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「キーキー」
僕は猿のマネをしてカスタネットの窪みに手をかけた。
レタスネットの参考にするためにね。
僕は耳を澄ましてみた。
「カスタネットが歌ってる」
聞き間違いじゃなくてカスタネットのすき間から歌声が漏れてるんだ。
「誰かいるの?」
隠れんぼした子供が帰れなくなったんじゃないかって思って咄嗟に話しちゃった。
でもカスタネットは夏の夜のように穏やかだったし、何もされなかった。歌はまだ聞こえてる。
僕はすき間に体を半分挟み込んで手を伸ばした。何か指に触れたけど人間じゃなかった、回ってるのを見るとターンテーブルだった。
どこかで聴いた曲だなと思ったら、Can't Take My Eyes Off Youなんだ。
カスタネットに「君の瞳に恋してる」が埋め込まれてたんだ。
アイラブユーベイベー・・ビーオーライ。
アイラブユーベイベー・・ロンリーナイト。
僕は驚いて足を踏みはずした。コーティングがはがれて中が剥き出しになったんだ。
僕はスモッグパーカのフードを肩に回して中を覗き込んだ。僕の着てるのはサンドカモなんだ。
女の方だったな。肉みたいに柔らかいゼリーが脈打ってて白い物が見えた。
骨ができてる。
「人間になろうとしてる」
大鋸屑のような物が敷き詰められてあってそこに卵もあったな。
カスタネットもオムレツを作ろうとしてるのかな。
ハムが足りないね。
その卵はダチョウの卵大で、まだら模様が全体に吹き流してあった。恐竜の卵みたいだったな。
恐竜の卵なんて見たことないけどね。
小説ってのは大風呂敷広げてそれを綺麗に畳んで渡すことだと思うんだな。もっと言えば預かったつまらないものですが・・の風呂敷を解いて、中身を確認して、もう一旦それを綺麗に畳み直して相手に返すことかな。間違っても自分の所有物じゃないんだ。
それが心の表。目標なんだ。
この世界に私物化していいものがあるだろうか? これは反語だよ。ニヒト、ミケランジェロは大理石を見たら、その中に「ある」彫刻が見えたっていうけど、表すだけなんだ。芸術家にとって芸術ほど遠いものはないね。
僕は調子に乗って、いい気になってカスタネットの木に登ったんだ。そこは黄色いライラックで、花が咲くと文字通り金字塔になるんだ。
今は葉っぱしかないけど、酸素の匂いがしたな。
こんなだっけ? と思ったけど、葉っぱがやけにフワフワしてるんだ。表面に黴が生えてるみたい。
うどんこ病だ。このままじゃ枯れちゃうよ。二、三枚の葉っぱを見たけどどれも水虫みたいに白っぽくなってた。
カスタネットは世界の智慧熱なんだ。
花が咲いたら、時が止まった花火みたいにいつでも愛でることができるんだ。
こういう時は殺虫剤かな、と思ったけどそんな物持ってないし、花も枯れちゃうかなと思って、僕はその葉っぱを食べ出したんだ。
モシャモシャ食べてるとはらぺこあおむしみたいで涙が出てきた。とても食べきれない。
はらぺこあおむしがもっといっぱいいたらいいのに。
空には月が、あ、ストロベリームーンだ。ストロベリームーンって赤っぽく見える六月の月らしいけど、僕には白く見えるんだ。
どうして今まで気が付かなかったんだろう。とても綺麗だったよ。
それを見たら幸せになれるかも知れないのに、僕はちっとも幸せじゃなかったな。嫉妬してたんだよ。
何だ、ハムがあるじゃないか、って。
僕のハムはどこだろう? つまらないものですが、がハムだったらいいな。
もう猿のマネをすることもないだろうと思ってカスタネットを下りたけど、ミッチェルとエマはレタスを食べることに決めた。
タロ芋だけを食べて生きられる部族がいるらしいけど、レタスだけを食べるハムスターがいたら栄養失調になっちゃうね。
時にはチーズも食べないとね。
月の光を受けて、カスタネットは西陣織を着てるみたいに綺麗だった。
「キーキー」
僕は猿のマネをした。嬉しくってだよ。
固まってきたな。愛と炎の歴史が。
微かに蠕動の音がしたけど、Can't Take My Eyes Off Youにアシテナガザルは尻尾が生えたよ。
土気色の尻尾がね。