42.薄幸令嬢と恋話
採血の日が来たので研究所に行くと、さっそく頭に巻いた包帯を隼に見とがめられ説明を求められる。
「女の子がこんなに傷を作っちゃだめよ」
先日、小夜が危険な目にあったことで蛍が泣いて手当してくれたのだ。
外出を進めてしまった自分が悪いとぼろぼろ涙をこぼす蛍に、勝手に瑛人の元を離れた自分が悪いからと言っても通じなかった。
自分のしでかしたことの結果で怒られることよりも、泣かれることのほうが辛かった。
「すみません……。血に影響がないといいんですが」
「そうじゃなくって、もう。自分を大切にしてっていつも言っているでしょう」
隼は、蛍の巻いた包帯を取り、改めて傷を確認し手当してくれた。
黙って手当されることは気まずかったが、皆に心配をかけてしまったことが今更ながら悔やまれる。
これまでは小夜を心配するものなどいなかった。
だが、これからは違うのだ。
自分を大切にしなかったことで、泣いてしまう人がいる。
巻かれていく包帯の感触を感じながら、そっと自分の胸に手を当てる。
「離れの生活に不自由はない?」
「不自由なんて……。ありがたいことばかりです」
研究所に運ばれた時に比べると、小夜は健康的で美しくなった。
定期的に血を提供するだけで、日々の食べ物に困らず、湯のたっぷりはられた風呂に入れ、夜もふっくらした布団で寝られる。
気がかりなのは、旭のことだ。
吸血鬼の仲間入りをしたと思っている様子だったが、十夜が言うにはまだわからない状態にあるらしい。
このまま血清を打たずにいたら、遅かれ早かれ手遅れになるかもしれない。
「なーに考えてるの?」
「あ……なんでもないです」
旭のことは、瑛人が捜索してくれている。
これ以上、自分の悩みを外に出すわけにはいかない。と口をぎゅっと引き結ぶ。
そんな様子の小夜を、隼は苦笑いして見ていた。
腕をゴム管に繋ぎ血液を採っている間、隼がカルテを書いている。
ぼうっと管を流れる赤い血を眺めていると、ぽろりと口から言葉が漏れた。
「私の血、役にたってますか?」
「もちろんよ。小夜ちゃんのおかげで研究が進んでいるわ」
具体的なことは言えないけどね。といたずらっぽく笑う隼に、固い愛想笑いを返す。
「小夜ちゃん」
小夜の変調に気づいた隼は眼鏡を外し、小夜の傍に座った。
「もしかしてだけど、自分には血を提供することしかとりえがないとか思ってない?」
「いいえ、そんなこと……」
「私はね、あなたの健康的な血が欲しいの。悩み事は血の質を曇らせるわ。私の仕事はね、あなたを心身ともに健康にすることなの。だから、よかったら話してちょうだい」
微笑み、手に手を乗せる隼に、ずっと心に引っかかっていた想いを話す。
「私の血が必要でなくなったら……瑛人様の関心は離れてしまうでしょうか……」
重々しく放たれた言葉に、隼がぷうっと噴き出した。
思わず隼を見ると、腹を抱えてくっくと笑っている。
「酷いです……そんなに笑わなくても」
「ごめん、ごめん。そんなに可愛い悩みだとは思わなくって」
笑い過ぎて出てきた涙をぬぐった隼は、満面の笑顔を向けた。
「あのね、私から見たら、坊ちゃんのあなたへの好意はだだもれよ。こんなこと珍しいのよ」
「それは……」
瑛人が小夜のことを憎からず思っていることは、周囲からも言われ続けてきた。告白されたときも涙が出るほど嬉しくて、一生ついていこうと思った。
それなのに、先日の十夜の言葉で簡単に揺すぶられる自分が情けない。
「確かに、婚姻関係を続けているうちに不仲になる男女は多いわ。でも、それは実際に生活してみないとわからないことだしね」
「そうですよね……」
小夜は、産まれてこのかた、冷え切った自分の家庭しか知らない。
家族から愛情をかけられたという思いも薄い。
こんな自分が、瑛人の満足するような家庭を築けるのだろうか。
考え込んでいる小夜の前で、隼がぼそりと自信が持てないのは育ってきた環境のせいかしら。と聞こえないように呟いた。
そして、ひたと小夜の目を見て、語り掛けるように言葉を紡ぐ。
「あのね、確かに小夜ちゃんと坊ちゃんの婚約は、あなたの血という特殊なものが結んだという事実はあるわ」
突かれたくない言葉に、小夜の肩がびくりと揺れる。
「その一方で、小夜ちゃんは家の借金を返してもらったという負い目もある」
自身の負い目が気まずくて視線を手元に落す。
「でもね、私は打算のある結婚でもいいと思うのよ。だって、どんなきっかけでもそこから打算のない愛は築けるもの」
この国で恋愛結婚は珍しい。
結婚は家同士の結びつきといった意味合いが強く、自分の意思で結婚相手を選ぶことは一部の例外を除いてできない。
結婚相手は家長が選び、異議を唱えることは許されない。
形だけの結婚。形だけの夫婦は多い。
隼の家もそんな家庭の一つだった。
隼が語っているのは、自身の理想だ。
「坊ちゃんと小夜ちゃんは、それができる人だと思うの」
「宇佐美先生……」
隼の願いを託すようにぎゅっと握られた手を見つめ、そっと視線を合わせると、真剣な表情はすぐいたずらっぽい笑顔に変わる。
「それに、坊ちゃんの気持ちを信じてあげないなんて可哀そうよ‼ あんなにアプローチしてるのに」
「それは……そうですよね。ごめんなさい」
ぱっと顔を赤くした小夜に、ニヤリと笑う。
小夜と婚約してからの瑛人は、小夜を前にすると、隼の目からみてもデレッとしている。
今が一番楽しいはずの時期なのに、鬱々しているなんてもったいない。
「小夜ちゃんに足りないのは自信ね。簡単には持てないかもしれないけれど、まずはあなたを好きな人を信じてあげて」
隼の言葉にはっとした顔をした小夜が、はいと小さく頷いた。
「よーし、今日は小夜ちゃんのために、お茶しましょ。息抜きも大切だからね。楽しいことをしないと鬱々(うつうつ)するものよー」
話しているうちに採血は終わり、小夜の腕から手際よく針を抜き脱脂綿を渡した隼は、とっておきの紅茶があるの。と戸棚から紅茶缶を取り出した。
戸棚には、紅茶のほかにビスケットが隠されており、仕事中の息抜きに食べている。
内緒ね。とふるまわれたものはどれも初めての味わいで美味しかった。
紅茶は香り高く、ビスケットはサクサクとして程よい甘さだ。
隼は恋愛話が好きらしく、瑛人の話を沢山聞いてきた。
小夜が離れでの瑛人の話をするたびに、きゃーとかわぁーとか歓声をあげ、楽しそうに話を聞いてくれる。
他にも、隼は瑛人の幼少期の話や最近の研究所での話も聞かせてくれた。
「すっかり遅くなっちゃったわね。送っていくわ」
「いいえ、一人で帰れますから」
眼鏡チェーンで肩に下げた眼鏡をかけなおした隼に一礼すると、額を軽く小突かれる。
「そんなこと言って不知火の連中に襲われたじゃない。ここは守りがあるけど、侯爵は突破していたしね。用心するに越したことはないわ」
外はすっかり暗くなっている。
ここは隼の言葉に甘えようと、小さく謝り、よろしくお願いします。と頭を下げた。
その瞬間、研究所全体がドンと揺らぐ。
「なに? 地震⁉」
とっさに小夜をかばった隼が、揺れが収まったことを確認して廊下に出る。
「襲撃です! 守りが破られ屍食鬼たちが押し寄せてきています‼ 宇佐美先生と華峰さんはそこで待機していてください」
建物が揺らいだのは守りが破られた衝撃からだった。
小夜の護衛として診察室の前にいた三条が、状況を把握し隼に伝え、飛び出していった。
隼の顔色がさっと青くなり、診察室に戻るとドクターバッグに治療道具を詰め込んだ。
「小夜ちゃんはここにいて! 私が出たら鍵をかけて隠れているのよ!」
「宇佐美先生は」
「十中八九怪我人が出るわ。私は救護に回るわ。屍食鬼たちの狙いは、おそらくあなたよ。決してそこから出ないで! 私か坊ちゃんが迎えに来るまで待ってて」
小夜の返事を待たずに隼は飛び出す。
隼に言われた通り震える手で戸の鍵を閉めた。
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