28.薄幸令嬢と吸血鬼の主(1)
食後、瑛人からあんこ玉をいくつか貰った。
その日は満腹で食べきれず、二人が帰った後、貰ったあんこ玉を縁側の月明りで眺めていた。
「やあ、古衣の君。すっかり見違えたね」
庭の隅に生えているイチイの木が揺れたように見えた瞬間、目の前にダークスーツを着て黒のハットをかぶった男が現れた。
「あなたは、不知火家の……」
月明りの下で見た男は不知火十夜だ。
突然現れた十夜に驚き、家の中に駆け込もうとしたが、体が縫いとめられたように動かない。
「そのままで、僕の話を聞いて欲しい。安心して。あなたが招かない限り、僕は家には入れない」
自分は安全だとでも言うように両手を広げる十夜をキッと睨みつける小夜に、困ったように笑う。
「その様子は、もう吸血鬼の存在のことを聞いたのかな」
「出て行ってください。人を呼びますよ」
「怖い顔。心配しないで。僕は、あなたには危害を加えない。それどころか、助けにきたんだ」
固まってしまったから掌から、あんこ玉が零れ落ちていく。
「おや、可愛らしいね。香月の坊やはこういうものが好きだったね」
庭に転がっていったあんこ玉を拾った十夜は、長い爪先で表面を破り、一つ口に含んだ。
「ああ……やっぱり酷い味だ」
せっかく瑛人にもらったものを奪った挙句けなした十夜に腹が立ち、じっと睨む。
鋭い視線に気が付いた十夜は、ごめんごめんと軽い口調で謝罪し、残りのあんこ玉を小夜の掌に戻した。
「遠い昔、まだ人間だったころは君たちと同じように食事を楽しめていたんだよ。けど、今は味覚が変わってしまって楽しめなくなってしまったんだ」
小夜は、最近読んだ本の内容を思い出した。
血を提供するだけで今のような生活を享受することに気が引けて、隼や瑛人に頼み構わない範囲で屍食鬼や吸血鬼に関する資料を読ませてもらっていたのだ。
その中の記述には、不知火家の当主は、元は人間から吸血鬼になった存在だと記されていた。
吸血鬼になることは、人間だったころの体を全て異なる存在のものに作り変える行為だとも。
「僕はね、多くの人が望むような不老不死なんて欲しくはなかった」
憂えた表情の十夜に気持ちが引きずられないよう、もう一度きっと睨む。
「あなたが夜光と会った時、あなたの血を舐めた夜光が一時的に人間に戻っていてね。焦った彼は、再び僕に吸血鬼にしてくれって頼み込みにきたんだよ」
数十年訪ねてこなかったのにね。と笑いながら言う十夜は、どこか自嘲気味ていた。
「それから、夜光が持ってきた古衣に残った香りを頼りに、華峰家を探したんだ」
それなのに、小夜ではなく旭が行儀見習いに来てしまった。とひとしきり嘆くそぶりを見せている。
「小夜ちゃん、あなたは、人間としての生活を忘れてしまった僕に、その価値を再び思い起こさせてくれる。人間として生きて、死んでいくことができる人生を望む希望を与えてくれる。こんなところで売血行為をしなくても、僕の元にきてくれたら、何不自由ない生活を約束するよ。僕の将来の妻として」
十夜は、左手を自らの爪で傷つけ血を流した。その血が宙で流れるように形を変えて、一輪の薔薇の花を形作る。
「嫌です」
差し出された薔薇を断り、険しい表情を十夜に向ける。
「あなたは嘘はついていないかもしれませんが、本当のことも言っていません。そんな人をどうして信用できるでしょうか」
十夜の言葉は、飴のように甘かった。
低い声は直接耳元で響いているかのように耳朶を打つ。
けれど、綿菓子でくるんだような言葉の奥に、苦いものが潜んでいることを感じていた。
「僕の魅了は効かないみたいだね。なら、本当のことを言おう。あなたの血はね、僕たちのような存在にとって誘蛾灯のようなものなんだ」
魅了という言葉に、研究所で読んだ本に、吸血鬼にはそのような能力が備わっていると書いていたな。ということを思い出す。
魅了とは、獲物を誘惑し、なんでも言うことを聞かせる吸血鬼の能力だ。この能力を用い、獲物に自ら血を差し出させていると書かれていた。
十夜は、先日も今回も、小夜に魅了を仕掛けていたのだ。
急に人ならざるものを相手にしていることを自覚し、背筋が寒くなった。
十夜に視線を捕まえられてから動かなくなっていた体は、必死に小指の先から回すように意識していたら、次第に動くようになってくる。
このまま逃げようか。と逡巡していた時に、誘蛾灯のようなものだと言われ耳を傾けてしまった。これまで、瑛人たちに聞いても、自分の血のことは最低限のことしか教えてもらえなかった。
そのため、十夜が何か知っているかもしれないと、気になってしまったのだ。
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