26.薄幸令嬢の初給料(2)
夕方になり、夕餉の支度に来るはずの蛍の到着を待つ。
なぜかその日は、いつまで待っても蛍は来なかった。
何かあったのだろうか、と気をもんでいると戸が軽く叩かれる。
「蛍さん?」
戸を開いた先にいたのは、折詰を持った瑛人だった。
「いや、すまないね。蛍は今夜はここに来られないんだ。頼んでいた用事が長引いているようでね。代わりにこれを」
差し出された折詰を受け取り、瑛人を奥に案内する。
沸かしていた湯で茶をいれて、膳と共に折詰を運んだ。
折詰の中身は、寿司だった。
握りたてのようで、ネタがつやつやしている。
「こんな豪華なもの、よろしいんですか?」
「いいんだよ。たまには」
初めて頬張った寿司は、山葵がぴりりと効いていて、魚介も新鮮でとろけそうなほど美味しかった。
瑛人は山葵が苦手のようで、平気な振りをして食べていたが、時折辛さにつんときている姿が可愛らしかった。
寿司を共に食べ終えて、茶を飲みながらくつろいでいる時に、懐に入れていたハンカチの包みをそっと取り出す。
「先日助けていただいた時に貸していただいたハンカチのお礼です。本当は、貸していただいたものもお返ししたかったのですが、汚れがとれなくて。よろしかったら受け取ってください」
綺麗に包装された包みを受け取った瑛人は、さっそく開く。
「気にすることなかったのに。でも、ありがとう」
嬉しそうに微笑みながらハンカチをポケットに入れた瑛人は、代わりに一つ、包みを取り出した。
「これは、ハンカチのお礼だよ」
愛らしい桃色の包みにリボンをかけた小ぶりの箱を差し出され、戸惑っていると瑛人がはにかんだように頬を掻く。
「君が初任給でハンカチをくれようとしていることを、蛍に教えてもらってね。お礼を用意したくて」
「そんな、気になさらないでください。そもそも、ハンカチはお借りしていたものをお返ししただけですし」
「これはね、蛍からの詫びでもあるんだよ」
詫び? と小夜が呟き首をかしげていると、瑛人が困ったように笑う。
「先日、蛍が君にきついことを言ったと後悔していたんだ。あれはね、おせっかいなところもあるが、根はいい子なんだ。許してやってほしい。君の事情を知らなかったんだ」
遠慮する小夜に包みを押し付け、開けて。と手で示され、恐る恐る包みを開いた。
「可愛い鏡」
包みの中は、薄桃色の巾着袋と月と兎柄の懐鏡が入っていた。
「蛍にね、鏡は魔除けになるからとおすすめされたんだ」
瑛人の言葉に小夜が首をかしげる。
「嫌な事や悪い事柄を跳ね返してくれる。だから、嫌な奴から言われてきたことなんか跳ね返してやれ。と言っていたよ」
蛍の口調を真似る瑛人に思わず笑いが零れると、瑛人も楽しそうに笑った。
「私も……これを蛍さんに」
ひとしきり二人で笑った後、懐にもう一つ入れていた浅黄色の包みを取り出す。
「これは?」
「蛍さんにも、こちらに来た時からずっとお世話になっていたのでお礼がしたかったんです。よかったら、渡してもらえませんか?」
「これでは、せっかくの給料が無くなってしまったんじゃないか?」
香月家御用達しの小物は、それなりに値段が張る。瑛人が心配した通り、もらった給料は使い果たしてしまったが、後悔はない。
「私のために言葉を選んで言ってくれる方、今までいなかったんです。だから」
「そうか。心得た」
微笑む小夜から包みを受け取った瑛人は、しばらく談笑した後に帰っていった。
一人になった小夜は、贈られた懐鏡を寝る時間になるまでずっと眺めていた。
これまで使ってきた鏡は、『霧城子爵の婚約者』として最低限の身だしなみを整えるために与えられた菖蒲や旭のお下がりで、それも渡される前にわざと落されひびを入れられていた。
ひび割れた鏡は使いにくく、それでも、と丁寧に身支度を整えれば菖蒲や旭に余所の男をたぶらかす気かと言いがかりをつけられた。
気が付いたら、いつしか最低限の身支度しかしなくなっていた。
漆塗りの新品の鏡は愛らしく、鏡面もピカピカで、そこに映る自分の姿はこれまでのものとは違って見えた。
鏡に託された思いにふさわしい自分になれるように変わろう。と、その日は鏡を抱いたまま眠りについた。
「おはよー、小夜ちゃん。昨晩は来れなくてごめんね」
布団をあげ、身支度を整えた頃、ガラリと戸が開き元気よく蛍が入ってくる。
「あれ、いいね。その編み込み。すごく似合ってる!」
今日は、離れにあった鏡台を借りて髪を丁寧に編み込み、時間をかけて結いあげる。
髪をまとめる暇も道具は、蛍がお下がりだといって持ってきてくれていた。どれもお下がりとは思えないほど立派なものだったが。
着ているものも、華峰家のお仕着せではなく瑛人からもらった着物だ。
おしゃれな子は見ていて楽しい。と朗らかに笑う蛍に、はにかみながら笑顔を返す。
「それとね、これ、ありがと」
蛍が懐から出したのは、三日月と黒猫が描かれた漆塗りの懐鏡だ。
小間物屋が並べている中、一目見て蛍らしいと思った品だった。
嬉しそうに鏡を振る蛍に、小夜も懐から鏡を出して蛍の真似をして振って見せる。
二人の間に自然と笑いが零れあい、その日初めて朝餉の支度を手伝わせてくれた。
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