阿鼻叫喚のタルタロス
ポッド研修、というものがある。
数十年ほど全世界で始まったもので、ポッド型のカプセルに入ってバーチャル世界を体験し、そこで倫理を学ぶというものだ。日本では中学三年生が卒業式の少し前に受けるものとされており、これを実施した結果日本の成人による犯罪率が大幅に低下したというデータがある、らしい。
「おい、掃除急げー!研修はもう明日だぞ!」
「す、すみません!頑張ります!」
で、俺の仕事は何であるのかというと。そのポッド研修で使うカプセルを綺麗に掃除&整備して、当日利用する中学生の少年少女達をご案内したり片付けをしたり――というものだ。これがまた結構大変なのである。春前のこの時期は、毎日のように新しい利用者がやってくる。いわゆる繁忙期というやつだ。毎日いろんな少年少女達が使うわけで、そのたびに綺麗に掃除して消毒し、かつ整備不良がないかを点検しなければいけない。
中学生と一言で言ってもいろんな人間がいる。時には、カプセルを派手に壊したり汚したりしてくれる面倒なお客さんもいるのだ。去年は機器の隙間まで排泄物が入り込んでいてそれはもう涙目になりながら掃除したケースもあったものある。カプセルは一つ一つが高価であるし、簡単に新しく作れるものでもない。いくら派手に汚されても、機能しなくなるまで壊されない限りはピカピカに磨き上げるほど掃除して再利用が基本なのだ。
俺はまだこの仕事を始めて二年目だ。去年は繁忙期の直前からの中途採用であったため、いきなり修羅場に投げ込まれててんてこ舞いだったものである。勿論利用日ではない日にも日頃から点検やチェックも入るし、時には内部のアップデートなども行わなければいけないので仕事はあるが、やっぱり明日からの連日のポッド研修が本番だ。この日のために丁寧なチェックやプログラムのアップデートを繰り返してきたのだ、失敗は許されない。
まあ、エンジニアがやりたくて入ったはずのこの仕事で、一番メインで大変な業務が“清掃”というのはなんとも泣ける話ではあるが。
――頑張るしかないぞー。明日から一ヶ月ばかり大変だけど……この日のために一生懸命作業してきたんだから。
室内に並んだ、卵型の銀色のカプセル。前面は透明のガラス張りになっていて、中に座る少年少女達の様子が外からもくっきり見えるようになっている。このガラスに指紋などが残っていると非常に目立つ。俺はアルコールを用いて、丁寧に内側も外側もきゅっきゅと拭いていく。
それから椅子部分。中に入る少年少女達の全てが性格的に優等生というわけではない。中には些細な理由でクレームをつけて、直前でポッド研修への参加をキャンセルしてくる輩もいる。以前には、“椅子の座り心地が悪そうだからやりたくない!”などとポッドに入る直前でごねたアホもいたそうだ。クレーマーと呼ばれる存在はどうにも中高年に限った話ではないらしい。以来なるべく全てのポッドに、少し値の張った高級な皮の椅子を設置することになったそうな。全く、国家予算も無限ではないというのに。
その椅子部分に小さなシミがあるから嫌だ!なんて喚く奴も珍しくない。赤い皮椅子はビニールでコーティングしてあるのでシミはつきにくくなっているが、それでも念のため表面を丁寧に清掃する。小さな隙間に至るまで、ゴミが落ちていないようにしなければいけない。
それから基盤部分に、頭に固定する機材のヘッド部分。壁に、タイル張りの床。一つを磨き上げるために、数十分は時間をかけることになる。本当はもっとさっさと終わらせろと言われているが、いかんせんチェック項目が多すぎるのだ。これでも一つに一時間オーバーもかかった去年と比べたら、相当上達したし短縮できた方だと思っているのだけれど。
「ニキ、急げ!まだ半分も終わってないんだからなー」
「先輩もメインモニターのチェック終わったら手伝ってくださいよー!」
遠くで遠隔操作の基盤のチェックばかりやっている先輩に、思わず文句を垂れる。清掃スタッフは俺以外にも数名いるが、中には今年入ったばかりの新人もいて作業ペースはお世辞にも早いとは言えない。
明日の午前中にはもう中学生達がやってきてしまうのだ。その前に全て終わらせなければいけない。いくら残業代は国から支給されるとはいえ、真夜中まで作業を続けるのはこっちもごめんなのである。
「ところがどっこい、俺はこのあと換気扇の掃除がある。そっちも死ぬほどしんどいんだけど、お前代わるか?」
先輩は苦笑いしながら、それも嫌だろ?と告げた。
「ま、頑張りたまえよ。今年も、去年同様終わったらご褒美待ってっから。お偉い方のお零れががっつり貰えるってよ」
「やっりー!そのために俺生きてる!頑張ってるっすー!」
「はっは、現金なやつめ」
俄然、やる気が出てきた。なんせ、その“ご褒美”こそ、俺がこの大変な仕事を始めた最大の理由なのだから。
約一ヶ月間、中学生達を入れ替わり立ち代りしてぶっ続けで行われるポッド研修。その最終日が終わると、自分達は楽しい楽しい打ち上げが待っている。そこでお偉いさん達に、普段では絶対食べることのできないような高級焼肉に連れて行ってもらえることになっているのだ。
高い酒を浴びるように飲んで、上手い肉をもりもり食べる!これに勝る贅沢はない。
「頑張るぞー!」
先ほどよりハイペースで手を動かし始めたところで、先輩が室内のメンバーにも聞こえるようにラジオを流し始めた。穏やかな声の女性アナウンサーが、ほのぼのとしたニュースを読み上げている。
『NASAが隕石、通称“イークンウッド彗星”の落下を観測してから、もうすぐ百年になります。この彗星の観測を機に、地球には数多くの彗星が確認されるようになってから、イークンウッド彗星が仲間を引き連れてきたようだ、と当時の一般市民の間では話題になったのだそうです。今年ももうすぐルナシ流星群が大量に観測できる時期であることから、流れ星にお願い事をしたい子供達の話題を独占しているとのことで……』
――イークンウッド彗星か。そういや、そんな名前がついてたんだっけ、あの彗星。
パネル部分にアルコールを噴きかけながら、俺はつらつらと考える。
イークンウッド彗星が観測されて以来、この世界では流れ星を見られる機会が圧倒的に増えたそうな。流れ星が光っているタイミングでお願い事をすると叶う、というのは昔からの定説であるようだし、子供達がお願い事をしようとはしゃぐのも無理ないことであるのかもしれない。
残念ながらと言うべきか、俺はそういったロマンは全く信じていないのだけど。なんせ、彼らよりずっと現実を理解しているのだから。
――そんなんにお願い事なんかするくらいなら、現実の自分や世界を変えるための努力の一つでもした方が建設的なのになー。……まあ、それで夢や希望が叶うかどうかは別問題だけどさ。
流れ星にお願い事をする。あんまり好きな行為ではない。結局他力本願ではないか。
まるでいもしない神様とやらに、努力もしないで頼りきっているようで。
――ま。そんなこと……ガキどもの前で口にしようとは思わないけどさ。ロマンとか空想も大事なんだろ、この世界には。
***
どうにか清掃も整備・点検も終わり。いよいよ、今年のポッド研修初日の日が訪れた。
県内に複数ある施設のうち、此処で一日に捌ける人数は頑張っても三百人程度である。施設が他にもあるとはいえ、県外からも利用者がやってくることを考えれば、相当ハイペースで回さなければならないのは言うまでもないことだった。一ヶ月ばかりフル稼働になるのも当然と言えば当然である。
ひとりにつきかかる時間は三十分程度とはいえ、それ以上の時間をかけて毎日掃除や整備をしなければならないのだ。故障やトラブルがあったらもっと時間がかかることになる。どうか面倒事が起きませんように!とお祈りをしながら、俺はぞろぞろとやってくる子供達をポッドのある部屋に案内した。
「後ろから、間を開けないで一つにひとりずつ入ってください!椅子に座ったらこちらでベルトやヘッドギアの装着を行いますので、中のパネルなどには手を触れないでお待ちくださーい!」
学校からそのままバスでやってきた子供達は、みんな制服姿だった。今回はあまりレベルの高い学校ではないのか、こうして案内している間も随分とお喋りが煩い。
「マジでかったるーい」
「だよねー。移動時間長すぎ。もう疲れたんだけどまだこれから座ってないといけないとかー」
「一時間くらいかかるんだろ、途中でトイレ行きたくなったらどうすりゃいいんだか」
「面倒くせえ」
「二人で一緒に入っちゃだめー?」
「何でスマホ持ち込んじゃいけないの?」
「ペットボトルはー?」
あーもうやかましい!俺はぴくぴくと青筋立てながらも、無理やり笑顔を作ってひとりひとりに説明をする。全員事前にしおりはもらっているはずだし、そもそも先生達にも丁寧に説明を受けて来ているはずなのに、何でもう一度こっちで注意事項を確認させてやらねばならないのか。
――我慢我慢……!これも全ては最後の焼肉パーティのため!
ぶーぶーと煩い中学生の少年少女達をどうにかポッドに入れ、ベルトとヘッドギアを装着。それから、中の機器を電磁波で狂わせる危険性のある携帯電話などを持ち込んでいないかどうかも入念にチェック。
全てが終わった時には、彼らが室内に入ってきてから十五分もの時間が経過していた。明らかに予定時間を過ぎている。これが大人しくしてくれるおぼっちゃま学校の生徒などならスムーズに事が運ぶのに――なんてことを言っても仕方ない。中学生なのに派手な髪色の少年少女達を見てため息をつきながら、俺は全てのポッドを閉めてロックをかけた。
さて、ここからが本番だ。
「全てロックかけましたー!」
「よし。ニキ、換気扇のスイッチは?」
「入ってまーす、大丈夫でーす」
「よし」
揃いの紺色の制服を着た職員達と共に一つ一つ指差し確認をした後。先輩が遠隔操作のモニターの前で、宣言した。
「それでは、起動する」
瞬間。
しゅうううう、と空気が抜けるような音。数秒の後、俺のすぐ隣のポッドからドン!と大きな音がした。見れば、中に入っている茶髪の女の子が、派手にガラス面に拳を打ち付けている。静かにしてくれよなあ、と思てはみるものの、こちらの声はポッドの少年少女達に届かない仕組みだ。逆に、彼女らの声も外には一切漏れないようになっている。真っ青な顔で少女は何かを必死で叫んでいるが、何を言っているのかはさっぱりわからない。
ただ、振動だけは伝わる。少女がガラス面を繰り返し叩くたび、しっかりと固定されているタマゴ型のカプセルがガタガタと揺れるからだ。
「もう、ほんと……」
少女はやがて、目から、耳から、鼻から、口からとドス黒く染まった血を噴出し始める。暴れる拳も派手に打ち付け過ぎて鬱血し、爪をがりがりと立てるせいか指先からも激しく出血し始めた。やれやれ、と肩を竦める俺。
「暴れても無駄なんだから、もっと静かに死んでくれよ」
ガタガタと揺れているポッドは彼女のものだけではなかった。殆どのポッドが激しく揺れ、あるいは中から打ち付ける鈍い音を響かせ続けている。一分、二分、三分――暫く鈍く重い不協和音が続き、やがて唐突に大人しくなった。先輩の方を見ると、両腕で大きくマルを作っている。どうやら、全てのポッドの生体反応が消失したということらしい。
再度、しゅー、という音が響き渡る。カプセルの中に放出された毒ガスが、床に接続されたパイプから排出される音だった。やがてガスが綺麗に抜かれると、全てのカプセルのロックが外れてぱかりと開かれることになる。だが、開かれたカプセルはどれもこれも血まみれで、さっきまで文句を言うばかりだった少年少女達は誰ひとりとて動き出す気配はなかった。
「やっぱり、来年からは睡眠ガスの導入も検討した方がいいよなあ」
先輩がやってきてため息をつく。
「毎回こうも暴れられたんじゃ、ポッドが汚れるし、壊れる原因になるし、部屋の外まで音が漏れる危険もあるし……うっわくっせぇ!この女ウ●コめっちゃ漏らしてる!」
「毎年のことでしょ先輩ー。気持ちはわかるけど。てか、早く処理しないと」
「そうだな。じゃあ交代役の方々、入ってきちゃってくださーい!」
先輩が声をかけると、部屋の奥のドアが開き、中から灰色の怪物達が入場してきた。全身が無視のようなもので覆われ、触手のようなものを五、六本生やしている。地球人に言わせたら、さぞかし気持ち悪い姿というやつなのだろう。なんせ連中は、触手なんか体に生えてないし、手足も二本ずつしかないし、肌の色は薄いオレンジみたいな色であるのが当たり前だと思っているのだから。
惑星“リオネットVG”星人。それが、彼らの正体であり――俺達の正体でもある。
交代役の彼らは全員ポッドの横に一人ずつ立つと、触手をしゅるしゅると伸ばして遺体に触れた。すると、彼らは全員、死んでいる中学生達と全く同じ姿に変身する。中身だけではなく記憶も九割くらいは読み取っているので、ほぼ完璧な再現が可能と言って良かった。――彼らがこのまま、元の中学生のフリして自宅に戻っても、気づくことが出来る者は存在しないだろう。
そう、これがポッド研修と呼ばれる新しい法律の、正体。
彼らはポッドに入って倫理を学ぶのではなく――ポッドの中で毒ガスによって殺害され、異星人に成り代わられているのである。研修を受けていない者達が誰ひとり知らない真実。これこそが、百年前に地球に彗星とともにやってきた我々リオネットVG星人の、実に合理的で平和的な侵略のやり方なのである。
そして、死んだ子供達の遺体がどうなるかといえば。
「よし、“交代”完了!全員遺体をカートに入れろよー」
「はーい」
真っ赤に染まったポッドから引きずり出された中学生達の遺体は、次々とカートに放り込まれていく。彼らの体はけして無駄にはならない。何故なら、地球人の肉は自分達を含めた一部の異星人の間では、高級食材であるとして高い人気を誇るからだ。とにかく栄養価も高く、脂も乗っていて美味なのである。
「はー!いいなあいいなあ。惑星国家グラシスタの方々いいなあ。あれ殆どがあっちの星に売られるんだもんなあー」
俺はじゅるり、と涎が垂れそうになった。その刹那、ついつい油断して首のあたりから触手がぴょこっと飛び出し手しまう。先輩に“変身解けかけてるぞ”、と注意されて慌てて引っ込めた。
いけないいけない。この仕事をやっている間は、自分はちゃんと“地球人の男性”でいなければいけないというのに。
「まあいいじゃねえか、ニキ。俺らは最終日終わったあとで、グランシスタの方々に一部奢ってもらえるんだからよ。焼肉パーティのために今は腹減っても我慢だ、我慢!」
「はーい!」
俺が、俺達がこの仕事を始めた理由。
それは、最終日の後に最高のご馳走が食べられるから。この地球ですでに“入れ替わって”いる異星人は数多くいるけれど、最高級食材である地球人の肉を食べることが許されるリオネットVG星人は、この仕事に携わった俺達くらいなものなのである。
――やっきにっく!やっきにっく!たっのしみ、だっなー!
できれば、地球人の女の子のレバーが食べられると特に嬉しいのだけど。
そう思いながら、俺は口の中に溜まった唾をぐいっと飲み込んだのだった。