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7.薄幸令嬢と屍食鬼(3)

「ああ……よかった。まだ息がある」


 灰色の男——屍食鬼(ししよくき)——に喉元を食われていた女は、幾度も喉を噛みつかれ血を流していた。体内の血も抜かれているようで気絶している。


 気を失った女を介抱する軍人を手助けしていた小夜の首に、白いハンカチがあてられた。


「君も被害者なのに、手伝わせてすまない。せめてこれで傷口を押さえて」


「あ……ありがとう、ございます」


 感触から絹のハンカチだと分かった。こんな高価なものを、と恐れ入ったが、すでに汚してしまっているので、観念して受け取った。


 噛まれた傷跡は鈍く痛む。


「あの……屍食鬼(ししよくき)っていうのは噂の……」


 夜光という男がなりそこないと呼んでいた首と胴の離れた屍食鬼(ししよくき)が視界に入り、小夜はそっと目をそらす。


「今夜のことは口外しないでほしい。屍食鬼(ししよくき)の存在も噂のままであってほしいんだ。今回のことは、ただの物取りの犯行、とだけ」


 女の手当を終わらせ、軍帽を外して汗をぬぐう軍人の髪は、月明りの下でも明るい胡桃色だった。


 珍しい色合いにしばらく見入っていると、軍人は困ったように笑みを浮かべる。不躾だったと慌てて目をそらしたころに、応援の人たちが到着して気絶した女を保護し、切られた屍食鬼(ししよくき)を回収していった。


「助けていただきありがとうございました。それでは、私はこれで……」


 落してしまった提灯は破れてしまったが、まだ使えそうだと拾い上げる。


 襲われたとはいえ、旭の徽章(きしよう)を見つけられずに帰ってしまえば折檻(せつかん)が待っている。


 身体は辛いが、このまま帰ってしまうほうがもっと辛い。


 外での恐怖よりも内への恐怖の方が勝り、徽章(きしよう)を探しにいこうと軍人から火を借りた。


「一人では心細いだろう。怪我もしていることだし、家まで送ろう」


 提灯に火を貰い、そのまま別れようとした小夜は軍人の言葉に戸惑った。


 このまま徽章(きしよう)を探しに夜道に行くと言えば止められることは明白だ。


かといって、家に帰ってしまえば旭と菖蒲(あやめ)からの叱責が待っている。


 困り果てて黙っていると、目の前の軍人も困ったように短い頭を掻いた。


「こんな夜更けにうら若いお嬢さんが出歩いていると、また襲われてしまうよ。さあ」


徽章(きしよう)を……探さないといけないんです……」


 差し伸べられた手をとることができず、呟くように言葉を吐いた。


徽章(きしよう)? 女学校の?」


「その……妹が落してしまって、見つかるまで家に帰れないんです……」


 自分でもなぜそんなことを言ってしまったのかわからない。


 けれど、いかつい軍服とは裏腹の優しそうな垂れ目で見つめられると、自分が彼の好意に甘えられない理由を話していた。


「なるほど、失せ物を探していたのか。それなら、一緒に探そう」


 軍人の言葉に、うつむいていた顔をぱっとあげ、慌てて断りを入れる。


「そんな、軍の方に手伝っていただくなんて恐れ多いです」


「こんなに暗い中、傷を負った事件の被害者を一人で放り出すなんてできないからね。さあ、そうと決まったら探すぞ。地面を照らして」


 困惑する小夜を前に、明るく言い放った軍人は、その場に四つん這いになり地面を隅々まで見はじめた。


「何をされているんですか、香月(かげつ)少尉」


 屍食鬼(ししよくき)を担いだ軍人が焦ったように使づいてくる。


 四つん這いになって地面と顔を近づけている男は少尉だったのか、と小夜は焦りを隠せない。


「このお嬢さんが、失せ物をしていてね。見つかるまで帰れないそうだから、一緒に探しているんだよ」


「それなら、駐在所に届けられているかもしれないじゃないですか」


 朗らかに笑う香月(かげつ)は、呆れ顔の軍人の言葉になるほど、それもそうだ。とポンと手を打った。



「駐在所にも届けられていなかったね。君の傷も心配だし、今夜は帰りなさい。詫びは僕がしてあげるから」


「そこまでご迷惑をおかけするわけには参りません。その……ありがとうございました」


 結局、徽章(きしよう)は見つからなかった。


 駐在所に行った後、届けられていないことが分かってから香月(かげつ)は手の空いた軍人たちに徽章(きしよう)探しを命じ、探してくれたのだ。


 それでも徽章(きしよう)は見つからず、小夜の傷も心配だということで捜索は打ち切られた。


 こんなに多くの人の手を煩わせてしまったことが申し訳なく、小夜は顔をあげられない。


「それがね、君の傷は早期に血清を打たねばならないものなんだよ。あの鬼には未知の病原菌が潜んでいてね」


「え……」


「すぐに僕たちの研究所に連れて行ってあげたいところだったのだけど、見たところ君は未成年だし、血清を打つには保護者の許可が必要なんだ。なに、大丈夫。潜伏期間は四日ほどで、その間に血清を打てばどうってことないから」


 その説明も踏まえて君のお宅に訪問したいんだ。と告げる香月(かげつ)に、小夜は若干血の気が引いた。


 そんなわけのわからないものが帝都の夜を跋扈(ばつこ)していたなんて。


 血清を打たねばならないと言っていたが、菖蒲(あやめ)は許してくれるだろうか。(そう)はきっと無関心だろうが、金がかかることに対しては難色を示す。


 不安に身を(さいな)まれているうちに、小夜たちは華峰の屋敷に着いた。


「遅いですわ、お姉様。徽章(きしよう)はわたくしの部屋にありましたのよ。徽章(きしよう)探しに無駄な時間を裂いて、今夜のお手伝いができなかったことをお母様は怒ってらっしゃるわ。これもお姉様の身勝手のせいですからね」


 玄関を開け女中に帰ったことを告げると、帰宅の音を聞いた旭が待ちわびていたかのように出てきた。


 そして、血に濡れた小夜の首筋に目をやり眉をしかめたあと、共に入ってきた香月(かげつ)の顔を見てぽうっとした表情をしている。


「そちらの方は?」


「初めまして、香月(かげつ)瑛人(あきと)と申します。このお嬢様が物取りに襲われているところを保護いたしました。ご主人はどちらに?」


「あら、今呼びにいかせますわ。お茶でもいかがです? お姉様、すぐに着替えて用意してきてくださいな」


「いえ、お宅のお嬢様は怪我をしていますので、遠慮いたします」


「姉はこの程度の怪我なんてしょっちゅうで慣れておりますの。粗忽者(そこつもの)なんです。でも、確かに、このようにみっともなく怪我をしている者に淹れられたお茶なんて飲みたくはないですわよね。わたくしが淹れますので、少々お待ちくださいな」


 軍服の階級章に素早く目をやった旭は、瑛人の顔をうっとりと眺めてから奥へと引っ込んだ。

 途中、菖蒲(あやめ)につかまって部屋に行くようにと言われたようで、言い争う声が聞こえた。


「お手間をとらせて申し訳ございません。この家の主は、用があって出られませんの。ご用件はわたくしが伺います」


 奥に引っ込んだ旭の代わりに、菖蒲(あやめ)が出てきて香月(かげつ)に深々と頭を下げる。


「まあ、小夜。そんな怪我をして。日が暮れてから出ていったあなたが悪いんですよ。嫁入り前の体に傷をつけて、霧城子爵にどう言い訳をするおつもり? 下がって手当していらっしゃい」


 菖蒲(あやめ)の言葉に黙って頷き、瑛人に礼をし、その場を後にした。



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