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フェイク・サウリア  作者: 唄うたい
2/3

第2話 ドロレス

 ああ。神よ。私は取り返しのつかない過ちを犯しました。

 もし私の姿が見えているならお願いです。私に、醜く愚かな私にどうか罰をお与えください。



【第2話 ドロレス】



 ーー寒い。死んでるようだ。


 自分の生々しい息遣い以外、何の音も聞こえない。天井にひとつきりの青白い照明が、前方の鏡壁に反射した私の姿をぼんやりと照らす。

 この窓のない部屋に横たわり、どれだけの時間が流れただろう。空腹感も限界を超えると不思議と苦しみは和らぐ。肌が、喉の奥が、水を失った荒地のように割れていくのに。


 壁や床に何度も頭を打ちつけても、私はまだ生きている。武器も衣服も押収され、凶器になると判断された爪もすべて剥がされた後。

 だから死ねない。死なないのだ。この醜い体は。

 私の処遇なんてどうでもいい。誰でもいい。私は死ぬべきだ。死ななければならない。誰でもいい。私に早く罰を下してくれるのなら。


「ドロレス」


 名を呼ばれた。前方に目をやると、いつの間にか鏡壁の一部の出入扉が開放され、外界の光を遮る男の姿が見えた。

 彼には見覚えがある。私と『ラフ』と同じ軍服姿。胸には真新しい階級章。私を憐れむように見下ろすあの目は、間違いない。


「アーネスト。君が私を殺してくれるのか?」


 我が同期であり戦友でもある、アーネスト・クラークだった。現階級は大尉か。


 ーー出世したんだな。


 私ドロレスと、戦友ラフとともに、新兵の頃から幾度も戦場を駆った大切な仲間。

 アーネストのすぐ後ろには、護衛らしき屈強な兵士が二人控えている。しかし彼らは室内の惨状を見たとたん、顔から血の気を引かせ、迫り上がってきたものを堪えながら退室した。

 アーネストだけは物悲しい眼差しを変えることなく私の姿を見下ろしている。


「ドロレス。都市降下作戦の件の、お前の処遇がようやく決した。俺はお前の上官として裁定(さいてい)を告げに来たのだ」

「待ってたよ。ずっと。もう覚悟はできているんだ。私はいつ死ねる?」

「………酷い姿だな。最優先事項はお前の生死の確認。生きていてくれたのは、正直喜ばしいことか分からない」

「…アーネスト。あれから何日経った? ラフはどうなった?」


 アーネストはついに耐えきれなくなり、私から目を逸らした。


「…昔話をしないか。お前と、ラフと、俺。三人で士官学校を出て、栄誉ある軍人として始まった、あの懐かしい日々の思い出を」


 今の私に思い出話は酷だ。


 ーーだが、それも良いか。


 死を望んでいても、二度と戻らない過去だと分かっていてもなぜ人は、人生で最も愛おしい瞬間に焦がれてしまうのか。

 私はアーネストにならい目を瞑る。瞼の裏には今も、ラフの純粋な微笑みが生きている。



 ***



 西暦2XXX年。

 後に「コロニー」と呼ばれる直径20kmにおよぶ巨大な球体が、主要都市の中心部に不時着した。

 鳥の卵を思わせる乳白色の外見に反して、この飛来物には砲弾も爆撃も効かず、一切の損傷を与えることができなかった。地球に存在しない特殊な物質で覆われていたからだ。


 コロニー不時着から約1年後、その本当の役割が判明した時、人類は突如存亡の危機に立たされることとなる。

 コロニーは「卵」だったのだ。その内部では1年の時間をかけて何千何万という生命体が構築され、時期が訪れると上部に穴が出現する。そして無数の侵略型生命体(エイリアン)がコロニー外へと排出される。

 エイリアンの多くは、人間と同程度の全長だ。その外皮はタールを浴びたように黒く粘り気を帯びており、造形はオオトカゲ型の爬虫類を思わせるものが基本形だ。

 獲物を引き裂くために発達した牙と湾曲した爪の材質は、鋼鉄よりも高い硬度を持っていた。


 奴らが好む獲物。それは()しくも、地球人の肉である。

 エイリアン達はコロニーから排出されるなり、まるで本能に刷り込まれているかのように人間を探し求め、捕食するのだ。他の野生動物には目もくれず人間だけに固執した。

 専門の研究チームが組織され、エイリアンの細胞を解析した結果、彼らの正体は約6,600万年前に絶滅したとされる恐竜(サウリア)の進化種であることが判明した。

 6,600万年前、既に地球には知的生命体の干渉があった。絶滅の危機に瀕していた恐竜(サウリア)の一部は宇宙へ持ち出され、長い時間の中で進化を繰り返し、再び母なる地球に帰ってきたのだ。先住生物を淘汰し、自分達の本来の縄張りを取り戻すために。

 研究者達は満場一致で、このエイリアンを「サウリア」と呼称した。


 私がサウリア掃討作戦の特殊分隊に、唯一の女性隊員として配属されたのは24歳の頃だ。

 入隊時にファミリーネームも故郷も家族も捨てた私には「ドロレス」という名だけが残った。


「おい、ここはいつから人形(ドール)ハウスになったんだ?」


 軍に志願する者全員が、自分のように平和を願う者ばかりではない。

 中には、軍の慢性的な人手不足のために、腕力を買われて服役を免除された元囚人もいた。未知のエイリアン相手の特殊分隊なら特に、命の価値が軽く見積もられた。

 そんな輩には、女の私は物珍しいのだろう。上官の目の届かない所で、私はそんな男達に絡まれることが多かった。


人形(ドール)? 私の名と掛けたのか。猿にしてはなかなか人間の知恵真似が上手いな」


 皮肉を込めて言い返せば、奴らはお約束のように激昂し危害を加えてきた。

 しかし基礎のなってない元犯罪者が、士官学校上がりの人間に敵うはずがない。いつものように女の細腕を絡めて男の剛腕の関節を折ってやればいい。

 この時も正当防衛を実行しようとした。だがこういうタイミングで、決まって喧嘩を仲裁する者が現れるのだ。


「ハイ、そこまで! ドロレスも君らも、出撃前に無用な喧嘩はよしなって!」


 軍人らしからぬ抜けた雰囲気を纏う青年が割り込んできた。

 そのヘラヘラとした顔はよく覚えている。士官学校時代から幾度となく私に接触を図ってきた男だ。


「腰抜けは下がってろ。その平和ボケたツラからズタズタにしてやってもいいんだぜ」


 元囚人が凄む。ヘラヘラ男はわざとらしく肩をすくめた。


「困るなぁ、親から貰った体だから大事にしたいんだ! あ、その刺青は別だ! よく似合ってる」


 元囚人の首に大きく彫られた刺青を指差し陽気に言う。

 そうしてヘラヘラ男は、問答無用で私の体を引き剥がすと、尻尾を巻いて元囚人らの前から逃亡してしまった。


「おい、ラファエル。何を勝手に……」

「ドロレス、君はもう少し愛想を覚えたほうがいいな! 媚びる必要はないが、処世術としては大事だぜ」


 暴力沙汰を嫌う彼の名は、ラファエル。親しい者には「ラフ」という愛称で呼ばせている。配属されて間もない部隊の中で、彼を愛称で呼ぶ者は少ない。

 私は苛立ちを隠すことなく彼に当たる。この頃の私は感情が昂りやすく、喧嘩をふっかけてきた相手に倍返しを見舞うことが常だった。


「ラフ。止める必要はなかった。奴らには一度お灸を据えてやらんと分からない」

「それが駄目って言ってるんだ。ああいう手合いを下手に刺激したら、作戦中に銃を向けられるかもしれないぜ」

「その時は、私が誤射を装って奴らを撃ち殺すだけだ。問題ない」

「問題大有りだ! 俺は自分の同期に無意味な人殺しをさせたくない!」


 ラフは私の同期であり、年齢も同じ24歳だ。熾烈な対サウリア戦訓練をともに乗り越えた仲。

 戦闘の才能と逞しい体格に恵まれていながら、彼はどこまでも平和主義者で、その点は私とは相容れない。


「ラフ。お前はなぜ私の問題に割り入ってくるんだ?」


 ついに舌打ちが出てしまった。


「ドロレス、君は美人だからな」

「………は?」


 嫌悪を感じ、思わず彼を睨んでしまう。

 私は(いち)軍人として、命を懸けるために戦場に立つ。そこに男女の区別を持ち込んだことはない。


「モデル顔負けの長身も、凛とした顔立ちも、そのベルベットのような黒髪も男を惹きつけてやまないのさ。良い意味でも悪い意味でもだ。そんな人が男達に混じって従軍するなんてトラブルが起こるに決まってる」

 その言葉の先を聞きたくなかった。『だから軍人なんて辞めろ』。そう言われると思ったからだ。


 今まで幾人もの人間に言われてきたこと。『美しい女なのだから、むざむざ戦場へ死にに行くことはない』『家庭を築き幸せになる未来だってある』…私がこれまで築いてきた信念やキャリアなど、他人にとっては「美女」以上の説得力にはならない。私の気持ちなど当たり前のようにその勘定には含まれない。


「お前には分からんだろうよ。私がどんな思いで、化け物達と殺し合う道を選んだのか」


 美しいから何だ? 女であることは問題か? 私は強い。模擬戦では何百何千というサウリアを殺してきた。美しい顔に傷の一つもついていないのは、それほど私の戦闘技術が優れている証拠。それが最たる証明じゃないか。


 ーーこんな不毛なやり取りはうんざりだ。


「この顔が気に入らないなら、分かった」


 思い立ち、装備していたナイフを取り出す。意図を察したラフの顔が青ざめる。

 そして私は迷うことなく、ナイフの切先を自身の『美しい顔』に突き立てようとした。


「ドロレス!!」


 ナイフが肌を突く寸前、ラフの大きな手の平が間に割り入った。厚いグローブを突き破り、彼の素肌にナイフが吸い込まれる鈍い音がした。


「!?」


 驚き、反射的に手を止めることができたおかげで、ナイフが彼の手までを貫通することはなかったが、それでも。


「イッ……つぅ……」

「…ば、馬鹿か! ラフ、お前何のつもりだ!?」


 小さく呻くラフに向かって、私はあらん限りの大声で怒鳴りつけた。

 鮮血が止めどなくあふれ出す。その予期せぬ光景に、私は不覚にも動揺したのだ。


「…へへ、出撃前に不要な怪我をすることはないだろ。まして顔になんてさ。絶対後悔する」

「だからといって、お前のほうが負傷してどうするんだ!」


 ラフは手をだらりと下ろし、いつものヘラヘラ顔を浮かべる。


「自分を大事にしなよ、ドロレス。喧嘩を買うくらいなら、俺と一緒にヘラヘラ躱わそうぜ。君は俺の希望なんだ」


 希望。その言葉が私に向けられたものだと理解した時、心臓が飛び出そうなほど大きく脈打った。


「君が君らしくいられる場所を作るために俺は闘ってる。いつかサウリアをこの地球上から残らず排除する。そうすれば軍人じゃないそのままの『ドロレス』でいられるだろ」

「…ラ、ラフには、関係ないだろう。以前お前は言った。サウリアに殺された家族の(かたき)を討ちたいと」

「最初はそうだったけど。でも今はそればかりじゃないのさ。ドロレス、君との日々を1日でも長く保つために、俺は闘ってるようなもんなんだ」


 負傷した左手を背中に隠して、空いている右手で私の頬に触れる。

 知らない。私の知るラフは、私にこんな目を向けたりしなかった。こんな、自分の命よりも尊いものを見つけたような、多幸に満ちた目を。

 怖い。だがそれ以上にラフを拒絶できなかった。彼に触れられることが、彼の目に触れることが心地良いと、私の心は確かに訴えている。


「…意味が分からない。馬鹿だろう、お前、大馬鹿すぎる。ただの面食い野郎だ」

「ああ、大馬鹿だね。大馬鹿で面食いだから、性根が綺麗な軍人さんに惚れちまうんだ。そのために体も命も張れちゃうのさ」


 ラフの清々しいほどの物言いに、私は反論する気力を無くした。

 ただ、彼の献身による左手の負傷には少しばかり責任を感じる。


「…作戦中、私はお前の左側に立つ。いいか、死にたくなければ何があっても私から離れるな」


 ーー何が何でもお前を生きて帰還させる。


 そう強く決意した。



「ラフ、ドロレス。何をしてる。すぐ配置に付け」


 姿の見えない我々を捜しに来てくれたのは、同じ部隊の歩兵アーネストだった。士官学校時代から、我々三人は馴染みの仲だ。二人いれば心強い。三人が揃えば、敵はない。


「すまない、アーネスト。すぐ行く」

「睦言を交わしてる暇はないぞ、化け物が俺達を待っているんだからな」


 アーネストが冗談を言うのは珍しいことだった。

 睦言…あながち間違っていない。きっと私はあの時自覚したのだ。ラフが私を特別視するのと同じように、私もまたラフのことを替えの利かない存在と考えていたことを。

 本当に馬鹿げてる。軍に『女』を持ち込むことを嫌っていたはずなのに。



 ***



 サウリア掃討作戦は結果、人類の勝利に終わった。コロニーを中心とする半径約30km圏内のサウリアはすべて駆逐され、戦死者数も歴戦中もっとも少ない。

 アーネストも、ラフも、私も。多少の負傷はあるものの、誰一人欠けることなく基地へ帰還できたことは奇跡だ。ラフに至っては、左手の負傷というハンデを負った状態で200体以上のサウリアを仕留めていた。普段はヘラヘラしているが、やはり彼の戦闘技術には脱帽する。強靭なサウリアの体の僅かな綻びや弱点を上手く突き、確実に殺す。苦しみを長引かせることなく。

 戦法一つとっても、そこにはラフの心優しさが反映されているように感じられた。


「いよいよ半年後に迫ったな。コロニー排出期」


 ラフの個室で、私達三人は束の間の祝杯を上げていた。

 今回の掃討作戦は言わば、前回コロニーから排出された際、初戦で殺し損ねたサウリアの残党狩り。コロニーは年に一度の排出期を経るごとに、年々強力なサウリアを生み出す。年数が経つほど人類は不利になっていく。


「ラフ、ドロレス。通達があった。俺達三人が、半年後のコロニー排出期の初動部隊に選ばれた」


 それを聞いた時、ラフは一瞬顔を強張らせた。


「コロニー襲来から間もなく3年だ。サウリアも年々強力になっている。これ以上戦争を長引かせるわけにはいかない。次回の排出期が決戦になると心得ろ」


 アーネストは言った。初動部隊としての我々の任務は、排出期にコロニーの表面に出現する穴に、上空から輸送機で接近。その穴付近に降下し、直接核爆弾を投げ入れる。


「核…それは有効なのか?」

「研究チームの解析では有効だ。コロニーの外殻は強固だが、内部構造は恐らく脆い。サウリア共々コロニー全体を破壊できる可能性が高い」


 発達した肉体を持つエイリアンでも、核は克服できなかったのか。

「私達は生け贄か」

 強力なサウリアやコロニーさえ破壊できる核爆弾だ。輸送機の速度では、爆発圏外へ無事に逃げ切ることは難しい。


「俺達はそれだけ買われているんだ。必ず任務をやり遂げると。その実力と責任感がある。例えこの作戦で三人が死んだとしても、必ずサウリアとの戦争に終止符が打てる。俺はそう考えているが二人はどうだ?」


 アーネストの意見に私は賛成だ。死が怖くないわけじゃない。だが…二人が一緒なら耐えられると思えた。


「ラフ。お前は?」


 ラフは珍しく重苦しい顔を崩さない。


「俺は…嬉しいよ。この作戦が成功すれば、もう誰もサウリアに殺されない。俺のような寂しい子どもがいなくなる。嬉しいことじゃないか」


 ふっと、彼の表情が和らいだ。


「でも…君達っていう素晴らしい戦友を亡くすのは悲しいな」


 他に方法はなかったのか。いや、もうこれしか無いのだろう。私達の命の使い道が決まったのだ。決して無駄ではない使い道が。


「ラフ。俺達は最期まで一緒だ」

「悲しみも痛みもすべて、私達三人で分け合おう」


 ラフは後押しの言葉を待っていたのだろう。いつものヘラヘラとした笑顔がようやく蘇ったのを確認すると、私まで安堵できるのだ。


「ああ、そうだな。やり切ろう。三人で」



 ***



 半年後のコロニー排出期。ついに都市降下作戦が決行された。

 アーネスト、ラフ、私の三人は輸送機に乗りコロニー上部へ接近。

 コロニーに開いた穴は直径約30m。ダム穴のように深く続く暗闇の中に熱源反応はなく、サウリアが排出される気配はまだなかった。


「俺が爆弾を投下する。ドロレスとアーネストは周囲の警戒を頼む」


 ラフの背を守るように立ち、周囲に耳をそばだてる。

 ーー静かすぎる。

 前回の排出期では、穴の出現と同時に無数のサウリアが発生したと聞いていたが。


「ラフ。何が異常があればすぐに教えてくれ」


 が、返事がない。不審に思いラフの方を振り返る。

 見間違いだろうか。ラフの防疫服の腹部に大きな風穴が空いているように見えた。


「え?」


 何が起こったのか理解できず、ラフと私の口から同時に同じ呟きが漏れる。その静謐を破ったのはアーネストの鋭い叫び声だった。


「サウリアが出現した!! 光学迷彩だ!! 奴ら姿を消している!!!」


 ラフの腹部から飛び散ったおびただしい血と体液が、たった今自分を貪った()()なサウリアに降りかかり、そのグロテスクな輪郭を浮き立たせる。

 私は反射的に銃を構え、サウリアの弱点目掛け連射した。

 二、三発ではおさまらず、即死したサウリアの死骸へ装填弾が尽きるまで撃ち続けた。


「死ね、死ね、死ねっ!!」


 自分のどこから出てくるのか分からない口汚い罵倒を、弾丸に乗せて浴びせかけた。


「ドロレス出過ぎだ! 『奴ら』を刺激するな!!」


 アーネストの警告も虚しく、必要以上の大量の出血とともに、サウリアの死骸は穴の中へと落ちていく。その大量の血液が、新たな『不可視のサウリアの群れ』が穴から這い上がってくることを知らせていた。

 仲間の死骸の強烈な臭いが、コロニー内に潜んでいた何百、何千、何万というサウリア達を目覚めさせてしまった。


「……あぁ………」


 私が、冷静さを欠いたせいで。


「敵の数が多すぎる! 今爆弾を投下してもコロニー深部へ届かない! 作戦中止! 帰還する!」


 アーネストの叫びが、やけに遠くに聞こえる気がした。


「だが、ラ、ラフが…」

「あの状態では長くはもたない。仮に生きていたとしても、あいつは既に…」


 ーー置き去りにして逃げる気か? 冗談じゃない。


 私は夢中でアーネストを押し除け、血溜まりの中に倒れるラフへ駆け寄った。すぐ逃げなければエイリアンに襲われる危機だとしても、知ったことではない。彼の指先が微かに動いた気がする。ラフはまだ生きているんだ。


「ラフ! ラフ! 起きてくれ! 一緒に還ろう!」


 呼吸の確認をするため、私は彼の防護マスクを剥ぎ取る。口から下は血で真っ赤に染まり、顔から血の気は失せていた。

 一刻も早く輸送機へ乗せるため、瀕死の彼を抱え上げた時だ。

 ラフが勢いよく頭を起こし、私の腕へ噛みついてきた。


「!!」


 防疫服を容易く貫通する強靭な歯。彼の片側の顔が徐々に、タールのような黒い物質に変異していく。


 ーー感染している。


 一瞬呼吸の方法を忘れる。ラフを突き飛ばすことも、まして殺すこともできず、牙が届かぬようその場に押さえつけるしかない。


「ラフ、そんな、嘘だろう…」


 噛まれた箇所が熱を持っている。徐々に強まる痛みに蝕まれながら私の意識は、急速に醜く変異していくラフに注がれていた。


 ーー研究チームが言っていた。『フェイク・サウリア』…。サウリアに噛まれた人間は、サウリアと同じ姿に変異する。


 ーーフェイク・サウリアに、特効薬はない。


 ーーそして、私も……。


「分かったよ、ラフ。一人は怖いな。一緒に死んでやる…」

 銃口を私自身の頭部へ持っていく。意識が完全に乗っ取られる前に脳幹を破壊すればフェイク・サウリア化せずに済むと聞いた。

 今ならまだ人間のまま死ねる。ラフと一緒に。


 ところがどうしたことか。ラフの未変異の左手が、私の銃を弱々しく握っていた。


「……ドロ、レス……ヤメロ………」


 彼のぶるぶる震える手が、銃口を彼自身の未変異側の頭部へと導いた。

 ラフの顔の半分。まだ飲み込まれていない彼の顔が、苦し紛れにヘラッと笑ったように見えた。


「キミハ、イキロ……オレタチ、ノ、ミライ……タメ」


 ーー私達の未来のため。



 私は引き金を引いた。銃弾はラフの柔らかな頭部を簡単に吹き飛ばした。

 サウリア因子が完全に脳を侵食する前に、彼の望み通り人間として終わらせたのだ。

 物言わず横たわるラフの体。穴から這い上がってくる無数のサウリア達。

 呆然と動かない私の腕を、アーネストが背後から強く引いた。


「数がどんどん増えてる。俺達だけでも退避するぞ!」


 引きずられるように輸送機に乗り込んだ。その直後、私の体が燃えるような熱を持った。

 たまらず防護マスクを脱ぐと、内部が異様な粘液で真っ黒に染まっている。変異が、始まっていた。


 ーー早く、早く自害しなくては。


 しかし、あまりの痛みで思うように身動きが取れない。同乗している隊員らは手に持つ銃の存在も忘れ動揺するばかり。中には「早く誰か殺せ!」と叫ぶ者もいる。

 ただ一人、アーネストだけは違った。


「クソ!」


 彼らしくない悪態とともに、輸送機内に設置されている急冷カプセルを展開。その中に、私の体を無理矢理押し込めた。

 サウリアのサンプル採取用に死骸一体分が入れられるカプセルだが、生きた感染者を収容した前例はない。


「…ドロレス。飲まれるな。お前は必ず俺が連れて帰る。ラフのためにも」


 冷たいカバー越しのアーネストの言葉を最後に、私の意識は混濁し、朦朧とし、やがてぷつりと途切れた。



 ***



 次に目が覚めたのは、処刑監房と呼ばれる独房の中だった。

 この部屋の造りが金属製なのは、熱伝導率を高めるためだ。不都合な囚人や捕らえたエイリアンを生きたまま焼き殺せる、実に合理的な収容施設であると…この基地に派遣された当初そう案内された。まさか自分が体験するなんて。

 前方の鏡壁に映し出された自分の姿を見た時、想像を絶する絶望に襲われた。


 ーーサウリアだ。


 真っ黒な爬虫類じみた顔。微細な凹凸に覆われた歪な体。鼻が曲がりそうな臭気と、聞くに耐えない声音。それなのに意識は人間のドロレスのものである。姿だけが醜く気味の悪いサウリアへと変貌していた。

 ラフに噛まれて、感染した。


 ーー作戦はどうなった? サウリアは? …ラフは?


「……そうだ。ラフは、私が殺した……」


 それだけは事実だ。引き金を引いた感触は確かに指に残っている。それを望んだのがラフ自身だったとしても、実行したのは間違いなく…。

 自分が信じていたものがひっくり返ったよう。すべての現実から逃れたくて、私はそれから独房内で何度も自殺を試みる。



 ***



 長い時間を経て、アーネストは大尉という階級を得て私に面会してくれた。

 アーネストは私が収容されてから3年間の出来事を教えてくれた。

 都市降下作戦が失敗に終わったこと。ラフの遺体がサウリアに食い尽くされたこと。私に『部隊員の殺害』と『抗命』の罪が科されたこと。


「ドロレス。お前のお腹の子も、サウリア因子に侵されて消滅していた…」


 感じていた。確かに芽生えていたはずの命の気配が跡形もなく消えていたことを。妊娠をラフには告げなかったが、彼は薄々気づいていたんだろう。

 だから最期に言った。『俺達の未来』と。


「ドロレス。お前にはまだやるべきことがある。ラフが生かしてくれた命だ。我々に力を貸してほしい」


 ーー死んでしまいたい。


 でも、駄目だ。ラフが言った。「君は生きろ」と。その優しい呪いが、今の私をしぶとく生き続けさせているのかもしれない。

 醜くも強靭なサウリアの肉体は、私に自殺を許さなかった。まるでラフの(のろ)いがそのまま形を持ったかのよう。


 ーーこれは、私ではない。


「アーネスト。私は抜け殻だ。この醜い借り物の体には、魂も希望も思い出も、何も宿らない。空っぽなんだ。……好きに使ってくれ。私の死に場所は、君が決めてくれ」


 その日、私は最後に残った「ドロレス」という女をも捨てたのだ。

 いつか自分が見下していた隊員に言われた言葉を思い出す。


 『人形(ドール)』。


 皮肉なことに、その通りになってしまうなんて。こんな醜い下手物(げてもの)の姿に成り果てるだなんて。

 これは、私への罰の始まりなのだ。

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