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フェイク・サウリア  作者: 唄うたい
1/3

第1話 ドール

 鏡が見られなくなった。


 そこに映るものが、人間なのか化け物なのか分からない。それを自分自身と認識することはあまりにも恐ろしい。

 これは私への罰なのだ。

 私のようなものは、本来生きていて良い道理はないのだ。



【第1話 ドール】



 3年前の都市降下作戦において、私の失態がもたらした被害は、それはそれは甚大だったそうだ。

 拘束された私の身柄の解放を求めるクラーク大尉(たいい)と、殺処分を求める軍上層部との長い長い議論の末、私は3年間の拘禁(こうきん)の末、独房からの解放を許されたのである。


「医師に診せなくて良かったのか。独房内で何度も自殺を図ったと聞いたが」


 兵舎の個室に着くなり、直々に案内してくれた大尉は今更なことを訊ねてきた。


「怪我はもう完治してますから心配無用ですよ。私の体は人間と違い、特別頑丈なんです。それにこんな化け物を間近で見たら、軍医が昏倒してしまうでしょうね」


 私は体を少し屈め、自分より頭三つ分も背の低い大尉に目線を合わせた。

 当然大尉は、間近に迫った私の顔面に息を呑む。


 ーー怯えてる。


 長年の友人のそんな反応はショックだが、仕方がない。私自身3年前に初めて自分の顔を鏡で確認した時、ショックで気が違ってしまうかと思ったほどだ。


「指令があるまで自室で待機いたします。アーネスト・クラーク大尉」


 グロテスクな見た目と不快な臭気と聞くに耐えない不気味な声に、顔を背けたくなるはずなのに、大尉は変わらず私の目を見続けている。

 いや、逆か。私の目玉に集中して他の要素に気を取られないようにしているのか。


「ああ、待機を命じる。研究チームにお前専用のフェイスシールドを作らせた。後日部屋に届けさせる」

「フェイスシールド? ありがとうございます。こんな顔で基地内をうろついたら皆を怖がらせてしまう」


 アハハと笑って見せると、大尉はあからさまに怪訝な目をした。


「お前はこの3年で変わったな。ド…」


 反射的に私は、彼の言葉の先を封じる。


「『ドール』。それが私の名です」

「……そうだったな。では指令を待て。ドール軍曹」

「Sir, Yes, Sir.」



 ***



 個室はとても簡素だったが、不衛生極まりない独房に比べたら充分すぎる設備だ。窓はなく、ベッドと小さなデスクと、シャワー、洗面台が備え付けられている。

 洗面台に設置された鏡に果敢にも近づく。自分の顔だというのに嫌悪感が迫り上がってくるのは妙な感覚だ。


 鏡に映っていたのは、爬虫類のようなグロテスクな化け物だった。


 オオトカゲに似た巨大な頭部は、表面に微細な凹凸と棘が並んでおり、全体的に黒いタールのような粘り気を帯びている。生臭さと発酵臭の混合的なにおいは、未だに慣れない悪臭だ。呼吸は鼻と口から行えるが、鼻では吸入できる酸素量が足りず、口を半開きにして息を吸うから、シューシューと生々しい音が漏れている。ぎょろぎょろと縦横無尽に動く目玉も、今は鏡の中の化け物の姿に視線を注いでいる。


 こいつは生きているのだ。


 2mを越える大柄な体格。XXLサイズの軍服を窮屈そうに着ている姿は、トカゲ型の獣人が生意気にも軍人の真似事をしている漫画のようで滑稽だった。

 これが私の姿。「ドール」…それが私の名だ。失態の代償と言うべき、自然の摂理に反した虚ろな肉体があるだけ。


「………醜いなァ」


 嘆息するほどの酷い姿。この先に待つ運命を考えるとさらに気が重い。

 フェイスシールドの支給は純粋にありがたい。この顔を誰かに見られずに済む。


 ーー今、私の全細胞の何%がサウリア因子(いんし)に侵されているのだろう。


 いずれ大尉から指令が下るだろう。そうすれば私は自部隊を指揮し『奴ら』を殲滅しに行かなければならない。

 『サウリア』を。

 今の私と同じ、醜い爬虫類のような姿をした地球外生命体(エイリアン)を、殺戮しなければならないのだ。



 ***



 西暦2XXX年。

 後に「コロニー」と呼ばれる直径20kmにおよぶ巨大な球体が、主要都市の中心部に不時着した。

 鳥の卵を思わせる乳白色の外見に反して、この飛来物には砲弾も爆撃も効かず、一切の損傷を与えることができなかった。地球に存在しない特殊な物質で覆われていたからだ。


 コロニー不時着から約1年後、その本当の役割が判明した時、人類は突如存亡の危機に立たされることとなる。

 コロニーは「卵」だったのだ。その内部では1年の時間をかけて何千何万という生命体が構築され、時期が訪れると上部に穴が出現する。そして無数の侵略型生命体(エイリアン)がコロニー外へと排出される。

 エイリアンの多くは、人間と同程度の全長だ。その外皮はタールを浴びたように黒く粘り気を帯びており、造形はオオトカゲ型の爬虫類を思わせるものが基本形だ。

 獲物を引き裂くために発達した牙と湾曲した爪の材質は、鋼鉄よりも高い硬度を持っていた。


 奴らが好む獲物。それは()しくも、地球人の肉である。

 エイリアン達はコロニーから排出されるなり、まるで本能に刷り込まれているかのように人間を探し求め、捕食するのだ。他の野生動物には目もくれず人間だけに固執した。

 専門の研究チームが組織され、エイリアンの細胞を解析した結果、彼らの正体は約6,600万年前に絶滅したとされる恐竜(サウリア)の進化種であることが判明した。

 6,600万年前、既に地球には知的生命体の干渉があった。絶滅の危機に瀕していた恐竜(サウリア)の一部は宇宙へ持ち出され、長い時間の中で進化を繰り返し、再び母なる地球に帰ってきたのだ。先住生物を淘汰し、自分達の本来の縄張りを取り戻すために。

 研究者達は満場一致で、このエイリアンを「サウリア」と呼称した。


 私ことドール軍曹は、心は人間でありながら肉体はサウリアそのものである。

 違いは軍服の有無と、人の言葉を話すか否かだけ。

 サウリアの皮を被った紛い物。そんな皮肉を込め、私のような罹患者は「フェイク・サウリア」と呼ばれる。

 なぜこのような残念な姿になってしまったかと訊かれれば「3年前の任務中に大きな失態をやらかし、サウリアの因子(ウイルス)に感染したから」と説明するのが簡潔であろう。詳しく話すまでもない。

 本来なら独房監禁の末、殺処分が妥当であるところ、大尉の温情によってこうして現場に返り咲いている。彼は命の恩人だ。


 大尉の命令により、私には復帰後初めての任務が与えられた。前線特殊部隊に配属予定の、新兵の指導だそうだ。


「大尉。私の顔面をご覧になりましたよね?」


 訓練場へ向かう途中で思わず問いただしてしまった。


「隠せるようフェイスシールドを支給しただろう」


 今私の頭には、頭部全体を覆い隠す特殊合金製のフェイスシールドが装着されている。そのおかげでトカゲ顔も生臭さも漏れ出ていない。一見キャラ付けの濃い覆面レスラーのようだ。


「お言葉ですが、この外見は新兵には刺激が強すぎるかと…」

「お前の腕を見込んで指導教官に任命した。俺の決定に異論があるか?」

「いえ、そんなつもりは…」


 異論大有りだ。これから自分が闘う未知のエイリアンと同じ姿の化け物が教官だなんて、新兵にはトラウマ物だろう。


「お前が指導する新兵は一名だ」

「え? たった一人?」

「入隊時のあまりの素行不良から、集団訓練の適性無しと判断された。奴をマンツーマンで指導し、10ヶ月後のコロニー排出期までに厚生させろ」


 たった一人の問題児。マンツーマン指導。それを請け負うのは醜いフェイク・サウリア罹患者。耳を疑う要素が乱立している。


「そんなに輪を乱すなら、なぜ除隊させないのです?」

「奴に犯罪歴があればな。だが以前は厚生施設にいた。入隊時の実技試験の成績も問題ない。正式な配属までは指導対象だろう」

「…人手不足だから戦力になりそうな人材は温存したいと。厚生施設上がりということは未成年ですか?」


 大尉は肯定の代わりに、持っていたタブレットを寄越してきた。

 表示されている資料には、これから私の指導対象となる新兵のパーソナルデータと来歴がある。年齢はまだ17歳か。

 私が目を引かれたのは、その新兵の顔写真だ。


「……大尉。本当に私が指導するんですか?」

「命令だ。遂行しろ」

「………Yes, Sir.」


 訓練場のドアの向こうからは、早くも何かを殴打する音が漏れ聞こえている。



 ***



 コンクリート造りの訓練場の中央で、若き新兵は私に背を向け、一心不乱にスパーリングに打ち込んでいた。グローブも防具もないが。

 小柄だ。170cmもない。やや長めの銀鳩(ダヴ)の羽毛のような柔らかな髪が、動きに合わせて揺れている。随分と長い時間打ち込んでいるようだが、息が切れている様子もない。


「初めまして、ガブリエル」


 名を呼んでみた。しかしスパーリングをやめる気配がないので、近づいて腕を掴んで止めた。

 自主トレ大いに感心、と褒めたいところだが、私は指導教官として新兵の問題行動を止めなくては。


「汚ねぇな。離せよデカブツ野郎」


 小柄な外見に反して、ひどい暴言が彼の口から飛び出した。こちらに目もくれないで。


「私は君の指導教官だ。よろしく」

「…うるせぇ。耳障りだから喋んな」


 私のサウリア特有の声音が不快なのだろう。シールド越しでくぐもって一層不気味だろうし。気持ちは分かる。


「ガブリエル、教えてくれ。なぜ同じ部隊の兵士を虫の息になるまで殴っているのか」


 ガブリエルがスパーリング相手にしているのは、サンドバッグではなかった。生きた人間、それも同じ部隊に配属予定の新兵だ。ガブリエルよりも遥かに大柄な男を、顔面が葡萄のような凹凸になるまで殴り続けていた。


「関係あんのか、テメェに」

「あるとも。指導教官だと言ったろう。君の行動を理解する必要がある」

「じゃあ、この顔でお察しだろ」


 そう言うと、ガブリエルは背けていた顔をこちらに向ける。


 全身が粟立つ錯覚をした。


 顔写真とは比べ物にならない。私が今まで生きてきた中で最上の『美』が目の前にあった。

 生物学上は男性のはず。だが、その儚げで官能的な顔立ちは妙齢の女のようで、年端も行かぬ無垢な少女のようでもある。日に焼けない肌も、吸い寄せられそうな神秘的な紺碧の瞳も、彼自身の名を体現しているようではないか。


 ーーなんて美しいんだろう。


 ーー私とは大違いだ。


 フェイスシールドがあって助かった。

 化け物の(ねた)みに引き攣った顔なんて見せたくはない。


「馬鹿のために教えてやるよ。こいつ昨晩(ゆうべ)、俺の部屋に忍び込んでオカマ掘ろうとしやがった。だから望み通り遊んでやってる」


 言い切ると、彼は封じられた拳の代わりに、鋭い蹴りをサンドバッグへお見舞いした。

 彼の耳を疑うような告白に思わず納得してしまった私は、酷い教官だろうか。

 元犯罪者だらけの寄せ集めの部隊の中で、ガブリエルの容姿は垂涎もののはずだ。このサンドバッグ男は人間的理性を保てなかったと見える。自業自得か。


「なるほど。君の暴行は正当防衛として認められるだろうね」


 だが、私は彼の腕を離さない。


「おい、汚ねぇっつってんだよ。離せよ糞野郎」


 口汚い暴言を浴びせられても、私は彼を離さなかった。


「無闇に暴行を加えてはいけない。…その気になれば、君はいとも簡単に人を殺せる。君にはその力があるのだから」


 フェイク・サウリアの肉体は、人間に比べて遥かに強靭で怪力だ。戦車に轢かれても骨に(ひび)も入らない。拳で軽く小突くだけで人間の頭部を破壊できる。

 今、私はガブリエルの腕を握る手に力を込めている。人間なら既に粉砕しているはずの彼の細腕は、今なお形を保っている。これが証拠だ。


「ガブリエル。君もフェイク・サウリア罹患者だそうだね。だから君の指導教官として、私以上の適任はいないのさ」


 彼は瞬時に言葉の意味を悟った。有害な毒虫を見るような冷たい目でこちらを睨む。

 私は期待に応えたくなって、フェイスシールドを脱ぎ去った。

 とたんに周囲に漂う異臭。ぐじゅぐじゅとグロテスクな黒い顔を、美しい天使の顔に近づけた。さっきまで不遜な態度を取っていた少年兵が予想外の生き物を前に固まってしまう姿はなんとも滑稽だ。

 追い討ちに、私はノイズ染みた濁声(だみごえ)を発してやる。


「私はドール。よろしく、ガブリエル」


 世界で最も醜い私が、世界で最も美しい存在を導かねばならない。同じ因子に感染したはずなのに、私と違い、寸分変わらぬ美しさを保つ存在が目の前にいる。

 嫌でも、美しさへの羨望と嫉妬を抱いてしまう。


 ーー全く、大尉はなんて残酷な命令を下してくれたのだ。



 ***



 フェイク・サウリア罹患者ながら人間の姿形を保っているガブリエルは、理性的で驚異的な身体能力を誇る一個大隊並みの活躍を期待されていた。

 しかし、彼の精神はまだ幼い。劣悪な少年期を過ごしたことで他人への警戒心が強い。私のような化け物の言葉など聞く耳を持たない。そんな調子だから初めの1ヶ月、私はまともに彼を指導できなかった。


「…大尉、私は心が折れそうです。言って聞かせても駄目。懲罰房に閉じ込めても駄目。私への不信感が募るばかりで逆効果ですよ」


 さっきも訓練を逃げ出したガブリエルは「死ねゲテモノ野郎」との暴言を吐き捨てた。

 ここまで手応えのない毎日が続くと辟易してしまう。

 何度目かも分からない大尉の呼び出しに、私は毎回苦虫を噛み潰したような顔で挑む。フェイスシールドがあって本当に助かった。


「ドール。ここは軍だ。体罰を与えても構わない。お前の役目を全うすることを考えろ」


 大尉の命令は毎回同じ。心を鬼にせよと望んでいるのだ。あの子を殴りつけてでも。


「……それは気が進まないんですよね」

「コロニーの排出期まで9ヶ月を切っている。子どもの我が儘に付き合っている暇はない。あの新兵を素手で制することができるのはお前だけなんだぞ」


 ーー私が同じフェイク・サウリアだから。はい、はい。


 大尉は明らかに苛立っていた。これ以上手間取っていたら、先に私のほうが折檻を受けそうだ。


「…それでも体罰を与えたら、あの子が嫌っている人間達と同じになってしまう。それだけはできませんよ」


 私の懇願とほぼ同時に大尉の鋭い拳が飛ぶ。フェイスシールドの顎を打たれ、ぐじゅぐじゅの脳味噌が大きく揺らぐ。強靭なサウリアの体でも、とっさに首に力を込めなかったら、今の一撃で意識を手放していただろう。シールドに触れると金属面が大きく凹んでいた。


「さすが対サウリア戦のエキスパート。我々の肉体構造をよくご存知だ。……非常に痛いです」

「ドール。これは人類の命を守る戦争だ。適切な処置を知らなければ兵は死ぬ。9ヶ月後あの新兵の小僧が戦場に引き摺り出されたところで、無駄に喰われるだけだ」

「………」


 他の隊員は大尉のことを冷血漢と呼ぶ。


「…分かりました大尉。次は少々、過激な手段を講じます」


 けれど、彼は誤解されやすいだけだ。誰よりも感情を押し殺し、合理性に従って皆の命を守るために、時には自らヒール役を買って出る。それが私の知るアーネスト・クラークという男だ。


 頭の痺れが取れたことを確認し、私はある場所へ向かう。訓練場ではなく、ガブリエルが篭って久しい自室へと。



 ***



 軍の研究チームは日夜、サウリアに有効な武器や罹患者用の治療薬を開発している。サウリアの息の根を止めるほどの毒物はまだ研究段階だが、それに準ずる薬品は作例がある。


 その一つが「K-V1」。サウリアの分厚い皮膚も通る特注の注射器で、皮下組織に直接注入するタイプの毒薬だ。

 私も拘禁期間中、実験協力と称して強制的に注入されたことがあるが、まあ強力だ。全身の骨に影響が出てしばらくは麻痺が引かない。


 刑務所出身の兵士の中には手癖が悪い者も多く、研究室から持ち出したK-V1を利用したがる狡猾な者もいる。

 そんな連中の餌食になったのが、可哀想に、美しきガブリエルだ。


「意地を張らずヘルプコールを出せば良かったのに」


 素行の悪い兵士間では、今回のような痛ましい事件がたびたび起こる。

 ある新兵3名が盗んだK-V1を、3人掛かりで取り押さえたガブリエルへと注射した。毒が神経と骨に作用し、全身が麻痺した無抵抗な彼へ暴行を加えようとしたところで、オンラインの監視モニターでタイミングを測っていた私が部屋に乗り込み、今に至る。

 服を剥がれベッドに横たわるガブリエルに、私はフェイスシールド顔を近づける。

 こんな状況でも、彼はお得意の減らず口をやめない。


「…あ、…つら、…おれら、ころしっ……」

「呂律が回っていないよ」


 ただの強がりだとバレてるのに。


 ーーようし、一矢報いてやろう。


 おもむろにフェイスシールドを外す。蒸された悪臭を漂わせながら、私は床に転がる瀕死の犯人の一人に口を近づけた。犯行を止めるため少々手荒にしたが、大丈夫。人間が死ぬほどの力は加えていないはず。

 薄く開けた私の口の中には、人間の肉を割くために進化した歯が並ぶ。


「君達、賭け事は好きかい?」


 それを見せつけながら私は低い唸り声を漏らす。


「私と賭けをしようか。私が何かの間違いで君の柔肌に食らいついてしまった時、果たして君は『人間』を保っていられるのか。罹患者が全員生き残れるわけじゃあない。大抵は死ぬか、化け物に意識を飲まれて軍に処分されるか」


 最悪の想像をした犯人は、可哀想に。折れてしまった両脚をもぞもぞ動かして逃げようとするばかりだ。


「それが嫌なら、もう私の教え子をいじめないでくれるね?」


 犯人の口から蚊の鳴くような悲鳴が漏れたことを確認する。

 これでいい。化け物の脅しはよく効くんだ。


 身動きの取れないガブリエルの体を運ぶ際、彼は嫌そうにこちらを睨んでいたけれど、もう私への悪態はつかなかった。

 悪態をつく元気も無くなってしまった彼の体は、とても軽くて壊れそうだ。



 ***



 未遂事件から2週間。治療の甲斐あり、すっかり麻痺の取れたガブリエルは、人が変わったように素直になった。


「おいゲテモノ。チンタラすんな。殺すぞ」


 口調は相変わらずだが。それでも、私の組んだトレーニングメニューはきっちりとこなすようになったのだから進歩だ。元々賢く要領の良い彼は、私が教える対サウリア戦の技術を余す所なく吸収していく。そのモチベーションは「私への恩義」…ではなさそうだな。


「目的? 決まってんだろ。俺は『糞サウリア』と『糞不細工』がこの世で一番嫌いなんだよ」


 目が潰れるほどの美貌が勿体無い。なんて言葉遣いだ。


「それは遠回しに、いつか私を殺すと宣言しているのかい?」

「気づくのおせぇんだよ。ゲテモノ野郎」


 殺意が原動力になるのなら、多少は目を瞑ろう。

 それにこの2週間で、私達の関係は大きく進歩している。上官と部下。その垣根を保ったまま、彼は私の指示をよく聞いてくれる。


「今日はここまでにしよう。頑張ったね、ガブ」


 愛称を呼ぶことも、頭を触ることも許してくれている。その後は必ず「触んな、キモい」と手を振り払われるのが通例だが。


「コロニーの排出期まであと8ヶ月。この退屈な訓練もそれまでの辛抱だよ」

「………」


 排出された大量のエイリアン・サウリアとの戦闘で、どれだけの兵士が生き残れるか分からない。


 ーーせめて、この子だけでも。


 そう贔屓してしまう私は、きっと悪い上官だ。

 私の動揺が伝わってしまったのか、ガブは珍しく、いつまでも私に頭を触らせていた。



 ***



 心境の変化は恐ろしい。コロニー排出期が近づくにつれ、私は感じたことのない恐怖を抱くようになっていた。

 ガブリエルと出会い、いつしか(せい)への執着が芽生え始めていたことに気づいた時、私は自分自身を恥じた。


 ーー私などが生を望んで良いはずがない。



 排出期の2ヶ月前。

 私は年に一度の検診のため、ガブとの訓練を取りやめた。それが悪い意味で伝わってしまったのだろう。彼は鬼の形相で研究室に乗り込んできた。


「ふざけんな糞教官! テメェから強要してきたくせに勝手にサボってんじゃねぇ!」


「申し訳ありませんドール軍曹。止めたのですが…」「この通り手も足も出ない有り様で…」


 突撃してきたガブの腰の辺りには2人の研究員がしがみついている。2人がかりでも、フェイク・サウリアの強靭な体は食い止められなかったらしい。暴行を加えていないだけ大きな成長だ。

 私は培養液に浸かったまま、どこか心地よい感覚に浸っていた。真っ黒な外皮がぐずぐずに溶けている姿を見て、ガブは大きな目をさらに大きくして驚いた。きっと私が死にかけていると思ったのだろう。


「ガブ。私の体は恐竜(サウリア)と同じだ。これは脱皮。心配要らない」


 そう言って私は生理現象に身を任せる。ぐずぐずと崩れ落ちていく黒い生皮の中から現れたのは、人間の女の真っ白な肌だった。

 染み一つない肌と、長い長い滑らかな黒髪。罹患時と寸分変わらない人間の姿を、私は年に一度の脱皮の瞬間だけ取り戻すことができる。

 ガブは何も言えない様子で、信じられないものを見た顔で固まっている。そんな姿が可笑しくて、私は笑ってしまう。


「……お前、女だったのか?」

()はそうだ」

「治ったのか…?」

「いいや、一晩だけだ。明日になれば新しい真皮が作られ、見慣れたゲテモノ野郎に戻るよ」


 見れば、研究員達が悲しげな目で私を見ている。そうか、彼らもかつての私の姿を知っていたのだっけ。


「君達。すまないけどガブと二人きりにしてくれないか? 話したいことがあるんだ」


 静かな培養槽のガラス越しに、私はガブを呼び寄せた。彼は今なお呆然と私の裸体を眺めている。

 この姿を見られるのは、弱い心の中をそのまま曝け出しているようで落ち着かない。


「ガブリエル。お別れだ」

「…は…?」


 かつて私は独房の中で、たった一人で脱皮を経るごとに、サウリアの意識が強まっていくのを感じていた。

 本能に刷り込まれた「故郷(ちきゅう)に帰りたい」という強い思い。大切な仲間達を殺された敵のはずなのに、サウリアの孤独や悲しみが細胞レベルで私に訴えてくるのだ。

 6,600万年前の隕石落下とその後の自然災害を免れた恐竜(サウリア)達は、ずっと夢見ていたのだろう。いつか地球に還れる日を。


「地球のため、人類のためサウリアと闘わなければならないのに、サウリアの意識に侵食されていく自分が恐ろしいんだ。だから2ヶ月後の降下作戦で、私は死ぬことにするよ」


 ーー大切な君に牙を剥いてしまう前に。


 感情を抑え込んで口にしたはずなのに、人間の体は制御が難しい。微かに震えてしまった声色が、ガブにはお見通しだった。


「あんたの心は人間だろ。心まで化け物に売るな」


 ガラスに付いた私の手に、彼は外から自分の手を重ねる。子どもだと思っていたガブリエルの手の平は、大人の私と同じくらい大きかった。

 決意が揺らいでしまう。


「…どういう心境の変化だ、ガブリエル。今日の君は優しいね」


 この子は自分以外の全ての生き物を憎んでいる。そう思っていたのに。


「この世は糞野郎だらけだ。腐ったこの世界で俺が背中を預けられるのは、まだマシな腐り方をしたあんたしかいねぇんだよ。だから…」


 そこまで言って、彼は何かを堪えるように俯いてしまった。言葉の先を想像すると、無性にこの子の頭を撫でてやりたくなる。

 我々を隔てる分厚いガラスに阻まれて、それは叶わない願いだ。


「ガブ。我が儘を聞いてくれるかい」

「………」

「今晩だけ、ここにいてほしい。私の人間の姿を、君には覚えていてほしいんだ」

「………」


 ガブリエルは返事の代わりに、黙ってその場に座り込んだ。

 ガラスの向こうの小さな体を見下ろしながら、私は溢れ出した感情をそのまま言葉にする。


「この時間が永遠に続いてほしい」


 恥知らずな発言だ。私は過去に大切な人を殺した人でなしなのに。それでも言わずにはいられなかった。

 ガブは返事をしなかった。ただ黙って座り込んで、私の言葉に耳を傾けていた。

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