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47.薄幸令嬢、襲撃される(3)

意識が混濁している。


 それまでは明確に意識を保ち、不老不死の生物として君臨していたはずなのに、きつい頭痛がする。


皮膚も焼けるように熱い。


 激しい喉の渇きに耐えかね、片手に掴んだ小夜の喉に牙を突き立て一口血を啜る。


 すると、混濁していた意識が少しはっきりした。


 状況を確認しなくては、と小夜を引きずりながら室内に入り鏡を探す。


「嘘……」


 診察所の壁に設置されている鏡に映した自分の顔は、肌が灰色で目は充血し口元は血で濡れいていた。


「なんで……私の肌が……」


 日に焼けていない白い肌は、旭の自慢だった。


 不老不死の儀式を受けてからは、その白さがより一層際立っていて密かに満足していたというのに、今や見る影もない。


 鏡に映った自身の姿に衝撃を受け、小夜の頭を放り出し鏡に縋りつく。


「どうして……これじゃなりそこないと同じじゃない」


 夜光は、大和と異なり旭の儀式は成功したと言っていた。


「騙された……騙された、騙された、騙されたぁぁぁぁぁぁぁ‼ 何が不老不死よ、何が新時代の女王よ! この肌は何⁉ この目は? どうしてわたくしは人の血を啜っているの? こんな風になるくらいなら、あの時あんな老人の言葉に乗るんじゃなかったわ‼」


「うっ……旭……?」


「お姉様のせいですわ‼ どうして大人しく霧城子爵の婚約者のままでいてくださらなかったの? そうすれば、わたくしは儀式など受けずにすんだのに‼ 全部全部、お姉様のせいよ‼」


 旭の呼びかけに応じ診察室を出た小夜は、常人の数倍はある力で殴られ気を失っていた。


 目を覚ました小夜の目に飛び込んだのは、屍食鬼(ししよくき)の姿になりかけた旭の姿だった。


「お父様とお母様の仲がよろしくないのも、お母様がいつも不機嫌なのも、わたくしの成績がお姉様に届かないことも、みんなみんなお姉様のせい‼」


 鏡の前で取り乱す旭の目を盗み、洗面台に置いてあった剃刀を手に距離をとる。


「責任をとって、わたくしを元に戻してよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼」


 髪を振り乱し襲い掛かってきた旭を寸でのところでかわすと、後ろにあった扉が吹き飛んだ。


「いつもいつも、うっとうしいと思っていたの。お姉様さえいなければ、お母様はお父様に愛されて、幸せで、わたくしも穏やかに暮らせるのにって。なのにどうして、わたくしを苦しめるお姉様ばかりが幸せになるの? こんなの、間違ってる‼ 幸せになるべきなのは、わたくしなのに‼」


「いい加減にしなさい!」


 パンと乾いた音があたりに響く。


「あなたが幸せじゃないのは、好き勝手生きて、失敗したら全部人のせいにして自分を顧みないからでしょう。 お父様とお母様が不仲なのは確かに私のせいかもしれない。でも、あなたはどんなものでも与えられて好きにしていたじゃない。霧城子爵と婚約したのも、儀式をうけたのもあなたの意思でしょう。自分のしたことの結果を、人のせいにしないで」


 小夜に叩かれた頬に手を当てた旭は、驚きに目を丸くしていたが、すぐに怒りを露わにする。


「わたくしを……叩いたの? お姉様の分際で⁉ 家にいた時のように、ぶるぶる震えて黙ってわたくしになじられることしか能のないお姉様がぁ⁉」


 聞きなれた旭の怒声に、一瞬身がすくみ謝りそうになる。


 長年身に沁みついた恐怖心と習慣は、なかなか治りそうにないな。と内心で自嘲する。


「私はもう、昔の私じゃない。変えてくれたの。ここで会った人たちが」


 それでも謝らずに旭の前に立てているのは、自身を必要としてくれた研究所の職員であり、(はやて)であり、蛍であり、瑛人(あきと)のおかげだ。


 自分を大切にしてくれた人々のためにも、旭に屈するわけにはいかない。


 手に持った剃刀を旭に向けて立ちはだかる。


「だから、ここの人たちを殺すというのなら、たとえ旭でも止めるわ!」


 小夜がこれほど自己主張する様子は、これまでみたことがなかった。


 いつも菖蒲(あやめ)や旭に怯え、怒鳴れば謝罪し、殴れば震えながら土下座する。


 矮小(わいしよう)な存在だった小夜が、まっすぐに自分の目を見て意見を言う姿に頭に血が上る。


「やれるものなら、やってみなさいよぉぉぉぉぉ‼」


 怒りに任せて飛び掛かってきた旭を避ける。旭の爪がベッドを真っ二つに切り裂いた。


「剃刀なんかでわたくしに敵うと思いました? わたくしは、もう化け物なんですよ。お姉様なんて、あっという間にこのベッドみたいにしてあげますわ」


 ゆっくり振り返った旭の顔は確かに化け物じみていたが、かつて夜尿をして小夜を探していたころの面影があった。


「剃刀はね、こう使うのよ」


 旭に向けていた剃刀を手首に当て、力を込めて切りつけると傷口から真っ赤な血が噴出した。


 血の匂いが部屋中に充満していく。


 これまで嗅いだことのある中で最上級にかぐわしい香りに、旭の喉がごくりと鳴った。だが、すぐに首を振って誘惑に耐える。


 小夜は、血が流れ出る腕を旭に向かい差し出した。


「この血はね、屍食鬼(ししよくき)化した人を元に戻すんですって。この血があるから、私は変われた。だから、あなたにもこの血をあげる」


 自身の体が元に戻ると聞いて、夜光が言っていた小夜の使い道とはこういうことかと思い至る。


 この血があるから、小夜は幸運に恵まれたのだ。


 魅惑的な血への渇望と、助かるかもしれないという思いから小夜の手首に噛り付きたくなったが、彼女に助けてもらうことは旭の矜持(きようじ)が許さない。


「必要ありませんわ。お姉様の血だなんて、汚らわしい‼」


 差し出された腕を払い、逃げ出そうとしたが、素早く手首を唇に押し付けられた。


「いいから、飲みなさい‼」


 芳醇な香りが鼻先に突きつけられ、高級なワインのような味わいの血が口の端から入ってくる。


 舌先にほんの少し小夜の血が触れた瞬間、我慢が限界に達した。


 我を忘れて小夜の腕を掴み、流れてくる血を舐めとり貪るように飲んでいく。


 激しい頭痛も、身体を焼くような痛みも次第に収まり始める。


 飲んでいくうちに、あれほど芳醇な味わいだった血の味が鉄臭いものに変化して慌てて口を離した。


「よかった……元の旭に戻ってる」


 まだ血が流れている手で、頬に触れられた。


 小夜の懐から取り出された鏡で、肌の色が元に戻っていることが分かる。目の充血も収まっていた。


「……どうして」


 あれほど小夜を憎み、拒絶していたというのに自分を助けたのか。と言外に問う。


「だって、私はお姉ちゃんだから」


 かつて小夜の後をついて回っていたころに見ていた微笑みがそこにあった。


 あれほど疎み、嫌っていても。虐げ、貶めようとも、小夜は常に前を歩いていた。


「……ごめんなさい」


 絞りだすように出された声と共に、ぼろぼろと零れてくる涙をそっと空いたほうの手で拭う。


 小夜の手のぬくもりに触れ、鳴き声を上げ始めた旭をそっと抱きしめた。


「あーらら、やはりこの程度でしたか。私の虎の子のなりそこないを貸したのに、この程度とはね。おだてがいもない」


 蝙蝠が音もなく部屋に侵入し、くるりと一回転したかと思うと、夜光の姿が現れた。


「旭さんには、ずいぶん投資をさせていただきましたからねぇ。このまま元に戻れるなんて思わないでくださいね」


 にやにや笑いながら近づいてくる夜光に怯えたように旭が縋りつく。


 旭をかばうように抱きしめた小夜は、大量の血を失い遠のく意識を奮い立たせながら夜光を睨んでいる。


「姉妹の美しい愛情を見せていただいたお礼に、二人とも仲良く私の実験台にしてさしあげましょう。さあ、こちらにいらっしゃい」


 差し出された手から離れるように旭をかばいながらじりじり距離を取る。


 夜光は、追いつめられた鼠をいたぶる猫のような目をして笑う。


不知火(しらぬい)夜光‼」


 伸ばした手が小夜の頬に触れようとした瞬間、夜光の肩口から腕が一太刀に切られて落される。


「ぐっ……。香月(かげつ)の子せがれが!」


 肩から流れる血を棘に変え、振り返りざまに剣を構える瑛人(あきと)に切りかかるが、防がれた。


「お前が不知火(しらぬい)家に離反して、実験を行っている証拠は押さえた。我々の研究所を襲った罪も含め、逃げられると思うなよ」


「寿命ある矮小な人間ごときに媚びる主がなんだというのだ。私は、崇高なる我が身を更なる高みにあげるための正当な努力をしてきたまでだ!」


「己が身を崇高と錯覚し、まっとうに生きる人々を矮小と蔑んだ。その結果が、これだ!」


 剣を地面に落とした瑛人は、素早く懐の銃を取り出し、至近距離から夜光の額に発砲した。


「あ……あ……」


 撃たれた衝撃から首が皮一枚を残してもげとんだ夜光は、うめき声をあげながら後ずさっている。


 血が頬に飛んできた小夜は、凄惨な光景を旭に見せないように腕で目を塞ぐ。


 銃弾のめり込んだ額から、赤い液体が夜光の体に流れ込んでいくのが見えた。


「これが長年吸血鬼を殺す方法を追い求めてきた我々の成果だ」


 落ち着いた声で銃を懐にしまった瑛人は、床の剣を拾って構え、夜光の身体めがけて振り下ろす。


「ふ ざ け る な !」


 振り下ろされた剣は、残っていた夜光の掌に握りこまれる。


「これでも、まだ死なないのか」


 焦ったように剣を手放し距離をとった瑛人(あきと)に対し、夜光は奪った剣を放り捨て、外れそうな首を無理やりくっつける。


「足りませんねぇ。まだまだ足りませんよぉ」


 口元から泡のようになった血を流して笑う夜光に、周囲の緊張感が増す。


 夜光の首元がしゅうしゅうと音をたて、治癒していく姿を瑛人(あきと)が忌々しそうに睨んでいた。


「大方あの娘の血を使ったものでしょう。まだまだ我々の元には届かない。所詮は寿命ある人間のすることです」


 夜光から流れていた血が、空中で大きな棘を形作っていく。


「ですが……やはり、あの娘は邪魔ですね。ここで殺しておきましょう」


 拾った自らの腕を乱暴につけた夜光の言葉と同時に、血の棘が旭を抱えた小夜を襲った。


「小夜‼」


 瑛人(あきと)の叫び声が聞こえる。


 旭ごと棘に貫かれる。と思った瞬間、自らをかばうようにあげた左腕からほとばしった血液がまるで生きた蛇のように棘にまきついていった。


「え……」


 大きく鎌首をもたげた小夜の血が、棘に噛みついた瞬間棘はただの血液に戻りばしゃりと音をたて地面に落ちる。


 その瞬間を逃さないように、大きな銃声を響かせた瑛人(あきと)の銃が夜光の胸を貫いた。


「十夜様……なぜ……」


 夜光の視線が瑛人(あきと)の背後にそそがれる。


「君は、やりすぎた」


 夜光の胸に空いた穴に、十夜の指の動きに従ってひも状になった小夜の血が流れ込んでいく。


「あ……がっ……」


「数十年前に言っただろう。我々が生き延びる道は、人間との共存だと」


 遠い昔を懐かしむような瞳をして、指先で血を操る十夜に向かい、夜光が手を伸ばす。


「私の研究は……いずれはあなたに捧げるためのものだったのに……」


「もう、眠りなさい。夜光」


 両の瞳から血を流しながら十夜を見つめる夜光に向かい、片腕を伸ばし、ぐっと手を握る。


 十夜が手を握ると同時に、無数の細い針状になった小夜の血が夜光の内側を貫いた。


「がぁぁぁぁぁぁぁ」


 叫び声と共に夜光の体が黒い灰になり、風とともに窓の外に散ってゆく。


 誰もが沈黙する中、十夜が静かに口火を切った。


「同朋が迷惑をかけたね。これで、手打ちにしてくれないかい?」


 疲れたような微笑みを浮かべ、瑛人(あきと)の肩に置いた手はすげなく払われる。


 呆れたように肩をすくめた十夜は、残りの()(しよく)()を片づけてくると言い、その場を後にした。


瑛人(あきと)様……お怪我は……」


 十夜が立ち去った後、大量の血を失った小夜は、その場に倒れそうになりながらも旭を支え、瑛人に目をやる。


「小夜の方が重症じゃないか。どうしてそう無茶をするんだ」


 その場から夜光がいなくなったことを確認した瑛人(あきと)は、銃を片手に小夜の元に駆け寄った。胸元のポケットからハンカチを取り出し、裂いて小夜の手首を止血する。


「ご無事なら、よかった……」


 微笑んでいる小夜の顔色がかなり悪い。


 小夜の胸元で、旭が泣きながら震えている。


「旭さん、失礼。小夜を治療に連れて行かなければならないので」


 瑛人(あきと)の言葉に、目を涙で濡らした旭が頷く。


 白くなるまで抱きしめていた小夜の腕を旭から離し、身体を横抱きに抱き上げた。


「傷跡が残らないように治療してもらうからね」


 小夜を安心させるような瑛人(あきと)の微笑みに、急に体中の疲れがどっと現れる。


 返答しなくては、と思いながら、重くなっていく瞼を閉じた。


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