45.薄幸令嬢、襲撃される(1)
「お姉様を出してくださらない? 華峰小夜というの。陰気な女よ」
屍食鬼を率いて研究所を襲撃にきた旭は、艶やかな笑顔で血に濡れた軍人の頭を持ち上げている。
大和の事は許していないが、唯一認めていることは、旭に不老不死の儀式を受けさせてくれたことだ。
大和のように目が血走り、黒目の白濁した灰の肌の理性のない化け物になると思っていた旭だったが、今のところその兆候はない。
通夜の席を逃げ出した旭は、大和の様子を見に来ていた夜光に捕まり、彼の屋敷で落ち着くまでかくまわれた。
その際に、完全ではないが吸血鬼としての能力が開花していると言われたのだ。
夜光に言われるままに、夜闇に紛れ、酒を飲んでいる男を誘惑した。
旭が一声かけると、男は面白いように言うことを聞いてついてきた。
自分の言うことをうっとりと聞き入る男の様子が面白く、幾人も男をたぶらかし夜光の元に連れて行った。
そのたび夜光は旭の能力を褒めたたえた。
むけられた愛情が裏返る様を二度も経験した旭は、復讐するかのように通りすがりの男たちを魅了し、夜光の屋敷に連れ去った。
夜光の屋敷は森の奥深い場所にあり、毎回戻る都度目隠しをされ連れていかれるため、どこにあるのかわからない。
帝都にあるのか、帝都外にあるのかも謎だ。
夜光は屋敷で、人間を使い様々な実験を施していた。旭が攫った男たちの悲鳴が聞こえることもあったが、罪悪感はなかった。
自分を精神的に辱めた男という生き物に仕返しをしているとすら思っている。
陽が沈んだら夜光と共に男を攫いに出かけ、朝日が昇れば眠り、飢えれば少量のパンとワインを飲む日々の中、姉である小夜が香月侯爵の跡取り息子と婚約を結んだと耳にする。
とたん、憎しみが湧いてくる。
小夜が蔵で熱を出し倒れた時に連れて行った軍人のことだろう。
一目見た時から美しい男だと思っていた。
自分は、美しい男も理想的な婚約者も手に入れられなかったというのに、姉である小夜は手に入れた。
そのうえ不知火侯爵が本来望んでいた相手も小夜だ。
言いようのない不快感が体中を廻る。
怒り心頭の様子の旭に、小夜の血の有用性を語ったのは夜光だ。
夜光の話を聞いた旭は、すぐに溜飲が下がった。
二人の男から求められているように見えた小夜だが、求められているのは、その身に流れる血だけではないかと。
「お姉様ぁ、どこですかぁ?」
旭の能力は日に日に増し、男だけでなく女や屍食鬼をも魅了できるようになっていた。
実験で作られた屍食鬼の数々を旭の能力で統率できると知ったときの夜光の喜びようは大きかった。
知能も理性も無いなりそこないを統率できるあなたは、新時代の我々の女王だと持ち上げられ、悪い気のしなかった旭は、どこか困ったような顔をしている夜光に理由を問うた。
実験を進めるためにどうしても小夜を手に入れたいが、不知火の名に連なる夜光は十夜の威光がかかっている小夜には手を出せない。
悲しそうな顔をしながらも、ちらちら旭を見る様子に、自分が小夜を連れてこようか。というと、恥もてらいもなく喜び旭を褒めたたえた。
一度は十夜に邪魔され連れていくことができなかったが、今回こそはと意気込んでいる。
香月研究所の中にいる職員を魅了し、守りの結界を解かせ、率いてきた屍食鬼を中に送り込み、混乱に乗じて小夜を攫う作戦だ。
いずれ自分が本物の吸血鬼になった時に、昼の世界を歩けないのは寂しい。
本当の意味での不老不死の人生を楽しませてもらうために、小夜には犠牲になってもらおう。
鼻歌交じりに屍食鬼を操り研究所の門を突破した旭は、屍食鬼に倒させた軍人をいたぶるのに飽きて建物内に入っていった。
しらみつぶしに探すには研究所は広すぎるが、旭の鼻は嗅ぎ覚えのある蠱惑的な香りを捕らえていた。
香りはこの研究所の二階、最奥から香ってきている。
遠くから怒声やうめき声が聞こえる。
聞き覚えのあるうめき声は屍食鬼のものだろう。
研究所には特務陰陽部隊が駐屯している。
彼らが屍食鬼の対応に追われているのだろう。
診察室の椅子に腰かけ、震える腕をぎゅっと押さえる。
嫌な予感がする。
この襲撃の原因は、隼に言われた通り自分ではないかという。
小夜が研究所に来てから、吸血鬼や屍食鬼がらみの事柄はいつも小夜を巡ってのことだ。
今回も、また……と自責の念で消え入りたくなる。
思えば幸せ過ぎたのだ。
華峰家から逃れられ、大和の婚約者であることから逃れられ、充分な衣食住を与えられ、優しい人々に囲まれ、初めて自分を大切にするよう説かれ、瑛人と婚約することができた。
そのすべてが、自身の身に流れる血のおかげだ。
しかし、この血は幸運だけでなく災いも呼び込んでしまったように思えてならない。
十夜に言われたように、この血が大切な人たちを傷つけてしまうかもしれない……。
不穏な考えに頭が占拠されたため、大きく息をしてふぅっと吐く。
今は、隼たちを信じて待つしかない。
自分がこんな考えに囚われている場合ではないと思い直し、丸くなっていた背筋を伸ばす。
しんと静まり返った建物の中、廊下からカランカランと軽やかな下駄の音が聞こえる。
耳を澄ましていると、どこかの戸を力づくでこじ開ける音と同時に悲鳴が聞こえた。
隠れている研究員が見つかったのだ。
悲鳴はすぐに止み、またどこかの戸をこじ開ける音がする。
音が徐々に近づいてきている。
どこかに隠れることろはないかと立ち上がった時、聞き覚えのある声が廊下に響く。
「お姉様あぁぁ、どこですかぁぁ、出てこないと、ここの人たちみぃぃんな殺してしまいますわよぉぉ」
旭の言葉に心臓が凍る。
やはり、この襲撃の原因は自分だったのだ。
旭の声も、以前聞いたものよりもくぐもって聞こえる。屍食鬼化が進んでいるのかもしれない。
そのうえ人を殺すと言った。
自分を大切に扱ってくれた人たちを、実の妹が。
「やめて‼」
鍵を開け廊下に飛び出た小夜を見つけた旭がにぃっと笑う。
「お姉様ぁ、みぃつけたぁぁぁ」
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