですから。野球は好きだったし、小さい頃はプロ野球選手になるのが夢と嘯いていたのは確かだけれども、この小さい身体でまあ諦めた訳です……身体の小ささよりも虚弱さと言った方が良いかも」


 特に悲壮感もなく、ニコニコと小柄な青年は言っている。



「医者になりたいと思った理由は、まあ有りがちですが。怪我でスポーツを諦めた友人がいた事です。父が云々は大嘘ですよ? 実際に怪我をしてチャンスを棒に振った事自体は嘘でも無いらしいですが。中途半端に才能があったけれども、あの人は調子に乗りやすく頑張れない人でもあったから。チャンスを活かせなかった事を免罪符にして、次のチャンスを掴めるくらい頑張らなかっただけ……それを言い訳に何時までも未練たらたらで」


 あそこで怪我さえしなければプロで云々……まあ居酒屋には一山幾らでいる類いである。

 親子の確執はなかったが、甲子園優勝の瞬間のマウンドにいた事で、図らずも確執が出来てしまったのは当時有名になってしまった。



「……結局、プロからの誘いは来たのですか?」


 某球団の父親との密約がすっぱ抜かれ、その事で解説者からプロで活躍するには~と否定的な意見が続出した――とまあ周辺がちょっとだけ騒がしかった。。

 

 抑えとして最終回しか投げなかった……幸い延長戦はなかったが、一度先行の時に同点にされて追いつかれたときは代打に交代してすぐに引っ込んだ。


 監督はその事をマスコミや解説者から責められもしたが、その代打が綺麗に打って試合を決めた。


「お話しだけは幾つかの球団から来ました……下位指名でなら、との事でしたがお断りさせていただきましたし、そもそもプロ志望届を提出しませんでしたから」


 有名だから経緯は知っている。

 球団の交渉が来て、父親が山城選手の意向も聞かずに前面に出だしたのだ。


 球団の方も当然本人の意向が無視されているとは思わずに、具体的な条件を交渉しだして、両親の対決が深刻な形で爆発した。



「……母は所謂バリキャリであり、子どもを三人も生んでも復帰できる目処が付いてから妊活したと入っていました……まあ実際父は駄目な野球ファンで、興味のある試合には日本全国飛んで行きましたが、子供にも家庭にも興味無い人でもあった」


 とくにDVでもネグレクトでも無かった……母親が実質一馬力で家庭を運営していたし、適度に家事台行サービスを頼んだり、リモートワークを取り入れたりも出来る、協力しない父親がいても一杯一杯にならない人でもあった。



 DVはともかく、ネグレクトでないと断言出来ないが、そこで上手く回っていたら外野がとやかく言えない類いの話でもある。


 子供である山城選手ですら言えなかったようだ。



「……まあぶっちゃけるとです。母は煩わしくない男を夫に選んだつもりでしたから。普通は恋人としてありでも、趣味のためだけに生きている人って敬遠するでしょうし」


 悪人でなく借金を作ってまででは無かったから続いていたという。

 無論だが愛情なりもあっただろうが、子供から見てもその辺は分からなかったようである。


 生活費を殆ど入れず、帰ってくることも稀……これが仕事ならまだしも、大半が趣味のためである。



「両親がそこそこ稼いでいるから、ある種の奨学金は通りづらいですし。だからあの学校に来た面もあります」


 医者になるのはお金も掛かる。その軽減を幾分なりと出来るのなら、ではあったようだ。

 父親以上に稼いでいる母だが、3人兄弟の長男が医学部志望となれば相応に負担が掛かる。



「……これで俺に才能があれば、父親の歓喜を許容してもよかったのですが……正直に言って高校生レベルでも一杯一杯でしたから」



 誰も触れる事も構わず……ではないにせよ、かなり抑えていた方である。

 クローザーだから防御率という面ではともかく、キッチリ三人で抑えた試合の方が多く、一発浴びたり打たれた事もあるが全体として好投手だ。


「準決勝の話に戻しましょう。双ちゃんも限界だったけれど三番手投手は俺以外だと微妙だった……経験者が少なく過剰な思い入れの薄い俺たちでも、ここまで来るとついに勝ちたい欲も出てきた。今さらとも思うでしょうがそもそもあと二回勝てば甲子園と言うところまで来ていたのが不思議なくらいだったので実感していなかった」



 全てが実験の実証のため――と言う程に達観していた訳でも、競技に思い入れが無い訳でもなかった……そうな。


 結局は体育科に入り、向き不向きの細かいテストを夏休み前まで受けて、二学期から本格的に振り分けが始まる。


 各競技の大会に間に合わない、と疑問に思ったので素直に聞いてみた。



「……体育科に入れたと言う事は全員一定以上には運動が得意とはいいますが。大抵は中学までで競技者として見切りを付けた訳です。俺のように医師志望は少数派でも、柔道整復師や鍼灸医などの資格も踏まえた下準備……これは試験というよりかは自分の状態を把握し、ストレッチや準備運動……ついでに食事療法などの実践的な知識を……正に実践しながら学ぶそれでもあります。そこまで専門性に向かわなくてもトレーナーやらインストラクターやらの養成コースというか、アスリート的な練習をしながら学ぶって意味合いの」



 さらに付け加えると、中学までで何処かしら故障した者のリハビリも授業の一環としてあるようだ。


「……体育が得意と言っても、学校かクラスレベルのそれであり、競技者として大成出来る自信は微妙。でもスポーツに携わる仕事がしたい時に、より速くその道を選ぶ……後ワンチャンは隠れた才能を見つけ出して競技者として成功する可能性も無くは無い……まあ俺らは成功しすぎましたが」


 若い時分に、トレーニングを体感して将来の経験にする。


「俺が野球を選んだのは、提示された中でまだしも好きな部類だったにすぎないです。そうしてピッチャーというか、投げ方の探求を選んだのも、特にこれあるを予想した訳でも無いです。身体を動かすのは好きでも、ただ何となく鍛えるも微妙でした。さらに言うとアスリートというよりも実体験を活かすコース……身体を動かす方に多少の才能はあっても、競技者としてはない……と言うか低いとハッキリ言われましたね」



 特に負の感情を出す出なく、さりとて湧き出る感情を圧し殺す風でも無く青年はどうという風もなく呟く。



「バッティングの練習はしましたが、長打は端から諦めました。逆らわずに弾く、それだけだし初球から打ちにいったから、取り敢えず転がすことは出来た。結果は良かったけれど、アレがもう一年あったら、もっと警戒されて打てなくなっていたでしょう」


 単打をそれなりに打てたのも十分凄いが、研究され尽くす前に終わったと言い切る。


「……度胸はそれなりにあったので、塁が埋まっている状況の方が打ちやすかったので。最初は小柄な非力そうな打者でも塁を埋めたくないから、コースを狙っても外す事は少なく投げていたのでしょう。塁が埋まっている……得点圏にランナがいれば余計に、でも体格から長打はなさそうだから引っかけて打たせるのが理想、と。変化球や内角の際どいところも含めて。逆に言えばストライクゾーンには投げてくるので、後は練習通りに振れるかと……それ以上に運ですね。さっきも言いましたが、センス自体はチーム屈指でしたから」


 それでも結果が出たのだから、打者として活躍できたのでは、と。

 準々決勝のピッチャーは高校卒業後に社会人野球のチームに入団し、ついに2年目にしてドラフト指名されるまでなったピッチャーである。


 高校生の頃に指名されないまでも、才能自体は相応にあったピッチャーだろう。

 いやそれ以前にだ。

 


「……守備も上手かったようですし、何故、守備でレギュラーではなかったのですか?」


 少なくとも代打で出て、出塁率が五割近くは驚異的である。

 それならクローザーであるにしても、守備で出ていた方が活躍できたのでは?



「……無理ですね、スタミナ無いですから。野球は楽なスポーツと仰る方もいますが、最終回まで打席に立って守備したら確実に投げられなくなったでしょうね。一回集中していたからバッティングで出ても影響が少なかったけれど、毎回出たら駄目だったでしょうね……結局急造チームと言うかバラバラな育成したガチャガチャな面子が奇跡のようにちょうど良く嵌まっただけでもある……それでも二年目は無かったでしょう。甲子園に出られるかも微妙ですが、優勝までは無理でしょうしね」



 そう言うと、アイスコーヒーを半分まで飲みきる。


「……市やんも双ちゃんも手を抜いたように言われるときもありますが、県大会の一回戦から一六〇km/hを投球をしたら……四死球の嵐で怪我人が無数に出たかもです。双ちゃんも左とはいえ実戦で投げたから、要領が掴めてまだしもストライクを投げられるようにはなった……高校から始めて、トレーニングから何からキッチリと仕上げた結果です。ですが実戦登板で調整が進んでいき、あの程度は投げられるようになりました……俺と違って」



 今さらだがこのインタビューの主題は「もう一人の……三本目の矢」である。

 プロで活躍しているピッチャーやドラフト一位指名の競合された選手ではない。

 高校時代は一番完成度が高く見えたけれども、幾人かの解説者に嫌われた上にプロ志望届も出さずに大学では全く話を聞かなくなった投手へのインタビューだ……むしろここからが本番とも言える。



「……端的に言えばです。俺だけジャンルの違う競技の選手と思ってくれた方が良いでしょう。差し詰め「体重別各種球種別選手権」なんてのがあって、軽量級でなら何種類もの球を一流に近い……いいやそうした種目だと仮定するなら何種類もの球を投げられる一流選手ではあります」


 「?」である。


「……中学時代に体操部に入部していて、顧問の先生は海外でスポーツ科学をキチンと勉強した先生でした……惜しむらくは体操の知識は教科書通りな人ではありましたが」


 無名校も良い処で全国どころか県内でも上位は遠く、実際の成績もそのようなレベルだった……ただ科学的トレーニングの知識と技能は一流だった顧問によって、アスリートの訓練としては最上級な学校だったそうだ。



「御陰で投球フォームとか、間接の可動域とかは非凡だったようです……ただ体操選手としてはどちらにせよ凡庸だったそうですが」 


 体操との二択なら野球に来なかった……そう笑っていた。

 好悪では無く、中学の延長線ではあるから。


 多少誇らしげに言っているが、甲子園優勝の瞬間にマウンドに立っていた投手である。それは誇らしくもなるだろう。



「……だから投手を目指すというよりも、投手の練習の模索をして身体の疲労度とか関節の痛みとかを知ると言うか知識を蓄えると言うかなそれだった訳です」



 良くも悪くも野球の競技と似て非なるスポーツな訓練だったと。




「スタミナを増す訓練もしましたが……何せ凡庸ですから。この体格にしては力の伝達の仕方が異常に上手いと言われましたが、そうした実際の野球の投手の訓練だったら、左のサイドスローの双ちゃんにも及ばないピッチャーだったんじゃないかな……甲子園で投げられるようなピッチャーにはなれなかった。町内では強い草野球チームならエースぐらいかな」


 それでも完投したら次の日は筋肉痛で動けなくなったでしょうが。

 そう笑う青年だが、自嘲する風でも無い。



「……実際三年生ぐらいの投球は二年の時には出来ました……もっとスタミナ無かったですけれども」


 クローザーだけいても勝てないでしょ。とまた笑う。



「……あの二人が実戦で一試合ごとにレベルアップもしたから、データーを取る方との乖離が出て勝てたのはそうです。ただ俺の方は一切レベルアップなんてしなかった。160km/hくらい直球とそれなりに速い球で手元で落ちるフォークにスローカーブにその三種類があるから生きるスライダーの四種類は、それだけ聞けばまあまあ非凡でしょうが」


 プロに入団した投手でも上の方じゃないかしらん。

 当時からそうした声も聞こえてきていた。

 そうした声や解説者の非難も聞こえていたのか、結局はプロ志望届は出さず仕舞いは疎か大学野球でも聞こえてこない。 


 それどころか野球部に所属しているかさえ。



「……まあ大道芸に近いですよ。プロ野球に限らずピッチャーが曲り幅の大きな変化球とか、それなりに速いボールで落ちるフォークとか、身長体重にしては速い球を投げられるのを競う競技なら、俺はそれなりで戦う事が出来るし、体重別ならそのカテゴリーでなら一位を争うそれに加わることも出来る、かもですね……でも実際はそうじゃ無いでしょう?」


 実際のプロ選手で160km/h球を投げるだけでは通用出来るかは疑問である。

 その試合で通用するにしても、一年を通して投げられないなら同じ事だ。



「……殊更に野球と違う競技なんて言った訳はです。俺はどういった投球フォームで、どういった練習をすれば……と言うだけの練習をした訳です。幸いというか、トレーナーの練習メニューをそれなりに理解し、それを早期に実現というか実証出来る肉体と頭脳はあった……だから二年の夏頃にはスタミナ以外はほぼ完成しましたが、実戦で試す気にもならなかった……どうしてだと思います?」


 そう言われても困惑する。

 早々打ち崩されるとも思えないが、そうなると躊躇う理由は。想像も付かない。

 だが山城選手は別段謎々を引っ張る気も無くて喋りだした。



「二年の頃は二十球も投げれば腕が張って、三十投げれば次の日は休養日にでもしなきゃならなかった……投球練習もキッチリとか言い出せば、十球投げられるかどうか……高校生のレベルでも微妙でしょ?」


 直球は元より、フォークやカーブも、身体の負担はさほど考えてもいない。

 いや考えてはいるが、そもそも投げ込むこと自体が望外と言うか予定外の話なのだ。


 練習方や投球フォームを実戦し実証してみると、数値上はプロでも滅多にいない数値が出た……ただ総合的に見て、ピッチャーとして通用するかは別なだけで。



「……もう一つ、そこも踏まえてもと言うか、それ以上に通用しないだろう事はですね。スタミナがあっても通用しない致命的なことです。俺に投球は出来ても投球術は無理だった……多分練習に明け暮れても無理でしょうね」


 矯正する前に壊れる……通用しないと思ったからこそプレゼンして、良い球を投げる夢にだけ浸りたかった。

 そうして形にはなったが、そうしたスタミナや投げる癖を薄くする練習は無理、と。

 そもそも投げ込む練習が無理であり、通常とは別アプローチで一休の完成度だけを追求したら……予想以上の完成度にはいけた、が。

 投球は出来ても投球術は無理、か。


 そうした類いのことを言っていた解説者もいたが、意味が分かり兼ねる。


 そう素直に言うと、特に気分を害した風でもなくば、特に見下した風でも無く口を開く。


「……そうした練習方にしては上手くいったでしょう。俺が受けたのは実験なだけでも実証実験のデーター取りなだけでもなくて、将来にその方面に進みたい人で、体育の成績は良くても、競技者としては成功しないであろうモノのためのキチンとした体験作りな側面もあった……そうした体感が全てでもないですが、無いよりかは有った方が良い」



 ふむふむ。


「……これでそうした投球で175km/hの球を投げられるとか、曲り幅が普通の十倍とかならまだしも。きまった投球フォームとタイミングで投げて、まあまあ狙い通りのコースに飛ぶ。数値上は一流に近くても類例無しと言うほどでも無い……しかも直球を投げた時は全身の力を思いっきり振り絞って投げているから、数瞬の余白があって、守備も覚束なくなる。フォークやスローカーブも投球フォームが明らかに違っていて、プロだと決め打ちされるだけでしょう……いいや高校でも先発で投げ続けていたら早晩打ち崩された場面も多いんじゃないかな」


 運良くというかキャッチャーのリードのよろしきを得て、直球を足下に打たれた場面は少なかった。

 そうした場面でも動き出しは遅いとは言っても綺麗に形を整え捕球したから、それを奇異に見る者もいなかった……何せ先の二人も打ち崩すのは難しい類いなのに、山城選手も非凡な球を投げるピッチャーである。


 弱点を見切られるまで、同じ球を似たような経緯で打たれて違和感を感じる場面も少なかった。


 そもそも。



「俺が通用したのは双ちゃんの後だから。市やんの豪快豪球な荒れ球で手を焼いた後にです。打ちにくいアンダスローの浮き上がる遅い球でならされた後に、コースを狙った……ような速球派が投げてくる……前二人が特徴的すぎて、俺の数値上は一流っぽい球を攻略する暇が無かった。大体は接戦とはいえ勝ってましたから」


 これがトーナメントではないリーグ戦なら、次の対戦のために見極めると言う手法もとれたろう。

 だが一発勝負の甲子園の接戦な最終回で、様子を見るとか出方に合わせるとか出来るだろうか?


 一点も取られたことも無い訳ではないが、打ち崩されはしなかった。


「……まあそれに二年が……と言っていましたが、三年になっても大して進歩しなかった……身長も伸びなかったし。三十球以内で抑えるのがベスト。肩を温める投球練習とか工夫はしましたが、それでも一回投げるので精一杯。球数の問題で俺は最終回以外は無理そうだし、市やんの次だと見劣りするから打たれるだろうしで」


 キッチリ三十球を直球で投げたら、多分打ち崩されたし、次の日に登板出来ない。

 プレートを踏む位置を変えることで、多少のコースは狙えるが、基本的には外れない程度ではある。


 それに140km/hに抑えた……力を抜いた投球も、それなりに決まったフォームで投げなければ投げ分けられない。



「……要は砲丸投げや槍投げハンマー投げのような物です。この体格でどのような投球フォームで投げれば、数値上は一流な球に近づけて投げられるのか……ただそれだけでしたから。普通に投げてもスタミナが持たないのなら、球速だけは140km/h台後半を投げたら達成感はあるだろうと。正直に言って同じ野球部で皆とも仲も良かったけれど、バッティングと守備固めやそうした穴埋め以外で出番があるとも思ってませんでした」


 前の双継選手が特徴的すぎて、その存在自体が互いのフェイントになっていた。

 甲子園から始めていても、例えば五回ずつだけしか投げなくても、まあまあデーターは取れる。

 

 だが最終回しか投げないで、これも悪くはない変化球を主体に打ち損じてもらえればデーターどころではない。


 三十球か……弱点が看破されたら、もう通用しない。ちょっと粘って球数を投げさせれば自滅する。



「……前提条件が違っているんですよ。才能が無いというか話にもならないから、好き勝手な練習が出来たし、手を抜いて遊んでいる訳でもないからそうした練習を許容どころか後押しまでしてくれた……そうしたらそうした意味でならキッチリ才能があった……野球じゃなくて、さっき言った架空の競技なら、一流選手と言われるくらいには」


 さらに言えばだ。スタミナの無さは短期的じゃない弊害もあった。



「甲子園が終わった後、炎症を起こして一ヶ月練習禁止になりました。甲子園ではほぼ毎試合投げたと言っても、一回ずつですらね。もし仮にプロにいけるとしても抑えでも中継ぎでもイニング数少なくて一ヶ月活動したら一ヶ月休む……もっと延びるかも? なピッチャーなんて需要がありますかね……さっき言った弱点克服出来るとしもです」


 もしくは無理しないように週一で一イニングペースの抑えか中継ぎ……打ち崩されても変わらず、ってまあ。


「……なら野手では?」


 守備もそれなりだったし、バッティングは出塁率は五割超えだ――と聞いてみたが。




「……警戒されなくて、得点圏にランナーがいる方々に注意が必要なこちらが有利な状態でも多少は狙ったら、ギリギリヒットが打てた。打ち上げないように三遊間を抜けるのを狙えた分は高校生の野球センスとしては上の方と自負していています。ただしレギュラーだったらもっと打てなかったでしょう。くそ度胸とセンスで、あの立ち位置なら通用もしましたが、スタミナも含めてレギュラーも微妙でしょうし」


 高校生で結果は出せたが、よりレベルが高くなる大学野球や社会人野球に独立リーグでは同じやり方では無理と断じた。


「高校生の代打ならセンスと糞度胸で運良く通じた。それを卑下する気も無いですが、運ろ詐術も含めての話ですし……バッティングはああした状況だからそれなりのセンスも通用しただけです……次からは過剰に警戒してくれたから、おっかなびっくりの様子見を思いっきり振ったら打てたことが多い以上でも無かった」


 バッティングも一級品では無くて、三塁線に転ぶ可能性の高いスイングを心懸けたのも含めて言っても、総じて運が良かった。


 当然のように金属バットではあるし。

 




 無論だが監督やチームメイトも分かっていたから「持っている」山城選手に託した一面もある。


「それに勝ちパターンが少ないチームでしたから、そうした形があると安心もしました、自分で打って勝ちを見据えてから投げるとテンションは違いましたし」


 結果を出している以上、運と言い切るのも謙遜がすぎると苦笑しつつ、野手としてならと言った私の言葉をやんわりと否定する。



「バットに当てた後に制御するのが上手い……そこだけ聞くと名選手みたいですが、守備体系や状況で、ヒットが出やすく結果も出やすい状況で物怖じしなかったから実力通りというか、練習の成果が出たというか上手く嵌まったというか……まあそこも含めてスタミナが無いに帰結しますが」


 そう笑う。



「……スタミナそんなにないのですか?」



 思わずそう聞いてしまった。




「入学からこっち、ただただ球速が上がって変化球が投げられる瞬発力を得る練習しかしていませんから。まあそれ以前にです、正直に言えばそこで形になるとも思っていませんでしたし」


 間接の使い方が上手く、瞬発力というか生じた力を指先まで伝える技術は凄い。筋力も相応に付いたが、持久力は微増に過ぎない。



「……技術というよりも練習通りに投げているだけ。一つ一つ見るなら非凡に見えるボールでも、決まり切ったフォームに投げてくるコースは概ね一緒。四種類のボールも結局はあからさまなフォームで投げ分けるだけ。タイミングをズラしたらそもそも投げられないし、投球術なんて同じ事を同じようにしているだけだから無理……さっきまで言っていた架空の競技があるならともかく大道芸……いいや大道芸はそれで稼げるプロもいるから……精々が宴会芸にすぎません」


「……2回……上手くいても3回まで保たないピッチャーな上に、次の日は寝込みます。まあそれは大袈裟でも、スタミナも無い上にフォームは四種類の露骨なそれだし、市やんでねじ伏せて双ちゃんが散らした土壌だから活きただけで、普通のチームで活躍出来たかは微妙ですね。ああした学校で実戦の経験値でレベルアップした二人ですが、まだ完成していなかった。だから半端でも最後の締めが出来るピッチャーがいればと」



 そう笑った。

 準決勝でマウンドに上がったとき、度胸だけは一人前の歪な技術の持ち主は、駄目で元々とも思ったそうだ。

 二年の頃に投げていた現キャッチャーは、投げても良いが、ここから上のレベルではほぼ打たれると言い放った。


 それなりの肩を持つが、ピッチャーゃとしては凡庸も良い処だった。

 速球はギリギリ140を超すが、変化球はほぼ投げられず、緩急を付けられるほどの投球術もない。


 遅くとも抑えることが出来るピッチャーとはそれ相応の「なにか」があるが、彼にはなかった――より正確にはあるにはあったが抑え込めるほどでもなかった。


「……双ちゃんは体力はあったし、球速的な全力ではなかったけれど、全力で投げたら試合が壊れるだけではありますし。まあストライクゾーンに球が行かないレベルだった訳で、その矯正中だった……レベルアップしても、早々制球力まではねえ」


 むしろ大会中に全力で投げても大丈夫になった市やんがおかしいだけで……と無邪気に笑う。

 準決勝前夜のミーティングで状況は想定通りだった。

 五回まで市之宮選手が投げるが、多分そのあたりで球速が落ちる。

 双継選手も、予想外と驚きで滅多打ちされるのは球が目に慣れてから……八回で一巡以上して九回は多分打たれる。


 五点差以上ならまだしも、僅差で勝っていたときは山城選手の出番だと。




「まあ正直、高校野球のマウンドに立てるとは思ってもいなかったので嬉しかったですよ。架空の競技というか砲丸投げや槍投げのカテゴリーというか……ただその辺だと重すぎて駄目でしょうが」


 それでも駄目元でもある。

 本格的野球経験が高校からの者が大半であり、負けたくはないにせよ強烈に勝ちたいモチベまでなかったチームは、当然だが勝ち進む度に高揚感も味わっていた。


「……あのチームのキャッチャーでキャプテンの央くん……央泰(おうだい)(はじめ)は、頭が良くて物事を組み立てるのも上手かった。三人が三人ともリードもへったくれもないヘボではありましたが」


 そのくせ球質は非凡で取りづらかったから、やりづらくはあったろう。


「頭が良い以前に肩が強く春の大会までピッチャーやってたけれど、それ以上にキャッチングがチーム一だった」


 160km/hの剛速球も、浮き上がるようなアンダースローの球も、一球一球は高品質な山城選手の球も平然と受けていた。


「……プロ級かはともかく、取るだけならそこそこ上手い方でしょう……左利きでしたが」


 複数の理由はあれど、左利きのキャッチャーは大成しない……そうした彼がキャッチャーを続けられたのは……これまた本人の希望と共に、そうした練習と実証のためでもある。


 左用のキャッチャーミットは、メーカーの協賛もあってすぐに用意された。

 ちなみに高校時代に長打力は無かったが、打率は山城選手についで二位というのは、山城選手の冗談である。


 三割超えバッターであり、甲子園でも風に乗ったホームランを一本打っている。 

 山城選手は打者としては代打専門だから、偏った成績であり考慮の外だろうと。


「央くんがいなかったら勝ち負け以前に試合が壊れたでしょうね」


 監督は、どちらかというとトレーナー兼コーチであり、野球未経験者ではないけれども……特に優れた見識を持つような人物ではない。


 高校時代は甲子園出場校で多少は活躍したが、レギュラーも取れず、次のステージの誘いは無かった。

 だから普通の試験で入った大学時代からは勉強漬けになって海外留学で最新のスポーツ科学or医学を学んだスペシャリストである。


 実際の試合運びは央泰選手が組み立てていた――野球自体のセオリーよりも、パズルのように現有戦力を組み合わせ組み替えて勝利してきた。



「……センス云々よりも現状の手札で勝負する仕方を構築出来る天才でしたね。必要な技術や筋肉を調べてそこに合わせて練習方をチョイスする……センスは無い方だろうに柔軟な発想と手間暇を惜しまない練習で、チーム有数の実力者でしたから」


 穴だらけなピッチャー三人よりも余っ程な。

 ピッチャーとしては三の線なだけで。


 そうして市之宮選手が全力投球したあの日の夜のミーティングで、短期決戦なら勝てるかも、と言い放った。


 後輩のピッチャーはまだ形になっていない。だから二人(●●)しかいない。

 二人とも……あるいは二人でも九回を抑えるのが無理ならば、八回まで抑えて最終回……非凡に見える球を投げられるが、種明かしされるまでの野球の投手としては利点よりも穴が多い山城選手で抑えられるように試合を運べば……良い勝負が出来る、と。


「……まず市やんでねじ伏せる……五回まで全力投球で、なるべく点を取られないように……制球力が今一だったのが、実戦のマウンドを経験して、大外しが減ってきたから余計に」


 実際に以降は二点以上取られた試合はない。大半がランナーを背負いながらも抑え込んだ。


「ただまだ体力というか、むしろ手の抜き方の問題も含めて課題が多かった……140km/h台に抑えて投げていたときは、まあまあな制球力だけれども、コースをビタビタに投げるッてのはそこでも無理。ならば七回は保つかもより、五回まで印象づけて投げきった方が戦略を立てる事が可能、と」


 零から構築して、漸く形になってきたので、九回に投げるスタミナは無理だろう。

 出来ない事を出来るようになれ、とするよりも出来る範囲で頑張ってくれた方が、計算も出来て次にも繋がる。



「双ちゃんは制球力はともかく、タイミングをズラして投げること自体は結構出来ていた。制球力が無いから、ズラした棒球がど真ん中に行くこともあるけれども。ただ打ちづらいは打ちづらい……ましてや剛速球の後では。だから超遅球を印象づけるようになるべく多くのイニングまで打ち込まれないように投げた……点を大量に取られなければ、その遅い球を目に焼き付けるように、なるべくじっくり散らして投げる」


 点は取られるには取られたが、あまり連打はされなかった。打ちづらくはあったので、チョコチョコ打たれたけれども、五点以上取られた試合はない。


 ストライクが入らずにランナーを出してしまうことも多いが、引っかけて内野ゴロも多かった。

 地味にダブルプレーは多かった。無論だがその間に得点圏にランナーを進められて、点を取られたことも多かったが。


「そこで手応えが有るか無いかの処で俺が登場です。最初の試合は変化球……スローカーブが初球だったか。次はちょっとは曲がる高速スライダーに最後はフォークで落として三振。130km/hくらいならコースに投げられなくもないので、右バッターの外角低めに投げて油断したところを全力の速球投げたら驚いて引っかけてくれてツーアウト。最後はスローカーブを無理に打ちにいって初球からファールフライを一塁が捕って抑えました……まあ央くんの思惑通りですね」



 決まり切ったフォームから一流級のボールが放たれる……分からなければ打てない……かはともかく、打たれる確立は低くなる。


「……それでも帰った後に、プロのトレーナさんのマッサージと、入念な検査を受けました。メンテナンスもせにゃパフォーマンスが落ちる程度では済まない俺ですから……それでも此処で完全に勝ちパターンを見つけた訳で。三人……市やんは九回まで投げられる身心両者のスタミナが無いだけで、双ちゃんは単独ではまだまだマウンドに立てるには磨きが足らない。俺は、調子に乗って飛ばせば、すぐ……一イニングも保たずに自滅しちゃうポンコツの数値詐欺……央くんが不敵に笑ったのが頼もしかったっけ……それらしかったから一瞬だけいい夢見れたとまあ」


 市之宮くん以外は、実力不足だと?

 そう聞くと頷かれた。



「今となっては市やんと双ちゃんのどっちが才能あるかは微妙でしょう。ですが当時の双ちゃんは小さい頃から遊びなら投げていただけな左のサイドスローの方がマシなピッチャーでしかなかった。特に変化球もない、強豪校なら三番手以下なサイドスローと打ちにくいだけで自滅しかねない球速を抑えてもそれなアンダースロー」


 良い悪いでも無くて、まだ練習して形になる前の投手が双継選手だった……まあ成績を見ればあながち否定も出来ない。


「……俺にいたっては、カテゴリー的に投手っぽいから野球部にいただけで、、特にレギュラーを狙っている訳でもない補欠な選手――投手としてはねぇ。投球練習を含めないとはいえ実戦で三十球制限付きなんて、使い物になるか微妙だし、途中登板も無理というか半端すぎてね」


 全身の筋力を使って、一瞬に出し切るように鍛えた。

 流石に野球のボールの球の軽さも含めて、全身のポテンシャルを一球で使い切る……なんて事は出来ないが、それでもピッチャーの定義とは違う身体の使い方ではある。



「器械体操の才能も無かったけれど、身体の柔らかさや瞬発力の出し方だけは上澄みだった……アスリートにしては弱すぎる持久力と言われましたけどね」


 野球のボールを使った架空の球技があって体重別であるなら、日本有数であった……とも言い切れない。そんな馬鹿な練習をプロアスリートと同じ熱量で以て取り組んだ者なんていないだろうから。



「自己流じゃあのマウンドに立てもしなかったでしょう。そうなる才覚が……アスリートとして優れた面があっても競技者になれる適性は低いから、好きではあった野球のピッチングの追求なんて普通じゃ協力者がいないようなことに手を出したのですから」


 身体は華奢で、格闘技や接触の多い球技には向かない。


 才能というか適正を測ったときに、ピッチャー的投げ方でフォームを極めれば、良い球が投げられる……かも知れないと、三年間ただそれだけ……でもないが、まあ頑張った。


 全身を連動し、収縮して解放する……その理想型ではあるし、他に類を見ない才能ではあるが。

 逆に言えば競技者級の訓練を積んでいる者が、僅か三十球が限界……しかもケアを万全等と言う時点で野球の才能は無い――アマチュア球界ですら居場所があるかは……。


 特にプロ野球は一年140試合を超える……先発にしても何でも、中十日とかで毎回一イニングとか言い出せば、門前払いをされるだけではある。


「普通はですね、そんな専門のコーチとトレーナと最新の機材を使った、無駄な訓練なんてしないものです。入学時に余計な事はせず野手でレギュラー狙うとも思いましたが、高校入学の時点だと、それも微妙でしたし。なら思いっきり自己満足にやってみようとプレゼンしたら通ったんですね」



 むろんだが特異な才能はあった……むしろ特異すぎてアスリートとしては余っ程競技を選んで才能の活かし方を工夫しなければ大成しないだろうと。



「……いやいや自暴自棄になった訳でもないですよ。昨日まで出来なかったことを今日出来るようになる……数値的な裏付けはそれなりに楽しかった。形になってきた時は、このまま上手く広げるように練習を続ければプロにもなれるかも、せめて挑戦出来るかもと思った物ですが……まあ自己満足以外だと、フォームや訓練法の蓄積とか言えなくもないですが……そうした練習方の模索と練習を続けた経験だけが目的で、何であれ結果が出るとは思えなかったですね」 


 むしろ嬉しそうに青年は笑う。



「そりゃ抑えのエースにでもなれる、なら良いですが。体力ないから中継ぎや抑えなんて、そんな甘い物じゃないでしょう。むしろキチンと投げ込んで、どの試合も一定以上は身体を作らなきゃならないプロの投手の中でも体力自慢の仕事です。それ以前に数値上は一流に近くても穴だらけですから……甲子園は過酷と言いつつ、短期集中なそれですし、甲子園の後はクールダウンに勤しんだ……あの後色々断ったのも、調整のためですし」


 甲子園以降、色々な誘いを断れたのも、学校が異端だったからである。先輩後輩の柵はほぼ無くて、練習試合等もほぼ断られる。


 彼の後輩たちも適当に活躍はしているが、甲子園に出てはいない。

 二昔前なら公式試合を云々と言われたかもしれない。



「……プロから誘いがあった……それも複数球団からと言われましたが」


 結構騒がれたものだ。



「……プロからも社会人野球からも独立リーグからも結構ありましたね……こう言っちゃ何ですが、結構人気があったので」


 結構整ってはいるが童顔な顔立ちの小柄な青年。甲子園優勝投手でもある。人気は凄いあった。


 まあ評論家には嫌われた……嫌われた、か。



「……プロ野球の世界に入ろうとは思わなかったので?」


 まあ核心というか、その気があるか聞きたくもある。



「……無理だから挑戦なんてする気もなかったです。多分客寄せなだけですし。結構隠していたから詳細まではバレなかった……最終回の接戦で、様子見出来る程の思いっきりの良い学校はなかったですね。でも通用するしないで言えば、このままでは通用しないとは思われたでしょうし、実際プロになっても通用もせんと数年間はちょっとだけ後を追われて、話題が冷めたら引退……ってのがプロ入りした場合の最良でしょうか」


 多分一年で見切られるので、そこで戦力外通告が最悪の部類。

 と、流石に少しシニカルな笑いを浮かべている。自嘲というよりも一顧だにする価値もない話を言われる状況を笑っているようだった。



「……頑張れば……無理と思っても覆す可能性もあるのでは?」


 そう聞いても、特に感銘を受けたりもしないだろうし、私だとて、特に。

 この辺は定型句を言っただけというか、一応である。




「……プロの世界を覗いてみたい……そう思えるならまだいいですが。正直に言って十中十失敗して、万が一が文字通りな世界に飛び込むほどに将来の展望が無かった訳でも無いですから」


 そう彼には夢があったし、アスリート的トレーニングは嫌いでもなかった。

 競技者として箸にも棒にもかからなかった少年が、将来に繋がらないであろう訓練に注力したのは、色々断ち切ったからだろうか。


 実際には自分の体験として、練習に明け暮れて経験を蓄積し、拙い能力を工夫して高校野球の最高峰の舞台に立てた。


 繋がらないどころかプラス要素しかない経験も出来た、と。

 負け惜しみの成分は見当たらない。



「週一で抑えだけして、結果に限らず一月稼働したら完全休養を半月以上……そんなので通用すると言えます? そうして俺がプロで通じないと思っている大半はです、結構な数の評論家というか解説者の方々に……スタミナ以前の不備……投球の単調さと投げた球の癖の無い打ちやすさを見切られていたからです……まあ彼等は俺がプロに行く……目指す前提で話していましたが」


 だが、そもそも野球部に所属はしていても、レギュラーでもなく尖って技術はあるにはあっても「高校の時点で通用するかは微妙だった」が全てだった。



「……甲子園優勝なんて、最後の球を投げている時も信じられませんでした。央くんの指示通りに動けた二人のお手柄です。無論俺の能力が無意味とはいませんが……多分先のような特例措置でも結構あっさり打ち崩されるでしょう」


 結局はフォームで投げる球が分かってしまうと、それなりに良い球を投げようとも通用しまい。

 高校生なら通じた……いいや、何処までの事が出来て何処までの事が出来ないと見切られたら、そのレベルですら通じていたかは微妙である。


 いや一時通用してもすぐに通用しなくなる。

 そうしてスタミナも無く連投も利かないのなら……確かにプロで投げられるレベルでは無いのかも知れない。



「高校野球は金属バットなこともあって、上手く状況に持ち込んですら勝てる確信なんて央くんにもなかったでしょうが。バッティングと守備は適当に形になっていたけれど、投手はね……だから勝つというより戦えるパターンを作れて、如何に俺に有利なように且つ俺の手の内がバレないように、がコンセプトでしたから」


 そこからの快進撃はある種の伝説である。

 去年まで県内ですらベスト8に残らなかったチームが、鮮烈なまでに勝ち進み優勝する。


「……解説者の何人かが的確に通じないと仰っておられて……プロって凄いと思っていましたよ。それにです、的外れに罵倒されれば傷付きもしますが、評価する為に分析した上での辛口ならむしろ嬉しかった……あの学校であんな特殊な訓練積まなければ箸にも棒にもかからない俺が、まるで一流選手のように憧れの人たちに評価されたのですから」


 そう屈託なく笑う。



「……とはいえ指名の話が有ったと言う事は評価されたと言う事では」


 そう言われても、特にどうとも思えないような顔で呟く。




「よくよく聞けば、現場やスカウトじゃなくてフロントサイド……いいやスポンサーサイドのそれが多い。まあ人気商売ですからそれはそれで非難まではしませんが、客寄せ以上の意味が無いのも明白です。芸能人の勧誘みたいなのが来ても、育成の展望が有る訳でも最低限使えると判断した訳でもない……身の置き所がない状況なんて一年だって保ちやしません」


 現場は迷惑なだけでしょうし――笑いながらそういう青年。


 その事は多分事実だろう。

 これ以上掘っても、そこは空気を悪くするだけで何も出て来はしない。


「……お父様との件は?」


 そういうと苦笑が深くなる。



「……元から親子として破綻していましたから。滅多に顔を合わせず、会話は年に数度。特にDVとかする人でも無いけれども、僕らに小遣い……それすら記憶に無い人でしたが……両親が納得しているから良い程度な、そんな消極的な家族でしたから」


 懐かないことを気にせず、そこそこな会社に勤めていてそこそこな給与を貰っていたが、趣味に生きてきた。


 そうしたら息子が、自分の趣味の世界のど真ん中で活躍し、プロからのスカウトまで来たのだ。



「……そこで喜んじゃって交渉はじめたのは驚きましたが。母までおかしくなったらアレでしたが、母には説明もしたし、学校からの評価も伝えました……いいや父にも甲子園の後には伝えたのですが」



 ある意味で息子と同じく、学校……学級という単位では運動が得意と言えた。地域の少年野球チームでもそこそこの活躍はしたらしい。


 ただそのチームは名門でもなければ強豪でもなかった。そうして中学高校と進むと身の程も知れる。

 それでも頑張っていたら中学時代は名門校から勧誘の話は来たらしい。次の大会で活躍出来たら我が校に~と言う話が。

 そこで軽い怪我をして、活躍出来ずに立ち消えになった。

 別段そこからセレクションを受けるなり、強豪校に入学するなり方法はあったが。


 夢破れると安易に言って良いのか。そこで諦めて勉強し、地元の進学校に入っただけだ。その範疇で活躍したかは別である……むしろ程々ではあったようだ。。



 頭が悪くもなかったから大学は適度に良いところには入れて、就職先も悪くもなかった。趣味に全て注ぎ込んでも文句一つ無い変わりに、家族と関わることをフォローも強制もしない妻と結婚した。


 それで将来はともかく、その時点では上手く回っていた。


 それが息子が甲子園の優勝投手ときて、はしゃいでしまった。



「……活躍するか五分五分ならまだ考える余地もありますが……駄目な理由が成功する百倍……いや活躍しないと断言出来る要素が多く成功する要素が「数値上(●●●)良い球(・・・)を投げる」だけな時点で、考慮するとか頑張るとかの話じゃない。だから母に助けを求めて……そうしたらあっさり離婚しちゃいましたね」



 まあ当時の週刊誌で静かに騒がれたものでる。

 母に一喝され、息子とそこで始めて深く話し合いが持たれて離婚が成立した……迷惑にはしゃいでとはいうが。


 何処の球団の条件が良いか探る態だっただけでは有るので、特に大騒ぎにもならなかった。


 これで球団から金銭の授受でもされていたら面倒ではあったが。


 山城くん本人がプロ志望届を出さず、大学で野球部に所属はしていても、試合に出場経験が無い事で、人気は翳る。

 付属校ではあったし、大学からのメンバーも説明も受けて皆が事情を知っているので、グラウンドの片隅で練習していても、特に何も言われなかった。


「……大学でレギュラーどころか代打の話も来ないのはある意味で当然です。勉強もボチボチ本腰を入れたから、一定の練習で保たれた甲子園までの技術が低くなってしまいました……入学して一年は試行錯誤した結果で、あそこがピークと知れたので練習自体の必要性が薄れて、通常の野球部員と同じ練習になった……そうしたら補欠すら遠かっただけです」


 瞬発力には秀でていた……それは嘘では無いけれども、投球フォームに特化した練習ではあった。


 だから野手に転向も無理だった。センスはそれなりにあったが、秘密兵器な一発勝負は出来ても、レギュラーともなれば競い合うのも基本である。

 高校時代はギリギリの人数でもあったから、彼のような中途半端な選手が出場する余地もあった。だが所属するリーグで強豪校ではないにせよ、そこそこ強いチームではある。

 人数が足りた大学時代ともなれば、出る幕は無かった。


 一流級の球は投げられているが、出来の大小はあるけれど球種毎の投げ方で決まった球しか投げられない……それを矯正するのは投げ込むとかは考えられる。


 しかしこれ以上は身体を壊す。


「……結局は大学でも通用しないでしょうしね。壊れた訳じゃないけれど、競技者としてマウンドに立ち続けたら遠からず……とは言われました。途中に言った単独競技の球の球種競争ならまだしも、ピッチャーやってりゃ無理はしちゃうでしょうし。諸々含めて分不相応な場所で投げられたのは幸運ですよ」


 競技者として通用するように投げ込めば、その練習だけで身体を損なうのはほぼ確実。そうして大学ですら実戦で使い物になる確率は低い。



「……多少の寂しさはなくもないですが、もとから前二人の献身と、央くんの戦略と戦術に沿ったリード有りきな抑えでしたから。球が素直すぎてプロでは通じない……まさに至言ですしね」


 高打率な代打も、結局は運も含めたそれである。

 センスがあって当てるのが上手く、転がす方向の制御も、高校生のレベルならまあ出来た。弾きやすい金属バットだったこともある。


 代打で活躍も多少なりとも騒がれた以上、以降は警戒もされて実力だけで勝負である。諸々含めたハッタリももう効きはしない。



 野手の実力アップのための訓練も、無理が生じる公算が強い……とことん狭い才能だった訳だ。

 優れているというよりも出来る事を細かく分類し、上手くいきそうな処だけに集中して訓練した。

 バッティングの好成績は、瞬発力を磨いた余技だが、ホームランや長打を狙うとどうしても確率が低い。


 だから転がすように工夫した……打席数が少なく初球から打ちに行くために、バレきる前に大会を終えられたのも大きい。



 元少年曰く、「所詮はクラスの中でなら運動が得意程度だけれども、持久走とか極端に苦手。だからいざ強い競技者の前に出れば比べるべくもない身体能力でしかなかった」そうだ。


「……それで良い、と」


 目の前の元野球少年は「あのチームにちょうど嵌まっただけの尖りすぎた能力」でしかなかった。

 上のステージ……それが大学野球でも独立リーグでも社会人野球でも輝けない……いや本来なら高校野球で甲子園で投げるのすら無理だった。 




「……一度は諦めた競技者の道を、あのような形で叶えてくれたのは良かったですよ。別段プロになるほど確固たる夢であった訳でも無いし。友人たちと努力した結果は悪くもなかったです」

 

 元々採算度外視的であり、才能の有無だけで始まったそれでも無い。

 レポートを纏めて提出し、成績も含めて医師になる奨学金を受けられる評価を得て、付属の大学に進学出来た……一応は大学入学後も競技者としてのレベルアップを見越しての訓練も試したが、結果が覆ることはなかった。




「……夢は見られたし、概ね満足です。「センスは三人で俺が1番有ったけれど才能は比べるべくもない」――の意味も分かったでしょう? 身体を動かすセンスは相応にあったし、まあ形にもなった。ただあの辺が限界点であり、野球も徐々に減らして、今はちょっと投げるだけです」


 大学一年の頃は良い処140出るかどうかですがね。今はもっと遅くなっています。

 そう呟いた。


 ストイックに生真面目に、レギュレーションには従って叩きだした、彼曰く「数値上の一流」だが。甲子園後に2ヶ月休養して明らかに球速が落ち始め変化球の切れが終わった。



 プロジェクトの概要は無理無茶をせず後遺症を残さず、ではあった。

 今後も投手として投げられるようになる公算はほぼ無理であったので、身体を損なわない程度に徐々にトレーニングを減らしていった。


 自他共に無理も無茶も甲子園以外ではしていなかったが、後遺症と呼べる物は無くても細かい不具合は多かったそうだ。


 あの程度のイニングを投げられないと、プロでは通用しない。

 投げ分けは存在せず、ただ決まり切って投げるならプロでは通用しない。


 的確に彼を評した言葉だった……悪意ある方ばかりでもあるまい。善意かはそれこそ分からないが、一応の忠告でもあるのだろう。


「……結局、中途半端だった三人の投手の内、中途半端が最終到達点なのが俺だけだった訳で。父にもそう言ったはずでしたが、自分の事でも無いのにはしゃいじゃう物なんですねぇ」


 大学No.1投手の双継選手も活躍出来るかは分からない。

 素晴らしい成績をひっさげて、鳴り物入りでプロ入りしても数年で戦力外通告を受けることも間々ある。



 ただ一軍はおろか、二軍のマウンドすら投げて抑える見込みが無い選手がプロ挑戦とはと交渉に来た大人たち相手に言い放ったという。

 プロに拘る何らかの事情や「それでもプロの景色が見たい」と万一を思い切れる強固な想いが無ければ、敢えて飛び込まない方が幸福である。


「……アマチュアアスリートとしてもスタミナの無さはネックでした。ましてや……球団の方にはそう説明したし、それすら飲み込んでプロ入りするほど評価されていた訳でもなかったので……まあ球団に引退後の就職を確約して、一生プロ野球に何らかの形で関わる代償として、一時場違いな場での客寄せに甘んじるとでも居直れるのならともかく、それ以外の思惑が無いから断るでしょ、そりゃ」


 実際その選択の正しさは、大学入学後の一年トレーニングでキッパリ特異なそれを止めたで証明されている。


 全体としてのトレーニングの量は変えていないが、球速に拘るそれや変化球のカリキュラム自体はやめてないにせよスタミナを増すトレーニングに変えた。


 実際スタミナは増したが、精々アマチュアアスリートの下の上程度で、プロと言い出せば鼻で笑われるレベルなそれだ。


 その上に球速はさらに落ち込み変化球の切れは減衰した。、


「……交渉の中で変化球を憶えられる器用さがあるから~とかも言われましたが、アスリートとしての耐久力や持久力の無さは変わりません。無理なく一試合投げきる……もしくは中継ぎとして一年保たせるように鍛えられる土台がそもそも無かった訳で……」


 器用に投げられるようにはなるが、投げ続けられる訳では無い。


 そう無理なくというコンセプト自体が砂上の楼閣である。データーや練習方の蓄積以外の結果が残らないのだから。


 センス自体は相応以上にあった……プロと比較しても上の方だったのかもしれない。だが根本的なところで「才能が無かった」と言わざるを得ない尖りすぎた才能。


 だからこそ野球選手としては特異な練習に励んで形にした……本人曰く大道芸……いいや宴会芸か。


「……何故インタビューを受けてくださったのですか?」


 流石に大学野球で鳴かず飛ばずな彼を、今さら騒ぐ球界の人はいない。

 今さら好待遇でプロに勧誘しても、本の少しの話題と罵声を浴びるだけだろう。


 動画投稿サイト等で、一流野球選手と一緒に投げていた彼の話題をだす者もいなくもないが、決して多くもない。


 良きにつけ悪しきにつけ、四年たってしまった彼は過去の人である。今さらほじくり返されても、面倒なだけだろう。



「……央くんが……央泰基も三位指名されたので、多分プロに行くっぽいし、まあその辺で俺の事も再び話題になるでしょう……大騒ぎにはならないでしょうが。ただ俺を慮ったあれこれまた面倒で煩わしい……野球部は本格的に引退して……いや実質的にはしていますが、ここいらで勉強に専念したくてですね。まだ色々な兼ね合いで野球部のグランドで投げたりもしますし、部員は理解しているのでどうとも言ってきませんが、元々結構強い上に、双ちゃんと央くんの御陰で大学野球は勝てていたので、取材とかもくるようになって面倒ではあるのです」


 練習を通常の野球部員と同じ程度……むしろそれ以下となった山城くんである。


 球速はガクンと落ちたは嘘偽りでもなく、もはや中学生か町内草野球でなら、程度ではある。


「……一回真実というか内情を言ってしまえば、それでこちらとしてはクドクド言い募るようなことでもない。俺のプレゼンした計画はほぼ終わりましたが、その練習量の減少と実際の因果関係を図るとか、まだまだ完全に終わってはいないので……一々煩わされるのも面倒なんですよ」


 良い思い出のままでいたいじゃないですか?

 凡庸と自認した元野球少年が、ともあれ甲子園の優勝時に投げていた……それは誉れであり喜びではあった。


 ただ次のステージへの階段の席が無いだけで。そうしてそこに辿り着く未来を夢見る要素がなくて、そこで終わりなだけで。



「……実際、俺を真剣にスカウトしてきた球団は多分無いと思います。三位とか言ったチームもあったけれど、実際にはもっと低い指名だったでしょうし、希望選手が取れなかった場合の話題作り用でもあったろうし」


 クジ引きである以上、思うとおりの選手が集まるとは限らない。

 ならば人気を呼び話題作りとなる選手を選ぶというのも、それはそれで間違いでも無い。

 それにもう少し上の能力と思ってはいただろうから、万に一つを夢見てもいただろう。暈かしていても大学まで追い掛けてきたらバレもしようが、追い掛けられること自体が互いに良くもない。


 だが、上手く隠した部分でも実力を疑問視されていたのだから、案外先々に動かなくてもプロ志望届を出さないだけで沈静化した可能性もある。


 最初のハッタリで三位指名ぐらいだったのだから、その実は満足出来る結果なら話題作り用の選手なぞ放って置かれる可能性も高い。


 何れにせよプロ志望届を出さなければ良いだけではあるが、静観が上策とも言い切れない。



 だから出方を見つつ丁寧に対応しようとした時に、父親がはしゃいでしまって、プロ入りの交渉を週刊誌にすっぱ抜かれて、過去を捏造しだして親子鷹とか英才教育とかまで言われ出した。


 ただそこで一部加熱しかけたが、市之宮選手ほどの熱ではなかった。それでもはしゃいで交渉を先に進めようとする者がいるのだから、結構真面目に火消しに奔走しなければならなくなった。


 その結果、今まで恋人の延長戦で付き合っていた両親が離婚することになった。



「……ただまあそこは速いか遅いかで。母は何だかんだで経済力の有る人だし、父は家族なんて……な人でしたし。まあ悪い人では無かったしそれ以外の遺恨もないけれど、面倒にしてくれやがってくらいは思います」


 金銭の授受もなかったが、雑誌の顔出しインタビューや条件の交渉などを先走った御陰で、静観とはいかずに断りの連絡などに患わされた。


 勿論対戦した中には褒めてくれるものもいたり、次のステージで活躍する人も出てはいるが。


 ただ何処かに行った人扱いだったろうし、今回で単に実力不足と知れる。

 そうなれば央泰選手が口ごもらねばならない要因は減るだろう、と。



「……当時有る記者に誤解というか反感買っちゃいまして。プロに行く気が無いと言ったのが生意気というか、世話になってサポートしてくれた父親の夢に挑戦すらする気が無いのは~って。父親に振り回されていた頃だから、ちょっとこちらもカッときちゃって。そこからちょっとプチ炎上しちゃった」


 ただ、あまりに前時代的なこの記者の意見……親の夢を~とか、父の献身を~とかが反感を買ったのもある。


 ただ大炎上するには山城選手はそこまでのネームバリューでも無かった。

 別に世間に対して何か物申した訳でも無いし、父親も急に出て来たしで、プチで済んでしまっていた。


 そこから両親が離婚したという話題も出たが、特に大きく取りだたされるでも無く――件の記者一人が気勢を揚げていたが、得に大騒ぎにならずに空回りしていた。


 事件性もなく特に何か酷い事があった訳でも無い。それでも炎上させようとしてWebに何やら書き綴った結果、私怨というか個人の好悪で学生の未来を決めつける危ない奴と読者に見切られて閲覧数は少なく。

 自分の思う通りでないと攻撃する記者……選手からは悪い情念を前面に出すと嫌われて、スポーツ記者として活動出来なくなってしまった。


 さらに言えば過去の人になってしまった山城くんである。余っ程の爆弾を投下しないと、ちょっと騒がれるだけだろう。

 ただ同学年二人がドラフトで上位指名された事も含めて、多少話題に上り始めた。



「……結局はですね、俺の事なんてプチ炎上だった訳です。ただ一般人な俺にとってプチでも炎上されると色々怖い訳でして。一回言い訳ってだけです――それに央くんの過去の話も俺が口に出せばそこからは本人の口から自由に言えるでしょうし」


 医学部で忙しい毎日な青年は、プロスポーツ選手としては大成出来ない程度のスタミナだったが、一般人としてはそれなりな体力ではあった。


 六年制な医学部でまだ卒業では無いが色々頑張っているようだ。



「スポーツの本場で学ぶ為に英会話他何カ国語か勉強していますし、頑張ってはいるんですよ。いや今さら何か言ってくる人もいないと思いますが、四年もたっているし一度くらいは本人が取材を受けても良いんじゃないかと」


 これから絶対に受けない……なんて話でもないが。

 でも言い訳とか心情とかの話が回ってくる事も、この機を逃すともう無いだろう。同級生が頑張っていますが、な取材が良い処だ。


 まあそれで良い訳だが、当時に炎上した誤情報から説教しようとしてくる人も少なからずいるのだ。


 今でも勘違いはしていないと山城君は言う。二人……三人のの献身で一番晴れがましい場所にいただけ。一番能力が高かった訳でもないと。


 ただパズル的に能力を組み合わせないと、最後までの戦い方すら覚束ないので、手元にある札を効率的に使っただけ。


 手元にある札には成り得たが、多分他所のチームだと登板機会すら殆ど無かっただろう。


 投手に関して最後に彼になったのは、イニングを稼げない事と限界が来るまでは安定はしている事。



「……まあそこまで歪なチームだった訳です。市やんの成長というか、彼が超高校級だったからそれでも勝ち筋が見えました――そうして粘り強く双ちゃんが繋いでくれたからこそ、決まった球を投げるしか能の無い俺が活きました」


 そうしてそれを組み立て献身的に支えたのが央泰選手だった。

 

 彼にとっての高校野球……本格的に参加したのは高校最後の夏だけだが、だからこそ良い思い出になった。



「……それで良い思い出だった、で終われたら良かったのですが。ただまあ許容範囲だったのも事実でしたが、愚痴が吐きたくなる事もあった訳です……何処かの漫画で見た「俺の仲間は凄い」って言いたい部分も無くも無いですが」


 友人たちはプロにいく――そこに思う所は少ない。

 羨望もやっかみも無くも無いが、練習の仕方が特殊すぎた故に、通用しないだろう事も分かっていた。誰よりも自分が通用しない事を認識していたと言って良い。


 データーも細かく計測され、球速のみならず回転数や投げやすさに改善案等も効率的に検証された。

 一見凄そうな球も、それらしい数字を上げるのが優先なそれであり、実戦云々だとマイナス評価が多いくらいである――てな事を日々講評され続けた。


「サインも四種であり、ストライクゾーンには多分ストライクゾーンに通る以上の制球力も無い、それぞれ決まり切ったそれ。それを組み合わせて勝った……勝てる戦略を練り、実際に前二人の投球もなるべく操った戦術を駆使した央くんが凄いですが……俺は言われるまま投げただけですから」


 状況を作り、なるべく球数少なくさせる事で、山城選手の能力を隠した。

 時にランナーを満塁で埋めるまで双継選手に投げさせて、ダブルプレーを出やすくしてからの登板。

 内野ゴロやら外野フライで一点差に詰め寄られたけれども、ツーアウトになってからの速球のお披露目で驚いて球速に押されて打ち上げてしまい一塁手のファールフライでゲームセット。



 それが甲子園をかけた県大会決勝の戦いである。



 そこでも色々言う人もいた。


「実際確率論で勝負していたし、逆を言えばそうした追い込まれた状況は、こちらも追い込まれた代わりに、相手だってだって切羽詰まっている。すると余裕はないからイニングを稼げない数値上の一流投手ってバレない……何よりも目の前の対戦相手に」


 温存とかではなくて、知られたりすれば対策は立てるだろうと。

 そうして160を超える剛速球の市之宮選手や、制球力が今一つだが何処にくるか分からない双継選手よりも、バレていれば攻略しやすいのは山城選手だったかもしれない。



 虚構な高い壁はそれだけで、疑心や絶望を生む。その壁を最後まで有る(●●)と錯覚させた方が、勝てる確率は高くなる。


 そもそもチームとしてのデーターが少なく、市之宮選手が本物だったために虚構は本物に見えた……山城選手の身体能力でも一流っぽい球を投げられるか? と言うテーマで高校時代を過ごし、有る程度は成功していた……なのでそれっぽいのは当然である。


 戦略家として形は整えた央泰選手は、しかし長続きはしまいと考えた。

 市之宮選手が大崩れすれば終わりだし、双継選手が試合を壊せば同上。

 誤魔化し切れたとしても、山城選手が倒れれば、締めに投入出来る投手もいない。


 だから戦術家の央泰選手は、攻守供に点を線で繋ぎ、長打が無くても小器用に打てるバッターたちを繋いで得点を重ね。


 守備もファインプレーを捨てて、極力飛び付いたりはしないようにしカバーを手早く出来るプレーを心懸け怪我を許容するが大怪我をしないように徹底した。



 最少失点で済むように計算して投手を山城選手に繋げるように試合を作った。


 運もあったのだろうし、脆弱な山城選手も甲子園は保った。

 ただ「投手を甘やかしすぎ」とは幾度も言われた。



「……もうその頃のように言われる事もありませんが、野球から逃げて安易な道を~と言ってくる人は存外多かった」 


 詐欺と言っても投手のリレーの組み方なだけだし、特に不正を働いた訳でも無い。

 溜息を吐くが、深刻では無い。

 存外プロ選手は一時を超えると何も言わなくなったが、コメンテーター含めて世間には「野球に青春を賭けない奴は~」なんてのも多い……筆頭は山城選手の父であったが。



「……才能無いと言うか偏った才能を活かすと勝ち筋が見えるチームがそれを使っただけ。それで結果が出たけれど、経験値を積んでもレベルは上がらなかった……上がったチームメイトもいたけれど……俺はそうじゃ無かった。まあ多少は上がっても、どうにもならなかったし、良くも悪くも練習通りに投げただけですから」


 愚痴っぽく、でもそれ程に深刻でも無い。




「まあこんな処です。同じチームからプロ野球選手が出たのは嬉しい事ですが、ここらで自分で言わないと、あとから言った人が誹謗中傷扱いされたら……とも思います。才能の有無、適性の有無はセンシティブになりがちですから、実際中途半端な俺をチームで活用し引き立ててくれた訳ですし……友情よりも勝ち方の模索の結果ですが」


 世の人々は、プロに行った彼等を勝ち組とし、いかなかった……いけるはずもなかった山城選手を負け組とするだろう……当人たちの思惑の外で。



「インタビュアーに私を選んでくださってありがとうございます。でも今まであまりそうした記者に応えてくれなかったようですが」


 そういうと、苦虫を噛み潰したような顔を一瞬だけ浮かべる。

 


「……炎上にはなりきらなかったからって、トラウマの一つにもなりましたから。この時代に親の恩だとか子の義務とか昭和の漫画じゃあるまいしな事を言われても……蟠りも無いとは言いましたが、蟠りがない以上に慕う気持ちも無いキャッチボール一つした事も無い父との仲良し親子鷹野球エピソードを疑いなく語られても……どっちが嘘をついたか、もうどうでも良いのですが、怖くはあったので」  


 ああ、と。

 そうして熱くなった記者とは全くの他人だが、申し訳ない気持ちにもなる。



「……言い訳も愚痴も言い終わりました……まあ俺なんかにガッツリ話を聞きに来るのは最後……かは分かりませんがそう多くはないでしょう。彼等三人と同期生で甲子園優勝チームですから……俺自身にくる事があるかはともかく」


 実際、あの人は今とか、同級生がプロに行った心境は……そんなある種下世話な思惑もあって仕事の依頼なのも間違いのない話だ。




「まあせっかくだから大物というか有名人ぶるというかでインタビューを受けるのも面白いが大半ですからお気になさらずに」



 そうして山城くんは爽やかに笑って帰っていった。










 後日談


 予想以上に反響を受けたが予想を大きく上回るほどでも無かった。


 山城くんは大学野球の試合にも顔を出さず、大学生という事しか知られていない。


 そこは本人の認識の通り過去の人でもあったし、退場した以上はそこまで興味を惹いた訳でも無かった。


 ただ本人の思惑を超えて、色々言われたのは確かである。

 そこで元プロ野球選手の動画投稿サイトのチャンネルに央泰選手と共に緊急で呼ばれたりはした。



 最早隠す事も無く練習方法やらを語ったが、参考にしては駄目と言うのも忘れなかった。あくまで実験と実習雑じりの投手の練習であり、普通なら通用しなかったそれである。


 大成出来ないほど尖りすぎた才能と連呼し、世に出なかったが、一花だけは咲かせた……といった主蒙の発言をした私のインタビューがちょっと話題になった……だけで無く一人歩きしたので、プロにガッツリと練習から何から話す気になったらしい。


 それこそ質の良い練習に食事等も含めた徹底管理の下に、尖った自分が、当時のチームに嵌まっただけ……特に自己流では箸にも棒にもかからないどころか、ただただ身体を損なうだけ。



「身体運用と練習も含めた高校三年間と大学時代も続行なデーター取りがメインで、将来的な展望も含めて自分からプレゼンし、蓄積されたそれはそれなりに有用だと信じます。ただ逆に言えばそこまで予算や機材器具を使った一大プロジェクトなそれであり、中々本家本元の本職で付き合う人もいないようなそれでしょう」


 市之宮選手や双継選手は、似たような経緯ではあれ、ガッツリと実験色の強いそれでは無かった。

 まだしも才能を認められて練習方を提示されて、高校時代は修業の時期と頑張っていた。


「ドラスティックな戦略と細かい戦術を駆使した央くんが、半端な戦力の俺らでも切り貼りしたら上でも戦える、かもと思い立って始めたら結果が出ただけで、実力や作戦以上に運も良かっただけですので」


 そうして何球か投げたら、一球だけ140近くまで出た。ただしこの投法だと早晩怪我するようなそれで、連日投げる訳でも無いプロならずとも絶対真似ない方が良いと、一緒に呼ばれたゲストの元剛球投手も言い添えた。


「実際節々が痛いし、多分数日は筋肉痛状態でしょうね。これだから央くんが工夫して、二人のピッチャーが俺を引き立つように投げてくれました――今回のためにここ1ヶ月の練習で調整してこの一球の良い球を投げられるようにしましたが、当分痛いままです――でもそれを含めてデーター取りだった訳で、壊れないように万全の体制ではあったのです」


 そうしたバックアップが無い人は真似しないでくださいと締めた。



「……何故出てくれたの?」

 

 とレジェンド級元プロ野球選手が問うと。



「元々大ファンでしたし。古い野球漫画好きだったから選手の元ネタを探して、今の選手よりも昔の選手が好きだった部分もあります……もう俺の時代だと常に野球番組をTVでやっている訳でもないですし、Webには名プレーの動画が溢れてもいますし」


 ただまあ選手として公に出るのはこれで最後とも笑った。


 高校野球で実質選手は引退していたが、こうした騒動を終わって改めて実感したと語る。


「結局は俺は運が良かった……これに尽きます。本来ここに来られるような選手では無い訳です。それが友人たちの助けをしたら甲子園の決勝の最終回を投げていた……もっと早く打ち崩されると思っていたのに、感無量でしたが……そう長く続けられる手品でも無い事も自覚していましたし」


 無理をしたところで、どうなる物でも無い。努力しても届かぬ境地。

 甲子園で投げていた時も工夫も、絞り出すようなそれも無く、ただただ練習通り投げていた……そうで無ければ通用する訳も無いから。



「……思い残す事は無いのだね?」


 そう言われると綺麗に笑う。



「はい、全くないですね。多分途中で負けていても無かったんじゃ無いですかね。あそこまででも望外なのに、アレ以上は単純に通用しないだけですし」


 球数を少なく、情報をなるべく悟られないように。

 それを成就させたのは山城選手というよりも、央泰選手他ではあった。

 負けたら悔しいかったろうが、優勝出来ないからと言って人生を損なうかは個々による。



「甲子園で投げられる……普通の野球好きでは叶わぬ夢を叶えられた。友人たちの有能さは今日の結果で示されていますが、俺はその穴を埋めるのにちょうど良かっただけ……楽しかったし面白かったですよ……後は自分の世界に行くだけです」


 そうかと言って握手をして番組は終わった。






さらに追記

遥か後年のWeb上の呟きにて。



 番組を終えると、本の少し騒がれたが、すぐに元に戻ったようだ。

 適当にメールをする仲になったが、次に直接会うのは十数年後である。



 その頃になるともうメールは途絶えていた……初対面の態で挨拶したら苦笑された。

 外科医にしてスポーツ関係の相談にも乗ると評判だった医師である。 



 インタビューに来たというよりも、怪我で入院し復帰のためのリハビリに専念している選手の取材に来たのだが。




 夢を叶えたと嬉しくなったのを追記しておこう。


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[良い点] 継投策理論。 高校の「無理をさせない」というコンセプト。 このプロジェクトは現実に存在してほしい。 央捕手の組み立て。勝手に近〇高校の歴代捕手でイメージ。 [気になる点] インタビュアーの…
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