猫の思い出、伊織の気持ち
凜音がハナのことを思いだして涙を流す
これは、その日の朝の伊織の話─
凜音が目覚める前、伊織は外に出ていた
家のドアを開けるとすぐ目に入るのは近くの花壇にある凜音の猫の墓
伊織はその墓の前でしゃがみ込んでその墓を眺めていた
『伊織さんは弱くなんかないです
僕の大切なものを馬鹿にしなかった』
「大切な…」
『…僕、表情とか、声とか、気持ちがわからないって言われるので、ほんとは悲しかったのに、飼ってた猫が死んじゃったとき涙も出なかったんです』
「涙も…出なかった…?」
凜音の言葉を思い出していた
「涙じゃなきゃ…だめなのかな?」
独り言を呟く夏の午前6時はもう明るいが、外には伊織以外はいない
「気持ちを表現するのが…苦手…?」
聞こえるのは伊織の声とセミの声
「…でも、君は誰かのためになら、強くなって…」
伊織はそう言いながら少しだけ微笑む
「心だって…ちゃんとあるんだよ…」
凜音がいないところで凜音に語りかけるように呟く
「君は…君の心の位置を…わかっているのかな…」
そう言うと、伊織は猫の墓にかかっている砂を手で優しく払う
「…そこには…この子もいるのにね…」
その瞳は優しげに揺れる
「君はこの子とずっと一緒にいるんだよ?
ともに生きていることに…気づいてほしいな…」
「優しい君だから…自分のことには、無頓着なんだろうな…」
悲しそうに言うと、伊織は立ち上がった
「…お節介かも…でも…君に、気づいてほしいよ」
その瞳は先程の悲しさを灯さず、生命力あふれる光を灯していた
*****
「凜音くーん?起きてる?」
伊織はそう言って出てきた凜音の腕を掴んで猫の墓に連れ出した
(だって君が、そうやって)
猫の墓を見る凜音の悲しそうな顔を見つめていた
(悲しい自分に本当に気づいていないから)
「君の猫ちゃんは…なんていう名前なの?」
だからそう聞いて、猫のことを思い出させた
「ハナです…」
(…あぁ…可愛い名前、君が付けたんだね?)
その名前をつぶやくときだけ彼は優しい瞳をする
(その瞳の奥に隠れている優しさを…悲しさを…大切な心を…
ねぇ、思い出してよ…)
「ハナって…言うんです」
その時に既に凜音の瞳が潤んでいたことは伊織しか知らない
「ハナのことは…好き?」
(あぁ…)
凜音が涙を落とした
「…あれ…なんで…なんで…今更…涙
…なんて…」
(ようやく…心が痛いのかい?
君はすごく…悔しそうだね…)
「今更なんて…言わないで…
ハナは今も…“心”にいるんでしょ?」
そう言うが、凜音はまだ気づかないから
「どうしてこんな…ひどいことを…するんですか…?
…心が…痛くて…痛くて…苦しいのに…」
(…あぁ…私の心も痛いよ…凜音君に苦しい思いをさせている気がして…
でも君は…)
「その心の痛みを…大切にしてね?」
どうか…お願いだよ
優しい君に、気づいてほしいよ
伊織は凜音の頭を優しく撫でた




