ハヅキ、新たな呼び名を獲得する
まあ、奴隷扱いだの人身売買だの、コムヅカシイことは偉い人に任せて。
私は小学校でお勉強に励むといたしましょう。素直で元気な子供たちと一緒なら、楽しい時間が過ごせそうです。
――と、思っていた時期が、私にもありました。
「ハヅキ、これが読めないの?」
「うわー、字、キッタナーイ!」
「大人なのに、なんでできないのー?」
純粋ゆえに、容赦のない子供たち。うう、見た目は天使のように可愛い子供たちなのに。これが残酷な天使の◯ーゼというやつですね。
まさか本気で怒り返すわけにもいかず、私は午前中だけでヘトヘトになってしまいました。
「お疲れさま。今日は私と一緒にお昼を食べましょう」
教室の隅でぐったりしていると、シスター・モニカに声をかけられました。
モニカさんはシスターですが、志願して教師をしているのだとか。ちなみに他に教師はいないので、校長先生でもあります。
私はモニカさんに連れられて教員室へ行き、一緒にお昼を食べることにしました。ちなみに子供たちはすでに食堂へと全力ダッシュ済。明日からはあれに混じるんですかね? 絶対に負けませんよ!
「おいしいです!」
コッペパンと野菜たっぷりスープという、シンプルなお昼ご飯でした。食材は聖堂で用意していますが、調理はボランティアの方がやってくださっているのだとか。
ありがたいことです。
「しっかり食べて、午後もがんばりましょう」
「はい!」
「元気でいいわね。それにしても」
もりもりご飯を食べている私を見て、モニカさんが優しく笑います。
「ようやく側仕えをつけたと思ったら、こんな子なんて。ちょっと意外だったわね」
ごっくん。
驚きのあまり、パンを塊で飲み込んでしまいました。
「大聖女の側仕えが読み書きできないなんてバレたら大恥だから、絶対に言わないこと!」
従者全員とリリアンに取り囲まれてきつく言い渡された上、三時間ぐらいリピート・アフタ・ミーしてきています。バレたらシャレにならないことはよぉくわかったので、一言も言っていないのですが。
どうして知っているのでしょう?
「え、ええと、モニカさん……」
「あらいけない、ナイショだったわね。うふふ、ごめんなさいね」
優しく笑いながら、上品にパンをちぎって食べるモニカさん。
なんでしょう、なにかこう、ハヅキセンサーに引っかかるものがあります。「ほんわか優しいおばちゃん」の皮を被っていますが、その実態はオオカミ――のような、強者のオーラを感じます。
「ツテがあってね。あの子のことは、たいてい知ってるのよ」
「あの子って……あの……」
「あなたはビッグボスと呼んでいるそうね」
ひっ!
そ、それは禁句です! 口に出したら右ストレートが炸裂する、禁呪指定のおまじないです!
「なかなかいいネーミングセンスね。笑っちゃったわ。あの子はさぞ苦々しい顔をしていたでしょうね」
「あ、あの、その……モニカさんはいったい……」
教堂のトップである「聖女」にして、歴代の中でも別格と言われている大聖女様を「あの子」呼ばわりなんて。モニカさんは何者なんでしょうか。
「私はね、あの子の『姉』だったのよ」
「えっ!? 大聖女様に『姉』がいたんですか!?」
「それはそうよ。あの子だって見習いの時はあったんだから」
いやなんていうか。
生まれた時から大聖女様だったような、そんな感じなんですが。
「確かに、指導なんていらないぐらい優秀だったわ。独学で全部できるようになっちゃうし。あっという間に追い越されて、私いらないじゃない、てちょっとクサったわね」
「優秀すぎるのも困りものですね」
「そうなのよ。それにあの美貌でしょ? 今も綺麗だけど当時はもっとすごくて。世界中の男が群がってくるんじゃないかって感じの、とんでもない美少女だったのよ。私なんて完全に引き立て役ね」
いるんですよね、天に二物も三物も与えられた人って。
「なんていうか、存在自体が嫌味ですね」
「そう、ほんとにそれ! わかってくれて嬉しいわぁ」
怒られるかと思ったら喜ばれちゃいました。
やったね!
「姉とはいえ、勝てる要素なんてなし。あんまりにも悔しくて、なんでシスターやってるのよ、アイドル目指しなさいよ、て思わず言っちゃったわ」
わかりみしかありません。ある意味、あの人がシスターなんて人類の損失だと思います。
「大聖女様なら、あっという間に天下取ったでしょうね」
「私もそう思うわ。で、極めつけはその後よ」
え、この上さらにエピソードが?
「私の言葉に、あの子なんて言い返したと思う? 嫉妬ですか、みっともないですよ、よ?」
「うーわー……」
さすがの私もドン引きです。それ、シスターが言っていいことじゃないと思います。
「ほんと容赦のない子よね。わかってるっての、そんなこと。さすがにブチ切れたわ」
で、取っ組み合いのケンカをしたのだとか。
あの人を相手に? マジですか? よく生き残れましたね。
「私、下町で生まれ育った元ガキ大将だったから。ケンカは得意だったのよ」
「もしかしてモニカさん、大聖女様に勝ったんですか?」
うふふ、と穏やかに笑うモニカさん。
それはまさに勝者の笑み。
すごい! あの大聖女様に勝利なんて! マジリスペクトです!
「とはいえ、派手にやりすぎちゃって。当時の聖女様に呼び出されて、二人とも往復ビンタされたわ」
往復ビンタ、て。
大聖堂、昔から体罰が横行してたんですね。よくないと思うので、ぜひ改革してください。
「とまあ、そんな感じ。今はだいぶ丸くなったけど、当時は本当に尖っていたわね」
その頃の大聖女様だったら――うん、私、生きてないですね。同世代じゃなくて、ホントよかった。
「でもねえ。尖っている分、危うい感じで。美しくて繊細なガラス細工みたいだったの。そのうちポッキリ折れてしまいそうな感じで、そこは心配だったわね」
「……全く想像できません」
繊細なガラス細工?
いやいや。むしろ特別な鋼でできた戦斧だと思いますけど?
「そりゃあ今はね。鍛えたもの」
「モニカさんが?」
「ええ。渋るあの子を強引に引っ張って、ね。破門スレスレのアレやコレやをやらせてやったわ」
破門スレスレ? アレやコレや?
なんですかその不穏なキーワード。すっごく気になります。
「ええと、どんなことを?」
「さすがに言えないわね。大スキャンダルになっちゃうもの」
ナイショね、と人差し指を口の前に立ててウィンクするモニカさん。
何をさせたんだろう。すごい気になる。でも知ってしまうと、ただじゃ済まないような気もします。うん、深追いはやめておこう。
「ま、その結果、身も心もタフになっちゃって。図抜けて優秀な人がタフさを身につけたら、もう敵う者はいないわね。教堂のトップまで上り詰め、とうとう大聖女なんて呼ばれるようになっちゃったわ」
つまりモニカさんがいなかったら、歴代最強と言われる「大聖女」は誕生しなかったかもしれないということで。
ううむ、やはりただ者ではありませんでした。ご利益ありそうなので、拝んでおきましょう。
「今はちょっと遠い存在になったわね。でもねえ」
モニカさん、食後のお茶を一口飲んで、優しく笑います。
「私にとっては、小憎らしいけどかわいい妹の『コウメちゃん』なのよ。たまには会って、おしゃべりしたいわねぇ」
「はあ、そういうもの……」
ですか、と言いかけて。
え?
え、え?
あの、今――なんとおっしゃいました?
「モニカさん……コウメちゃん、というのは?」
「あら知らなかった? あの子の名前よ。コウメ、ていうの。本人は嫌いと言っていたけど、私は可愛らしい名前だと思ってるわ」
名前――大聖女様の、名前ですと!
おお!
おお、おおお!
おお、おおお、おおおお!
おお、神よ!
天啓です、これは天啓です!
「きました、ビビビッと、降りてきましたー!」
勢いよく立ち上がり、祈りの姿勢になった私。モニカさんが目を丸くして首を傾げます。
「どうしたの、急に」
「私、かねがね思っていたんです。ビッグボスはネタに走りすぎた呼び方ではと。本人バレした今、賞味期限が切れたのではないかと」
「あら、そうなの」
「そんな私に、今、モニカさんが教えてくれたのです。『コウメちゃん』という、新たな呼び方を!」
古くて新しい、そんな気がします。オンコチシンとは、このことに違いありません。
「そうです、ネタに走る必要はないんです! 大聖女様自体がネタみたいなものなんです! だからここは原点回帰すべきなんです!」
「ずいぶん失礼なことを言っている気もするけど……それで?」
「モニカさん、その呼び方、私に譲ってください!」
「譲るも何も本名ですからね。私の許可はいらないと思うわ」
「ありがとうございます! このご恩は一生忘れません!」
「うふふ。あなたって本当に面白い子ね。いつもそんな感じなの?」
「はい、毎日面白おかしく暮らせれば、人生勝利だと思っています!」
「あらあら。でも、一面では真理ね」
モニカさんは笑いながら、私の言葉を認めてくださいました。
なんでしょう、モニカさんには魂で通じ合うものを感じます。今日、モニカさんに出会えたことは、運命であり必然であるような、そんな気すらしてきます。
「まあ、面白おかしく暮らすためにも、最低限のことは学んでね」
「はい、がんばります!」
私は元気よく返事をし、この出会いを神に感謝しました。
これまでありがとう、大聖女様。
これからよろしくね、大聖女様。
さあ、気分一新、お腹も満たされたことですし。
午後もがんばりましょー!