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6.薄幸令嬢と屍食鬼(2)

 昼間は明るく健全な様相の道も、日が暮れると途端に不気味なものに変わる。


 華峰邸は、女学校のある中心部からやや離れた場所にある。


 女学校付近にいけば、ガス灯も立っているだろうが、華峰邸付近は暗い。


 運がよかったのは、今夜が満月だったことだ。


 月明りに照らされ、道が見やすいことがありがたい。


 それでも徽章(きしよう)を探すには明るさが足りなかったので、昼間通った道をたどりながら隅々まで提灯で照らして探す。


 暗い中、人とすれ違うたびに体がこわばったものの、皆、道の隅でかがんでいる小夜には目もくれず帰路に急いでいた。


 こんな広範囲に落したものを、しかも暗くなってからなんて見つかるわけがないと思いもしたが、見つけなくては家に帰れそうにもない。


 出がけに菖蒲(あやめ)に見つかり、どこにでかけるのかととがめられ、理由を話したら、嫣然(えんぜん)とした笑顔で見つけるまで帰ってこないよう言いつけられたのだ。


 旭が徽章(きしよう)を落したのは、帰路で旭に話しかけた小夜に注意をとられたせいで、その罰なのだそうだ。


 菖蒲(あやめ)にとって、小夜は自分を捨てさせた女の子どもだ。


 幼いころに小夜を養子に出すという話もあったが、(そう)が嫌がり手元に置かれた。


 駆け落ちから戻って以降、何事にも関心を見せなくなった(そう)が唯一関心を見せた瞬間だったと、菖蒲(あやめ)は憎々し気に語っては小夜を折檻(せつかん)していた。


 菖蒲(あやめ)(そう)に愛されず、跡取りの男子を産めずにいることも小夜のせいだと(なじ)られた。


 (そう)が小夜のことどころか、華峰家の全ての雑事に関心を見せないことをいいことに、菖蒲(あやめ)が実質的に実権を握っている。


 華峰家での小夜の扱いは、菖蒲(あやめ)の匙加減一つだ。


 小夜は、自分の不運を嘆くという感情すら知らずに育っていた。


 淡々と言われたことをこなすこと。折檻(せつかん)の痛みに耐え、声をたてぬこと。


 それが小夜にとっての日常だ。


「きゃああああああああ」


 十字路に差し掛かった時、女の悲鳴が夜闇に響いた。


 提灯の火を吹き消し、近くの塀に身をひそめる。


 芯まで凍えそうな冬の夜の空気の中に、むっと血の匂いが広がる。


 逃げなくては。


 そう思った瞬間、獣のような人間のうなり声が近くに聞こえる。


「おや、この女のものとは違う血の匂いがしますね。これは、いい香りだ」


 踵を返し駆けだそうとした瞬間、背後の男に捕まった。


 何の気配もなく現れた男は、三十代ほどで、黒い髪を腰まで伸ばした、いかにも裕福そうな黒のスーツにハットをかぶった痩躯の狐面に似た顔を、小夜に向けて軽薄そうに笑っている。


「離して……ください……」


 恐怖を隠しきれず震える声で懇願(こんがん)したが、男が小夜を掴む手は強くなる。


「現場を見られてしまいましたからね。残念ですけど、あなたも餌になってもらいましょう」


 男が指さした方向を思わず見てしまう。


 灰色の肌をして瞳が白濁した男が女に覆いかぶさり喉笛に噛みついている。


まるで野生の獣のように、幾度も首を振りながら女を揺さぶる男の口からは、血が(ほとばし)っていた。


「かわいらしいでしょう。我々はなりそこないと呼んでいるんですけどね、ああも一心に血を求める姿は愛おしくすらあります」


 口から悲鳴が零れ落ちそうになり、すんでのところで飲み込んだ。男の拘束を解こうともがくが、びくともしない。


「ああ、それにしてもあなたの血はいい香りがしますね。私でさえ食指が伸びそうだ」


 押さえられた腕から、巻いていた包帯が解かれ舌を()わされる。


 ひっと声を抑えながら男をみれば、満足そうに口元をぬぐっている。


「これは……なりそこないにやるには惜しい味わいだ」


「離して!」


 恐怖と嫌悪から男を突きとばすと、さっきまでびくともしなかった男の拘束が外れ、勢いよく灰色の男の前に倒れ伏してしまった。


「ぐるぁぁぁぁぁぁ」


 小夜を前にした灰色の男は、血まみれの女から飛び離れ、小夜の首筋に噛みついてきた。


 首筋に鋭い歯が突き立てられ、皮膚が破れる感触がする。じゅるじゅると下品な音をたてて、首筋から外へ流れる血が吸われている。


「なに⁉ 力が入らない……。女、私に何をした‼」


 体内の血液が勢いよく無くなっていく感触に気が遠くなっていく。


 男が小夜に向かい、怒りにまかせて手を伸ばす。


「ぎゃああああ」


 男の手が地面に落ちたのは、小夜の肩に着くかつかないかの瞬間だった。


 男が怒りの叫び声をあげている間に、小夜の首筋に噛みついていた灰色の男の首が飛んだ。


 小夜の体に抱きつき、ぴくぴくと痙攣している灰色の男の体を誰かが蹴り飛ばし、小夜から離した。


「大丈夫か?」


 倒れそうになっていた小夜を抱き支えたのは、二十歳ほどの、月のような目の色をした美しい顔立ちの軍人だった。


 月明りの下でもわかるほど透き通る白肌に、金の瞳。どこか異人じみているが、この国の人間の特徴を引き継いだ面差しをしている。


「手が治らない! 銀の剣ですね!」


 切り落された手を切断面にくっつけていた男は、軍人に向かって牙をむく。


「ようやく尻尾を掴んだぞ。不知火(しらぬい)夜光(やこう)! お前が屍食鬼(ししよくき)を連れ歩き、夜な夜な人を襲っていることは軍でも把握済みだ。一緒に来てもらおう」


 夜光と呼ばれた男は手と腕の切断面を自ら食い破り、肉片を吐き捨て、切り落された手を腕につけた。


 すると肉が意思をもっているかのように動き出し、切り落されたはずの手が治る。


 肉が(うごめ)く様子に、小夜は恐怖心から吐き気をもよおし、目をそらす。


「あなたごときに付き従う私ではありません。こたび殺されたなりそこないについては、後ほど責任を追及させていただきます」


「人を襲わせておいて何を!」


 銀の剣を振るった軍人から、距離をとった夜光は、地面に(つまづ)きながらその場から走り去っていった。


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